2022年9月18日日曜日

非常に大事なことなので、何度でも書く・・・神様の裁きが行われるのは、21世紀!

 

非常に大事なことなので、何度でも書く。「死後の世界は存在する!」

従って、死を恐れることはない。「この世の死後に、人間は死の世界に入って、そこで生き続ける。」これが、日本だけでなく、世界の各民族の伝統的な宗教観です。だから、どの民族でも本来は霊界にいる先祖を敬い、この世と霊界の主である神を恐れる。

しかし、物質文明の発展によって、物質的な欲望が心を支配し、霊的関心が薄れ、自然の霊性・霊感ではなく、わざわざ宗教に頼ざるを得なくなった。そして、人間の物欲が悪魔を呼び寄せ、悪魔がこの世を支配するようになった。その悪魔から人間を解放しようとするのが、キリスト教や仏教など伝統的な宗教です。

実際、善人ばかりの世の中なら、皆、死後の世界を信じて、この世でも互いを苦しめ合うこともなく、愛と平和に自然に生きて、生・病・老・死の苦しみもなく幸福に生きることができる。しかし、他人を犠牲にしてでも物質的な幸福を得るために、悪魔に魂を売る人間が続出し、この世は苦に満ち、人々は魂の平和を得るために宗教にすがるようになた、

ところが、悪魔は宗教の中にも入り込み、人々は宗教業をカネ儲けの手段と考えるようになった。今、寄付、お布施、会費などを集めない宗教団体はない。信徒や会員より貧しい生活をしている教祖、会長はいない。宗教団体の幹部ほど腐敗、堕落した人間はいない。しかし、悪魔に洗脳された人間は、そのような宗教団体の幹部を持ち上げ、「悪魔を神様だとみなして、実質的に悪魔崇拝を行っている」。これが、多くの宗教団体の実情です。25年前のオウム真理教事件や、今年(2022年)の安倍元首相銃殺事件は、このような環境の中で生じたのです。事件の関係者の背後には悪魔がいるのです。

この世の物質文明がもたらした人間の物欲から生まれた悪魔の支配の下で、多くの人間が生きているが、霊界は神様の支配下にある。悪魔は神様に勝てず、霊界を支配することもできないが、霊界に地獄を生み出し、出来るだけ多くの人間を地獄に引き込もうとしている。しかし、余りに多くの人間が地獄に落ちるのを悲しんだ聖母マリアが、わざわざ人間界に現れて警告を発するようになった。「このまま、人間が悪魔に魂を売り続けるなら神様は人間を亡ぼされる」というのが19世紀以来の聖母マリアの警告です。そのために、聖母マリアはルルド、ラサレット、ファティマ、ガラバンダル、秋田、メジュゴリエなどに出現されたのです。そして、その神様の裁きが行われるのが、21世紀だというのが聖母マリアの警告、信頼できる現代の霊能者たちの予言、過去の著名な予言者・霊能者の言葉なのです。「21世紀には、人類の物質文明が崩壊の危機に曝される」というのが、信頼できる予言なのです。

ただし、一人ひとりの人間にとっては、人類の文明の崩壊よりも自分の死が重要になる。ところが、18世紀の大霊能者のスウェーデンボルグによれば、すでに18世紀には霊界で最後の審判が行われており、その影響はこの世の人間界に2~3世紀遅れて現れるという。今、世界の危機の最中に一人の人間が死んで霊界に入っても、臨死体験者が見るような善人/悪人の区別に無関係なお花畑のような霊界の入り口を通り過ぎると、神様の裁きが行われた霊界、即ち、天国と地獄が明確に分離された霊界の真相に直面し、天国に入る者と、地獄に落ちる者が分離されるのです・・・

要するに、自分さえこの世で幸福になればよいと思っても、死んで霊界に行けば地獄に行くしかなくなる。それでも、霊界を信じなければこの世だけに執着し、悪魔に魂を売ってでもこの世で幸福になろうとする。こういう人間ばかりになれば、この世は地獄になる。それが、悪魔の狙いなのです。

神様が貧しさを愛し、貧乏人を愛することを知って、この世で貧しい暮らしをした者は、死んで霊界の天国で幸福になる。これが、イエス・キリストの真の教えなのです。

つまり、神や仏を本当に信じているか否かは、外見からは判断できないが、貧富の違いは誰にでも分かる。そして、死後、霊界で天国に入れるのは、まず貧しい者です。どんなに、エリート、富裕層、有名人となっても死後は天国には入れないのです。テレビやネットで取り上げられる人間は、ほとんど地獄落ちです。

しかし、悪魔に洗脳された人間は、富をベースとする物質的な幸福を求める。そのような人間ばかりになれば、もはや、神様は人間を見捨てる。それが、最後の審判であり、霊界では既にこれは行われている。死後、霊界で地獄に落ちるような人間ばかりの文明は、神様によって滅ぼされる。これが、21世紀に生じる人類の悲劇です。

この悲劇を回避するには、誰もが貧しさをめざす生き方をすることです。そうすれば、死後は天国に入れるし、神様も人類を絶滅させないだろうと想われる・・・