霊は存在する。イエス・キリストも霊の存在を前提として説教をしている。
(勿論、死後の世界も存在する。このような霊的問題が聖書の本質なのです。)
しかし、霊には悪霊と善霊がある。悪霊は悪魔の支配下にあり、善良は神様の支配下にある。人を苦しめるのは悪霊です。人間を破壊しようとする悪魔は、悪霊を使って人間を苦しめる。
霊があるから、人間には心がある。心の発生源は「霊」なのです。霊は「魂」という形で人間の生命に入り、「心」を生み出す。
従って、肉体の死後、「心」は魂に戻り、霊となって死後の世界(霊界)に入り、霊界で人間は霊となって生きる。
つまり、人間の基本は霊ですが、人間の心にはさまざまな霊が入り込む。天使の霊が入れば、人間は聖者となるが、悪霊が入れば悪魔のような悪人となる。つまり、人間はその心の中に入り込んだ霊によって支配される。悪霊も善霊も人の心に出入りするものと考えられる。
その霊について、イエス・キリストは次のように言っている。マタイの福音書 12章悪霊に取りつかれた人間から、除霊や悪魔祓いで悪霊を追い出しても、悪霊は再び戻って来るということです。また、学問を積んで知識や人格を高めても、悪霊の侵入は防げない。そして、悪霊は他の仲間を連れてくる。
43 汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
44 そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
45 そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。
宗教や心霊の知識、さまざまな学問で、心を浄め、精神性を高めでも、やはり、悪霊は入り込む。そして、悪霊は多くの仲間を連れてきて、その人の霊的状態はさらに悪化する。
悪魔に支配された世の中では、このような現象が生じる。宗教や学問で精神性を高めたエリートが世の中を指導しても、彼らの心の中には、さらに多くの悪霊が入り込む。従って、世の中は良くならない・・・
実際、若いころは宗教や学問を熱心に研究し、期待を持たれた若者も、やがて、多くの悪霊を心に抱えるようになり、最後は、悪魔の代理人となる、という例が多い。例えば、若いころは貧しい生活に耐えて、宗教や学問を追求し、新宗教の教祖や教授となっても、年を取ると特権的な地位や高額の報酬に溺れて、心の中に悪魔を呼び込む人間は多い。肩書や地位を信用するな、ということです。
生きて霊界を見て来たスエーデンボルグなどの著述を読めば、多くの宗教家や学者、有名人が地獄に落ちていると言う。
判断基準は、「貧富」です。立派な宗教家も学者も富裕な生活をしている。しかし、イエス・キリストは「金持ちは地獄に落ちる」と述べている。宗教家でも、学者でも同じことです。「金持ちの宗教家や学者も地獄に落ちる」のです。
聖書は、本来、霊的な教えを述べたものです。霊的観点から、キリスト教を学ぶ必要があります。
1.人の死後は、その心は霊界で「霊」として生き続ける。
2.人は生きている間は、その心を支配する霊による影響を受けている。
3.霊には悪霊と善霊がある。
4.悪霊は人間を破壊しようとし、善霊は人を救う。
5.神様に祈ることで、悪霊を追い出し、善霊を取り込むことができる。
これが、イエス・キリストの神学なのです。
つまり、苦しいときは聖書を読んで神様に祈り、悪霊を追い出し、善霊を取り込むことです。
善霊の最高の霊は、神様の霊(聖霊)ですが、その次はイエス・キリストの霊、聖母マリアの霊でしょう。日本の神道の神や、仏教の菩薩などの霊も善霊ですが、世界の危機の時代には、世界宗教のキリスト教の霊が一番有効なのです・・・