天皇制は、1945年の第二次大戦の終了と共に瓦解した。これが正しい歴史的認識です。
日本を占領した連合軍のマッカーサー元帥が、新たな憲法の草案を作成し、それまで国家元首であった天皇を、明治憲法におけるような実権をもった国家元首ではなく、単なる象徴役に降格させた。当時の日本人は、この画期的な処置を受け入れた。
実際、第二次大戦で日本国民は300万人の戦死者を出していたが、天皇や戦争中の指導者は誰も責任を取ろうとしなかった。連合軍が東京裁判で、東條首相(大将)などを処刑し、天皇を象徴役に降格させたことで、国民は一応、納得した。その延長上に21世紀の日本も存在する。
しかし、戦後の歴代の日本政府は、実質的に天皇を首相の上に置き、政府の権威付けに利用して来た。マッカーサー草案による戦後の日本国憲法は、熱心なキリスト教徒であったマッカーサーの思想を反映し、アメリカのキリスト教を基本とするアメリカ型の民主主義を導入するものであったが、日本の占領を円滑に行うためにマッカーサーは天皇家の存続を認め、その権威で日本政府が円滑に機能することを狙った。つまり、天皇が日米開戦に賛成しなければ、300万人の国民は戦死せずに済んだのであるが、天皇は戦争を防止する権限を持ちながら、その権限を行使せず、戦後もその天皇の責任は「うやむや」にされた。
そして、戦後の日本社会の問題点を突き詰めれば、この事実上の戦後の新天皇制の欠陥に行き当たることになった。本来、マッカーサーが草案した戦後憲法が目指していたのは大統領制の導入です。天皇ではなく、大統領を政府の最高権威とし、アメリカのように大統領が神に忠誠を誓うことが求められているのです。そして、それが人類の歴史の正統なのです。
日本の歴史・文化における天皇家の影響は大きいが、戦後の世界は欧米発のキリスト教を基本とする民主主義が主流であり、キリスト教の神が人類の神であるとみなすのが主流となっている。(なお、ユダヤ教、イスラム教の神も、キリスト教の神と同じです。)
天皇制には、四つの問題がある。第一に、上に述べた300万人の国民が戦死した先の大戦の戦争責任。第二に、天皇崇拝は、キリスト教の神を人類の神を認める、人類の歴史的流れに反すること。第三に、大統領制でなければ、21世紀に日本が迎える試練(少子化、貧富の格差、コロナなど)に、効果的に対応できないこと。第四に、天皇家の出自が曖昧なこと。(天皇の祖先は、古代中国の秦帝国から渡来した方士の徐福の一行だと思われる。しかし、日本人とその文化の基礎となったのは、天皇家出現以前に1万年以上続いた縄文文化です。縄文文化に比較すれば、天皇文化は新参ものだということになる。)
要するに、日本が21世紀以降も発展するには、事実上の天皇制に依拠する体制では非効率であり、国家の衰退が予測されるので、強力な大統領制を採用し、欧米各国と同じ一神教を信奉し、世界文明の主流となるべきだ、ということです。
ただし、キリスト教を国教にせよ、ということではなく、また、天皇家も伊勢神宮の神官として、それなりの待遇を与えてもよい。ただし、国家元首は、アメリカのように民主的に選ばれた大統領とするということです。
縄文人の子孫の日本国民から日本国大統領を選ぶことが、日本の進むべき道です。