聖書のイエス・キリストの教えを要約すれば、以下のようになる。
貧乏人は天国に行き、金持ちは地獄に落ちる!
幸福な人間は神様に愛されない!
人の上に立ちたい人間、エリート、地位のある人間は、人の召使になるべき!
信仰者を攻撃する人間は、悪魔に魂を売った人間なので、無視すべき!
信仰があれば、奇跡は起きる!
そして、神様と隣人を愛することが、神様の人間に対する指示である!
つまり、天国に入ることのできる人間とは、社会の底辺の人間であり、誰よりも貧乏であり、不幸な人生を生きる人間であり、奇跡を生じさせるほどの信仰者だということになる。少なくとも、貧乏競争で世界一になる人間が、ローマ法王となるべきだということになる。
しかし、現実の社会は、富と地位を求めて争う社会であり、人々は幸福を求めて競い、不幸な人間を無視し、踏みつけ、地位ある人間は当然、下位の者を支配し、傲慢になり、宗教もカネ儲けや出世の手段となり、聖書などは「おとぎ話」としてしか理解されていない。
聖書の教えを理解するカギは、人間は死ねば終わりではなく、死者は全て霊界に入り、その魂はあの世で生き続ける、ということです。この世だけで、全てが終わるのではない。むしろ、死後、人間の魂は天国に行く者と、地獄に行く者に別れる。そして、イエス・キリストは、「この世で人の肉体を殺せても、人の魂を殺せない悪魔は恐れるな。むしろ、悪魔に従った魂を地獄で抹殺できる神様を恐れよ」と教える。
つまり、この世とあの世は連続した世界であり、本当の死とは、肉体の死後、地獄で魂が神様に滅ぼされることを意味する。しかし、死後、霊界から天国に入ることを許された魂は、そこで永遠の生命を得る。
そして、天国に入るには、貧乏で信仰をもたなければならない。信仰を持つとは、魂の問題であり、牧師や神父であること、教会のメンバーであることとは関係ない。むしろ、貧乏人は信仰者だと見なされ、霊界から天国に入れられる。つまり、貧乏人であることが、天国に入る最低の条件となる。
その理由は、人間社会では悪魔に魂を売らなければ、1円も入手できないという仕組みになっているということがある。衣食住は、全て、この社会の仕組みの中で得られることになっている。だから、ホームレスであることしか、悪魔の誘惑から逃れる道はないということになる。
ただし、ホームレスでなくとも、神様が十分、貧乏であると認めてくれれば、天国に入れる。ある意味で、信者は信仰の強さに応じて貧しくなる。実際、イエス・キリストも2000年前に宣教していたとき、ホームレスとして生きており、カネは持たず、人々からの施しで生きていた。これは、ブッダの人生も同じです。
たとえ、イエス・キリストの教えを知らなくても、本能的に悪魔を嫌う人間は金持ちの生活には耐えられない。結果として、そのような人間も信仰者のように貧しくなる。だから、貧しさが、信仰をはかる物差しになる。
なお、イエス・キリストは「信仰があれば、山をも動かすことができる」と言っている。今の時代なら、「信仰があれば、コロナに感染しない」ということになる。ただし、コロナ感染者を全て、不信仰者として責めるわけではないが・・・