2023年9月2日土曜日

日本の清貧主義の意味・・・

 

日本に仏教が6世紀に渡来する前から、日本人は霊的な存在を信じていた。日本では、石器時代、縄文時代、弥生時代を通じて、死後の世界、霊界、神霊の存在は信じられていた。この心霊観の上に、道教、儒教、仏教などが導入され、神道も成立した。

一方、戦国末期にザビエル等の宣教によってキリスト教は一時、大きく浸透したが日本の霊性と結びつく前に、キリスト教は圧殺された。当時、日本に到達したキリスト教はバチカンが支配するカトリック系だった。明治維新で、キリスト教は解放されたが、帝国政府は他の幕末後の新興宗教と共に冷遇し、天皇神道を事実上の国家宗教として国民に強要した。しかし、第二次大戦後は、天皇神道の崩壊と共に、アメリカの日本占領を通して、アメリカ民主主義の基盤としてのプロステント派のキリスト教が日本社会に浸透した。戦後の日本国憲法もこのキリスト教の精神に基づいており、ほぼ全国民がこの憲法を受け入れ、今日にいたっている。

事実上、政治的には日本は準キリスト教国になっている。だから、日本はG7のメンバーとして認められたのです。皇室も国内的にはその伝統的な宗教的権威を維持しているが、国際的にはアメリカのキリスト教、英国のキリスト教、バチカンのカトリックなどに恭順を示している。しかし、日本社会の頂点に皇室がある限り、日本は公にキリスト教国にはなれないと思われる。つまり、日本は「アブラハムの宗教」と呼ばれる一神教中心の世界の主導者にはなれない。21世紀前にGDPで世界第二位になっても、アメリカと並ぶ世界のリーダーになれなかったのは、これが根本原因です。なお、中国はユダヤ教起源の共産主義を利用しており、ロシアは独自のキリスト教を信奉しており、共に世界のリーダーとはなれない。

いずれにしても、日本人の特徴は原始の時代からの心霊観を保持していることにある。この心霊観の上に、神道、仏教、さまざまな新興宗教が置かれて来た。また、古代の天皇家から明治維新以降、第二次大戦での敗戦までの天皇神道などがこの心霊観を利用して来た。20世紀の末には、オウム真理教などもこの心霊観を利用した。今も、さまざまな新興主教が同じことをしている。しかし、この日本の心霊観も、現代世界の拝金主義に飲み込まれている。

現在世界ではカネに姿を変えた悪魔を崇拝し、自分の魂を売ってまでも、カネを求めるようになっている。このカネ(悪魔)の力を認め、カネで得られる富を崇拝するのは事実上、宗教行為だと言える。今では、世界中のキリスト教徒も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒も、仏教徒も、ロシア人も、中国人も、アフリカ人も、太平洋の原住民もカネを崇拝している。カネは、世界の共通宗教になり、共通言語になっている。バチカンですらカネの力を頼っている。ダライ・ラマもマザー・テレサもカネの力でジェット機に乗って、高級ホテルにとまって宣教していた。英国王室も日本の天皇家も巨額の国家予算を事実上私物化している(警備費も含めて)。そして、テレビやネットでは富豪がもてはやされ、世界中で金銭欲や貧富の差のために詐欺行為や暴力が横行している。トランプも拝金主義のヒーローだと看做されていた。アメリカ人がカネを求める限り、トランプの信奉者はなくならない。

このような世界の中でも、清貧の思想というものが日本には残っている。清貧主義は、仏教や神道よりも日本の伝統的な霊性に根差すものです。貧しくても、清い生き方をする人間を尊敬する思想は、日本に縄文時代から現在まで残っている。皇室や首相、財界人が「貧乏人やホームレスは死ね」と発言すれば、彼らは直ちにその地位を追われる。しかし、日本社会も悪魔に支配されており、それが悪魔の本音なのです。

しかし、イエス・キリストは「富裕層やエリートは、死後、地獄に落ちる」と述べている。これは、日本の清貧主義に通じる。このように明確にカネと富に警告を発っした宗教家は他にいない。仏教でも悟った僧は、乞食僧と呼ばれるように清貧を実践し、無名の地位に甘んじた。神道系の諸霊も、この世的なご利益ではなく、まず先祖の霊を崇めさせている。つまり、真の宗教とは、信徒を金持にして、この世の問題を解決させるのではなく、神様や偉大な霊にたよって、物質主義を離れ、霊的な解決を約束するのが本質です。従って、教祖は貧乏人でなければならない。イエス・キリストや仏陀のように、ホームレスのような生活をしている教祖、僧侶、神官、神父、牧師などのみ、信用できるのです。

ある教祖のように、「自分は悟った人間だから高級料理を食べてもいいのだ」と言うこと自体が、悪魔の支配下にあることを証明している。バチカンの法王や、英国教会のトップの英国王や、日本の天皇家、キリスト教国アメリカの大統領も、高級料理を食べているので、宗教的には信用できない。毎日、アンパンを主食としているような人間でないと信用できない。これを信じるのが宗教です。カネと富が如何に人間を堕落させ、腐敗させるかを理解し、カネや富の真の姿は悪魔だということを理解しているのが、本当の宗教家です。キリスト教とは、貧困賛美の宗教なのです。これに近いのが、日本固有の清貧主義なのです。

貧しさを知らなければ、如何に世の中が悪魔に支配されているかは理解できない。しかし、貧乏人にはその理解をまとめて、人々に伝える能力はない。学者や作家、芸術家など、この世でそれなりにエリートなった人間や、宗教団体の幹部や識者と呼ばれる人間は、そのような真理を薄々理解していても、自分の富や地位を捨ててまで真理を語ることはしない。しかし、過去の偉大な宗教家は、そのような真理に基づく教えを述べている。それでも、彼らは危険に曝され、イエス・キリストのように殺害されることもあったのです。「カネ持ちやエリートは地獄に落ちる」と言われれば、富豪や権力者はそのような宗教家を抹殺しようとする。

それでも、日本では、人々の中に清貧思想は生き残っている。貧乏していても、悪魔に魂を売ることがなければ、必ず天が助けてくれると信じることが清貧主義です。損得よりも善悪を重視するのが清貧主義です。

欧米発の現代物質主義が、ここまで人間を堕落、腐敗させた以上、日本人は伝統的な清貧主義に戻るべきです。欧米ではキリスト教も混乱している。聖書が禁ずる多くの悪事がなされている。日本人は聖書を読み、日本の清貧主義に基づいて、新たなキリスト教を樹立すべきなのです。