首都圏の寺院
イエス・キリストの言葉に「貧しいものは幸いである。天国は彼らのものである」という言葉がある。
また、「金持ちが天国に入るのは、不可能である」とも言っている。
宗教の教祖で、このような反富裕層の教えを述べた例は少ない。貧富の問題は曖昧にしながら、自分たちの神を信ぜよ、というのが宗教団体です。自分たちの神を信じれば、幸福になれると説くのが宗教団体です。
カネを持っていても幸福になれない信徒に「信仰が足りないせいだ」と言って、「カネを宗教団体に出せば、自分たちの神が幸福にしてくれる」、と言いながら寄付金を集める宗教団体も多い。「神様に対する感謝の気持ちをカネで表せ」、という宗教団体もある。宗教をビジネスにする連中や、人の宗教心を利用する団体もある。また、権力と結びついて財政基盤を固める団体もある。
それでも、「反富裕層」を唱えるイエス・キリストの教えは、この2千年間生き残った。しかし、カネを求める人々は増える一方であり、キリスト教でも、このイエス・キリストの教えを強調しなくなった。神父や牧師も道徳は説くが、このイエス・キリストの教えを無視することが多い。
霊的に言えば、人はカネを求めるが、悪魔は人の魂を求める。悪魔は人にカネを求めさせ、人にその魂を悪魔に売り渡させる。人間社会では、富裕層エリートが社会の頂点にいるが、その上に悪魔がいる。だから、人間社会で成功し、富裕層になるには、魂を悪魔に売らなければならないような仕組みになっている。善人は出世できない。善人ぶった悪人が出世する。
物質文明の発展とともに、人間社会は豊かになったが、その文明の頂点には悪魔がいる。従って、人間は物質的に豊かになっても、霊的には不幸になるばかりです。そこに、宗教団体がつけこむ。これが、真相です。物質的な豊かさは、悪魔に魂を売って得られたものであり、霊的には人々は地獄に近づきながら生きている。これが、イエス・キリストの言葉の真相です。
実際、死んだ人間は皆、霊界に入るが、霊界では想念が実現する。つまり、思ったことは何でも実現し、欲しいものは何でも手に入るので、霊界ではカネの必要もない。それでも、他人に対する支配欲、他人に対する悪意、憎しみを愛より求める心だけが残る。死後のカネなき世界で、悪意と憎悪だけがぶつかり合う。これが地獄です。
これに対して、カネを求めず悪魔に魂を売らなかった人間は、精神的かつ霊的な愛を求める。死後は、霊界でも神様の愛と真理の光を求めて、その魂は天国へと上昇して行く。これが、イエス・キリストの述べる真実です。
悪よりも善を求め、富より清貧を求める人間は、死後は神様に認められて天国に入る。これが、本当のキリスト教です。死後、天国に入って永遠の命を得るには、この世で悪魔に魂を売らずに、清貧の生活をしなければならない。つまり、本当のキリスト教とは「貧乏教」なのです・・・