2022年9月5日月曜日

死後の世界と宗教 - 正しい宗教とは?

 

日本人の宗教観は、他の国の人の宗教観とは少し異なる。日本の風土に基づく霊的な存在を信じると言うのが本質であり、神道も仏教も霊的な意味で受け入れている。宗教の教義に洗脳されているわけではない。要するに、神でも仏でも霊的な支配者に対する畏怖の念です。キリスト教会に属していなくても、イエス・キリストを霊的な偉人だとしてを敬う人間は多い。しかし、積極的に1つの宗教に係わる場合は、外国人との間でにそんなに違いはない。要するに、他の宗教に寛容性がなくなり、排他的になる。逆に日本人で無宗教だとされる人間にも、霊的な威力のあるものは、何でも尊重するという姿勢が見られることも多い。だから、神社・仏閣・キリスト教会を平気で受け入れる。

「現在、世界最大の宗教勢力はキリスト教である。世界の総人口73億人のうち23億人(人口比で32%)をキリスト教徒が占めている。次いでイスラム教徒が18億人(25%)、ヒンズー教徒が11億人(15%)、仏教徒が5億人(7%)、民族信仰が4億人(5%)だ。日本の神道は国際的な分類では、「民族信仰」のカテゴリに入る。ちなみに、無宗教は12億人(16%)である。」(https://president.jp/articles/-/52070?page=1)

西洋先進国の欧米では、キリスト教がベースであり、中東・アラブ系の国ではイスラム教が主流であり、南アジアと日本、韓国、台湾では仏教の影響が多い。現代文明は、欧米の文化が主流であり、従って、キリスト教を基礎とする文明だということになる。

中国は、儒教、道教、仏教の伝統の上に、ユダヤ教から派生したマルクス主義の影響を受けている。中国人は共産主義のイデオロギーを信じていないが、それに基づいた独裁制にメリットを見出している。第二次大戦後に、共産党が中国を統一したという事実が、全てに優先している。中国共産党は死後の世界まで支配していないので、中国人は勝手に道教などを敬っている。

無宗教だが、死後の魂(心)の存在を信じると言う人は少ない。死ねば、自分の心も消えて、全てはゼロになると考えるのは、大変な恐怖感を生む。だから、死後の世界を信じないという人間は死のことは考えない。死を考えないのなら、宗教も必要ない。

しかし、死後の魂(心)の存在を信じない人間ばかりになれば、社会の秩序や統制が取れなくなる。どうせ死ねば、何も残らないと考えた人間は、善悪の判断もせずに、手段を選ばず利己的な利益を追求する。善の尊重がなければ、社会は不安定化する。家庭自体が成立しない。そのような非文化的な悲劇を避けるために、社会では宗教が必要とされてきた。動物でも本能的に自分の限界を知って、怖れるべきものは恐れる。宗教が神々や仏の存在を人々に教えることで、人間も自己を超えた存在を知り、社会に秩序と安定がもたらされる。善と愛の究極の発生源は、神や仏だということで、社会も家庭も成立する。

このように、死後の世界を知って個人が死の恐怖から免れるため、社会の平和のため、そして、善悪の道徳の基盤を得るために、宗教は人類に必要とされてきた。ただし、歴史的、文化的な違いからさまざまな宗教が生み出されることになった。そして、宗教としての共通点は、死後の世界の信仰と善悪(天国と地獄)の判断の基盤、社会の安定という役割に見いだされる。問題は、宗教に悪魔が影響を及ぼして来た、ということです。

まず、悪魔は人間に死後の世界の存在を否定させる、死後の世界を信じた者には善悪と死後の世界(天国と地獄)は関係ないと信じさせる、死後の世界と善悪の関係を知った者には、それでも、彼らの欲望を満たすために、神の教えや宗教の愛と善の教えに背を向けさせる。そして、この世で物質的に豊かな生活を目指すようにさせ、死後は神の光に背を向けて地獄を選ぶようにさせる。

多くの人が、この世でもあの世でも悪魔に魂を売れば、豊かな生活ができるものと信じるようになる。これが、悪魔による洗脳です。「死後のことは分からない、だが、この世は確実に存在する。だから、まず悪魔に魂を売ってこの世で幸福になり、死後のことは、霊界に入ってから考えよう」という人間も多い。しかし、この考え自体が悪魔の洗脳の影響です。

このような宗教的混乱から救われるには、「死後の世界は存在し、天国と地獄も存在する」ことを社会の常識、全ての宗教の共通の基盤として受け入れることです。この単純な教えの他は、霊界に入ってから解決問題として、さまざまな宗教を受け入れることです。

無宗教であっても、「死後の世界は存在すること、天国(善人の霊界)と地獄(悪人の霊界)も存在すること、この世と霊界の創造者(神)が存在する」ことを認めるだけでよいのです。これが、「唯一の絶対の神」への信仰となれば、それは正しい宗教なのです・・・