安倍元首相の国葬が行われる。国民の60%近くが、国葬に納得していない。これは、異常な事態です。1週間前に行われたイギリスのエリザベス女王の国葬に反対するイギリス人は、ほとんどいなかった。
96歳の高齢で自然死したエリザベス女王の国葬には、バイデン米大統領、マクロン仏大統領なども参列し、日本の天皇も異例の参列をした。世界の元首、王族がロンドンに集まり、イギリス政府は1週間に渡って伝統的な様式で国葬を行い、テレビ中継は世界中に放映された。
しかし、67歳で宗教がらみのトラブルで射殺された安倍元首相の死には、さまざまな未解明な問題がある。ところが、日本政府はさっさと国葬を決定した。野党だけでなく、自民党支持者からも日本政府の対応には懸念が上がっている。
問題の宗教団体によれば、1990年代に1億円近い寄付をした信者であった母親の行為に怒った息子が、その団体と密接な関係にあると信じた安倍元首相に矛先を向けた理不尽なものだとされている。そして、最近はその宗教団体は、違法な寄付強要などはしていないと述べているが、まだ、多くの問題が解明されていない。例えば、安倍元首相と教団幹部との交流の内容はまだ謎のままです。それでも、各政党はこの宗教団体と政党所属の政治家の関係を明らかにしなければならなかった。今でも、新たな事実が明らかにされつつある。
安倍元首相国葬の問題点は、憲法や法律に国葬の規定がないことです。単に、内閣の決定で実施することに問題がある。第二に宗教的問題です。エリザベス女王の国葬は当然、キリスト教の形式で行われた。カトリックのローマ法王は、女王の国葬に参列しなかったが、英女王はイギリス公教会の長でもあり、当然、ロンドンの教会で葬儀が行われた。日本には国教はないし、仏教や神道、キリスト教は一般的に受け入れられており、公の葬儀は無宗教的に行われる。しかし、安倍元首相の国葬には天皇は出席しないとされている。神道に基づく天皇家の権威は国葬に及ばしてはならない、との憲法解釈があるのだろう。ただし、これが世界からの参列者にどう映るのかが懸念される。無宗教の人間は、一般的に、欧米では信用されない。宗教性を排することが、日本に対する尊敬を高めるとは言えない。しかし、日本には独自の霊性がある、ということを世界にアピールするチャンスとして国葬をとらえることはできる。
第三に、闇の勢力との問題です。岸田首相は、安倍元首相とつながった保守・右翼勢力を抑えるために先手を打って国葬を決めたとされている。安倍元首相の死を軽んじれば、保守・右翼勢力が岸田首相に反感を持ち、最悪の場合は、岸田首相にも殺し屋を送って来るかも知れないと危惧したのかも知れない。殺し屋でなくても、岸田打倒の動きが自民党内から出てくるかも知れない。それなら、国葬を強行する方がまだ安全だと言うことになる。岸田首相が、どれだけの危機感を抱いたかは分からないが、狂った闇の勢力がどんな行為に出るかも分からないと考えているはずです。そのような口実を与えないために、「安倍元首相の国葬はやむなし」と考えてもおかしくない。冗談のように聞こえるが、岸田首相の命の問題がかかっている。それほど危険な闇の勢力が日本にはあるということを、国民は忘れるべきではない。最高裁も冤罪を放置していることを忘れてはいけない、
第四に、国家の威信と言う問題がある。日本と言う国の事実上の元首である首相であった人間が、わけの分からない人間に銃殺された。これには、国家の威信をかけて毅然とした姿勢を示さなければならない。どこの国からも参列者がなくても、日本政府は暴力に対して反対の姿勢を見せなければならない。
第五に、天皇家の問題がある。各国から首脳を葬儀に招いていておきながら、天皇が葬儀に参加しないというのはおかしい。キリスト教形式のエリザベス女王の葬儀には参加しながら、日本の首相の葬儀に参加しないというのは納得できない。これでは、国民の象徴役とは言えない。国民は天皇の臣下、家来であるという明治憲法の思想がまだ残っている。臣下の葬儀に参列すれば、天皇の威信にかかわると考えている。これは、現憲法の精神に逆行する。しかし、天皇家神道は、今ではまともに信じる国民も少ない。天皇は、もはや、宗教的に意味を持っていない。天皇家の葬儀でなければ、天皇は、国葬に無関係だという姿勢を示しても、国民は無関心です。天皇家の歴史的権威による国民の洗脳が、強まることは懸念しなければならないが、元首相の国葬に天皇が関わらなければ問題はないと考えられる。むしろ、伝統的な天皇神道の観点から言えば、異教徒の外国の王族の葬儀に天皇が参加すること自体が、異常だと言うことになる。(戦前の国家神道体制では、日本の天皇がイギリスの教会で英女王の葬儀に参列するなどということは、許されないことだった。)しかし、現代の世界の常識では、日本の王族だと考えられている天皇がエリザベス女王の葬儀に参加するのは当然だとみなされる。(天皇神道は、もはや現代世界では通用しない。)それでも、天皇が自国の元首相の国葬に参加しないのは奇異な感じを与える。つまり、世界に日本の天皇家は普通の王家ではないことを知らしめる機会にもなる・・・(日本も早く大統領を導入すべき)。
以上を総合的に考えれば、結論は「安倍元首相の国葬はやむなし」ということになる。ただし、同盟国のアメリカはハリス副大統領を参列させるという。このアメリカの姿勢に全てが象徴されている。大統領が参列するほどのことはないが、その代理として副大統領は参列させる必要があるとの、アメリカの判断は納得できる。
安倍元首相の国葬より、岸田首相の安全、上皇や天皇の急死などの事態に備えるべきです。そして、違法な宗教活動への監視・警戒を高めるべきなのです。その姿勢を象徴するものとして、主権者の国民は安倍元首相の国葬を監視すべきです。