2022年9月29日木曜日

「善悪」の問題は「生死」の問題の上にある!

 

人は死後も、その心(魂)は霊界で生き続ける。従って、人は死を恐れることはない。死後は無でないのです。

ただし、人の生死よりも重要な問題がある。「善悪」の問題は「生死」の上にある。なぜなら、「善悪」の問題は「神と悪魔」の問題につながるからです。

人間が死後に入る世界は神様が直接支配する世界です。しかし、悪魔は霊界の中の地獄の支配を許されている。ただし、いずれ神様は地獄も悪魔も抹消されることになっている。悪魔は、神様に滅ぼされる前に出来る限り多くの人の魂を地獄に引き入れようとしている。それが、神様に対する悪魔の反抗なのです。

そのために、悪魔は人間界を支配し、人間に悪を行わせ地獄に引き込もうとする。たとえば、死後の世界は存在しないと人間に考えさせ、「たった一度の人生だから、手段を選ばず位にカネを得て、この世で幸福になれ」と教え込む。そして、人は悪魔に魂を売ってでも、カネを得て、この世で幸福になろうとする。これが、この世の問題の根源です。

また、死後の世界を信じる人に対しては、悪魔は地獄は存在しないと教え込む。臨死体験者も霊界に入ったときに地獄を見たとは余り報告しない。悪魔は、この世でどんな金持ちでも、どんな悪事を行った者でも、不信心者でも、死後は愛に満ちた霊界で幸福に生きれると教える。

このような悪魔の教えに基づいて新宗教の関係者は、この世で手段を選ばずカネ儲けをしても良いと考える。新宗教関係者は、霊界の知識すらカネ儲けの手段にする。

社会の教育・政治・経済も悪魔の影響を受けている。学校では、決して「死後の世界は存在する」とは教えない。社会のエリート階級の上には悪魔がいる。神様の教えを信じる人間は企業・会社では採用されないし、採用されても出世しない。そして、国の体制自体が悪魔の支配下にある。法律も道徳も、悪魔の支配を維持するために使われている。ただし、違法性や不道徳性を放置すれば、社会自体が崩壊するので、法律や道徳の根本には悪魔も触れない。

神様を信じて、善行ばかりする人間は、悪魔が支配するこの社会では生きてゆけないようになっているが、神様の威力がこの世にも及んで、信仰者は神様が派遣する天使・守護霊によって守られている。だから、現在まで聖書は世の中に残され、誰でも自由に読めるようになっている。

神様は善と愛を喜ばれ、悪魔は悪と憎悪を好む。そして、この「善悪」の問題は「生死」の問題より重要なのです。

なぜなら、神様は善人を天国に入れ、悪人は地獄に落とすからです。そして、この世で善人であるということは、悪魔の誘いに乗ってカネを求めることはしないということです。つまり、この世で善人であるということは、貧乏人であるということです。だから、イエス・キリストは、「貧乏人は天国に入る」と述べておられるのです。

「あの世の存在」=>「天国と地獄の存在」=>「善人は天国に、悪人は地獄に」=>「善人とは貧乏人、悪人とは金持ち」

つまり、「善悪」の問題は「生死」の問題の上にあり、従って、「貧富」の問題は「生死」の問題の上にあるということです。これが、イエス・キリストの教えの基本です。

「生死の問題」=>「天国/地獄の問題」=>「善/悪の問題」=>「貧/富の問題」

従って、死後、天国に入って永遠の幸福を得るためには、この世で貧乏でなければならない。これが、イエス・キリストの教えの基本です。