他方、世の中には、金持ち、権力者、力を誇る者、悪を好む者が存在しており、彼らが、貧しい者たちを苦しめています。そのような金持ちたちを罰するのも神様です。これを信じるのがキリスト教徒です。
善悪は、貧富という形で現れます。悪魔が支配する世の中では、悪魔に魂を売らなければ、カネを得られない仕組みになっています。狡猾な悪人ほど、豊かなになれるのが世の中です。逆に、悪を行えない善人は、カネ儲けができない仕組みになっています。従って、善人は貧しくなり、悪人は金持ちになります。だから、イエス・キリストは「金持ちは、天国に入れない」と宣言しておられるのです。
しかし、生活にはカネが必要です。悪魔に魂を売らないでも、カネを得る方法はあるのか? 悪魔に魂を売らないでも生活は成り立つのか? そういう心配、疑問が生じるのは当然です。そこで、イエス・キリストは「まず、神の教えに従え、そうすれば、必ず必要なものは与えられる」と宣言しておられます。要するに、悪魔に魂を売らなくても、最低限の生活が成り立つように神様が面倒を見て下さるということです。
従って、まず、神様の存在を信じることです。「神など存在しない、あの世も存在しないし、天国もない、あるのは、この世と自分の命だけだ」と考えるのは間違いです。確かに、自分が生まれ来たのは、この世があるからです。そして、「この世が存在するのは、わけの分からない理由のせいであって、そんなことは分かるはずもないし、自分には関係ない」、と考えるのは愚かです。
神様もなく、偶然この世が生じてきたなら、宇宙はもっと無秩序になり、この世は善も悪もない無茶苦茶な世界になり、人は善も愛も考えることのない存在になります。この宇宙に秩序が存在し、人間に愛や善を求める心があるのは、神様がこの大宇宙と人間の精神を作ったからです。
そして、実際に生きながら死後の世界を体験した18世紀の科学者、スウェーデンボルグは、霊界が存在することを証言しています。天国も地獄も存在するのです。日本人が伝統的に信じてきた、あの世や、極楽と地獄も存在するのです。死後も魂は、霊界で生きることは、現在でも多くの臨死体験者が語っています。死を恐れることはありません。そして、イエス・キリストは、「貧乏人は、死後、天国に入れる」と述べています。死の恐怖に打ち勝つには、聖書を読んでイエス・キリストの教えを学ぶことです。スウェーデンボルグと同じ18世紀の科学者、ニュートンも神様を信じており、聖書を研究していました。古代ギリシアの哲学者のソクラテスやプラトンも死後の世界を信じていました。孔子も死後の世界は否定せず、ブッダはこの世と霊界(死後の世界)を、ほとんど同一視していました。死後の世界は存在するのが、世界の宗教の常識なのです。
その中でも、最も重要な教えは、「貧乏人は、死後、天国に入り、そこで幸福に生きる」という神様とイエス・キリストの教えです。金持ちも、死後は霊界に入りますが、霊界から地獄に行きます。彼らは、天国の光に耐えられないので自ら地獄に行くのです、神様の光から逃れるために。
神様とイエス・キリストは、悪魔に魂を売らない貧乏人を愛しており、「この世で苦しむ貧乏人は、死後は、天国で幸福にする」ことに決めておられるのです。これが、イエス・キリストの教えであり、真実のキリスト教なのです。
逆に、この世では、悪魔に魂を売らねば、金持ち、エリート、権力者、成功者、幸福な人にはなれず、彼らは当然、死後、天国に入ることはできません。地獄はこの世の富裕層やエリート、成功者で溢れており、この世では隠されていた彼らの凶悪な本質は、地獄ではあからさまになり、さらに、霊界からこの世に悪の影響を及ぼそうとします。そのような悪霊から貧乏人を守ってくれるのも神様とイエス・キリスト、天使、各人の守護霊なのです。
これを、信じればキリスト教徒になるのです・・・
貧しいもの、弱き者、小さき者、困っている人、正義の人がなすべきことは、聖書を読んでイエス・キリストに救いを求めることです・・・