あの世は存在する。これが、常識にならなければならない。人は、この世で死んでも、その心は、魂と共にあの世で生き続ける。これを、小学校から教える必要があります。
これが、イエス・キリストの教えの基本です。仏教でも、神道でも死後の世界は否定されていない。日本人は縄文時代から死後の世界を信じていた。しかし、物質文明の発展とともに、霊的な感覚が薄れ、この世の幸福の希求や、この世での欲望の追及にかまけて、死後の世界が存在することを忘れてしまった。
問題は、あの世、即ち、霊界では、誰でも天国のような生活が送れるところではない、ということです。イエス・キリストの教えによれば、「金持ちは天国に入れない」のです。社会のエリートや成功者は皆、富裕層です。彼らは、死後、天国に入れない、ということを、神の子イエス・キリストは、2千年前に宣言したのです。これが、本当のキリスト教の基本です。
つまり、仏教や神道の修行をいくらしても、金持ちになれば、死後は天国に入れないのです。キリスト教徒であっても、富裕層は天国に入れません。だから、本当の信仰心のある信者は、修道会などに入って貧しい生活をします。しかし、表面的にはいくら貧しい生活をしていても、教会の背後には、大きな資金をもった組織があるので、必ずしも神父や牧師、シスターは貧乏人とは言えません。他の宗教も同様です。特に、伝統のない新宗教は富を求める幹部が運営しており、霊的な問題は金儲けの道具とされています。「金持ちは天国に入れない」ことを教える宗教だけが信用できるのです。
2千年前のパレスチナにも、多くの貧乏人がいた。彼らは、今の貧困層のように、全く希望のない生活を送っていた。金持ちの奴隷になるか、犯罪者になるしかない状況だった。そこに、奇跡を起こす力を持ち、「神の子」だと称するイエス・キリストが現れ、「この世では貧しく不幸であっても、死後は天国で幸福になれる」と、霊界の真実を伝えたのです。そして、次、次と貧しい人はこの教えを信じ、キリスト教という宗教が成立したのです。他の宗教で、このようにストレートに貧乏賛歌を唱えた宗教はありません。つまり、キリスト教会というのは、この世での貧乏、死後の天国を求める人たちが集まる場であるべきなのです。
これが、キリスト教の基本ですが、物質文明の発展に伴って、科学・技術がもたらす生活の快適さを求めて、人々は富を求め、カネを求めるようになったのです。そこに悪魔が付け込み、人間の欲望を刺激してカネを求めさせ、カネを崇めさせ、富を得るためには悪魔に魂を売るように人間を洗脳したのです。このような、富の追及が物質文明をけん引して来たのがこの2千年の歴史です。しかし、21世紀になって、その審判が下ろうとしているのが現代なのです。
歴史的には、ユダヤ人の始祖アブラハムから救世主イエス・キリストの誕生までが2千年、救世主イエス・キリストの誕生から21世紀までが2千年なのです。そして、この100年間、ファチマから始まって世界各地に聖母マリアが出現して、「時の終わりの悲劇」を警告されて来たのです。つまり、21世紀には第三次世界大戦や自然大災害が生じるのです。それは、余りに多くの人間が、死後、地獄に落ちるようになったからです。余りに多くの人間が、カネや富を求めて悪魔に魂を売るようになったからです。そして、「もはや神様は人間を守らない」というのが、聖母マリアの警告なのです。
霊的には、損得の問題より、善悪の問題が優先するのです。人間は誰もが死に、死後は霊界に入りますが、霊界で天国に受け容れられるか、地獄に行くかは貧富の問題ではなく、善悪の問題なのです。現在のスピリチュアリズムでも、この点は触れません。霊界で天国と地獄に分かれる前は、誰でも霊界の素晴らしい世界を堪能できますが、やがて金持ちは地獄への道を歩き始め、貧しき人々は天国に向かう。これが、死後の世界の真実なのです。霊界の入り口までしか見えないのが心霊主義です。臨死体験も同様です。だから、スピリチュアリズムは本当の宗教にはならないのです。むしろ、霊界の悪魔が人間の霊能者に介入していると考えるのがキリスト教です。日本では、力のある悪霊でも神仏として崇める傾向があります。だから、呪術への依存などがなくならない。
死後は存在する。霊界は天国と地獄に分かれる。この世での富裕層は地獄に行って永遠に苦しみ、この世で貧乏人だったものは天国で永遠に幸福に生きる。これが、イエス・キリストの本当の教えであり、「良い知らせー福音」なのです。
問題は、人間を地獄に引き込み、破壊しようとする悪魔が、イエス・キリストの本当の教えを妨げることです。悪魔はカネに姿を変えて人間を腐敗・堕落させます。この真相に気付くことが「悟り」なのです。
正しい信仰心をもてば、霊界から神のエネルギーが下って貧乏人は助けられます。これを、信じること自体が正しい信仰なのです。そして、イエス・キリストは「神を愛し、隣人を愛することが信仰だ」と宣言しています。つまり、貧しい隣人を愛することが信仰なのです。これは、日本の伝統的な清貧主義に通じます。従って、清貧主義で生きることが正しいのです。
結論は、死後の天国を信じて貧しく生きよ、ということです。