死後の世界は存在する。(霊界の状況については、スエーデンボルグの著書が参考になる。)
誕生以前に、人は存在せず、死後も存在しないという考えは恐ろしい。実際に、魂には生死はないと考えることで、人は正気を保つことができる。歴史は意味を持ち、全ての宗教も成立する。
生きている間は、人はあたかも永遠に生きていくことができるかのように、死を心配せずに生きている。「死ねば全ては終わり」ということをまともに皆が信じれば、世の中には秩序も平和も保たれない。
逆に言うと、人間は潜在意識では、魂の不死、永遠性を信じているので、人間としての死を恐れていない、ということになる。
人は肉体が死ねば、その魂は霊界で行き続けるというのが、正解です。古今東西の賢者、宗教家、哲学者は、ほとんど皆、死後の世界、霊界の存在を認めていた。特に、ヨーロッパ文明の基礎となった古代ギリシアのソクラテスやプラトンは、霊界を信じ、イエス・キリストは死後の霊が天国に行くか、地獄に落ちるかについて論じた。日本文化も人の霊性を信じることを基本としている。
現代科学は、まだ、歴史の浅い科学・技術の時代がもたらしたにすぎない「物質主義」の中から脱していないが、この「大宇宙は霊界からの霊的エネルギーによって生じた」と考えるのが正しい。原子より微小な素粒子の世界では、量子力学という霊的エネルギーの影響を受けた現象が見られる。将来の科学は、「人間の想念と物質の関係」が研究対象になるべきです。(人間は想念を通して、霊界や霊的エネルギーに近づくことでき、霊的エネルギーは物質界にも影響を及ぼす。これが、心霊現象や超常現象です。ユリ・ゲラーも想念の重要性を強調している。)
実際、さまざまな心霊現象を多くの人が経験している。東日本大震災でも、震災後に死者の霊が出現したという話が多い。また、念力でスプーンが曲がると言う現象(マジックや手品でも曲がるが)もよく知られているが、超能力は霊的エネルギーと結びついている(この分野では、工学博士の政木和三や医学博士の塩谷信男の著書が参考になる)。臨死体験を経験した人も、皆、不思議な霊界を垣間見ている。(超能力や心霊治療を認めるイギリスでは、チャールズ国王などがが、ユリ・ゲラーと親しく交流しており、アメリカでは、交霊や超常現象の研究も進んでいる。)
そもそも、人間の心自体が一種の心霊現象と言える。ただし、脳と言う物理的なプラットフォームがなければ、魂と言う霊的エネルギーは心として機能しない。認知症などでは、問題があるのは、魂と言う霊的エネルギーではなく、それが機能する脳という生物的枠組みに損傷が生じたことが原因です。従って、認知症の患者とコミュニケーションを取るには、医学的な精神のレベルではなく、霊的なレベルで接しなければならない。そのためには、医師や介護人は宗教的訓練や、心霊現象に理解を持つことが必要です。
認知症の人でも、障害や重傷を負った人でも、死後、霊界ではその魂は健康な姿を見せる。この世で、盲人であっても霊界では目が見える。これは、現代医学を超えた領域の問題です。物質科学では、到達できない領域です。
ただし、人間が霊的な真理に気付き、死後の世界の霊界に憧れるようになれば、この物質社会と物質文明に大きな脅威となる。この世で物質主義的な幸福を得るために、カネを求め、カネを得るために悪魔に魂を売る人間は激減する。これは、悪魔にとっては大変な危機になる。だから、悪魔が支配する世の中では、心霊主義は怪しげなオカルトだとして軽視される。スプーン曲げなども否定しようとする。オウム真理教事件などによって、宗教全体が警戒される。また、旧統一教会など拝金主義の新宗教が暗躍する。バチカンなどのキリスト教会にも悪魔の手先が入り込んでいると思われる。
悪魔は、「死後のことなど考えず、霊的現象など気にせず、カネ儲けに励め」と教える。しかし、イエス・キリストは「死後に天国入れることを願い、カネを避けよ」と教えている。
死後の世界、霊魂の不死を信じるか否かは、悪魔と神様の戦いと言う問題なのです。
「死後はないから、生きている間に精一杯カネを稼げ」と教える宗教はありません。
むしろ、「死後に天国に入れるように、この世では悪魔と戦ってカネや富を避けよ」というのが、イエス・キリストの教えだけではなく、全てのまともな宗教(仏教など)の教えなのです・・・