幕末がまだ始まらない平和な江戸時代に、仙人(霊)に連れられて異境(霊界)を見たと言う江戸の貧乏少年、寅吉からの聞き書きで著名な国学者、平田篤胤は、「学問をするにはまず自らの死後の魂の行方を最優先で知らなければならない」と考えて、『仙境異聞』を著わし、最近にも注目され、岩波文庫『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は、異例の売れ行きを見せたと言われている。
その「仙境異聞下 仙童寅吉物語二」の最後に、霊界を見てきた寅吉の現生(この世)批判が記さている。
「学問は良いものだが、それを究める者は者は少なく、大部分は生学問をして、知識を鼻にかけ、書物を知らない者を見下し、高慢で心が狭く、最後には悪魔・天狗に憑りつかれる」と、寅吉はまず学者を批判する。
さらに、「慢心や心の高ぶりほど悪いものはない。美人、芸の達人、金持ち長者なども慢心おごりの心があるから、大部分は魔道に入る」と、イエス・キリストのような言葉を述べている。
「金持ちが、十分な富があるのに更にカネを求めるのは、神が憎むところだ」と、まさに聖書の趣旨に沿ったことを述べている。
「金持ちが一所にカネを集めるゆえに、貧乏人が多くなる。金銀は天下のもので個人のものではない。いくら金銀を集めても、死ねばあの世には持ってはいけない。金持ちは、死んでも欲心は消えず、人の物を集めて欲しがる鬼物となり、やがて魔道に入る」とまで言っている。まさに、イエス・キリストの教えの通りです。
平田篤胤は仏教ではなく、神道を学んだ人間であり、寅吉の仏教の僧侶(幕府の庇護に甘えて堕落)に対する批判も隠すところなく述べている。江戸時代には幕府が仏教を優遇し、庶民を管理する役割を寺院にもたせており、仏教批判は幕府に危険視されたのか、やがて平田篤胤は江戸を追われて故郷の秋田に帰っている。
平田篤胤は、若い時、秋田から脱藩して江戸に出て来た苦労人であり、寅吉の金持ち批判には大いに共鳴したと思われる。
まだ十代の少年の寅吉が、大人の学者や侍に自分が体験した霊界・仙人界のことを話すときには、バカにされまいとして多くの誇張もあったと思われ、信じがたい言葉も多いが、ヨーロッパの18世紀の霊能者スウェーデンボルグによる霊界見聞記の江戸バージョンだと考えることもできる。いずれにしても、実体験の裏付けがなければ、江戸時代の少年の寅吉が臆するところなく、長期に渡って作り話を身分が上の目上の学者や侍に話し聞かすことなど考えられない。
18世紀のヨーロッパの霊能者、スウェーデンボルグによれば、霊界には、この世の全ての事物が対応する形で存在するとされているが、スウェーデンボルグが見た霊界は、ヨーロッパ人から見た霊界であり、寅吉が見た霊界は日本の江戸時代の霊界だと考えられる。今の日本人にとって、スウェーデンボルグが見た霊界の方が分かりやすい。特に、神道家の篤胤の寅吉への質問は、神道の祭具や儀式に関することが多く、我々にはなじみにくい。それでも、霊界の本質である神(善)と悪魔(悪)の戦いという点においては、本質をついている。
平田篤胤自身も夢で本居宣長に会って、その弟子入りを許されたと述べるように、霊感を重視する人物だった。明治維新で新政府は、幕府が優遇した仏教を軽視し、皇室神道を推進することになり、平田篤胤の神学も注目されるようになったが、やがて、政府・神道主流からは排斥される。
『明治維新期には平田派の神道家は大きな影響力を持ったが、神道を国家統制下におく国家神道の形成に伴い平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていった (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4)』
逆に言えば、明治以来の日本のエリートには、寅吉の見た霊界の真理とは相容れないものがあったと考えられる。それは、上に述べたような寅吉のエリート批判は、明治から現代に至るエリートには受け入れられないからだろう。
平田篤胤は秋田で没し、寅吉はやがて千葉に移り、自分の体験を書物に書くこともなかったが、霊能力によって医者として人生を終えたとされている。その子孫は薬草の販売や、健康に効果のある温泉旅館の運営をしたとされている。いずれにしても、霊界で仙人が、寅吉をこの世で平田篤胤にめぐり合うように仕組んだとも考えられ、平田篤胤がいなければ、寅吉の話も現代には残らなかっただろう。
なお、「寅吉」は明治維新前の江戸時代に人々に霊界の知識を与え、平田篤胤を通して権力と富に対する警告を与えたと考えられるが、昭和の後半には、1995年以降の世紀末・新世紀に生じる震災・デフレ金融危機・コロナ大感染を前に、「男はつらいよの寅次郎」映画が国民の間に人気を博し、人情と隣人愛の大切さを訴えていたと考えられる。明治維新の動乱の前の「異境を見た寅吉」と20世紀末に先立つ「昭和人情の寅さん」という、2 人の「寅さん」を使って神が人々に警告を与えたと考えられる。
2022年(令和4年)は寅年です。第三の「寅さん」が出てきてもおかしくない・・・