イエス・キリストは、カネがなくて苦しむ人や病人を救う。
なぜなら、神の子であるイエス・キリストは、「貧乏人は、死後、天国に入れてもらえる。貧乏人は喜べ」と述べているからです。そして、「富ではなく、神を求めよ」と述べています。
これは、他の宗教では主張していない、貧乏賛美という画期的な教えです。
即ち、まず死後の世界を信じることと、そして、「エリートと富裕層は死後、天国に入れない」ことを信じることです。そして、カネは人を地獄に引き込もうとする悪魔の小道具であることを理解することです。
イエス・キリストの言葉を信じれば、死も、貧乏もおそれる必要はなくなる。また、この世で敵対する者については「敵を愛せ」というイエス・キリストの言葉に従えば、どんな敵より危険な悪魔の攻撃から守られるのです。悪魔は、目に見える敵対者だけではなく、家族、友人、同僚の魂の中に入り込み、人を攻撃させ、さまざまな悪霊を使って善人を苦しめます。特に、宗教団体に入り込む悪魔は危険です。しかし、聖書の言葉を信じれば、祈禱師や僧侶などに頼る必要もなくなる。聖書の言葉はどんな呪いより強いのです。欧米でも、悪魔祓いに聖書は必要とされています。
死後の霊界では、カネは意味を持たない。そこでは、神様を崇拝し、貧しい隣人を愛することが評価され、この世で「清貧の生活」を送った者が評価されるのです。この世での修業とは、清貧の生活をすることなのです。いわゆる宗教的な修行をしたり、宗教団体に寄付をすることではなく、善人として清貧の生活をすることが、天国に入る修行になるのです。
また、死後、霊界に入っても、この世での修業(清貧生活)が足りなかった人間は、天国に入るために、霊界で清貧生活の意義を理解するために、長い期間、清貧について学習させられます。
この世で、貧乏人を無視し、また、正しい教えを自分は学んでもそれを実行しないエリートや富裕層であった人間は、霊界でも清貧生活に耐えられず、欲望を無制限に発揮できる地獄を目指します。彼らは、カネのない霊界でも、権力や富に対する欲望を追求し、他の霊を攻撃し、支配し、追従させようとし、醜悪な姿をさらします。彼らは、神様の愛と真理の光を憎み、その光を避けようとして地獄の闇に自ら入り込みます。
聖母マリアが出現したファチマでは、児童が聖母マリアによって地獄を見せられています。地獄に落ちた美女が、地獄の炎の海に飛び込み、醜悪な怪物のような姿に変わったのを見ています。地獄に落ちた霊は、皆、炎の海に飛び込んで、その本性を丸出しにした醜悪な姿に変わって、悪魔の手下となって互いに攻撃し合います。その醜悪な姿こそ、悪を好んだ霊が、自由に悪を行使できる喜びの姿を現しているのです。特に、ファチマの児童は肉欲の罪がおそろしいと述べています。この世でカネと富によって、幸福な生活でピカピカの生活を送っていた人々の魂は、皆、地獄で醜悪な姿に変わります。
これは、18世紀のスウェーデンの霊能力者のスウェーデンボルグが見た地獄の世界と同じですが、21世紀には物質文明が進んで、それだけ、欲望が拡大し、罪が悪化しているのです。18世紀には富裕層でも信仰のある人間は天国に入れてもらえることもあったが、今世紀ではもはや、富裕層に信仰は期待できないのです。彼らは、皆、地獄に落ちるでしょう。
余りに、多くの人間が地獄に向かうのを見て、聖母マリアが人間に警告を与えるために、この世に出現したのがファチマなどでのマリアの出現です。ファチマでの聖母の予言よりも、聖母が児童に地獄のあり様を見せたことに意味があります。このまま、物質文明が進めば、富を求める人間ばかりになり、世界中の人間が地獄に落ちるのを悲しんだ聖母マリアが人類に警告を出したのが、ファチマなどの聖母の出現です。
真の宗教とは、死後に天国に入る方法を教える宗教です。そして、神様の子であると自から宣言するイエス・キリストは「貧乏人は天国に入れる」と明確に宣言しているのです。仏教や神道以前から、日本人は清貧の生き方を尊敬してきました。この意味で、本当のイエス・キリストの教えは、日本固有の清貧主義と一致するのです。ただし、貧乏人でも信仰心のない根っからの悪人は、天国の愛と真理の光に耐えられず、天国を逃げ出し、地獄の闇に自ら入っていくのです。いずれにして、「清貧主義に生きる善人は天国で永遠の幸福を与えられる」というのが、本来のイエス・キリストの教えなのです。「貧民賛歌」が本来のキリスト教なのです。
このイエス・キリストの教えを知るには、聖書を読むことです。市販やネットの聖書で十分です。難解な仏典や祝詞は違って、分かりやすい聖書は誰でも理解できます。
誰でも、この世で幸福を求める。実際、密かに悪魔に魂を売ってでも、この世で幸福を得ようとする。しかし、この世の幸福は、死後の霊界での幸福と比べれば無意味なのです。そして、死後に幸福を得るには、この世で清貧の生活をする必要があるのです。つまり、死後、天国で永遠の命を得るには、この世で清貧生活をする必要がある。
ただし、悪魔は悪霊を人間の世界に送って欲望を掻き立て、カネを求めさせ、悪魔に魂を売らせ、死後は霊界の地獄に向かわせるのです。この世では、悪魔に魂を売らねば富裕増にはなれず、物質的な幸福も得られない。だから、ほとんど全ての人間が密かに悪魔に魂を売るような生き方をしている。それを嘆いた聖母マリアが1917年のファチマから1960年代のスペインのガラバンダール、1970年代以降の秋田、1980年以降のボスニアヘルツェゴビナのメジュゴリエなどに現れて警告を発してきたのです。
要するに、貧乏人、低所得者、母子家庭、人生の失敗者、不幸な人、病人、裏切られた人、いじめられている人などを救うのは、「この世で貧乏、不幸でも、あの世で天国」というイエス・キリストの教えなのです・・・
キリスト教会に通っても良いが、悪魔は教会にも一般会社、役所、学校、宗教団体にも入り込む。拠り所とすべきは、聖書に書かれているイエス・キリストの言葉なのです・・・