1941年に始まった日米戦争で、300万人の日本人が戦死し、1945年に日本はアメリカ(連合軍)に無条件降伏した。しかし、1941年に当時の天皇が開戦に反対していれば、この悲劇は避けられた。これが、戦後から現在までの正しい歴史観です。
従って、戦後、米軍のマッカーサー元帥が起草した新憲法を、日本国民は喜んで受け入れた。この新憲法は、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を導入するものだった。
それまで国家元首だった天皇は、東京のアメリカ大使館に駐留したマッカーサー元帥を10回程度、個人的に訪問し友情を勝ち得て、戦争責任の追及から免れた。代わりに、開戦時の東條首相(大将)が、米軍によって処刑された。
新憲法では、天皇の地位は国家元首から、「国民の象徴」に降格された。そして、国家の主権は国民にあると明記された。これは、事実上の革命だった。ただし、日本のエリート層は、天皇の権威を利用するために、国民の上に天皇を置くという姿勢を崩さなかった。そして、その天皇の上にマッカーサー元帥、米国政府を置くと言う形を取り、日本のエリート層は、米国政府を事実上の自分たちの支配者であると認めた。
これが、1945年の敗戦、1947年の新憲法施行以来、21世紀の現在までの、日本の新体制となった。
問題は、先の日米戦争で300万人の国民が戦死したことです。今では、考えられないことだが、「天皇陛下のために死ね」というのが、戦前の日本政府の国民に対する命令だった。そして、今でも300万人の英霊が、怨霊となって戦後の日本政府を恨まないように、終戦記念日では天皇が出席して戦死者に頭を下げ、慰霊することになっている。
本来、戦後、天皇制を廃止し、大統領制を導入するのが、平和日本の取るべき道だったが、日本の占領を円滑に遂行するために、マッカーサー元帥は天皇家を存続させ、利用することを選んだ。
しかし、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を導入した日本にも、アメリカのような大統領制を採用するのが自然なのです。世界の主流はキリスト教であり、キリスト教の神と、天皇家がその基盤とする日本神話の神々は調和しない。従って、天皇は伊勢神宮の神官とし、徳川幕府の将軍のように、大統領を選んで日本を統治させるのが自然だと言うことになる。
日本が戦後、さまざまな社会的、文化的、政治的な問題を解決できず、世界でも指導的な国になれないのは、天皇家を頂点とする暗黙の文化体制にある。世界で人類は1つであり、人類の神も1つだというのが、欧米を中心とする世界の常識です。その世界の主流に参画するには、民主的な大統領制の採用が歴史の流れなのです。
世界的な人類の歴史から見れば、日本の天皇家はいつ断絶してもおかしくない。先の大戦で戦死した300万人の怨霊も鎮めなければならない。今世紀中には、日本も大統領制を採用しなければ、明るい未来はない。キリスト教の神に見放されて、日本は成り立たない・・・。
キリスト教の神は人類の神様、支配者、主人なのです。