「宗教は危険だ!」「宗教はサギ集団だ!」「宗教は犯罪者の巣窟だ!」という意見も多い。しかし、世の中は自体が危険であり、世の中にはサギ集団が多く、世の中に犯罪者の巣窟と言われる組織・団体も多い。「宗教」のみが悪ではない。むしろ、「この世は悪魔に支配されている世界だ」、と考えるのが正しい。この考えが、キリスト教、仏教などの基本になっている。つまり、「悪」と戦うのが信用できる宗教だということになるのです。
イエス・キリストは、「私を信じる者は、世の中で狼の集団の中を生きる子羊になる」と言われている。世の中は狼のような残忍、狡猾な悪人であふれており、イエス・キリストの信者はその中を生きる子羊のような存在である、という教えです。オオカミは、子羊を食い物にする。人(子羊)を不幸にして喜ぶ、悪質な宗教団体の幹部(狼)も多い。
ただし、狼のような人々に対しては、イエス・キリストは「逆らうな、賢く振る舞え、手向かうな」と注意しておられる。ただし、子羊の衣をかぶった狼もいる。子羊仲間だからと言って信用は出来ない。イエス・キリストも弟子の一人に裏切られて殺されている。神の子であるイエス・キリストを平気で殺すような、凶悪で狂った人間も多いのです。特に、外見で人を判断してはいけない。悪人は必ず、善人面して現れる。「親しい人間でも、3日ほど合わなければ、信用できない」という教えが日本のことわざにもある。要するに、無条件に善意の人間はいない。
しかし、神様を信じ、「隣人には親切にせよ」と、神様に命じられている信者は別です。自分の利益とは、「神様に認められる」ことである場合は、他人に害をなさない。ところが、「悪魔は人を洗脳し、自分を神だとしてあがめさせる」。悪魔はどこまでも、狡猾で危険です。本当の宗教人とは、悪魔と戦うことのできる人間です。悪魔の別名はカネです。つまり、真の宗教人とはカネと戦える人間です。カネと戦うと言うことは、貧乏生活を好むということです。イエス・キリストも仏陀も、一銭も持たなかったと言われている。神聖な乞食、聖なるホームレス、神を信じる貧乏人が、真の宗教人の条件なのです。
そして、「狼となった悪人を恐れてはならない」とイエス・キリストは述べておられる。なぜなら、悪人は最悪、人の命を取ることしかできない。ところが、殺されても人間は霊界で生き続ける。人間の霊は霊界で存続する。悪人・悪魔といえども、人間の魂まで抹消することはできない。善人・信者の魂は悪人に殺されても、霊界で幸福に生きることができる。
ところが、神様は人間の魂を消し去ることができる。悪霊も悪魔も神様によって滅ぼされる。地獄自体が、神様によって抹消されるのです。地獄に落とされた人間の魂も、最終的には消し去られる。これが、第二の死であり、本当の死なのです。イエス・キリストは、「肉体を殺すことができても、魂を殺すことのできない悪人や悪魔を恐れるな。むしろ、地獄で魂を抹消できる神様を恐れよ」と述べられている。
インチキ宗教団体は、悪を承知で違法な勧誘をしている。人を騙し、カネを奪うことに喜びを感じるトップの下に、カネで洗脳され、インチキな宗教活動や教義で洗脳された部下が、真面目に違法行為を行っている。自分たちの違法性を薄々感じても、経済的利益を優先してインチキ宗教に従事している。要するに、サギ会社と変わることのない悪事です。だから、まともな議論などは成り立たない。
イエス・キリストは、「いい人はいない。いいのは神様だけだ」と言っている。仏陀も「誰も信用するな。自分だけを信じろ」と言っている。だから、聖書や仏典を自分で読むのが正しい宗教活動だということになる。せめて、2000年の歴史があるキリスト教や仏教、儒教を学ぶことです。宗教に入れば、救われると考えるのは甘い。天使や菩薩が宗教の勧誘をするわけがない。悪魔の手先がするのが、宗教の勧誘です。
そもそも、カネ(悪魔)を捨てないで、神様に助けを求めるのが甘い。どんな修行より効果があるのは、カネ(悪魔)を捨てて、神様に祈ることです。従って、豊かな生活を楽しむキリスト教の牧師や神父、仏教の僧侶、和尚ですら信用できない。どんなに、有名であっても。ましてや、新宗教の会員など信用できるわけがない。また、皇室神道は税金で守られているので勧誘などしない。
宗教団体に入らないで一人で祈る人間は、必ず神様の憐れみを得る。悪魔が支配する宗教団体ほど危険なものはないのです・・・