2025年2月4日火曜日

神様について・・・


 

この世は神様が作ったということは、誰でも感じている。しかし、神様は目に見えない。つまり、真実は心で感じなければ分からない。

その心が濁っていたり、未熟であれば、真実は分からない。だから、学び、修行をする必要がある。両親、先輩、年長者、教師、宗教家、社会から人は学ばなければならない。普通は常識としていろいろな知識や知恵を得て、まともな人間として生きていけるようになる。

ただし、神様の存在、死後の問題などは、自分で納得しなけば意味がない。この世の問題は社会の常識で対処できるが、人間の存在や神様、霊に関することは、社会の常識の中には収まらない。

だから、イエス・キリストは「真実に至る途は、狭くて細く、困難だ」と述べておられる。この世を生きて行く知恵を得る途は広く、やさしい。だから、大部分の人間はカネを得て物質的な幸福を得ようとする。しかし、真の幸福はこの世で得られるものではなく、死後の世界、霊界で神様が与えるものであることを理解する必要がある。

まず、地球は宇宙の一部であり、この宇宙は神様が作ったということを認める必要がある。誰かが宇宙を作らなければ、この世は存在しない。宇宙(この世)は何かの力で自然に生じたという考えもあるが、その力は神様の力だと考えるのが自然です。全ての存在は、神様から生じたと考えなければ、宇宙の秩序や存在そのもが説明できない。

そうすると、神様が霊界を生み出し、霊界から物質界を生じさせたということも理解できる。この宇宙はそれ自体で存在すると考えても、その存在を可能にしたものは何かということを考えなければならない。つまり、究極の力がなければならない。それは、神様だと考えるのが自然です。

聖書では、「全てのものは、神様の言葉によって成立した」と記されている。神の言葉とは、神の意志の表現です。そして、神の意思は霊界でも物質界でも働いていると考えるべきです。神様は霊界で霊として存在している。これが、自然な判断です。そして、物質界、つまり、この世でも神様の霊的な力は働いている。この霊的なエネルギーによって、神様は人間の運命も支配されているということに気がついた人間が、さまざまな宗教を作り上げた。だから、多くの人間が、この世の不幸から救われようとして神様に祈り、願をかける。どんな宗教でも、この世の超越的な存在として聖なる霊を崇めている。呼び名は違っても、物質宇宙と霊界の創造主の神様を崇めている。だから、どんな宗教でもつきつめれば、万物の創造主を崇めていることに変わりはない。

しかし、聖書では「人は生きている間に、神を見ることはできない」と記されている。これは、霊界に入らなければ神様は見えないということです。イエス・キリストも、「神は霊である」と述べている。少なくとも霊眼でなければ、神様は見えない。ただし、人間は祈りや想念を通して神様とつながる。人の心の中に紙がいるというのは、心(霊)を通して神様とつながるという意味であり、死後、地獄に落ちるかも知れない人間の心の中に神様がいるわけではない。人間と神様は、本質的に別物です。

つまり、人間もその生きる世界も、霊的エネルギーで神様が作ったものであり、真理を得るとは、霊界と物質世界(この世)と精神世界の関係を理解することです。そして、霊界や神様とつながるには、神様への信仰心が必要だということです。

ただし、霊界や神様(又は聖なる霊)つながれば、人間も霊的エネルギーが使えるようになり、空海のような奇跡も起こせるようになる。霊的エネルギーは、物質界の法則や因果の法則を超えるからです。光速を越えて宇宙を旅するUFOの異星人は、部分的に霊的エネルギーを使っていると思われる。

従って、異星人が予言する地球の滅亡も、人間が神様への信仰心を高め、霊的エネルギーを使用できるようになれば防止できるはずです。

神様が人間にとって意味があるのは、神様が人間の不幸や苦しみを解決できる力があるからです。人類全体の信仰心が高まれば、祈りは神様に通じて世界の滅亡も回避できるのです。個人のこの世での不幸も、祈りによって解決できることは、多くの宗教が教えている。そのためには、聖書を読んで清貧生活をすることです。