2026年9月6日日曜日

「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」 (ルカによる福音書 第 16 章) ("You cannot serve both God and money.”)

     

イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。
2 そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。
3 この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。
4 そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。
5 それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。
6 『油百樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。
7 次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。
8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
12 また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。 (ルカによる福音書 第 16 章)

16 Jesus told his disciples: “There was a rich man whose manager was accused of wasting his possessions. 2 So he called him in and asked him, ‘What is this I hear about you? Give an account of your management, because you cannot be manager any longer.’
3 “The manager said to himself, ‘What shall I do now? My master is taking away my job. I’m not strong enough to dig, and I’m ashamed to beg— 4 I know what I’ll do so that, when I lose my job here, people will welcome me into their houses.’
5 “So he called in each one of his master’s debtors. He asked the first, ‘How much do you owe my master?’
6 “‘Nine hundred gallons[a] of olive oil,’ he replied.

“The manager told him, ‘Take your bill, sit down quickly, and make it four hundred and fifty.’
7 “Then he asked the second, ‘And how much do you owe?’
“‘A thousand bushels[b] of wheat,’ he replied.
“He told him, ‘Take your bill and make it eight hundred.’
8 “The master commended the dishonest manager because he had acted shrewdly. For the people of this world are more shrewd in dealing with their own kind than are the people of the light. 9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much. 11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches? 12 And if you have not been trustworthy with someone else’s property, who will give you property of your own?
13 “No one can serve two masters. Either you will hate the one and love the other, or you will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and money.”

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このイエス・キリストの言葉、「神と富とに兼ね仕えることはできない」という教えは、聖書の中でも、決定的なイエスの教えです。

これは、この世のカネや富が、神様にさからう悪魔の化身だということを意味しているのです。この世でカネや富を求めて欲望を満たそうとしてはいけない、ということです。

この世の欲望を満たそうとすると、人間はカネや富を求める。そして、そのためには悪魔に魂を売ってでもカネや富を得ようとすることになる。つまり、神様の敵となってカネや富を求める。だから、拝金主義になるな、ということです。

逆に神様への信仰心のある人間は、必要なものは神様が与えてくれると、神様への信頼を失うことはない。イエスは、イエスの名によって神様にお願いすれば、願いは叶うと教えておられる。その祈りが、神様の教えに適っているものであれば確かに実現する。ただし、神様の教えに反していれば実現しない。

多くの場合、人間は神様の教えとは関係のない自分への欲望のために神様に願い事をしようとするので、その願いは叶えられないのです。つまり、願い事をするときは、その願いがどのように社会に役立つものかを考えなければならない。

また、「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である」と述べて、何ごとにも真剣に取り組むべきことを述べておられる。全ては、神様の許可により存在しているからです。どんな小さなことでも、神様につながるものなのです。そして、悪魔は細部に宿るという諺のように、小さなものごとにこそ、神様への信仰心がためされるのです。

さらに、「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい」と述べて、たとえ自分のためであっても、隣人への配慮を忘れずに、出来るだけ多くの人を自分の幸運にかかわらせることを勧めている。

そのような、配慮のある人間は、たとえ不正なことをしていても、神様は「利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である」と述べて、この世にこだわり、神様への信仰心がなくても、天国のことばかり考えて現実を忘れる信者より利口だと述べている。つまり、神様の信者より、その場、その時代に適した効果的で効率的な方法が分かる不信者もいるということです。つまり、人間社会では、この世に注意を払う人間は、この世を忘れる信仰心だけの人間より有用な場合があるということです。

つまり、この世のことは単純な信仰心だけでは、解決しないことが多い。それでも、問題をカネで解決しようとしてはいけない。それは、人間は「神と富とに兼ね仕えることはできない」という原則があるからです。

あくまで、その時代の知恵であっても、この世を円滑に生きるために、仲間を増やして自分も助かる場合には、不正者のやり口でも許容されるということです。とにかく、他人に悪意のない願いであれば、神様は許して下さることがある。だから、人を責めてはならない、とイエス・キリストは教えておられるのです。

それでも、人間は「神と富とに兼ね仕えることはできない」という原則を忘れてはならない、状況によっては、柔軟に対応しなければならないが、あくまで、この世のカネや富は悪魔とつながるものであることを忘れるなということです。

まさに、例外のない規則はないという運用は必要だが、原則的な規則は破棄されるわけではない。

そして、神様への捧げものでも、金持ちが義務的に大金を捧げるより、貧乏人の心のこもった喜捨が好ましいのです。

実際、大金の寄付を集めるヴァチカン銀行などは、怪しい噂に包まれている。しかし、貧しい人からの寄付で成り立つ寒村の教会は多くの村民の支えとなって、人々を救っていることが多い。そこに、奇跡が働くのです。まさに、発明家で心霊研究家の故政木和三が言っていたように、無欲であれば、奇跡は起こるのです。