人は死後も、その魂は存在する。これが、基本です。
ただし、霊界で誰もが幸福に生きれるわけではない。ここで、善悪の問題が生じる。つまり、善人は死んで霊界の天国にはいることができるが、悪人は地獄に落ちる。これが、重要な点です。
善人とは、神の教えを聞いて、それを守る者のことです。悪人とは、悪魔や悪霊と結びついた者です。そして、神の教えとは、「神を全力で愛し、隣人を自分と同じように愛せ」ということです。
しかし、「自分は神を愛し、隣人を愛している」と言っても、それを証明するものはありません。だから、インチキ宗教家が現れるのです。
具体的には、神は貧乏人を愛しているということです。従って、神を愛するとは、貧乏人を愛するということであり、貧しい隣人よりも金持ちであってはならないということです。つまり、貧しいことが神を愛しており、隣人を愛しているということです。
だから、神の子のイエス・キリストは、「貧乏人は天国に入れるが、金持ちは地獄に落ちる」と言われたのです。しかし、悪魔は人間の欲望を刺激し、金持ちになるためなら、悪魔に魂を売ろうとさせるのです。そして、世の中自体が悪魔の支配下におかれ、誰もがカネと富を求めています。世の中の富裕層、エリートの頂点には悪魔がいるのです。人々は、カネを神のように崇めているのです。人々は、問題を解決するのに、神に頼るのではなく、カネに頼っているのです。世の中は、カネを崇める悪魔教という宗教に支配されているのです。
実際、イエス・キリストは、「人は神と富とに兼ね仕えることはできない」と言われています。神の教えに従って貧しい生活をする者は、天国に入ることができ、悪魔に従ってカネと富を求める者は、地獄に落ちるということです。つまり、貧乏人であると同時に金持ちであることはできないのです。天国に入る者と、地獄に落ちる者は完全に分断されるのです。
この教えによれば、富裕増、エリート、社会の成功者、競争の勝利者、幸福な人間は、すべて、富裕であり、金持ちであり、全て地獄に落ちることになるのです。
逆に、低所得者、下積みの人間、社会で失敗した人、敗残者、不幸な人間は、全て金銭的に貧しく、天国に受け容れられることになるのです。
もちろん、富裕層・エリートの中にも親切な人間や善良な人間もいますが、その心の底では本当に神を愛しているのか、どうかが霊界でチェックされます。自分を犠牲にしてでも貧しい隣人を助けたのかどうかが問われます。また、貧しい人間の中にも、不親切な人間や、悪人もいます。彼らの信仰心も霊界でチェックされます。そして、本当に神を愛し、隣人を愛する貧しい人間だけが、天国で受け入れられるわけです。(臨死体験で人が見る霊界は、まだ、このチェックが行われる前の段階の霊界です。それでも、霊界にはこの世では見られない光、色彩に溢れています・・・)
この世の生活の後には死後の世界があり、死後の世界は、天国と地獄に別れるというのが真実なのです。そして、天国に入れば永遠に幸福に生きることができ、地獄に落ちれば、やがて神様によって悪魔と共に抹殺されるのです。
これが、イエス・キリストの教えに基づく神学なのです。
「貧乏の勧め」が、キリスト教の本質なのです・・・