「心」に関して言えば、人間の脳が直接、心を生み出している訳ではない。魂が脳を使って心を生み出しているのです。(テレビという機械が番組を生み出しているのではなく、テレビ局が番組を生み出しているのと同様。)従って、人間が肉体的に死に、脳が機能を停止すれば、心はもう脳を通しては生み出されないが、心の基盤である魂は影響を受けない。つまち、魂=>無意識=>脳=>意識=>心=>肉体、という精神エネルギーの流れがある。
従って、肉体の死後に魂はこの世から霊界に移動して生き続け、霊界で霊的な身体・脳を使って働き続け、そこに同じように心も生じる。つまり、肉体が死に脳が機能を失っても、魂は霊界に入り、霊体で心を生み出す。人間の意識は生から死へと連続する。
要するに、死後も魂と心は存続し続ける。だから、死を恐れることはない。これが、何世紀にも渡る心霊学の結論であり、2千年に渡るキリスト教や仏教などの本来の教えなのです。
だから、「たった一度の人生だから、手段を選ばずに幸福を追求すべき」だと考えて、皇族と結婚しようとする者も出てくる。この考えは、死後の生を考えていないので間違っている。魂は、霊界から再び人間界に戻って来て、輪廻転生を繰り返す場合もある。前世を持った人間が今、生きていてもおかしくない。少なくとも、霊界で霊として生きていた魂が、新たに人間界に移って、人間として誕生するのが一般的だと思われる。(ただし、新宗教でブッダやイエス・キリストの生まれ変わりと称する教祖には警戒すべき。)
仏教は、本来、この輪廻転生を繰り返して、苦の多い人生を繰り返すのを防止するための教えです。正しい生き方をすれば、もはや、生れ変わりのない霊界の最高レベルや涅槃に達することができるというのが本来のブッダの教えです。
キリスト教は、この真理を当然として、人々にこの世にはこだわらずに生き、死後の霊界に希望を持つようにというのが本来の教えです。さらに、霊界のエネルギーはこの世にも浸透するので、信仰心があれば霊的エネルギーを使って奇跡も起こせるというのが、イエス・キリストの本来の教えです。物理エネルギーを超える霊的エネルギーは奇跡を起こすのです。(ただし、悪魔も霊的エネルギーを使えるので、奇跡だからといって無条件に歓迎してはいけない。)
つまり、キリスト教、仏教や神道などの伝統的な正統宗教は、死後の世界、つまり霊界の存在を当然のこととして成立している。ただし、イエス・キリストの教えは、もっと深い。また、死後の世界、霊界はこの世よりも複雑・広大です。
しかし、生死の問題より、善悪の問題が重要だというのが、伝統的な正統の宗教の教えです。従って、この世のご利益を求める新宗教や、霊能力/超能力を求める新宗教は邪道だということになる。生死、損得、霊能力よりも、善悪の重要性を強調するのが、本来のキリスト教や仏教なのです。イエス・キリストも仏陀も信徒を金持ちにしようとはしなかった。イエス・キリストも仏陀も信徒を善人にしようとしたのです。
特に、イエス・キリストは、善悪と貧富を結び付け、善とは貧であり、悪とは富であるとの教えを広め、「富裕層やエリートは死後、”天国”に入れない」と明確に宣言している。これは、現代人には受け入れられないように思えるが、「貧困者、不幸な人間、正義を求める人間、信仰者は”天国”に受け容れられる」というのが、本来のキリスト教の教えです。ただし、貧しいものでも、正しい信仰を持たない者は、いったん天国に受け入れられても、天国から追放されると思われる。悪魔も貧乏人の魂を支配することができる。
つまり、死後は誰でも「霊界」に入れるということは、臨死体験でも証明されているが、その後で、霊界は”天国”と”地獄”に分かれるという点を強調するのがイエス・キリストです。そして、イエス・キリストは、「貧乏人は天国に入れるが、金持ちやエリートは天国に入れない」と宣言しているのです。これが、本来のキリスト教の核心です。そして、天国で永遠の命を得た人間は、もう、輪廻転生する必要もない。仏教では、霊界の天国に近いレベルや涅槃まで上がれば、もはや輪廻転生はないと述べている。しかし、霊界は唯一の神様が支配する世界であり、必要に応じてそれぞれの魂に輪廻転生を行わせることができる。要するに、神様に気に入られなければならない。そして、神様は悪ではなく善を求めている。「神は全知全能であり、全善である」というのも、本来のキリスト教の教えです。
そして、聖書では「神様は愛から人間を作られた」と述べている。当然、神様は人間社会でも善を期待されている。しかし、神様に逆らう悪魔が人間界に悪を持ちこみ、人間を支配しようとしている。(又は、カネや富を得るために、人間は悪魔に魂を売ろうとする。)そして、悪魔は神様の霊的な息子のイエス・キリストと戦い、イエスを十字架上で殺害したが、イエス・キリストは死から復活したというのが、聖書(福音書/新約聖書)の内容なのです。神様は霊的な存在ですが、悪魔も霊的な存在です。神様と同じように悪魔もこの世では見えないが、悪魔はカネに形を変えて人を誘惑し、又は、人間の魂を支配して心も支配する。この悪魔との戦い(善悪の問題)が、生死の問題より重要だというのが、本来のイエス・キリストの教えです。
結論は、魂と心は肉体の死後も生き残るので、肉体の死を恐れることはない。そして、貧乏人や不幸な人、信仰者は死後、天国に入るので、むしろ、死後の霊界での生を楽しみにせよ、ということです。