現代の科学には限界がある。例えば、人の心と肉体の関係はまだ明らかにされていない。具体的には、人の心が手を動かそうと考えて、手を動かすことができるが、どのようにして、人の心の考えと、肉体の手の動きがつながるのかは分かっていない。
人間の心は脳細胞の動きによるとされているが、なぜ「手を動かそう」との心の動きが、脳細胞から電気信号を出して、筋肉細胞に信号が届き、手の筋肉が動くのかも不明なのです。この現象は、「心」と肉体の手という「物質」の関係を示しているが、「心」が「物質」を動かしていることには間違いない。
そもそも、「心」は脳細胞のどのような動きで生じるのかも分かっていない。もし、「心」が脳細胞によってのみ存在するものなら、脳の細胞の中に心の構造が見られるはずだが、そのようなものは見られない。細胞の中にあるのは、遺伝子とDNAです。これらは、分子と原子でできている。しかし、分子や原子に心があるとは思われない。現代科学でも「心」の実態は謎です。ある科学者は、脳内の微細な組織で量子力学的な効果が微小電流によって起こされており、その結果、意識(心)が生じたと考えている。しかし、物理的/物質的な現象と精神(心)の発生とはうまく結びつかない。
そこで、「霊」という非物質的な存在が想定される。「霊」が人間の脳細胞を動かして「心」を発生させていると考えるべきです。「心」は「霊」によって「脳」に発生し、それに応じて脳細胞は動き、電気的な信号を発生させ、神経細胞を通して電気信号は肉体の各部分に送られ、肉体は動作する。非物質的な霊が働きかけることのできるのが、脳細胞であり、霊の働きによって「心」が脳細胞の働きから生じる。だから、病気やケガで脳細胞が破壊されれば、「心」の生じる場がなくなり、「心」は消滅する。つまり、人間は死ぬ。しかし、「霊」は消滅しない。脳の死後は、「霊」は脳を離れて「霊界」に帰ると考えられる。そして、「霊」は「霊界」で「霊体」に入って、再び「心」を生み出す。こう考えるのが正しい。この宇宙の中には霊的エネルギーがあって、物質を動かすことができると考えるべきです。
そもそも、この宇宙がどうやって出来たかのかも、現代科学では分からない。真空のエネルギーの量子力学的なゆらぎからこの宇宙が発生したとされているが、真空のエネルギーとは何かも分かっていない。つまり、宇宙の発生から「心」の発生に至るまで現代科学では説明できない。しかし、この宇宙、即ち、物質界は霊界から生まれたと考えると説明がつく。
霊界のエネルギーから物質エネルギーが生まれ、宇宙ができたのであり、宇宙の中に霊界のエネルギーは入り込むことができ、人間の「霊」はそのようにして霊界からやってきたと考えるのが正しい。だから、人間の「霊」は宇宙の中の霊界のエネルギーとつながっており、人間は心の中で祈れば、心から霊を通して、「霊界」の霊に繋がり、「霊界」の上の「天界」の天使や高級霊につながり、さらには「神界」にまでつながり、「神界」に存在される神様につながる、と考えるべきです。
つまり、「我々はどこから来たのか」というよく知られた精神的な問の答えは、「霊界から来たのであり、死後は霊界に帰る」というのが正解なのです。
仏教到来以前、神道成立以前の縄文文化の日本では、このような「心」と「霊」の関係と「霊界」の存在は皆が直観的に理解していたように思われる。これが、今でも日本の霊性の基本なのです。
従って、人間は死後は、その霊が肉体から霊界に入り、霊と共に「心」も霊界に入る。霊体そものの中で「心」が働くと考えるべきです。つまり、「心」は死後も霊と共に霊界で生き続ける。だから、「死を恐れるな」、「自分を殺すものを恐れるな」とイエス・キリストは述べておられる。
だから、臨死体験で肉体を離れた魂は心と共に霊界を経験して、行き返って「死後の世界は素晴らしかった」と述べるのです。ただし、臨死体験では、霊界から向こうの天界や地獄にまではいけない。それでも、天界から愛の光が霊界にまで達しているので、臨死体験でそのような光を浴びると、魂には天界の力が与えられることもある。
ただし、霊界には「悪魔」や「悪霊」がいる。人間を亡ぼそうとする悪魔や悪霊は人間の魂を支配し、「心」で悪事を考え出させる。悪魔に魂を売った人間の魂も、死後は霊界に入るが、彼らは霊界から地獄に行く。悪魔に魂を売らずに貧しい生活をしたものは、死後、霊界から「天界(天国)」に向かう。これが、イエス・キリストの教えなのです。
つまり、人間の「心」を脳という物質からのみ生まれたと考える現代科学では、心と霊の真理を知ることはできない。宇宙も物質的エネルギーからのみ生まれたと考えれば、どこまでいっても宇宙、物質世界の真理は理解できない。
しかし、安易に心霊問題やスピリチュアルな問題に関われば、「悪魔」や「悪霊」が人間の魂に憑りつき、支配しようとする。だから、ヴァチカンなどのキリスト教組織は、オカルトを危険視する。それで、ヴァチカンでは悪魔祓いの必要性は認めている。
日本の新宗教も、安易に霊問題を扱うと邪霊に支配される。テレビで取り上げられる心霊家にもそのような危険が存在する。
だから、2千年以上の歴史がある、仏教やキリスト教を通して、霊的問題に関わるのが安全なのです。日本の神道もそれなりに歴史があるが、直観を重視しすぎるので、神道系の新宗教では「悪魔」や「悪霊」につけこまれやすい。仏教の法論、キリスト教の神学では、「悪魔」や「悪霊」に対する抵抗策も考えられている。
特に、「貧しい者は天国に入る」と宣言されたイエス・キリストの教えが、「心」の問題や、「宇宙」の問題を含めて、「人間の生と死」に対する間違いのない教えなのです。
とにかく、霊界か来る「悪魔」や「悪霊」は、人間に物質だけを信じさせ、霊界を知る心を抑圧しようとする。「悪魔」や「悪霊」に支配されたこの世のエリートや富裕層もカネと権力で人の心を支配しようとする。それだけに、「霊」と「心」と「宇宙」について正しい理解を持つことが重要なのです。
この意味で、生きながら霊界に入ることのできたスエーデンボルグの著作は、霊界や天界、地獄を知るうえで参考になる・・・