聖書のよく知られた言葉に、「たとえ私が死の影の谷を歩もうとも、災いを恐れない。あなたが私と共にいるから」という表現がある。信仰によって、死の恐怖を超えられることを意味している。
イエス・キリストの教えは、当然、死後の世界の存在を前提としている。キリスト教徒とは、死後の世界を信じる人たちでもある。この世の幸福よりも、死後の幸福を求めるのがキリスト教徒だということになる。ただし、牧師/神父の中には、死後の世界を信じていない人もいる。驚くべきことだが、キリスト教は単なる道徳だと思っている牧師/神父もいる。
他方、日本の今日の仏教の僧侶は、必ずしも死後の世界を信じていない。各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82)。これは、葬式産業と化した日本仏教の現状を示している。俗世間的なご利益と結びついた仏教系、神道系の宗教は霊魂不滅という全ての宗教の大前提すら曖昧にしている。
実際、今の日本の学校で「人の魂は死後も存続する」と教えることはない。学校で、「人の意識は死後も存在する」と教えることはない。だから、大部分の人間は「死の恐怖」の下に生きている。他方、心霊主義を基本とする新宗教やカルト宗教に走る人間もいる。社会自体が、死の恐怖と死のオカルト化/アングラ化/曖昧化によって成り立っている。
この状態を180度変換し、学校で「人の魂は死後も存続する」、「人の意識は死後も存在する」、「肉体の死後も人間の意識/精神は存続する」と教え、この世での生活、幸福、欲望にこだわらなくさせることが必要です。これが、本来のキリスト教の教えでもあります。
ただし、死後は誰でも霊界で幸福に生きれるわけではない。この世で善人として生きた者は天国で幸福に生きれるが、この世で悪を行った者は、天国の光と愛を嫌って地獄に落ちる、というのが全ての宗教の共通した教えです。
さらに、善人はこの世で貧しい生活を強いられ、正義を求めるので迫害され、信仰心を煙たがられるが、忍耐すれば、死後は天国で報われる、というのがイエス・キリストの教えなのです。そのような「善人を攻撃する悪人は、悪魔の教えに従っている」、というのが神学なのです。
むしろ、社会全体が悪魔化していると言うべきでしょう。死後の世界を信じなければ、この世の幸福にこだわる。この世で幸福を得るにはカネが必要だ、だから、悪魔に魂を売ってでもカネと富を得るべきだと考える。或いは、死後の世界を信じても、霊界でもこの世と同じように、悪を受け入れてうまくやれば幸福になれると考える。そのような狂った考えを悪魔は人間に吹き込む。神の教える愛を嫌う人間は、この世でも、霊界でも神様から遠ざかり、最後には地獄の闇に入り込む。そして、地獄で悪魔の支配下に入る。しかし、神様は悪魔も地獄も、地獄の住民も最終的には抹殺される。それが、本当の死なのです。
これが、古代ギリシアのプラトン/ソクラテスからイエス・キリストの教えに至る人類の思想と宗教の中心なのです。
この世の善人、信仰者、貧乏人、不幸な人、正義の人は、死を恐れる必要はない。死後、天国に入れるからです。しかし、この世のエリート、富裕層、成功者、幸福な人は、死後、地獄に落ちで悪魔と共に滅ぼされる。むしろ、悪魔は人々に死を恐れさせようとする。人々が死を恐れて、この世での幸福を絶対視させ、幸福を得るために悪を受け入れさせようとする。そして、死後の真実を伝える人間を、悪魔は悪人を使って迫害させようとする。これが、悪魔がイエス・キリストを十字架につけて殺した理由なのです。しかし、イエス・キリストの教えを信じた多くの貧しい人たちが、2千年間伝えてきたのがキリスト教なのです。
それでも、悪魔に支配された現代社会では、多くの人が死後、地獄に落ちる。余りに多くの人が地獄に落ちるので、神様が人間を救わなくなり、人間界を滅びるのに任せようとする。これが、今世紀中に想定される人類の危機なのです。
しかし、人間が正しい死生観を持ち、神様の教えに立ち返れば、神様は人類を絶滅から救って下さると思われる。ただし、今後300年に渡って人類の人口は10分の1にまで減るかもしれない。その後、新たに霊的な文明を築いて1万年くらいは人類は存続すると思われる。
いずれにしても、この世とあの世はつながっているという意識で、聖書、イエス・キリストの教え、神様の教えを見直するべきなのです・・・
神様は無限の愛を持っているが、完全な善でもあるのです。そして、この世でも霊界でも神様を騙すことはできないのです。聖書を読んで神様の教えとイエス・キリストの言葉を学ぶべきです。