2022年9月29日木曜日

「善悪」の問題は「生死」の問題の上にある!

 

人は死後も、その心(魂)は霊界で生き続ける。従って、人は死を恐れることはない。死後は無でないのです。

ただし、人の生死よりも重要な問題がある。「善悪」の問題は「生死」の上にある。なぜなら、「善悪」の問題は「神と悪魔」の問題につながるからです。

人間が死後に入る世界は神様が直接支配する世界です。しかし、悪魔は霊界の中の地獄の支配を許されている。ただし、いずれ神様は地獄も悪魔も抹消されることになっている。悪魔は、神様に滅ぼされる前に出来る限り多くの人の魂を地獄に引き入れようとしている。それが、神様に対する悪魔の反抗なのです。

そのために、悪魔は人間界を支配し、人間に悪を行わせ地獄に引き込もうとする。たとえば、死後の世界は存在しないと人間に考えさせ、「たった一度の人生だから、手段を選ばず位にカネを得て、この世で幸福になれ」と教え込む。そして、人は悪魔に魂を売ってでも、カネを得て、この世で幸福になろうとする。これが、この世の問題の根源です。

また、死後の世界を信じる人に対しては、悪魔は地獄は存在しないと教え込む。臨死体験者も霊界に入ったときに地獄を見たとは余り報告しない。悪魔は、この世でどんな金持ちでも、どんな悪事を行った者でも、不信心者でも、死後は愛に満ちた霊界で幸福に生きれると教える。

このような悪魔の教えに基づいて新宗教の関係者は、この世で手段を選ばずカネ儲けをしても良いと考える。新宗教関係者は、霊界の知識すらカネ儲けの手段にする。

社会の教育・政治・経済も悪魔の影響を受けている。学校では、決して「死後の世界は存在する」とは教えない。社会のエリート階級の上には悪魔がいる。神様の教えを信じる人間は企業・会社では採用されないし、採用されても出世しない。そして、国の体制自体が悪魔の支配下にある。法律も道徳も、悪魔の支配を維持するために使われている。ただし、違法性や不道徳性を放置すれば、社会自体が崩壊するので、法律や道徳の根本には悪魔も触れない。

神様を信じて、善行ばかりする人間は、悪魔が支配するこの社会では生きてゆけないようになっているが、神様の威力がこの世にも及んで、信仰者は神様が派遣する天使・守護霊によって守られている。だから、現在まで聖書は世の中に残され、誰でも自由に読めるようになっている。

神様は善と愛を喜ばれ、悪魔は悪と憎悪を好む。そして、この「善悪」の問題は「生死」の問題より重要なのです。

なぜなら、神様は善人を天国に入れ、悪人は地獄に落とすからです。そして、この世で善人であるということは、悪魔の誘いに乗ってカネを求めることはしないということです。つまり、この世で善人であるということは、貧乏人であるということです。だから、イエス・キリストは、「貧乏人は天国に入る」と述べておられるのです。

「あの世の存在」=>「天国と地獄の存在」=>「善人は天国に、悪人は地獄に」=>「善人とは貧乏人、悪人とは金持ち」

つまり、「善悪」の問題は「生死」の問題の上にあり、従って、「貧富」の問題は「生死」の問題の上にあるということです。これが、イエス・キリストの教えの基本です。

「生死の問題」=>「天国/地獄の問題」=>「善/悪の問題」=>「貧/富の問題」

従って、死後、天国に入って永遠の幸福を得るためには、この世で貧乏でなければならない。これが、イエス・キリストの教えの基本です。


2022年9月27日火曜日

「神は幼な子に真理を見せる」、「神は非エリートの貧しい者に真理を見せる」、あの世は存在する・・・

 

アメリカの調査会社ギャラップによれば、1980年代には、死後の世界を信じているアメリカ人は67%だが、地獄の存在を信じるアメリカ人は53%、天国の存在を信じるアメリカ人は71%だった。2020年の調査では、死後の世界を信じているアメリカ人は68.2%だから21世になっても大きな変化はない。

特に顕著なのは、低学歴、低収入の人のアメリカ人ほど、地獄と天国の存在を信じる割合は高い

これは、「神は幼な子に真理を見せる」と聖書に書かれているように、「神は非エリートの貧しい者に真理を見せる」ことに通じる。

この世は、悪魔の支配下にあることは、誰でも薄々感じている。悪を行わなければ、カネは得られない、社会で成功しない、夢は叶わない、この世で幸福にはなれない。実際、「悪魔」の別名は「カネ」なのです。しかし、まだ悪魔(カネ)に洗脳されていない幼児は真理を正しく見ることができる。また、非エリートの貧しい者は、悪魔(カネ)に洗脳される度合いが少ないので、より正しく真理を見ることができる。

そして、死後の世界、天国と地獄の存在を素直に信じるには、幼な子のような心を持つか、悪魔(カネ)の影響力の小さい低学歴、低収入の人でなければならない。これが、教訓です。

そもそも、イエス・キリストがこの世に現れたのは、非エリートの貧しい者を救うためだったのです。そして、イエス・キリストはこの世と霊界(死後の世界)の真理を彼らに教えたのです。そして、イエス・キリストの伝道から2千年後の今も、非エリートの貧しい者はイエス・キリストの教えをより理解することができるのです。だから、エリートや富裕層が天国や地獄の存在を認めなくても、非エリートの貧しい者は天国や地獄の存在を認め、イエス・キリストの教えの正しさを認めているのです。

悪魔はカネで人間を堕落・腐敗させようとする。そして、死後の世界などは存在しないから、この世でできるだけ多くカネを稼いで、この世で物質的に幸福になるべきだとそそのかす。これが、悪魔のカネによる洗脳です。

しかし、イエス・キリストは。この世で貧しい者は死後、天国に受け容れられて、神様の下で幸福に暮らすことができると教えている。また、この世のエリートや富裕層は死後、地獄に入って悪魔の下で苦しい生活を送ると述べている。当然、エリートや富裕層は心からイエス・キリストの教えを信じることはない。だが、非エリートの貧しい者にとっては、イエス・キリストの教えは、まさに福音(喜ばしい教え)なのです。

従って、真理を知るには、幼な子のような純粋な心でこの世と霊界を見るか、非エリートの貧しい者の気持ちでこの世と霊界を見なければ、この世と霊界を悟ることはできないのです。

なお、2020年の「死後の世界」に関する調査によれば、日本人の32.2%しか死後の世界は信じていない。もっともデータを詳細に確認すると、信じない人は34.7%でしかなく、「分からない」と答えた人が32.6%である。つまり、「死後の世界」を否定しない日本人は65.3%になり、アメリカ人とほぼ同じ割合になる。

ただし、日本人の信じる仏教や神道では、死後の世界は曖昧にされている。仏教や神道のエリート(僧侶や神主)は、宗教的知識を自分たちで占有し、一般人には教えない。その点、キリスト教の聖書は誰でも理解できる言葉で幅広く公開されている。だから、キリスト教徒の多いアメリカ人は死後の世界のイメージを持ちやすい。それでも、伝統的な霊性の強い日本人は、心のどこかであの世の存在を信じている。だから、日本では、霊性を売り物にする新興宗教の信者は多い。

さらに、日本人の中の悪魔に魂を売った人間は、イエス・キリストや聖母マリアの名前を使って、自分自身はキリスト教を認める人間であると演じながら、人々の心を悪魔(カネ)に近づけ、贅沢・物欲・虚名を求めさせる。そのために、霊界やUFO、現代物理学まで持ち出して、人々をオカルト的に洗脳する。彼らは、イエス・キリストや聖母マリアの名前を出しながら、イエス・キリストの教えや、聖母マリアの警告には触れない。まさに、狡猾な悪魔の技です。

イエス・キリストの教えや、聖母マリアの警告によれば、カネ(悪魔)を求めて堕落・腐敗した人間が増えすぎたために、神様は今世紀に人類を厳しい試練にあわせることにした、ということです。

2022年9月25日日曜日

結論は「安倍元首相の国葬はやむなし」・・・


安倍元首相の国葬が行われる。国民の60%近くが、国葬に納得していない。これは、異常な事態です。1週間前に行われたイギリスのエリザベス女王の国葬に反対するイギリス人は、ほとんどいなかった。

96歳の高齢で自然死したエリザベス女王の国葬には、バイデン米大統領、マクロン仏大統領なども参列し、日本の天皇も異例の参列をした。世界の元首、王族がロンドンに集まり、イギリス政府は1週間に渡って伝統的な様式で国葬を行い、テレビ中継は世界中に放映された。

しかし、67歳で宗教がらみのトラブルで射殺された安倍元首相の死には、さまざまな未解明な問題がある。ところが、日本政府はさっさと国葬を決定した。野党だけでなく、自民党支持者からも日本政府の対応には懸念が上がっている。

問題の宗教団体によれば、1990年代に1億円近い寄付をした信者であった母親の行為に怒った息子が、その団体と密接な関係にあると信じた安倍元首相に矛先を向けた理不尽なものだとされている。そして、最近はその宗教団体は、違法な寄付強要などはしていないと述べているが、まだ、多くの問題が解明されていない。例えば、安倍元首相と教団幹部との交流の内容はまだ謎のままです。それでも、各政党はこの宗教団体と政党所属の政治家の関係を明らかにしなければならなかった。今でも、新たな事実が明らかにされつつある。

安倍元首相国葬の問題点は、憲法や法律に国葬の規定がないことです。単に、内閣の決定で実施することに問題がある。第二に宗教的問題です。エリザベス女王の国葬は当然、キリスト教の形式で行われた。カトリックのローマ法王は、女王の国葬に参列しなかったが、英女王はイギリス公教会の長でもあり、当然、ロンドンの教会で葬儀が行われた。日本には国教はないし、仏教や神道、キリスト教は一般的に受け入れられており、公の葬儀は無宗教的に行われる。しかし、安倍元首相の国葬には天皇は出席しないとされている。神道に基づく天皇家の権威は国葬に及ばしてはならない、との憲法解釈があるのだろう。ただし、これが世界からの参列者にどう映るのかが懸念される。無宗教の人間は、一般的に、欧米では信用されない。宗教性を排することが、日本に対する尊敬を高めるとは言えない。しかし、日本には独自の霊性がある、ということを世界にアピールするチャンスとして国葬をとらえることはできる。

第三に、闇の勢力との問題です。岸田首相は、安倍元首相とつながった保守・右翼勢力を抑えるために先手を打って国葬を決めたとされている。安倍元首相の死を軽んじれば、保守・右翼勢力が岸田首相に反感を持ち、最悪の場合は、岸田首相にも殺し屋を送って来るかも知れないと危惧したのかも知れない。殺し屋でなくても、岸田打倒の動きが自民党内から出てくるかも知れない。それなら、国葬を強行する方がまだ安全だと言うことになる。岸田首相が、どれだけの危機感を抱いたかは分からないが、狂った闇の勢力がどんな行為に出るかも分からないと考えているはずです。そのような口実を与えないために、「安倍元首相の国葬はやむなし」と考えてもおかしくない。冗談のように聞こえるが、岸田首相の命の問題がかかっている。それほど危険な闇の勢力が日本にはあるということを、国民は忘れるべきではない。最高裁も冤罪を放置していることを忘れてはいけない、

第四に、国家の威信と言う問題がある。日本と言う国の事実上の元首である首相であった人間が、わけの分からない人間に銃殺された。これには、国家の威信をかけて毅然とした姿勢を示さなければならない。どこの国からも参列者がなくても、日本政府は暴力に対して反対の姿勢を見せなければならない。

第五に、天皇家の問題がある。各国から首脳を葬儀に招いていておきながら、天皇が葬儀に参加しないというのはおかしい。キリスト教形式のエリザベス女王の葬儀には参加しながら、日本の首相の葬儀に参加しないというのは納得できない。これでは、国民の象徴役とは言えない。国民は天皇の臣下、家来であるという明治憲法の思想がまだ残っている。臣下の葬儀に参列すれば、天皇の威信にかかわると考えている。これは、現憲法の精神に逆行する。しかし、天皇家神道は、今ではまともに信じる国民も少ない。天皇は、もはや、宗教的に意味を持っていない。天皇家の葬儀でなければ、天皇は、国葬に無関係だという姿勢を示しても、国民は無関心です。天皇家の歴史的権威による国民の洗脳が、強まることは懸念しなければならないが、元首相の国葬に天皇が関わらなければ問題はないと考えられる。むしろ、伝統的な天皇神道の観点から言えば、異教徒の外国の王族の葬儀に天皇が参加すること自体が、異常だと言うことになる。(戦前の国家神道体制では、日本の天皇がイギリスの教会で英女王の葬儀に参列するなどということは、許されないことだった。)しかし、現代の世界の常識では、日本の王族だと考えられている天皇がエリザベス女王の葬儀に参加するのは当然だとみなされる。(天皇神道は、もはや現代世界では通用しない。)それでも、天皇が自国の元首相の国葬に参加しないのは奇異な感じを与える。つまり、世界に日本の天皇家は普通の王家ではないことを知らしめる機会にもなる・・・(日本も早く大統領を導入すべき)。

以上を総合的に考えれば、結論は「安倍元首相の国葬はやむなし」ということになる。ただし、同盟国のアメリカはハリス副大統領を参列させるという。このアメリカの姿勢に全てが象徴されている。大統領が参列するほどのことはないが、その代理として副大統領は参列させる必要があるとの、アメリカの判断は納得できる。

安倍元首相の国葬より、岸田首相の安全、上皇や天皇の急死などの事態に備えるべきです。そして、違法な宗教活動への監視・警戒を高めるべきなのです。その姿勢を象徴するものとして、主権者の国民は安倍元首相の国葬を監視すべきです。


2022年9月22日木曜日

「悪」(インチキ宗教)と戦うのが信用できる宗教!!

 

「宗教は危険だ!」「宗教はサギ集団だ!」「宗教は犯罪者の巣窟だ!」という意見も多い。しかし、世の中は自体が危険であり、世の中にはサギ集団が多く、世の中に犯罪者の巣窟と言われる組織・団体も多い。「宗教」のみが悪ではない。むしろ、「この世は悪魔に支配されている世界だ」、と考えるのが正しい。この考えが、キリスト教、仏教などの基本になっている。つまり、「悪」と戦うのが信用できる宗教だということになるのです。

イエス・キリストは、「私を信じる者は、世の中で狼の集団の中を生きる子羊になる」と言われている。世の中は狼のような残忍、狡猾な悪人であふれており、イエス・キリストの信者はその中を生きる子羊のような存在である、という教えです。オオカミは、子羊を食い物にする。人(子羊)を不幸にして喜ぶ、悪質な宗教団体の幹部(狼)も多い。

ただし、狼のような人々に対しては、イエス・キリストは「逆らうな、賢く振る舞え、手向かうな」と注意しておられる。ただし、子羊の衣をかぶった狼もいる。子羊仲間だからと言って信用は出来ない。イエス・キリストも弟子の一人に裏切られて殺されている。神の子であるイエス・キリストを平気で殺すような、凶悪で狂った人間も多いのです。特に、外見で人を判断してはいけない。悪人は必ず、善人面して現れる。「親しい人間でも、3日ほど合わなければ、信用できない」という教えが日本のことわざにもある。要するに、無条件に善意の人間はいない。

しかし、神様を信じ、「隣人には親切にせよ」と、神様に命じられている信者は別です。自分の利益とは、「神様に認められる」ことである場合は、他人に害をなさない。ところが、「悪魔は人を洗脳し、自分を神だとしてあがめさせる」。悪魔はどこまでも、狡猾で危険です。本当の宗教人とは、悪魔と戦うことのできる人間です。悪魔の別名はカネです。つまり、真の宗教人とはカネと戦える人間です。カネと戦うと言うことは、貧乏生活を好むということです。イエス・キリストも仏陀も、一銭も持たなかったと言われている。神聖な乞食、聖なるホームレス、神を信じる貧乏人が、真の宗教人の条件なのです。

そして、「狼となった悪人を恐れてはならない」とイエス・キリストは述べておられる。なぜなら、悪人は最悪、人の命を取ることしかできない。ところが、殺されても人間は霊界で生き続ける。人間の霊は霊界で存続する。悪人・悪魔といえども、人間の魂まで抹消することはできない。善人・信者の魂は悪人に殺されても、霊界で幸福に生きることができる。

ところが、神様は人間の魂を消し去ることができる。悪霊も悪魔も神様によって滅ぼされる。地獄自体が、神様によって抹消されるのです。地獄に落とされた人間の魂も、最終的には消し去られる。これが、第二の死であり、本当の死なのです。イエス・キリストは、「肉体を殺すことができても、魂を殺すことのできない悪人や悪魔を恐れるな。むしろ、地獄で魂を抹消できる神様を恐れよ」と述べられている。

インチキ宗教団体は、悪を承知で違法な勧誘をしている。人を騙し、カネを奪うことに喜びを感じるトップの下に、カネで洗脳され、インチキな宗教活動や教義で洗脳された部下が、真面目に違法行為を行っている。自分たちの違法性を薄々感じても、経済的利益を優先してインチキ宗教に従事している。要するに、サギ会社と変わることのない悪事です。だから、まともな議論などは成り立たない。

イエス・キリストは、「いい人はいない。いいのは神様だけだ」と言っている。仏陀も「誰も信用するな。自分だけを信じろ」と言っている。だから、聖書や仏典を自分で読むのが正しい宗教活動だということになる。せめて、2000年の歴史があるキリスト教や仏教、儒教を学ぶことです。宗教に入れば、救われると考えるのは甘い。天使や菩薩が宗教の勧誘をするわけがない。悪魔の手先がするのが、宗教の勧誘です。

そもそも、カネ(悪魔)を捨てないで、神様に助けを求めるのが甘い。どんな修行より効果があるのは、カネ(悪魔)を捨てて、神様に祈ることです。従って、豊かな生活を楽しむキリスト教の牧師や神父、仏教の僧侶、和尚ですら信用できない。どんなに、有名であっても。ましてや、新宗教の会員など信用できるわけがない。また、皇室神道は税金で守られているので勧誘などしない。

宗教団体に入らないで一人で祈る人間は、必ず神様の憐れみを得る。悪魔が支配する宗教団体ほど危険なものはないのです・・・

2022年9月18日日曜日

非常に大事なことなので、何度でも書く・・・神様の裁きが行われるのは、21世紀!

 

非常に大事なことなので、何度でも書く。「死後の世界は存在する!」

従って、死を恐れることはない。「この世の死後に、人間は死の世界に入って、そこで生き続ける。」これが、日本だけでなく、世界の各民族の伝統的な宗教観です。だから、どの民族でも本来は霊界にいる先祖を敬い、この世と霊界の主である神を恐れる。

しかし、物質文明の発展によって、物質的な欲望が心を支配し、霊的関心が薄れ、自然の霊性・霊感ではなく、わざわざ宗教に頼ざるを得なくなった。そして、人間の物欲が悪魔を呼び寄せ、悪魔がこの世を支配するようになった。その悪魔から人間を解放しようとするのが、キリスト教や仏教など伝統的な宗教です。

実際、善人ばかりの世の中なら、皆、死後の世界を信じて、この世でも互いを苦しめ合うこともなく、愛と平和に自然に生きて、生・病・老・死の苦しみもなく幸福に生きることができる。しかし、他人を犠牲にしてでも物質的な幸福を得るために、悪魔に魂を売る人間が続出し、この世は苦に満ち、人々は魂の平和を得るために宗教にすがるようになた、

ところが、悪魔は宗教の中にも入り込み、人々は宗教業をカネ儲けの手段と考えるようになった。今、寄付、お布施、会費などを集めない宗教団体はない。信徒や会員より貧しい生活をしている教祖、会長はいない。宗教団体の幹部ほど腐敗、堕落した人間はいない。しかし、悪魔に洗脳された人間は、そのような宗教団体の幹部を持ち上げ、「悪魔を神様だとみなして、実質的に悪魔崇拝を行っている」。これが、多くの宗教団体の実情です。25年前のオウム真理教事件や、今年(2022年)の安倍元首相銃殺事件は、このような環境の中で生じたのです。事件の関係者の背後には悪魔がいるのです。

この世の物質文明がもたらした人間の物欲から生まれた悪魔の支配の下で、多くの人間が生きているが、霊界は神様の支配下にある。悪魔は神様に勝てず、霊界を支配することもできないが、霊界に地獄を生み出し、出来るだけ多くの人間を地獄に引き込もうとしている。しかし、余りに多くの人間が地獄に落ちるのを悲しんだ聖母マリアが、わざわざ人間界に現れて警告を発するようになった。「このまま、人間が悪魔に魂を売り続けるなら神様は人間を亡ぼされる」というのが19世紀以来の聖母マリアの警告です。そのために、聖母マリアはルルド、ラサレット、ファティマ、ガラバンダル、秋田、メジュゴリエなどに出現されたのです。そして、その神様の裁きが行われるのが、21世紀だというのが聖母マリアの警告、信頼できる現代の霊能者たちの予言、過去の著名な予言者・霊能者の言葉なのです。「21世紀には、人類の物質文明が崩壊の危機に曝される」というのが、信頼できる予言なのです。

ただし、一人ひとりの人間にとっては、人類の文明の崩壊よりも自分の死が重要になる。ところが、18世紀の大霊能者のスウェーデンボルグによれば、すでに18世紀には霊界で最後の審判が行われており、その影響はこの世の人間界に2~3世紀遅れて現れるという。今、世界の危機の最中に一人の人間が死んで霊界に入っても、臨死体験者が見るような善人/悪人の区別に無関係なお花畑のような霊界の入り口を通り過ぎると、神様の裁きが行われた霊界、即ち、天国と地獄が明確に分離された霊界の真相に直面し、天国に入る者と、地獄に落ちる者が分離されるのです・・・

要するに、自分さえこの世で幸福になればよいと思っても、死んで霊界に行けば地獄に行くしかなくなる。それでも、霊界を信じなければこの世だけに執着し、悪魔に魂を売ってでもこの世で幸福になろうとする。こういう人間ばかりになれば、この世は地獄になる。それが、悪魔の狙いなのです。

神様が貧しさを愛し、貧乏人を愛することを知って、この世で貧しい暮らしをした者は、死んで霊界の天国で幸福になる。これが、イエス・キリストの真の教えなのです。

つまり、神や仏を本当に信じているか否かは、外見からは判断できないが、貧富の違いは誰にでも分かる。そして、死後、霊界で天国に入れるのは、まず貧しい者です。どんなに、エリート、富裕層、有名人となっても死後は天国には入れないのです。テレビやネットで取り上げられる人間は、ほとんど地獄落ちです。

しかし、悪魔に洗脳された人間は、富をベースとする物質的な幸福を求める。そのような人間ばかりになれば、もはや、神様は人間を見捨てる。それが、最後の審判であり、霊界では既にこれは行われている。死後、霊界で地獄に落ちるような人間ばかりの文明は、神様によって滅ぼされる。これが、21世紀に生じる人類の悲劇です。

この悲劇を回避するには、誰もが貧しさをめざす生き方をすることです。そうすれば、死後は天国に入れるし、神様も人類を絶滅させないだろうと想われる・・・


2022年9月17日土曜日

霊性の復活が、世界を救う! イエス・キリストの再臨を待とう!

 

医者は死を嫌う。死は医学の敗北を意味する。まして、死後の世界などは相手にしない。人々の死の恐怖の上に、医業は成り立っている。しかし、これは根本的に間違っている。

死後の世界は存在するし、現代医学は生命の本質を理解していない。それに、AIが進めば、病人の診断はAIが正確に行うようになり。医師の誤診やミスはなくなり、医者は不要になる・・・。

AIが豊富な症例のデータベースに基づいて、適切な医薬を選び、治療の指示を出してくれる。病院の職員はその指示に従うだけでよいことになる。AIが進めば、医師と弁護士は失業者の仲間に入る・・・・

そもそも、死後の世界が存在し、人間の肉体が亡んでも、魂は霊界で生き続けることを誰もが理解すれば、病や死にたいする恐れもなくなる。(ただし、自殺は神様によって禁じられている。自殺は「自分に対する殺人」であり、神様の教えに反する。自殺者の周辺には人を自殺に追い込む「隠れた犯人」がいる。)

社会全体が死後の世界を確信すれば、個人の人生観や世界観も変わり、世の中の仕組み自体が変わる。悪事を働いてこの世で幸福になるより、この世の苦しい人生を早く去って、苦しみのない霊界で生きたいと思う人間が増える。カネや富、この世の幸福を求めてあくせくするのは馬鹿らしくなる。他人を出し抜いてでも、成功し、自分の利益を図ろうと言う心はなくなる。(ただし、何度も言うが自殺は神様によって禁じられている。そもそも、自殺は周辺の「隠れた犯人」による自殺誘導の結果です。)

そして、このことこそ、まさにイエス・キリストが述べたことなのです。「天国は存在する。あなたたちが天国に入れるように私は準備しておく」という意味のことをイエス・キリストは語っている。

天国で神様の力によって得られる永遠の幸福と、この世で富の力で得られるはかない幸福は比較にならない。天国ではこの世のホームレスが、この世で皇族や王族が得られる以上の豊かな生活をすることができる。だから、「この世で貧しく、天国では豊かに」というのが、本来のキリスト教の教えなのです。

人々が死を恐れなくなり、この世で富を求めなくなると、失業するのは医者や弁護士だけではない。宗教家や政治家も不要になる。そして、人間社会を支配する悪魔も失業状態になる。

太古の人は(銅鐸文化の縄文時代の人など)、現代人よりはるかに霊性が進んでいたと思わる。死後の世界も素朴に信じていたのだろう。物質文明が発達し、物質的な富の魅力に取りつかれてから、人間の霊性に曇りが出て来たと考えられる(銅鏡文化の弥生時代以降)。そして、物質的な幸福を得るためには、カネが必要になり、カネを得るためには、悪魔に魂を売ってさまざまな悪を行うようになった。これが、人類の歴史の原動力になった。個人の欲望が国家の野望につながり、腐敗・堕落した国同士が戦うようになった。そして、そのような世界の頂点に悪魔が存在しており、人々は悪魔を神様だと取り違えて、事実上、悪魔を崇拝している。これが、世の中の実相です。

ただし、霊的な能力のある人間が、人々の病を癒し、心の重荷を取り除くことは、今でも稀に見られる。太古には(数万年前)、それが普通のことだったと思われる。そういう意味で、イエス・キリストは人類史における最後の万能の霊能力者だったと言える。

霊性について、日本の戦後の著名な研究者である塩谷信男(1902-2008)政木和三(1916-2002)は、共に晩年になってもゴルフで優秀な記録を打ち立てたが、健康維持のために、また、霊能力の発揮のために、特別な呼吸法を勧めている。深呼吸をゆっくりと行うことが基本であり。これはヨガの修行法にも通じ、コロナ・ウイルスなどにも免疫を高める効果があると思われる。

太古には、人類は清浄な空気を思い切り吸って健康を維持していたと考えられる。だから、今まで人類は絶滅することなく生存して来たのです。万病に効く最大の栄養素は「酸素」なのです。

物質文明の発達と共に、空気は汚染され、自然は病み、人間もおかしくなった。CO2による温暖化だけが問題ではない。発電・エンジン・化学製品の材料として石油・石炭・天然ガスを多用し、その消費を基礎とする現代物質文明は、人間の霊性を曇らせ、この世とあの世の関係も曖昧にして、人間を物欲の奴隷、つまり悪魔の奴隷としている。これが、塩谷や政木の警告の本質です。

今世紀中には、物質文明が行き詰り、大きな悲劇が人類を襲うと塩谷も政木も予告している。しかし、その悲劇を通り越せば、何世紀か後には人類は再び霊的な文明を持って立ち上がるだろうと予言されている。

ただし、聖母マリアの予言はもっと厳しい。人類は絶滅の危機に曝され、神様のご慈悲がなければ、22世紀はないとされている。だから、イエス・キリストの再臨が待たれるのです・・・



2022年9月15日木曜日

「人間は、なぜこの世で苦しむのか」に対する単純な解答!



「人間は、なぜこの世で苦しむのか」、という問題には、長い人類の歴史にわたって多くの人々が取り組んできた。そして、宗教活動が始まり、修行に入る者が現れ、神学や哲学などが研究された。しかし、世の中は変わらない・・・。むしろ、「この世は悪魔が支配しているので、人間が苦しむのは当然だ」と考えるのが正しい。

この世が天国であり、誰もが神様に愛されているのなら、苦しむはずはない。従って、この世は天国ではないし、誰もが神様に愛されているわけではない。しかし、現実にはカネがあれば、物質的に豊かな生活が送れ、苦しみの少ない生活ができると誰もが考える。

そこで、誰もがカネを求め、富を求め、そのために高い地位や、高い能力を得ようとする。結果として、貧者、弱者、無能力者を差別し、不合格とし、排斥する。そして、この世を地獄に近づける。つまり、誰もが苦しみの無い人生を求めて、その結果、この世を地獄に近づけるような生き方をする。その結果、ますます人は苦しむようになる。そこで、人々はもっと多くのカネ、富、地位、能力を求める。その結果、ますます世の中は地獄の度合いを深める。

特に、誰もが自分の利益を妨げる相手を憎むようになる。誰もが、この世の競争相手は愛さない。世の中は、自分の幸福を求める人が互いに、カネと富を奪い合う場になり、どこまでも互いの憎しみは増大する。これが、世の中の真実だということになる。つまり、人間がこの世で苦しむのは、互いに苦しめ合うという状況が存在し、そのような社会的な力が働いているからです。

ただし、表面的にはそのような憎しみは隠され、互いに他人に対する悪意は隠され、社会的なルールが作られて表面的には善人が称賛されるような雰囲気を作っているが、一皮むけば、冷酷な競争と傷つけあいの社会なのです。そのような互いの敵意を野放しにすれば、社会自体が成立せず、共通の利益が損なわれる。だから、そのような互いの敵意は隠され、世の中の競争も一定のルールの下におかれる。それでも、その本質は、他人を犠牲にしてでも、利己的な利益の追求するという世界なのです。これを、受け入れて適応する人間が、一人前の社会人だとされている。ただし、社会のルールや許容範囲の中であれば、「自分の夢を求めるのは当然だ」とされている(このこと自体が悪魔の囁きです)。勿論、このような社会的な建前では、人々の本音は解決されない。だから、さまざまな事件が起きる。

それに気づかない人は、見えない敵に苦しめられ、追い詰められ、あるいは、自分を責めるように仕向けられて破滅(自殺)させられる。これが、世の中の実態です。これを、見破ることを「悟り」だと称する人も多い。悟れば、自分の苦しみから解放されると信じる者も多い。このような人は仏教の教えに救いを求める。「所詮、人生では苦しみから逃れることはできない。せめて、自分の欲望を捨てて、競争と憎しみの世界から身を引くことだ」、との教えは、それなりに多くの人を納得させてきた。しかし、仏教も組織化され、教団組織が成立すれば、仏教世界でもこの世の悪の力が働くようになり、その教えは形骸化する。僧侶も名誉と富を求め、教義を手段に自分の幸福を求める。実際、今の世で、名僧、高僧と認められる人間で、ホームレスのような生活をする人間はいない。

他の宗教組織でも同様であり、特に新宗教では、宗教はカネ儲けの手段とされて、資産の豊富な宗教団体ほど信用され、尊敬されるという狂った状況が見られる。

つまり、「人間は、なぜこの世で苦しむのか」、という問題に対する答えは、「カネがないからだ」という悪魔の教えが、社会一般から宗教団体にまで及んでいる。

そして、それに対する解答は2千年前にイエス・キリストが与えている。「神様は金持ちを愛さない。神様は貧乏人を愛する」ということです。つまり、「金持ちは、死後、地獄に落ちるが、貧乏人は天国に受け入れられる」ということです。

言い換えれば、「悪魔に支配されたこの世では、問題は解決しない」が、「死後、霊界に入れば、この世で貧しい生活を送った人間は、天国に受け入れられて幸福に生きる」というのが、答えになる。この教えを信じれば、もはや、この世では苦しむことはなくなる、というのが本当のキリストの教えなのです。

難解な仏教の理論や、厳しい修行をすることはない。「悪魔に支配されたこの世では、問題は解決しないが、あの世では貧乏人は救われる」という単純な教えが解答なのです。

2022年9月11日日曜日

エリザベス2世の死の警告・・・


エリザベス英女王が逝去した。96歳で、老衰で平和に亡くなったとされている。彼女の母は101歳まで生きたので、もう少し頑張ってほしかった気もする・・・

2022年は、コロナのパンデミックの継続、ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相の射殺に続いて、70年間在位にあったエリザベス女王の逝去など不吉な出来事が重なった。第三次世界大戦の前夜のような趣がある。(第三次世界大戦は、2030年前後に事実上、始まると考えられる。)

英国は、日本にとってアメリカに次ぐ重要な位置を占める。日本史の転換点になった日露戦争(1904~1905)に日本が勝利したのも、当時の日英関係が良好だったからです。その上でアメリカの好意によって日本はギリギリの勝利を得た。しかし、辛勝だったことを理解しない国民は、その後も軍国主義を容認するようになり、米英を敵にまわして狂気の第二次世界大戦に突入し、300万名の国民が戦死し、東京や広島は焼け野原となって1945年の8月に連合国に降伏し、樺太・千島・台湾・南太平洋諸島などを失った。しかし、アメリカのキリスト教的民主主義に基づく現憲法を採用し、戦後は平和の経済大国として、繁栄を達成した。現在でも、米英との協調主義が日本の国是となっている。憲法以上の国策だと言っていい。

そのイギリスの第二次大戦後から今日まで、国家元首として英国に君臨したエリザベス2世の逝去は、1つの時代の終わりを象徴する。

日本では、昭和天皇が第二次世界大戦後から1980年代の末まで事実上の国家元首として在位し、日本はその間、世界第二位の経済大国となったが、その後は民主的天皇(象徴)が続き、平成から令和と日本の繁栄も陰りを見せている。エリザベス女王は、30年前に逝去した昭和天皇の時代に属する最後の国家元首だったと言える。今日では、アメリカでは既に黒人大統領も実現し、例外的な白人優先のトランプの時代も終わっており、日本では昭和天皇の孫の令和の天皇の時代になっている。もはや、第二次世界大戦後の時代ではなく、第三次世界大戦の前夜だということになる。しかし、日本のいわゆる「平和ボケ」ははなはだしく、安倍元首相すら満足に警護できない有り様です。一人の元首相すら守れない政府が、国民を守れるわけがない・・・

安倍元首相の国葬の前に、エリザベス女王の国葬が行われる。バイデン大統領は日本には来ないが、イギリスの国葬には参列する意向だ。世界は、それを当然視している。

新たな英国王チャールズ3世は、ダイアナ妃との離婚、彼女のパリでの事故死、再婚などで不吉な影が漂う。その他、彼の弟にも問題児が多いし、彼の息子の一人は妻の人種問題などで英王室を離脱している。この民主主義の時代に、18世紀にドイツからイギリスに移ったハノーヴァ朝に遡るウインザー朝の現英国王室を国家元首の一家として崇める英国民は時代遅れだとも言える。(ただし、日本では縄文人の直系でもない、出自の不明な皇室を1500年にもわたってかついでいる。300万人戦死の第二次世界大戦後も・・・)

聖母マリアが警告する21世紀の大悲劇(第三次世界大戦、異常気象など)の後には、世界中から独裁国家や、歴史的遺物の王国主義などは消え去ると思われる。22世紀には、キリストの教えに基づく、自然尊重の霊的な世界統一国家が出現すると思われる。その新時代の前の大悲劇の前の、その前兆の時代の始まりを告げるのがエリザベス2世の逝去だと考えられる。しかし、第二次世界大戦の戦後が、終わったことには間違いない・・・(エリザベス2世は、第二次世界大戦の戦後の世界を象徴していたという意味で。)

ただし、エリザベス2世の死は、安倍元首相の国葬を、無反省に実施しようとする日本への警告だとも考えられる・・・(岸田首相のみが悪いわけではないが・・・)


2022年9月8日木曜日

「世の終わりには、にせキリストが現れる」

 

聖書のよく知られた予言に、「世の終わりには、にせキリストが現れる」という言葉がある。

「にせキリスト」とは、一見、キリストのような言動を行いながら、人々の正しい信仰心を破壊し、人々の魂を地獄に引き込む存在です。しかし、実際は悪魔の手先であるにもかかわらず、さまざまな奇跡などを起こし、人々に巧妙に近づき、一見、キリストのような言葉を発しながら、いつのまにか人々から正しい信仰心を奪うような存在です。

「にせキリスト」は、宗教に関わる問題ですが、政治的な「にせキリスト」も存在する。例えば、アメリカのトランプ前大統領は、「アメリカ・ファースト」と叫んで、多くの保守的なアメリカ市民の支持を得たが、2020年の再選がかかった大統領選挙では、「選挙が民主党に奪われた(不正開票)」と主張して自分の敗戦を認めず、支持者に米議会を襲撃させた。暴徒に米議会を襲撃させるなどは、滅茶苦茶な行為で、今でもFBIが調査をしている。しかし、2024年には、再び大統領選挙に出馬する構えも見せている。

民主党の黒人のオバマ大統領のあと、停滞していた白人保守層を活気づけて、大方の予測に反して2016年に当選したトランプは、アメリカの白人保守層にとっては「キリスト」のような存在だった。しかし、アメリカ民主主義の根幹の米議会を、選挙に負けた腹いせに支持者に襲撃させるなどという、民主義に対する狂った破壊を行った。これでは、政治的な「にせキリスト」と言われても仕方がない。2024年のアメリカ大統領選挙は、この意味でも注目される。アメリカの政治的な健全性がかかっている。

日本では、安倍元首相が華々しい表の政治的成功の陰で、祖父の故岸元首相の時代から関係のある政治団体と、不透明なつながりがあったことが問題です。怪しげな寄付金集めを行う宗教団体と安倍元首相の本当の関係は、新聞もテレビもNHKも追求しない。表に出せば、国民の怒りを買うような内容なのかもしれない。日本の政界のキリストのような存在だと、安倍元首相を持ち上げるメディア/ネット関係者もいるが、その宗教団体との関係によっては、政治的な思想・意図が問われることになり、一見華々しい業績も見直されることになるかも知れない。表の成功した政治家の顔、裏の怪しい宗教団体とつながった不気味な顔、そして、アベノミクスが実際には日本の経済・社会状況の改善にそれほど効果がなかったこと、などを考えると安倍元首相も日本の政治的な「にせキリスト」と言われても仕方がないかも知れない。

しかし、宗教的な「にせキリスト」は、もっと恐ろしい。彼は一見、イエス・キリストを尊敬し、聖母マリアに感謝する人間のように現れる。しかし、彼はキリスト教の教えを語ることもなく、聖母マリアの警告を伝えることもない。神父や牧師ならぜいたくな生活を見せつけ、美食や美酒の摂取を誇り、若者に受ける人気取りの言動に走り、オカルト的な話題、荒唐無稽なSFや霊界の物語を語ったりはしないが、「にせキリスト」は物欲を発散させ、この世のエリートとの交際を誇り、それとなく、イエス・キリストの教えを無視し、聖母マリアを軽んじる。一見、キリスト教を尊重しながら、人々をオカルト的な世界や、もっともらしい陰謀論に引き込んで、真面目にイエス・キリストの教えを研究し、聖母マリアが発する深刻な警告から人々の眼をそらさせるのです。

そして、にせキリスト自身が「偽キリストはバチカンに現れる」と予言して、カトリック教会の威信を傷つける。人々は、しだいにキリスト教会を信じなくなる。そして、霊的な混乱をもたらし、オカルトの洗脳を行う。その結果、人々は真面目なキリスト教徒や聖職者から遠ざける。

キリスト教は、あくまで、貧者や弱者への愛を基本とするものですが、「にせキリスト」は、決して貧者や弱者への愛を説くことはない。むしろ、最初は自分は神様やマリア様に助けられて成功したと得意気に自分の人生を語り、だから、自分はイエス・キリストや聖母マリアを尊敬するまともな人間であると印象付けるが、いつのまにか自分も神の一人であるかのように振る舞う。そして、実際は、全ては自分の霊能力のおかげだったと主張する。

オウム真理教のような怪しげな新宗教も、最初のうちはイエス・キリストの名前や教えを利用しようとする。同様に、「にせキリスト」は、イエス・キリストや聖母マリアを尊敬すると言いながら、おかしな宗教観を吹き込み、人々に正しいキリスト教の信仰を軽んじさせ、最終的には、イエス・キリストや聖母マリアを「悪魔の化身」だと言って、イエス・キリストや聖母マリアを攻撃させると思われる。まさに、悪魔のやり方です。要するに、最後は「イエス・キリストや聖母マリア、キリスト教の神自体が悪魔だった」という狂った考えを人々に吹き込むのが目的であり、まさに、悪魔の手の込んだ悪知恵なのです。

特に、日本の神話の世界につながる神道や、教派が乱立する仏教にも入り込んで、神道と繋がる皇室や仏教界と関係のあるエリート層にまで悪影響を及ぼし、日本の社会やその歴史観に混乱を引き起こす可能性もある。「にせキリスト」の問題は、キリスト教界だけの問題ではない。

いずれにしても、霊的な問題を扱って人気者になろうとする人間には要注意です。政治でも宗教でも、人気者には要注意・・・


2022年9月7日水曜日

霊的な宗教とは・・・

 

故安倍元首相のような政治家も、宗教にすがる。それほど、この世には偶然の出来事、不確実性の大きい出来事、人智を超えた事件も多い。カネ持ち程、心配の種は多い。問題は、その宗教の内容と、本人の信仰心の問題です。

日本人は、国際的には、無宗教であると分類され、そのように自己申告することも多いが、何らかの信仰心を持たない日本人はほとんどいない。神仏や霊の存在を信じる日本人は多い。新宗教にかかわる人間も入れれば、何らかの宗教各派に属すると言われる日本人は、日本人の総人口を超える。日本は、多神教の国と言うよりは、他信仰の国だと言うことになる。神仏など、霊的威力のある神格、諸仏、諸聖人、諸霊は拝んでおいて損はない、という心境の日本人は多い。だから、怪しげな新宗教が後を絶たない・・・

しかし、世界は、つまり、人類の主流は一神教的信仰が主流です。キリスト教も信じ、仏教も神道も信じるという人間は、信用されない。ところが、心霊主義、スピリチュアルな宗教観からすれば、全ての宗教を尊重しなければならなくなり、この世の宗教のレベルでは、どんな宗教を選んでも問題はなく、ただ、霊界の支配者である神様の存在を認めることだけが問題となる。イエス・キリストや仏陀、天照大神の霊の上に、霊界と人間界の創造者である唯一の絶対神を認めることが重要であるということになる。

そもそも宗教や信仰の根本は、自分自身が存在する、生きているという事実が基本になる。自分が存在しなければ、宗教も信仰も意味がない。自分が精神的に救われ、この世で幸福になるという願いがなければ、宗教も信仰も意味がない。つまり、宗教も信仰も自分が存在するという事実が基本となっている。ただし、「自分は存在しないし、神も仏も存在しない」と考える狂った人間もいるかも知れないが、世界の存在と自分の心の存在は否定できない。つまり、世界の存在と自分の存在を認めることから宗教や信仰は始まる

そして、全ての存在するものの根源として、神様を考えるのが正しいということになる。人間と大宇宙とこの世と、霊界を作ったのは唯一の絶対神であると考えるのが正しい。この万物の創造者の唯一の絶対神の下に、さまざまな霊が存在し、そして、物質界と人間界が存在し、一人の人間である自分が存在すると考えるべきなのです。これが、心霊主義、スピリチュアルな宗教観の到達点です。

そして、心霊主義、スピリチュアルな宗教観によれば、人間の魂は、その肉体の死後も存在し、死後は霊界で魂は生きる。ただし、霊界に天国と地獄を認めるか否かが、その宗教性に決定的な影響を与える。臨死体験などを経験し、霊界の存在を信じた人でも、さまざまな霊的な奇跡を体験した人でも、霊界は素晴らしい所だとは認めても、悪魔や地獄の存在は認めないことが多い。しかし、霊界の本質は天国と地獄の存在、天使と悪魔の存在にあるのです。それを認めるのが本当の霊的な宗教になるのです。この世の善悪の問題は、あの世の天国と地獄の存在につながっているのです。

つまり、霊的な宗教とは、「死後の世界の存在を信じ、この世の善悪が霊界の天国と地獄につながり、天使も悪魔も存在し、物質界や霊界に存在する全てのものの上に唯一の絶対神が存在する」という信念に上に打ち建てられるものなのです。

従って、宗教団体への寄付や謝礼などは、真の宗教とは関係がないということです。むしろ、宗教団体は貧しい人に経済的援助をするのが正しいのです。ましてや、政治家が宗教団体の支援をあてにするのは邪道だということになります・・・

2022年9月5日月曜日

死後の世界と宗教 - 正しい宗教とは?

 

日本人の宗教観は、他の国の人の宗教観とは少し異なる。日本の風土に基づく霊的な存在を信じると言うのが本質であり、神道も仏教も霊的な意味で受け入れている。宗教の教義に洗脳されているわけではない。要するに、神でも仏でも霊的な支配者に対する畏怖の念です。キリスト教会に属していなくても、イエス・キリストを霊的な偉人だとしてを敬う人間は多い。しかし、積極的に1つの宗教に係わる場合は、外国人との間でにそんなに違いはない。要するに、他の宗教に寛容性がなくなり、排他的になる。逆に日本人で無宗教だとされる人間にも、霊的な威力のあるものは、何でも尊重するという姿勢が見られることも多い。だから、神社・仏閣・キリスト教会を平気で受け入れる。

「現在、世界最大の宗教勢力はキリスト教である。世界の総人口73億人のうち23億人(人口比で32%)をキリスト教徒が占めている。次いでイスラム教徒が18億人(25%)、ヒンズー教徒が11億人(15%)、仏教徒が5億人(7%)、民族信仰が4億人(5%)だ。日本の神道は国際的な分類では、「民族信仰」のカテゴリに入る。ちなみに、無宗教は12億人(16%)である。」(https://president.jp/articles/-/52070?page=1)

西洋先進国の欧米では、キリスト教がベースであり、中東・アラブ系の国ではイスラム教が主流であり、南アジアと日本、韓国、台湾では仏教の影響が多い。現代文明は、欧米の文化が主流であり、従って、キリスト教を基礎とする文明だということになる。

中国は、儒教、道教、仏教の伝統の上に、ユダヤ教から派生したマルクス主義の影響を受けている。中国人は共産主義のイデオロギーを信じていないが、それに基づいた独裁制にメリットを見出している。第二次大戦後に、共産党が中国を統一したという事実が、全てに優先している。中国共産党は死後の世界まで支配していないので、中国人は勝手に道教などを敬っている。

無宗教だが、死後の魂(心)の存在を信じると言う人は少ない。死ねば、自分の心も消えて、全てはゼロになると考えるのは、大変な恐怖感を生む。だから、死後の世界を信じないという人間は死のことは考えない。死を考えないのなら、宗教も必要ない。

しかし、死後の魂(心)の存在を信じない人間ばかりになれば、社会の秩序や統制が取れなくなる。どうせ死ねば、何も残らないと考えた人間は、善悪の判断もせずに、手段を選ばず利己的な利益を追求する。善の尊重がなければ、社会は不安定化する。家庭自体が成立しない。そのような非文化的な悲劇を避けるために、社会では宗教が必要とされてきた。動物でも本能的に自分の限界を知って、怖れるべきものは恐れる。宗教が神々や仏の存在を人々に教えることで、人間も自己を超えた存在を知り、社会に秩序と安定がもたらされる。善と愛の究極の発生源は、神や仏だということで、社会も家庭も成立する。

このように、死後の世界を知って個人が死の恐怖から免れるため、社会の平和のため、そして、善悪の道徳の基盤を得るために、宗教は人類に必要とされてきた。ただし、歴史的、文化的な違いからさまざまな宗教が生み出されることになった。そして、宗教としての共通点は、死後の世界の信仰と善悪(天国と地獄)の判断の基盤、社会の安定という役割に見いだされる。問題は、宗教に悪魔が影響を及ぼして来た、ということです。

まず、悪魔は人間に死後の世界の存在を否定させる、死後の世界を信じた者には善悪と死後の世界(天国と地獄)は関係ないと信じさせる、死後の世界と善悪の関係を知った者には、それでも、彼らの欲望を満たすために、神の教えや宗教の愛と善の教えに背を向けさせる。そして、この世で物質的に豊かな生活を目指すようにさせ、死後は神の光に背を向けて地獄を選ぶようにさせる。

多くの人が、この世でもあの世でも悪魔に魂を売れば、豊かな生活ができるものと信じるようになる。これが、悪魔による洗脳です。「死後のことは分からない、だが、この世は確実に存在する。だから、まず悪魔に魂を売ってこの世で幸福になり、死後のことは、霊界に入ってから考えよう」という人間も多い。しかし、この考え自体が悪魔の洗脳の影響です。

このような宗教的混乱から救われるには、「死後の世界は存在し、天国と地獄も存在する」ことを社会の常識、全ての宗教の共通の基盤として受け入れることです。この単純な教えの他は、霊界に入ってから解決問題として、さまざまな宗教を受け入れることです。

無宗教であっても、「死後の世界は存在すること、天国(善人の霊界)と地獄(悪人の霊界)も存在すること、この世と霊界の創造者(神)が存在する」ことを認めるだけでよいのです。これが、「唯一の絶対の神」への信仰となれば、それは正しい宗教なのです・・・


2022年9月1日木曜日

「肉体の死後も人間の意識/精神は存続する」という教えの下に、新文明を築くべき・・・

 

聖書のよく知られた言葉に、「たとえ私が死の影の谷を歩もうとも、災いを恐れない。あなたが私と共にいるから」という表現がある。信仰によって、死の恐怖を超えられることを意味している。

イエス・キリストの教えは、当然、死後の世界の存在を前提としている。キリスト教徒とは、死後の世界を信じる人たちでもある。この世の幸福よりも、死後の幸福を求めるのがキリスト教徒だということになる。ただし、牧師/神父の中には、死後の世界を信じていない人もいる。驚くべきことだが、キリスト教は単なる道徳だと思っている牧師/神父もいる。

他方、日本の今日の仏教の僧侶は、必ずしも死後の世界を信じていない。各宗派に対するアンケートで、死後の霊魂を信じると答えた僧侶の割合は日蓮宗80%、真言宗75%、浄土宗62%、曹洞宗52%、浄土真宗8%(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%AD%82)。これは、葬式産業と化した日本仏教の現状を示している。俗世間的なご利益と結びついた仏教系、神道系の宗教は霊魂不滅という全ての宗教の大前提すら曖昧にしている。

実際、今の日本の学校で「人の魂は死後も存続する」と教えることはない。学校で、「人の意識は死後も存在する」と教えることはない。だから、大部分の人間は「死の恐怖」の下に生きている。他方、心霊主義を基本とする新宗教やカルト宗教に走る人間もいる。社会自体が、死の恐怖と死のオカルト化/アングラ化/曖昧化によって成り立っている。

この状態を180度変換し、学校で「人の魂は死後も存続する」、「人の意識は死後も存在する」、「肉体の死後も人間の意識/精神は存続する」と教え、この世での生活、幸福、欲望にこだわらなくさせることが必要です。これが、本来のキリスト教の教えでもあります。

ただし、死後は誰でも霊界で幸福に生きれるわけではない。この世で善人として生きた者は天国で幸福に生きれるが、この世で悪を行った者は、天国の光と愛を嫌って地獄に落ちる、というのが全ての宗教の共通した教えです。

さらに、善人はこの世で貧しい生活を強いられ、正義を求めるので迫害され、信仰心を煙たがられるが、忍耐すれば、死後は天国で報われる、というのがイエス・キリストの教えなのです。そのような「善人を攻撃する悪人は、悪魔の教えに従っている」、というのが神学なのです。

むしろ、社会全体が悪魔化していると言うべきでしょう。死後の世界を信じなければ、この世の幸福にこだわる。この世で幸福を得るにはカネが必要だ、だから、悪魔に魂を売ってでもカネと富を得るべきだと考える。或いは、死後の世界を信じても、霊界でもこの世と同じように、悪を受け入れてうまくやれば幸福になれると考える。そのような狂った考えを悪魔は人間に吹き込む。神の教える愛を嫌う人間は、この世でも、霊界でも神様から遠ざかり、最後には地獄の闇に入り込む。そして、地獄で悪魔の支配下に入る。しかし、神様は悪魔も地獄も、地獄の住民も最終的には抹殺される。それが、本当の死なのです。

これが、古代ギリシアのプラトン/ソクラテスからイエス・キリストの教えに至る人類の思想と宗教の中心なのです。

この世の善人、信仰者、貧乏人、不幸な人、正義の人は、死を恐れる必要はない。死後、天国に入れるからです。しかし、この世のエリート、富裕層、成功者、幸福な人は、死後、地獄に落ちで悪魔と共に滅ぼされる。むしろ、悪魔は人々に死を恐れさせようとする。人々が死を恐れて、この世での幸福を絶対視させ、幸福を得るために悪を受け入れさせようとする。そして、死後の真実を伝える人間を、悪魔は悪人を使って迫害させようとする。これが、悪魔がイエス・キリストを十字架につけて殺した理由なのです。しかし、イエス・キリストの教えを信じた多くの貧しい人たちが、2千年間伝えてきたのがキリスト教なのです。

それでも、悪魔に支配された現代社会では、多くの人が死後、地獄に落ちる。余りに多くの人が地獄に落ちるので、神様が人間を救わなくなり、人間界を滅びるのに任せようとする。これが、今世紀中に想定される人類の危機なのです。

しかし、人間が正しい死生観を持ち、神様の教えに立ち返れば、神様は人類を絶滅から救って下さると思われる。ただし、今後300年に渡って人類の人口は10分の1にまで減るかもしれない。その後、新たに霊的な文明を築いて1万年くらいは人類は存続すると思われる。

いずれにしても、この世とあの世はつながっているという意識で、聖書、イエス・キリストの教え、神様の教えを見直するべきなのです・・・

神様は無限の愛を持っているが、完全な善でもあるのです。そして、この世でも霊界でも神様を騙すことはできないのです。聖書を読んで神様の教えとイエス・キリストの言葉を学ぶべきです。