2021年10月28日木曜日

貧乏人を救うことで世の中を救うのが、「救世主」

イエス・キリストは「救世主」と言われる。つまり、世を救う人類の主人です。

なぜ、「世を救うことができる」のかと言えば、イエス・キリストには「神の子」という権威があるからです。即ち、神様から世を救う能力を与えられているからです。

その証拠として、2千年前に新約聖書が書かれ、2千年間かけてキリストの教えは「キリスト教」として欧米を中心に世界中に広まった。

日本には、戦国時代の1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到来したのが、公式にはキリスト教の日本布教の開始だとされている。戦国時代には、一時、多くの日本人がキリスト教を受け入れたが、江戸幕府の成立と共にキリスト教は禁止され、明治維新までキリスト教は日本で普及しなかった。しかし、本当にキリスト教への自由な信仰が解放されたのは、1945年の日米戦争の敗戦で、日本がキリスト教国のアメリカに占領されてからです。

キリスト教は誰を救うのか、ということが重要です。イエス・キリストは、本来、貧しい人々に伝道した。「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」に神の教えを伝えた。「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのが、イエス・キリストの教えの中心だった。

世の中には、金持ち、エリート、上流階級の人間よりも、貧乏人が多いので、この教えは社会で受け入れられ、1900年前のローマ帝国も最終的にキリスト教を国教とした。これが、現在のカトリックの本拠、ローマ市内のバチカンの基礎となり、現在までヨーロッパ/アメリカでキリスト教は受け継がれ、それらの国で事実上の国教となっている。イエス・キリストがインチキ宗教家なら、とても、現在まで続かない。このこと自体が、イエス・キリストの教えが真実であることを証明している。現在の世界文明は、欧米文明が世界に普及して出来上がったものであり、欧米文明の基礎はキリスト教だということになる。欧米発の科学・技術によって人類の文明が発展し、多くの国で貧困が解消されたのは事実です。

しかし、キリスト教の基本は「貧乏人を救うことによって、世の中を救う」ことにある。だから、キリスト教国のアメリカでは、信徒の慈善活動が盛んです。他にも、欧米の人権・福祉活動は、ほとんど全てイエス・キリストの教えが基本になっている。

日本でも、キリスト教関係者は、ホームレス支援などの救貧活動に関わっている。キリスト教関係者が、特に親切な人間や優しい人間だからというのではなく、そもそもイエス・キリストは貧しい人を救うために伝道していたので、キリスト教関係者がホームレス支援などの救貧活動に関わるのは、宗教活動の一環なのです。そうすることで、キリスト教関係者は死後、自分たちも天国に入れてもらえると考えているのです。

しかし、何といっても、イエス・キリストの教え「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのは、大部分が中流の生活を送る教会関係者に向けられたものではなく、「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」に向けられたものです。

そして、「神の教え」とは、まず第一に「愛と善を求める神様に全力で従い、自分を愛するように隣人を愛せ」ということです。これを実行すれば、「神様は奇跡を起こしてでも、信者を救ってくれる」、と考えるのが信仰なのです。

従って、金持ちが本当にキリスト教徒になれば、多くの貧しい隣人に経済援助をし、自分も貧しくなる。つまり、本当にイエス・キリストの教えに従えば、金持ち、エリート、幸福な人間ではいられなくなる。だから、悪魔がさまざまな解釈をキリスト教徒に与えて、金持ちであることを正当化させようとしている。

それでも、「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのは、「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」にとっては、有難い言葉です。特に、それが神の子であることを2千年にわたって証明してきたイエス・キリストが宣言していることに意味がある。つまり、イエス・キリストは世を救う人類の主人、「救世主」だということになるのです。

要約すれば、イエス・キリストは、「救世主」として貧乏人を救うことで世の中を救おうとしている、と言うことです。