2019年1月30日水曜日

日の丸の古代史


日本の国旗の日の丸については、日本人はその意味を深く考えることなく、或いは、その意味は学校で教えられることもなく当然のように使われている。しかし、この日の丸には日本の国家成立の経緯が象徴されていると考えられる。それについて考えてみよう。

日の丸は太陽を表しているとされているが、「歴史的にみると、世界中で太陽を赤く描くことは少なく、一般的には黄色や金色で太陽を表し、日本でも平安時代(794年~1185年)の末期までは赤地に金丸だった」とされている(http://jpnculture.net/risingsun/)。さらに「平安時代末期の源平合戦(1180年~1185年)では、平氏が朝廷の象徴である「錦の御旗」と同じ配色の「赤地に金丸の旗」を、源氏が「白地に赤丸の旗」を掲げて戦い、源氏が勝利した・・・平家が滅亡し、源氏による武家政権が誕生すると、代々の将軍は源氏の末裔を名乗って「白地に赤丸」の日の丸を掲げ、天下統一を成し遂げた者の証として受け継がれていったといわれている。もしもこのとき平氏が勝利していたら、現在の日の丸は「赤地に金丸」になっていたかもしれません(同)」とする論がある。

しかし、この日の丸は銅鏡から来ているとするのが私の論だ。陽光を反射して輝く古代の銅鏡が日の丸のデザインにつながったと考えるのが自然。国旗はデザインであり、自然の太陽そのものを写したというものより、その陽光を反射し、太陽をシンボルとする銅鏡が国旗のデザインにつながったと考えるべきだ。太陽=>銅鏡=>日の丸、が自然な流れだ。

一般的には古墳文化を象徴する銅鏡の前には弥生の銅鐸文化があったとされている。しかし、近畿中心であった銅鐸は紀元前後と2世紀頃に集中して埋められ、3世紀には突然として制作されなくなり、古墳文化に直接つながる大和朝廷にもその存在は忘れられる。ということは銅鐸文化と大和朝廷(古墳文化)の間には別の文化時代があったことにる。どのような経緯で銅鐸文化から銅鏡文化に移ったのかということと、大和朝廷の成立には密接な関係がある。

銅鏡は大陸から伝わってきたことは明白であり、北九州が日本の銅鏡文化の出発点となっている。銅鐸も稲作とともに大陸からもたされたものだと考えられる。弥生時代はまだ中央集権の時代ではなく、西日本を中心として稲作の村が各地に成立し、村同士がゆるやかなつながりをもち、稲作宗教のシンボルとして銅鐸を受け入れた。そういうおおらかな時代感覚が、とんぼや鹿、すっぽんなどの銅鐸の装飾にも現れている。




この銅鐸分布図を見れば、朝鮮半島=>出雲=>近畿へとの流れが想像できる。特に当時奈良盆地の中央には湖があり、これが干上がる過程にあり、大規模な水田を作ることが容易であり、弥生時代末期には稲作の中心地となり、多くの人口を養うことができ、文化も生まれやすかったと考えられる。弥生後半の日本は大陸に近い北九州と、大水田地帯として魅力的な大和が2大勢力になったと考えられる。

紀元1世紀に中国の漢から金印をもらった北九州の倭の奴国が、この大水田地帯の大和を支配しようとするのが当然だ。これが、神武天皇の東征の伝説にも反映されている。

日本書紀などによれば、既に大和にはニギハヤヒの神を奉じるナガスネヒコの一族が支配していた。しかし、ニギハヤヒの一族は神武と同じ先祖(アマテラス)をもつことを知って神武に服属する。そして、大和に出雲勢力の伝統も保存される、という流れになっている。

しかし、ナガスネヒコの一族が銅鐸祭祀をしていたとは書かれていない。ということは、ナガスネヒコの一族が銅鐸文化を覆していたことになる。その時期は2世紀の後半になる。中国の史書によれば、この時期に倭国で大乱が生じたとされています。特に「女王国ではもともと男子を王としていたが70~80年を経て倭国が相争う状況となった。争乱は長く続いたが、邪馬台国の一人の女子を王とすることで国中が服した。名を卑弥呼という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%B9%B1)」とされている。

恐らく、この争乱で銅鐸文化は廃れたと考えられる。そして、卑弥呼が銅鏡を統治のシンボルにしたと考えられる。この卑弥呼の祖先がアマテラスであった、或いは、アマテラスから卑弥呼と神武が生まれたと考えると分かりやすい。卑弥呼の一方の子孫がナガスネヒコの一族であり、他方の子孫が神武の一族であったと考えられる。

さらに、紀元1世紀に中国の漢から金印をもらった北九州の倭の奴国から神武一族が出たと考えれば、出雲系の卑弥呼の先祖と北九州の倭の奴国の王ともつながっていたと考えられる。日本海をはさんで、稲作と青銅器・鉄器をもたらした朝鮮半島に面していた北九州と出雲は弥生時代からつながっていた。出雲勢力が最初に大和で大水田を開拓し、銅鐸文化を近畿以東に広め、ついで、倭国大乱で出雲の新勢力が、銅鏡がもてはやされたていた北九州とも縁のある卑弥呼を共立して、最終的にナガスネヒコの一族となった。そこに、北九州の倭の奴国に関係する一族が神武に率いられて東征し、大和を支配した。しかし、旧勢力の先祖の卑弥呼は北九州系(銅鏡崇拝)でもあり、大和の平定が順調に行われた。

このように考えれば、神武は卑弥呼のあとの人物だということになる。歴史の教科書では卑弥呼の時代は3世紀前半であり、卑弥呼の死と共に古墳時代が始まり、3世紀半ばから6世紀末までは前方後円墳の時代と呼ばれる。そして6世紀の半ばには仏教が伝わり、6世紀末には聖徳太子が現れ、日本の歴史は明確になる。そして、この間を通して天皇家の支配は確立し、大和朝廷が成立する。

この間、大和の中でも都は奈良盆地南部の飛鳥地方におかれ、唐との白村江の戦い、壬申の乱の後に藤原京が7世紀の末に創られ、8世紀にはより唐の長安に似せた平城京に遷都し、日本書紀・古事記が創られ、過去の日本の歴史が見直される。ここで、神武伝説が生まれる。

神武は、倭国の大乱後に銅鐸文化を廃した卑弥呼の一族を半ば武力で併合した人物だが、日本書紀では九州の王家から東征した人物として描かれる。しかし、銅鏡文化の卑弥呼の伝統をつぐ。そして、陽光を反射する銅鏡のイメージが自然と国家のシンボルとして人々に受け入れられ、日の丸のデザインにつながる。日本人が太陽崇拝だったからというわけではない。

ところで、道教では、正統な後継者の証に鏡と剣を二種の神宝を用いていたが、秦の始皇帝が伝国の玉璽という印鑑を使ったことから鏡と剣、玉を三種の神器を持つ者が正当な後継者と云うようになったとされている。日本には秦の徐福が到来したという伝説がある。奈良の南の紀伊半島の新宮にも徐福伝説がある。神武が徐福の子孫であり、吉野の山地を縦断して奈良に至るのに八代かかったとすると欠史八代も理解しやすい。奈良盆地でも吉野の山にへばりついた飛鳥地方が奈良盆地北部の平城京に移るまで500年間も大和朝廷の都であったのは新宮に近かったからとも考えられる。これがもう1つの大和朝廷(天皇家)の謎。

2019年1月18日金曜日

儒教的な日本人


日本人は海外に出ると仏教徒だと称することが多い。しかし、本当は儒教徒だと称するべきかも知れない。本家や分家の中国人、韓国人以上に儒教的だとさえ言える。

司馬遼太郎とドナルド・キーンの対話で興味をひくのが、司馬が日本人には儒教の影響はほとんどないと言っているが、キーンは日本人には儒教の影響が濃いと言っている点だ。

また、中国人自身の言葉として魯迅が日本人の長所として「真面目さ」をあげている。阿Qのような不真面目な生き方が身についていたのが革命前の中国人だったということになる。この真面目さというのは儒教的な意味合いが含まれている。魯迅は、日本が中国を圧迫するなかで、内山書店の主人の日本人に助けられて上海で生活し、そして、日本人に見守られて病死する。これは、いかに魯迅が日本人の儒教的な長所を信じていたかを表している。例えば、藤野先生という作品も日本人の儒教的な美点を描いたものだ。

孔子前の儒教は原儒と言われ、次のように説明されている。
「先史時代から存在していたシャーマン的な伝統に従事していたシャーマンを「原儒」という。この「原儒」は葬儀や占いなどといったことを取り扱っていた。しかし、身分が分化し、支配層と被支配層が発生すると、「儒」は、それぞれについて二層化していった。それらを指して、巫(ふ)と史(し)祝(しゅく)という」
儒教も本来は先祖崇拝の宗教だったが、文化的、社会的な様式が洗練されて道徳的な教えが強調されるようになった。しかし、本質は祖先の霊につながるための祈りや生き方だから、真面目な精神的態度が要求される。魯迅やキーンには、それと同じ態度が日本人には色濃く見えるという。葬儀仏教とは異なって、日本人の勤勉さの根底にある。日本人は学びたがり、アメリカ人は教えたがるというのもこれにつながる。

中国人は第二次大戦と内戦、共産党支配によって家族中心主義から組織中心主義の生き方を身に着け、日米の援助によって経済発展に成功したが、儒教的な思想は共産党によって否定され、個人レベルでも祖先崇拝、家族主義はまだ生き残っているが、道徳の根幹としては復活していない。マルクス主義の破壊力の現れです。現代中国には儒教は顕在しない。

日本では鎌倉時代から儒教の影響が強くなり、法然、親鸞、一遍などの日本的仏教にも影響を与えている。戦国後期に切支丹が広まったのも、先祖の霊の上に天主が存在すると考えた面が強い。徳川幕府は仏教では統治に役に立たないので儒教の形式性を重んじる。戦後もこの影響が残り、司馬遼太郎も真面目に小説を書いた。しかし、本人はそれが儒教的だとは考えない。しかし、優れた中国人やアメリカ人から見れば、日本は儒教的なのだ。

2018年11月24日土曜日

ヨーロッパとアジアの文化の衝突


マックス・ウェーバーによれば、「善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。そして、もし選ばれていなかったら自分は永遠の地獄に落ち、二度と救済されることがない。このような予定説の恐るべき論理は、人間に恐怖と激しい精神的緊張を強いる。そして、人々は、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出した。・・・・人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献した。そして、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになった」とされている。

つまり、これが資本主義の基盤になったということだ。その歴史的根源は、この精神に基づいて、西欧の修道院では修道士たちが規律ある生産的な生活を行うことに象徴されているとされている。仏教でも修行僧は禁欲的に規律ある生活を行っているが、それは解脱、悟りを目指しての行だとされている。仏教では最終的に静的な瞑想などが目標とされているが、キリスト教では活動を通して神に信仰をアピールするのが目標だとされている。これが東洋と西洋の違いを象徴するものとなっている。

このような2 つの文化が衝突すると何が生じるのか、という問題が歴史に現れている。その結果は欧米によるアジアの植民地化だ。積極的な活動を正当化し、征服的な活動を正当化する思想に駆り立てられた西欧勢力の前には、厭世的な仏教などの思想に基盤を置くアジア勢力は無力であったというのが20世紀の前半までの歴史の流れの本質だ。

そして、この関係が明治維新以降の日本の歴史を理解する鍵でもある。なぜ、わずか数隻の黒船が東京湾に現れただけで日本中が大騒ぎし、幕府の権威が吹っ飛び、維新後の明治政府が積極的に欧米化を図ったのかという点もこれで理解できる。また、近代化・西欧化を果たした日本の行動が、いかに朝鮮・中国にとって脅威になったのかも、これで理解できる。

平和主義的な東アジアに、好戦的な西欧諸国が進出したとき、中国も朝鮮も無力であったのに、日本だけがうまく対応したというのがその本質だ。この事情を理解できない朝鮮・中国は西欧の侵略的な活動に対する非難を日本に向けることになるが、日本人は世界の流れに対応しただけという思いがあるから、本心ではその侵略的であった過去を反省しない。これが不幸な過去の戦争に対する理解の違いに現れている。

しかし、戦後は新たな経済のグローバル化の中で、朝鮮・中国も日本をみならって西欧の行動や思想を受け入れる。これが現在の東アジアの経済的発展につながった。それでも、アメリカ・ヨーロッパの自然な流れの中の資本主義の発展と、東アジアのある意味で強いられた資本主義の発展とでは本質が異なる。西洋では、行き過ぎた資本主義に対抗して、ユダヤ教の影響を受けた社会主義・共産主義が生み出される。そして、アジアではその社会主義・共産主義ですら、西洋から輸入せざるを得ない。しかし、そのようなイデオロギーは本質的に非アジア的な歴史の流れで生まれたものだから、これも本当は根につかない。これは、共産党独裁といいながら資本主義化する中国や、社会主義を掲げながら儒教的な独裁主義に走る北朝鮮、どうしても勢力を伸ばせない日本の社会主義・共産主義勢力に現れている。東アジア各国の経済発展も西洋発の資本主義を追っているだけだとも言える。

この点から、アメリカはヨーロッパで発生したキリスト教と資本主義の直接的な延長にあり、いわば心の底から資本主義を信じ、また、ある意味では社会主義的な人道主義の必要性も理解している。日本は30年前のバブル期にアメリカ経済に迫ったけれど、結局、世界経済をリードできなかったのも、こういう本質的な宗教・思想と文化の違いにある。今は、中国が経済規模を拡大しているが、その基本には西洋のような宗教につながるような文化的基本はない。実際、中国は今、古典帝国の時代の栄光を求めて国力の拡張を続けている。しかし、日本のようにその発展には限界があるのは間違いない。

ユダヤ教の現実主義とプロテスタントの精神に基づくアメリカの資本主義は、ユダヤ教を敬遠し、カトリックが主流のヨーロッパよりも一層、経済のグローバル化には適した文化構造を持っている。アメリカの主導の世界の経済発展は今後も変わらない。豊かな国土と、世界中からの移民による多様な文化のメリットを享受しているのも長所だ。

問題はイスラム世界だ。何よりも神への尊崇を求めるこの宗教は信者の思考・生活・行動に大きな制約を課す。とても、世界経済を主導する社会は生まれて来ないと思われる。実際に1500年以降、イスラム世界は欧米の風下に置かれている。しかし、経済でユダヤ教・キリスト教世界にリードされたからと言って、イスラム教が廃れるわけではない。これは、如何にムスリムがその宗教の真実性に確信を持っているかを示している。

最近は、トランプ大統領が自由貿易に背を向け、アメリカの利己主義的な経済利益を追求しているのが話題になっているが、これはあくまで短絡的な発想と、近視眼的な政治的な動機に基づくものであり、アメリカの文化、政治と経済の本質は変わらない。しかし、アメリカの宗教性の基盤のプロテスタントの精神が生み出した、経済のグローバル化がアメリカのプロテスタントである一般白人の労働者に不利益に働くという点は重要だ。東アジア発展の原動力となった日本も、こういう一神教的発想への理解が求められる。

2018年11月7日水曜日

人類の原罪とは? 戦争の歴史


朝鮮戦争の終結が行われるのかどうかに世界の注目が集まっている。

世界中で、アメリカ、ロシア、中国、日本が直接関係する紛争地域は朝鮮半島だけであり、この地での紛争にアメリカ、ロシア、中国、日本、韓国が巻き込まれれば、世界のGDPの2分の1が影響を受ける。それに、北朝鮮のミサイル・核技術がイランに流れ、イランはロシアと一緒にシリアや反イスラエル勢力を支持する。そして、中東からの数百万人の難民がヨーロッパに流れ込み、イギリスはEU離脱を強いられる。そういう意味で北朝鮮問題は世界の最大のリスク要因なのだ。しかし、イギリスのEU離脱と北朝鮮の関係を見抜くヨーロッパ人はいない。そこには、ヨーロッパ中心の、即ち、ヨーロッパ・キリスト教世界中心の偏見が欧米にあるからだ。

世界の歴史は戦争の歴史だと言ってもいい。史上初の公式な軍事記録に残された戦争は、紀元前1286年のシリアで、古代エジプトとヒッタイトがオロンテス川一帯で戦った戦争だと言われている。これは、エジプトのラムセス2世の治世にあたり、モーゼもこの王の時代にヘブライ人の出エジプトを指揮したと言われている。そもそも、アブラハムがメソポタミアのウルを離れたのも、都市国家ウルの滅亡とアブラムの弟ハランの死が関係していたと言われる。そして、救世主キリストが現れたのは、ローマ帝国のエジプト征服、クレオパトラの死、イスラエルの属国化のあとだ。救世主キリストの出現も戦乱の果てであった。

東アジアでも、中国は春秋・戦国時代で古典文化を完成させた。それ以降は、各王朝が戦乱で亡び、新たに勃興し、中国の歴史が作られてきた。最後は、国民党と共産党の戦いだ。日本の歴史も、倭国の大乱、卑弥呼と狗古知卑呼の戦いから始まっている。ただし、白村江の戦いで日本と朝鮮半島は完全に分離し、元寇、秀吉の朝鮮出兵(対明戦争)くらいしか対外戦争はなかったが、明治維新の戊辰戦争以後、最後に太平洋戦争で原爆を落とされるまで、近代日本の歴史も戦争の歴史だった。

このように見てくると、いかに人類が戦争を好むのかが現れている。人類同士の戦いに対する抑止力は非常に小さい。これは、他の生物には見られない特徴だ。こういう同胞殺傷性向に対する最大の抑止力は宗教だ。ところが、人類は宗教のために戦争も起こす。同じキリスト教でも、異端は迫害される。同じ神を敬っていても、キリスト教徒はユダヤ教徒を迫害し、イスラム教徒を支配して植民地化する。いかに、人類が紛争、戦争を好むかが人類の歴史で現れている。

戦争の出発点は殺人だ。サル類の間には戦争はない。人類がサル類の世界を離れ、知性をもった生物になったとき、同類攻撃に対する抑止がなくなっていった。これは、エデンの園でアダムとイブが知恵の実を食べて、神によって追放されたとの記述に関係する。

「多く与えられた者は、多く要求される」という言葉が聖書にある。他の生物を征服できるような知恵、武器を手に入れた人類には、それを同胞に向けない知恵が求められた。しかし、石器時代には倒した獲物の奪い合いで人間同士が相争い、互いに武器を使う。これが戦争の取発点だ。そして、殺された仲間に復讐心が芽生え、その報復を行う。これが、人類の罪のサイクルになった。

全ての人類がこの罪のサイクルに巻き込まれたとき、民族同士の争いが当たり前になる。そうすると神は人類を見捨ててもいいところだが、アブラハムに特に目をかける。そして、その子孫のユダヤ民族に目をかける。エジプトで奴隷にされたときはモーゼを使って救う。新バビロニア王国によって滅ぼされかかったときも、ペルシャを使ってユダヤ人を救う。ペルシャの支配が強まればアレクサンダー大王によってペルシャを滅ぼす。これで、ギリシャ文明がユダヤ人にも浸透する。ローマ帝国に征服されたときはイエス・キリストを送る。その後、2000年間に渡ってヨーロッパ人に迫害されてきたユダヤ人を救い、イスラエル国を再建させる。人類が戦争志向を捨てない限り、神はユダヤ人への肩入れをやめない。

ところが、今では、イスラエルは核兵器も保有し、中東第一の軍事国家となっている。イスラエルと同程度の数のユダヤ人が生活し、有力なユダヤ人の多いアメリカは軍事超大国となっている。実際、「世の終わりに向けて、国々は互いに対立する」とイエス・キリストは予言している。人類の好戦的な特徴は最後まで治らない。

21世紀の開始前後には、もはやヨーロッパでは戦争は考えられない、と考えられていた。EUで各国は平和的に結びつき、欧州は統一され、ロシアもG7グループに加えてもいいくらいに民主化した。中東も安定し、中国も経済発展を通して民主化するだろうと考えられていた。世界経済はグローバル化し、各国は経済競争をするだけだろうと考えられていた。

しかし、2001年の同時多発テロによって世界の平和ムードは吹っ飛び、2014年のロシアによるクリミア併合でヨーロッパ諸国のロシア観も修正を強いられた。そして、現在にいたる中国の南シナ海武力支配によって、中国に対する幻想も失われた。要するに、人類は紛争・戦争を好むDNAを持っているのだと考えざるをえない。これは、憎悪、嫉妬、憤怒、復讐心、利己主義、傲慢、無知、不信といった人間の原罪に由来すると考えるのが一神教だ。そして、一神教以外に抑止手段がないのも事実だ。一神教でない日本民族が明治維新以来、戦争に走ったのもある意味で当然だった。一神教の研究が平和への道なのだ。

2018年11月4日日曜日

日本経済の真実


1990年代から現在まで、日本は「失われた20年」、「長期デフレ」にあると言われている。そのカギは中国だ、日本政府の金融・財政政策であるというよりは。そして、その背景に「経済のグローバル化」があり、更にそのきっかけは「米国発のIT文化」なのだ。

デフレが問題なのは実質賃金の減少により、物価も伸びず、税収も伸びず、GDPも伸びないことだ。しかし、この間日本企業の内部留保は上昇を続けている。また、企業が倒産し、失業率が異常に上昇し、日本経済が壊滅したのでもない。この期間に特徴的なことは日本企業の中国進出数が増加の一途をたどり、中国のGDPが急上昇したことだ。ただし、1980年代の勢いで日本国内の工業化が進めば、日本の自然環境は破壊されていただろうが、中国に工場を移転することで日本の自然環境は守られたとも言える。




これらは全て連動している。出発点は経済のグローバル化だ。即ち、「経済のグローバル化」→「競争の激化」→「人件費削減」→「中国への進出」→「国内人件費も中国並みに」→「実質賃金の低下」→「日本のDGPの停滞、中国のGDPの増加」という流れだ。

このデフレ時代直前には日本企業がアメリカ経済を脅かし、日本がアメリカを買収するのではないかとの懸念がアメリカに生じ、「日米金融戦争」などと呼ばれる状況にあり、特にクリントン政権は日本を仮想敵国するほど日本に脅威を感じており、日本を抑えるために中国に肩入れし、中国経済を優遇しました。この流れで中国経済は活性化した。

そして、90年代にはアメリカ経済もIT化の波に乗って復活し、日本との格差を広げ、超大国の位置を確保したが、IT技術に乗ったグローバル経済のせいで金融・技術は世界中に拡散し、むしろアメリカの影響力の低下が現れた。しかし、IT化の波、即ち、インターネットの普及とスマホなどのハイテク製品、社会の高度システム化が出発点だったことは間違いない。これは、16世紀の大航海時代に匹敵する大きな歴史的出来事なのだ。

IT関連の大企業、マイクロソフト、インテル、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンなどは全て米国企業だ。まさに、IT技術が米国経済を復活させたのだが、インターネット文化にはもっと深い特徴がある。単に「英語文化」でなかったために日本企業が乗り遅れたのではなく、「一神教文化」でなかった日本がIT技術文化に乗り遅れ、アメリカに抑えられたと考えるべきであり、それが「失われた20年」をもたらしたのだ。IT・インターネット先端技術の開発には文化的な側面が大きく働いたのであり、その点からも日本も一神教の理解を深めるべきなのだ。

2018年10月5日金曜日

日本の歴史的課題


「なぜ日本はデフレで20年を失ったのか」、「なぜ日本はアメリカと戦争をしたのか」、「なぜ西郷隆盛は西南戦争を起こしたのか」、「なぜ天皇家は続いたのか」こういう議論がしばしば行われる。

しかし、「なぜ、日本は戦後世界第二の経済大国になったのか」、「なぜ日清・日露戦争で勝利したのか」、「なぜ明治維新は成功したのか」、「なぜ、武家政権が成立したのか」は余り熱心に論じらない。

これは、日本民族の本質にかかわる問題だ。日本の歴史の失敗も、成功も基本的な日本人社会の構造に問題がある。そして、この構造を形作ったのは民族の社会構造と精神性だ。

稲作文化を基盤とする社会では集団的秩序が重んじられる。村落のリーダーが損得を判断する際にも、村落の秩序維持に対する配慮が、重要性の判断で大きな割合いを占める。古代には天皇家を中心とする中央の文化的卓越性に基づく権威を認めることで村落のリーダーも、その社会において優越性を維持できる。しかし、平安末期に仏教が民衆のもとに広まると、地域に根差した武家勢力が武力を背景に権威を維持することができるようになった。

この武家の社会支配が800年にわたって日本社会に影響を与えることになる。武力による社会統制は徳川幕府の儒教の採用によって主君への忠誠が絶対のものとなる。明治維新で幕府が倒れても、新政府を牛耳ったのは薩摩・長州などの下級武士だ。支配層における武家の精神は明治から昭和の敗戦まで維持される。

欧米による世界植民地時代に日本は武家の精神をもって開国したわけだ。当然、日本は武家精神をもって厳しい社会統制の下で近代化を遂行し、世界の覇権主義の潮流に出ていくわけだ。武家にとって戦は勝つことも、負けることもあるが、戦いを拒否して社会で権威と信用を失い、支配的な地位を追われるよりは、負け戦でも戦うことで武士の名誉、価値、尊敬、畏怖の念を守れるなら戦おうということになる。従って、武家精神を受け継ぐ戦前の日本の支配層にとって、戦わずにアメリカの圧力に屈するという選択肢はなかった。民衆もそういう武家の精神を基本的に支持していた。そして、真珠湾攻撃が行われ、最終的に日本は300万人の戦死者を出して敗戦する。

戦後は、この武家精神が批判に曝され、代わりにアメリカ式の民主主義が主流になる。しかし、同時に拝金主義のアメリカ社会の風潮も受け入れる。経済界でも愛国や民族の繁栄などという考えは消滅し、近視眼的な利益追求が当然視される。中国の人件費が安ければ、どんどん中国に進出し、あげくの果てには日本国内の人件費も中国並みに引き下げようとする。個人主義、会社主義、業界主義で内部留保は増えるが、日本社会はデフレになっても反省に必要な思想もない。かつての武家支配の強力な秩序維持の枠組みだけが残って、組織全体の利己的な拝金主義に対する反省は生まれない。

この形骸化した枠組みでも、天皇家の権威は利用される。武家が天皇家を廃さなかったように、戦後も官僚、財界、政界のエリートは天皇家の古代からの文化的・精神的権威を秩序維持に利用する。アメリカ式の民主主義、アメリカの自由主義にはキリスト教、神の権威が背後にあるが、そのような一神教のバックボーンを持たない日本は、武家の権威が第二次大戦で失墜してからは、敗戦で色褪せたとはいえ神道と結びつく天皇家の権威に頼るしかない。日本の現代の民主主義、自由主義は表面を流れる潮流だが、その底流では日本人は日本で最も古い権威の皇室を維持することで安心を得る。

日本人は武家の精神と、欧米の近代文化の威力によって日清・日露戦争に勝利したが、それゆえに天皇をかつぐ政府・軍部の利己的な判断による日米開戦には反対しなかった。明治維新以来、政府・軍部への信頼は絶大だった。まさか、真珠湾攻撃・日米戦争が城を枕にしての討ち死になるとは考えなかった。国民が300万人戦死して、アメリカに支配されるような戦争を天皇は許すはずがないと考え、当時の国民の大多数は真珠湾攻撃に喝采した。

戦後は、親米を強くアピールする皇室と共に日本人は親米になる。軍部は瓦解し、武家精神は顧みられなくなる。代わりに、アメリカ式の民主主義、アメリカの自由主義が経済を含めて社会の潮流となる。皇室も戦前の軍部から戦後はアメリカに乗り換える。皇室の権威自体は形骸化する。それでも、無力な皇室をみんなで持ち上げるしかない。

アメリカのように本当の一神教の裏付けのない日本の民主主義、自由主義には危うさがついてまわる。20年間デフレでも企業の内部留保が増えれば、財界も政治家も問題なしとする。なぜなら、それがアメリカ式の経済運営の結果だからだ。国家と民族に及ぼす悪影響は論じられない。グローバリズムもアメリカ発だから盲目的に受けいれる。

アメリカ社会、国家、国民個人の最期の拠りどころは、キリスト教と神への信仰だが、日本には一神教の精神はない。仏教は葬式専門だし、儒教は生活習慣だし、皇室崇拝は形骸化しており、本当のところ日本民族には国土のもたらす自然風土と、縄文時代からの社会的霊性しかない。とても、一神教主流の世界では通用しない。だから、基本的にアメリカ追従となる。アメリカの宗教性は人類の根本原理に近いのだから間違いではない。しかし、いつまでもアメリカの後を歩いていれば、よいというわけではない。これが、日本の課題だ。

2018年9月2日日曜日

ヨーロッパ、アメリカ、日本、インド、中国


インドと中国のGDPは19世紀初頭までずっと1位か2位を占めていた。16世紀から18世紀 まで世界の圧倒的経済大国は中国とインドであった。イタリアは、紀元1年の時点では古代ローマ帝国の中心地だったが、GDPはインド、中国に続いて3位だった。

1600年の時点で中国のGDPは西欧全体のGDPを超えていたし、インドもまた同様だった。 西欧の合計がインドのGDPを超えたのは1820年、中国のGDPを超えたのは1870年のことだと言われている。


自然風土を考えれば、亜寒帯地域の多い西欧と比較して、インド・中国は亜熱帯・温帯の豊かな風土に恵まれ、農業に適していた。しかし、17世紀からの西欧科学文明の発展、18世紀からの産業革命によって欧米の優位が決定し、今日に至っている。

インド・中国の精神的背景はヒンドゥー教・仏教・儒教・道教であり、欧米はユダヤ・キリスト教だ。日本が20世紀に世界の経済大国になるまでは、欧米のエリートはキリスト教国、白人以外は無能であり、アジア・アフリカは永遠に欧米の支配を受けざるを得ないとの思想があった。ヒンドゥー教・仏教・儒教・道教は一段劣った宗教だとされていた。

今では日本に続いて中国、韓国、インドも近代科学・技術をマスターし発展している。しかし、世界の文化の主流は欧米文化であり、ノーベル賞の受賞者数でも明らかなように、人道的な分野、創造的な分野、最先端科学の分野でも欧米が世界をリードしている。いくら中国のGDPが増えても、中国の社会は事実上、共産党の独裁国家であり、民主主義も未熟だ。中国の市場を狙って欧米の企業は中国に接近するが、欧米の学者が中国から思想を学んだり、人道主義・平和主義を学んでいるわけではない。インドについても、世界の文化をリードできるような立場にはない。

現在の中国・インドはあくまで20世紀の日本の成功の影響によって、非キリスト教国でも現代科学・技術・経済を発展させることができることが証明され、その波に乗ったものであり、何も革新的な思想的影響を世界に及ぼしているわけではない。ヒンドゥー教・仏教・儒教・道教が現代社会を支え、影響力を及ぼしているわけではない。

しかし、世界にはユダヤ・キリスト教と対立する宗教、イスラム教がある。イスラム世界も欧米の植民地支配を受け、同じ神を崇めているにも係わらず、キリスト教からは一段、劣った宗教と見られている。逆に、イスラム社会は欧米の現代社会の風潮を受け入れず、欧米文化への抵抗勢力となっている。欧米的なGDPの拡大には不向きな社会体制を維持している。

物質的な成功が重視され、商業主義が社会を支配し、ユダヤ・キリスト教の精神が軽んじられる欧米と比較して、(ドバイなどの繁栄は別として)イスラム教社会はかたくなにその宗教的伝統を保持している。その反ユダヤ・キリスト教の流れから、テロ勢力が生まれるという状況もある。実際、イスラム社会がコーランを捨てて、欧米化する可能性はない。

この歴史の流れを見ると、風土的に恵まれていたインド・中国が世界を支配することはなく、一神教の欧米が世界を支配したが、日本が欧米だけの独走を許さず、その影響でインド・中国も復活し、さらに、イスラム社会は欧米社会に対する批判勢力として存在している、ということになる。

神は欧米に強力な精神的文化を与え、物質的に世界を支配させたが、他方、日本を選んで欧米を抑え、しかも、宗教のルーツが同じ反キリスト教のイスラム社会を存続させた。神がどこまで欧米を支えているかという点から、この状況を考えるべきだ。世界中が欧米の白人中心の資本主義・商業主義に従っているわけではない。

1500年前、2000年前、4000年前の科学が未熟な時代に生まれた宗教が今も実践されているということ自体が、物質文化に対する精神文化の優位を意味するわけだが、神が人類に望んでいるのは物質的な繁栄ではなく、精神的な成長だと考えれば、今後の人類の歴史には劇的な神の介入が考えられる。そのときに、日本やイスラム社会がはたす役割が何であるのかを考えるのも有益だ。1000年後には、宗教心のある人間は世界からいなくなり、富を崇めるだけの人間ばかりになるのか、神の裁きで人類の物質文明が崩壊しているのかは誰にも予言できないとしても。