2021年12月29日水曜日

日本人の霊性とコロナ大感染の意味

東京湾周辺

日本では、21世紀になって「死後の存在」を信じている人が増えている。

「2013年の調査では回答者の40%が「あの世」を信じると答え、信じてはいない(33%)を上回ったという。1958年の調査では「信じる」が20%、「信じてはいない」が33%だったそうで、あの世の存在を信じる人が増えているという結果となった。また、世代間によっても違いがあり、20代で信じると答えたの45%。いっぽう70歳以上で信じると答えたのは31%だったそうだ。

なお、仏教においては霊魂の存在を明確に認めているのは高野山真言宗と日蓮宗だけだという。https://idle.srad.jp/story/17/08/09/0644232/」

本来、日本文化は霊の存在を認める文化だった。霊の存在を認めれば、死後の世界も存在することを認めることになる。なぜなら、肉体は死んでも、霊は死なないからです。

縄文時代の死者の埋葬跡(屈葬)も、死者の魂に対する配慮がうかがわれる。(「屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体が多いことから、死者の霊が浮遊しないように、というのが最有力な説とされています。https://www.osohshiki.jp/column/article/208/」)。

弥生時代の銅鏡も単なる鏡ではなく、魂を映すものとして尊重されたと思われる。

文学作品では、万葉集も魂に関係する歌が多い(古代の嘆きは魂を送り出す呪的行為であり、その魂が対象に作用すると考えられたためである。呪的行為であることは、同じく魂に関係する、紐や袖振りについての俗信とからめ考察することで確認できる・・・https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/49/9/49_KJ00009766783/_article/-char/ja/)。「源氏物語」も、霊の働きが重要な役割を果たしている(生霊が怨霊となって女性を呪い殺すなど)。

仏教も、平安時代末期から鎌倉時代にかけて発展した浄土思想は、死後の魂の行き先として極楽を想定し、民衆の心をつかんだ(源信の往生要集は「浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書」、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86)。

「能」という舞台芸術も死者の魂を主題にした作品ばかりです。民衆が魂の存在を認めていなければ、能が室町時代から今日まで廃れることなく受け継がれることはない。

戦国時代には、天国という観念をもたらしたキリシタンが、秀吉や徳川幕府によって弾圧されるまで日本中で普及していた。一部は「隠れ切支丹」として、明治維新まで信仰を守った。権力と結びついた仏教では得られない西洋宣教師の教えが、民衆の心をとらえたのだろう。

徳川家康は神仏習合の東照大権現として、その霊が日光東照宮に祀られたが、江戸時代には仏教の形骸化が始まった。しかし、「つきもの」という霊的な現象、幽霊物語などには民衆の霊的な関心が現れており、「狐憑き」にまつわる伝承も多く語られるようになった。平田篤胤による、霊の生まれ変わりの研究などもよく知られている。占い師や(除霊のための)拝み屋という職業も現れてきた。こういう日本の霊的な傾向は、明治に来日したラフカディオ・ハーンがその作品の中で取り上げるようになる。

そして、明治時代には天皇神道が復活し、天皇が神話の天照大御神の子孫とされ、全国民が強制的に国家神道に服従させられた。なお、天皇の男系相続の思想は、こういう霊的な意味もある。キリスト教をバックボーンとした強力な欧米に対抗する意味でも、明治政府は天皇神道の国教化を推進した。

戦後は、アメリカのキリスト教的な民主主義思想に基づいた憲法が導入されたが、キリスト教自体は日本の主流とはならなかった。ただし、戦前の国家神道から解放された社会では、さまざまな宗教が乱立する状況となった。ヒンズー教・チベット仏教やユダヤ・キリスト教を混合したようなオウム真理教がテロを起こしたが、その後もスピリチュアルな関心はポピュラー文化として定着し、テレビの娯楽番組でも関心を集め、臨死体験なども注目されるようになった。ただし、人々の霊的関心を悪用する新興宗教への警戒感も強まっている。

そして、21世紀になって、イスラム原理主義者のテロが世界で勃発し、狂信的宗教に対する警戒感は高まる。一方、物質的な経済の行き詰まりが見られる日本では、俗世間の泥にまみれた中高年ではなく、精神的な救いを求める若者の間に死後の世界、スピリチュアリズムへの関心は根強く存続する。娯楽番組で人気者となる霊能力者も現れたが、社会全体としては行き過ぎた怪しげなオカルト(非科学的な超自然現象・神秘的現象への関心)は、社会に危険であるとの抑制姿勢も強まる。心霊主義と「カネ儲け宗教」の結びつきには、犯罪性がついて回る。邪悪な洗脳の危険が心配される。伝統的な日本人の霊性を悪用した、現代的な組織犯罪すら考えられる(今の中国も一種の洗脳社会だが、中国人の霊性も本当は共産党独裁と相容れないので、いずれ、中国の共産党政権は崩壊すると思われる)。

そして、その中で、コロナの大感染が生じたのです。日本人の、このような霊性がこの世界的なパンデミックからどのような影響を受けるのかも注目すべきです。

2021年末で、世界で500万人以上がコロナ・ウイルスが原因で死亡したが、まだ、その精神的な影響は世界でも明らかになっていない。しかし、現代物質文明、拝金的な経済活動に不安を感じる人が出てきてもおかしくない。世界文明の中心とも言えるアメリカだけで、コロナで80万人以上が死亡したのだから、コロナ・パンデミックは終息しても、その影響は何年も続くと考えられる。特に、人間の死生観には何らかの影響が出ると思われる。キリスト教の「最後の審判とこの世の終わり」という教えが注目されるべきなのです(なお、世の終わりには「にせキリスト」が現れるという教えもある)。

ただし、この世界的な悲劇は、日本独自の死生観では対処できない。単に、あの世の存在、霊魂の不滅、極楽思想だけでは、「世界的な歴史の中のコロナの悲劇」の意味を正しく理解し、対処できるとは思えない。個人的にコロナで死んでも極楽に行けると信じても、そもそも「なぜ、世界中の人が今、コロナで死ななければならないのか」と言う問いに対する答えは出ない。

答えは、「万物の創造主である神」、「人類の主、イエス・キリスト」を認めなければ得られない。「霊的な神と悪魔の戦い」や、人間の死後に天国を約束するイエス・キリストの教えなどを学ばなければ、21世紀の物質文明の最盛期に世界を破壊しかねないコロナ大感染が生じた意味を正しく理解できないのです。

真摯なキリスト教徒なら、「世の終わり」を思わせるコロナの悲劇に、神様の意図を見ようとするものです。日本人も「死後の世界」や「霊魂の存在」を信じるなら、その上に立つ神様やイエス・キリストが、物質的に腐敗・堕落した人類社会に警告を与えるために、コロナの大感染を黙認したと考えるべきなのです。