2026年10月2日金曜日

わたしが弱い時にこそ、わたしは強い (コリントの信徒への手紙二 第 12 章) (my power is made perfect in weakness)


9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
11 わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。
12 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。
13 いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。
14 さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。 (コリントの信徒への手紙二 第 12 章)

9 But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me. 10 That is why, for Christ’s sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong.
11 I have made a fool of myself, but you drove me to it. I ought to have been commended by you, for I am not in the least inferior to the “super-apostles,” even though I am nothing. 12 I persevered in demonstrating among you the marks of a true apostle, including signs, wonders and miracles. 13 How were you inferior to the other churches, except that I was never a burden to you? Forgive me this wrong!
14 Now I am ready to visit you for the third time, and I will not be a burden to you, because what I want is not your possessions but you. After all, children should not have to save up for their parents, but parents for their children.

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AIでは、「この手紙では、苦しみの中での慰め、和解、使徒としてのパウロの務めなどが強く語られます。特に冒頭では、神が苦しみの中にいる人を慰めてくださる方として述べられています。 (bible.or.jp)」と説明されている。

また、Wikipediaでは、「第12章では「第三天まであげられた」という神秘体験について、自分に与えられた「とげ」について述べられている。この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っている」とされている。

ダマスカスでの途上で、イエスの霊の出現によって回心したパウロは、イエス・キリストの教えの伝道を開始したが、そのパウロの伝道生活での教えが現れれている。

「子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである」というのは、神様への信仰において、親の立場にある人間が、子の立場にある人間より、責任を担わなければならない、ことを教えている。

イエス・キリストの霊や聖霊によって、信仰心を高められた人間は、まだそうでない人間より、多くの責任がある。信仰者としての模範を示すべきだということです。

それは、「キリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘ん」ずるという、信仰者の覚悟につながるのです。

世の中では、自分を守るために強く出たり、相手を抑えるために侮辱し、敵を迫害し、追い込む人間が多い。それは、イエスの教えに反している以上、信仰者は「弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まり」を甘んじて受けるべきだと述べているのです。

つまり、悪魔の影響下の世の中で、信仰者は弱者の立場に甘んじなければならない。しかし、その時、霊界から天使たちが信仰者を助けてくれて、この世的な意味ではなく、霊的な意味で信仰者は強い立場に立つことができるのです。その結果、「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」という立場を得ることができる。信仰によって弱い立場になった時に、天使たちが霊界から助けてくれて、強い立場になるということです。

神様は、自分の信者を見捨てられることはなく、信者を助けるために、天使を遣わされるのです。しかし、悪魔はいつでもその手先となった人間を見捨てるものです。悪魔の力を借りて強者だと思っていた者も、悪魔に見捨てられ、弱者の立場に落とされ、その姿を見て悪魔は笑うのです。

つまり、本当は強い親が、そのような信仰者としての模範を示すことで、後に続く子供の立場の人間は、信仰の意味を悟るのです。

そして、「たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがない」という信仰者の自信を持てるようになるのです。

パウロは、イエス・キリストの霊によって助けられているとの自信があったので、この世では弱者の立場になることも恐れなかったのです。