エリート、富裕層は、社会的な地位や力、又は、富やカネで問題を解決しようとする。しかし、一般人や貧しい人は、社会的な地位や力、又は、富やカネを使うことはできない。
これは、2千年前から同じことです。しかし、2千年前にイエス・キリストが現れて、「金持ちは死後、天国に入れないが、貧しい人は天国に入ることができる」と、教えてから世界は変わったのです。
このイエス・キリストの教えに基づくのがキリスト教です。つまり、貧乏人を救うのが本来のキリスト教なのです。そして、社会的な地位や力、又は、富やカネを持たない人々は、この世でいくら苦しんでも、死後は、天国で救われるというのが、本来のキリスト教の教えなのです。しかし、今のキリスト教は、この教えからはずれている。欧米のキリスト教もエリートや富裕層を否定しないし、人々がエリートや富裕層になるのを目指すのを阻止しようとはしない。欧米主導の現代文明も、エリートや富裕層を賞賛し、人々が社会的地位や富を求めるのを推奨している。これは、反キリスト的な動きです。欧米主導の現代文明は、イエス・キリストの教えに反して、権力や富を追求する反キリスト的な文明になっている。
例えば、どんな手段でもいいから、スプーンを曲げよと言われれば、普通の大人は腕力と言う物理的な力を使う。または、手品や奇術を使う。しかし、腕力も手品の技術もない子供は、念力を使うかもしれない。そして、そのような子供が念力でスプーンを曲げることを証明したのが阪大工学部の職員だった政木和三です。同じように、権力も富もない人間は、神様への信仰心によって生きている間も問題を解決でき、死後は、天国に入って幸福に生きることができる、というのが、心霊主義的なキリストの教えの解釈になるのです。
イエス・キリストは、次のように言われた。「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。(マタイによる福音書 17:20)」
つまり、エリートや富裕層のように社会的地位や富とカネを持っていなくても、正しい信仰心があれば、「できない事は、何もない」のです。
従って、自分がエリートでも富裕層でもないと思った人は、正しい信仰心を持って、神様の教えに従って問題を解決すべきなのです。ただし、いわゆる新興宗教や祈禱師、拝み屋、霊能力のある僧侶や神主では、悪霊や悪魔が入り込む可能性がある。キリスト教会や神父・牧師にも悪霊や悪魔が入り込む可能性がある。一番安全なのは、聖書を本屋で買うか、図書館で読むか、ネットで検索して読むことです。
しかし、このような生き方は日本人の伝統的な生き方にも見られる。即ち、清貧主義の生き方です。密かに利己的な行為をしてカネ持ちになった人間より、神仏を信じて貧しい生活をしながら悪事を避ける人間を尊敬するのが、日本人の伝統的な清貧主義です。日本人の清貧主義はイエス・キリストの本来の教えに近いのです。
現代社会は、カネが支配する社会です。ホームレス、底辺の人、低学歴の人、母子家庭の人、無資格かつ無才能の人は、皆、苦しんでいる。しかし、神様への正しい信仰心を持てば、霊界から神様の助けを得ることができ、さまざまな問題を解決することができるのです。これは、念力によるスプーン曲げのように、現代の物質文明に挑戦する生き方ですが、それを推奨しているのがイエス・キリストの教えなのです。
逆に言えば、社会的地位や富を得るために、人間は魂を悪魔に売るものです。従って、エリートや富裕増は死後、地獄に落ちるのです。エリートや富裕増が主体の社会は、悪魔が支配する社会です。悪魔は、役所、企業、組織、宗教団体、個人の中に入り込みます。従って、そのような人から離れて、聖書を読んで霊能力を高めるのが安全な生き方なのです。
イエス・キリストは、「貧乏人は喜べ、死後は、天国に入ることができるのだから」と述べています・・・