2021年12月29日水曜日

日本人の霊性とコロナ大感染の意味

東京湾周辺

日本では、21世紀になって「死後の存在」を信じている人が増えている。

「2013年の調査では回答者の40%が「あの世」を信じると答え、信じてはいない(33%)を上回ったという。1958年の調査では「信じる」が20%、「信じてはいない」が33%だったそうで、あの世の存在を信じる人が増えているという結果となった。また、世代間によっても違いがあり、20代で信じると答えたの45%。いっぽう70歳以上で信じると答えたのは31%だったそうだ。

なお、仏教においては霊魂の存在を明確に認めているのは高野山真言宗と日蓮宗だけだという。https://idle.srad.jp/story/17/08/09/0644232/」

本来、日本文化は霊の存在を認める文化だった。霊の存在を認めれば、死後の世界も存在することを認めることになる。なぜなら、肉体は死んでも、霊は死なないからです。

縄文時代の死者の埋葬跡(屈葬)も、死者の魂に対する配慮がうかがわれる。(「屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体が多いことから、死者の霊が浮遊しないように、というのが最有力な説とされています。https://www.osohshiki.jp/column/article/208/」)。

弥生時代の銅鏡も単なる鏡ではなく、魂を映すものとして尊重されたと思われる。

文学作品では、万葉集も魂に関係する歌が多い(古代の嘆きは魂を送り出す呪的行為であり、その魂が対象に作用すると考えられたためである。呪的行為であることは、同じく魂に関係する、紐や袖振りについての俗信とからめ考察することで確認できる・・・https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/49/9/49_KJ00009766783/_article/-char/ja/)。「源氏物語」も、霊の働きが重要な役割を果たしている(生霊が怨霊となって女性を呪い殺すなど)。

仏教も、平安時代末期から鎌倉時代にかけて発展した浄土思想は、死後の魂の行き先として極楽を想定し、民衆の心をつかんだ(源信の往生要集は「浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書」、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86)。

「能」という舞台芸術も死者の魂を主題にした作品ばかりです。民衆が魂の存在を認めていなければ、能が室町時代から今日まで廃れることなく受け継がれることはない。

戦国時代には、天国という観念をもたらしたキリシタンが、秀吉や徳川幕府によって弾圧されるまで日本中で普及していた。一部は「隠れ切支丹」として、明治維新まで信仰を守った。権力と結びついた仏教では得られない西洋宣教師の教えが、民衆の心をとらえたのだろう。

徳川家康は神仏習合の東照大権現として、その霊が日光東照宮に祀られたが、江戸時代には仏教の形骸化が始まった。しかし、「つきもの」という霊的な現象、幽霊物語などには民衆の霊的な関心が現れており、「狐憑き」にまつわる伝承も多く語られるようになった。平田篤胤による、霊の生まれ変わりの研究などもよく知られている。占い師や(除霊のための)拝み屋という職業も現れてきた。こういう日本の霊的な傾向は、明治に来日したラフカディオ・ハーンがその作品の中で取り上げるようになる。

そして、明治時代には天皇神道が復活し、天皇が神話の天照大御神の子孫とされ、全国民が強制的に国家神道に服従させられた。なお、天皇の男系相続の思想は、こういう霊的な意味もある。キリスト教をバックボーンとした強力な欧米に対抗する意味でも、明治政府は天皇神道の国教化を推進した。

戦後は、アメリカのキリスト教的な民主主義思想に基づいた憲法が導入されたが、キリスト教自体は日本の主流とはならなかった。ただし、戦前の国家神道から解放された社会では、さまざまな宗教が乱立する状況となった。ヒンズー教・チベット仏教やユダヤ・キリスト教を混合したようなオウム真理教がテロを起こしたが、その後もスピリチュアルな関心はポピュラー文化として定着し、テレビの娯楽番組でも関心を集め、臨死体験なども注目されるようになった。ただし、人々の霊的関心を悪用する新興宗教への警戒感も強まっている。

そして、21世紀になって、イスラム原理主義者のテロが世界で勃発し、狂信的宗教に対する警戒感は高まる。一方、物質的な経済の行き詰まりが見られる日本では、俗世間の泥にまみれた中高年ではなく、精神的な救いを求める若者の間に死後の世界、スピリチュアリズムへの関心は根強く存続する。娯楽番組で人気者となる霊能力者も現れたが、社会全体としては行き過ぎた怪しげなオカルト(非科学的な超自然現象・神秘的現象への関心)は、社会に危険であるとの抑制姿勢も強まる。心霊主義と「カネ儲け宗教」の結びつきには、犯罪性がついて回る。邪悪な洗脳の危険が心配される。伝統的な日本人の霊性を悪用した、現代的な組織犯罪すら考えられる(今の中国も一種の洗脳社会だが、中国人の霊性も本当は共産党独裁と相容れないので、いずれ、中国の共産党政権は崩壊すると思われる)。

そして、その中で、コロナの大感染が生じたのです。日本人の、このような霊性がこの世界的なパンデミックからどのような影響を受けるのかも注目すべきです。

2021年末で、世界で500万人以上がコロナ・ウイルスが原因で死亡したが、まだ、その精神的な影響は世界でも明らかになっていない。しかし、現代物質文明、拝金的な経済活動に不安を感じる人が出てきてもおかしくない。世界文明の中心とも言えるアメリカだけで、コロナで80万人以上が死亡したのだから、コロナ・パンデミックは終息しても、その影響は何年も続くと考えられる。特に、人間の死生観には何らかの影響が出ると思われる。キリスト教の「最後の審判とこの世の終わり」という教えが注目されるべきなのです(なお、世の終わりには「にせキリスト」が現れるという教えもある)。

ただし、この世界的な悲劇は、日本独自の死生観では対処できない。単に、あの世の存在、霊魂の不滅、極楽思想だけでは、「世界的な歴史の中のコロナの悲劇」の意味を正しく理解し、対処できるとは思えない。個人的にコロナで死んでも極楽に行けると信じても、そもそも「なぜ、世界中の人が今、コロナで死ななければならないのか」と言う問いに対する答えは出ない。

答えは、「万物の創造主である神」、「人類の主、イエス・キリスト」を認めなければ得られない。「霊的な神と悪魔の戦い」や、人間の死後に天国を約束するイエス・キリストの教えなどを学ばなければ、21世紀の物質文明の最盛期に世界を破壊しかねないコロナ大感染が生じた意味を正しく理解できないのです。

真摯なキリスト教徒なら、「世の終わり」を思わせるコロナの悲劇に、神様の意図を見ようとするものです。日本人も「死後の世界」や「霊魂の存在」を信じるなら、その上に立つ神様やイエス・キリストが、物質的に腐敗・堕落した人類社会に警告を与えるために、コロナの大感染を黙認したと考えるべきなのです。


2021年12月27日月曜日

コロナは、富を求める人間への神の怒り!

富士山

人間には2種類ある。金持ちと貧乏人です。

そして、「金持ちは死後、天国に入れない」というのがイエス・キリストの教えです。

この単純な教えが、2千年にわたって発展し、現代の世界文明をもたらしたキリスト教の基盤となったのです(仏教や儒教・神道が世界文明の基礎となったのではない)。特に、近代の世界を支配した欧米各国の事実上の国教はキリスト教でした。

日本は明治維新となるまで、キリスト教は江戸幕府によって禁止されていました。明治維新で欧米の科学・技術は取り入れても、その基本のキリスト教は全面的には受け入れませんでした。しかし、第二次大戦での敗戦後、日本を支配したアメリカは、キリスト教的民主主義に基づく新憲法を導入しました。これが、現憲法です。

明治の大日本帝国憲法は、天皇神道に基づく天皇絶対制を導入するものであり、それが、非人道的で愚かな軍国主義につながったのです。昭和の敗戦後に導入された現憲法は、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を全面的に導入するものであり、その上に戦後の日本の復活と、経済の発展が保証されたのです。しかし、日本人でキリスト教徒を自称する者は、国民の1%にも満たない。(世界の人口の32%はキリスト教徒)。

日本でキリスト教は、明治以来、主に欧米から導入された。欧米は先進国であり、日本より豊かな地域だった。従って、「キリスト教は金持ちの宗教」だとの印象が強かった。ただし、外国人宣教師でも、日本で貧民救済の活動に携わる者はいたし、今でも、教会は貧民救済の活動に関わることは多い。それでも、文化程度の高い欧米発のキリスト教は、一般日本人には敷居が高かったのです。また、日本人の聖職者も、欧米のキリスト教組織とつながることで、一般人より進んだ人間としてプライドの高い者が多く、一般の人間との間に見えない溝があったのです。牧師や修道女は、先進国の欧米の宗教に関係する者として、密かなプライドを持つ者も多かったのです。しかし、本来、キリスト教は「貧乏人の宗教」だったのです。

なぜ、「貧乏人の宗教」のキリスト教が、「金持ちの宗教」になったのかは世界の歴史を見ればわかります。キリスト教に基づく欧米社会で産業革命・科学革命が遂行され、欧米は物質的に豊かになり、現代の世界の物質文明を支配することになった。欧米文明がなければ、電気もガスも水道も、鉄道も自動車も飛行機も生まれなかったのです。キリスト教は、現代の物質文明の基本となったのですが、問題はその文明がもたらした富が欧米のキリスト教徒を堕落・腐敗させたことです。特に、世界最大の富を持つにいたったアメリカのキリスト教社会が戦後は、堕落・腐敗し、一種の混乱に陥ったことが大きい。ヨーロッパでも、カトリックの影響が年々低下し、人々の教会離れが進んでいる(それでも、ヨーロッパ人の75%はキリスト教徒)。欧米人も、「神」よりも「カネ」を選び始めたと言える。アメリカでは「無神論者」の割合は25%になり、アメリカのカトリック教徒を上回っている。(アメリカでキリスト教徒を自認する者は65%)。

日本のキリスト教の本家の欧米で、キリスト教の停滞・混乱が見られるくらいだから、日本でもキリスト教の影響は停滞する。ただし、日本人で、イエス・キリストの名前を知らない者はいない。それでも、「キリスト教とは、本来、貧乏人の宗教」であることを理解している者は少ない。欧米でも、その意識は低下している。

従って、日本人も聖書を読んで、自らイエス・キリストの教えは何であったのかを知る必要があるのです。そして、結論を言えば、「イエス・キリストは貧乏人を救うために、この世に来た」ということなのです。

つまり、キリスト教の教えとは、「金持ちは死後、天国に入れない」ということなのです。しかし、今の欧米人はこの教えを素直に受け入れることはできなくなっている。日本人も、キリスト教に近づく者の大部分は「キリスト教は金持ちの欧米人の宗教だから、ご利益がある」と考えている。これは、全く正反対の意味を示している。

2000年前、ローマ帝国に支配されていたパレスチナの貧しいユダヤ人を救うために、イエス・キリストが宣教を開始したのが、キリスト教の出発点なのです。富もなく、教育もなく貧しいユダヤ人に理解できたのは、複雑な神学ではなく、「金持ちは死後、天国に入れない」という教えです。そして、この教えが現在まで2000年間伝えるのが聖書なのです。教会も、牧師がいくら金持ちになりたくても、この教えに反することはできません。だから、教会は貧し人や、ホームレスが助けを求めてくれば無視することはできないのです。

欧米でも日本でも、「金持ちは死後、天国に入れない」というイエス・キリストの教えから遠ざかってしまいました。つまり、「人間は、この世で貧乏になって、死後は天国に入るべき」というイエス・キリストの教えを無視する人間ばかりになっているのです。欧米でも日本でも、カネに洗脳された人間ばかりになっています。カネは悪魔の小道具です。カネを使って人間を洗脳するのは、悪魔とその手下の悪霊です。この腐敗・堕落した社会に神様が怒って、コロナの大感染を起こした、というのが神学的解釈になるのです。

つまり、人々がカネを嫌い、富を憎むようにならなければ、コロナの大感染は終息しない。または、今回はコロナが収束しても、またいつ新たなウイルス大感染が生じるかも知れない。

欧米・日本が神を忘れて豊かになり、中国も富に洗脳された世界では、いつ、コロナのような世界的な感染爆発が起きても不思議はないのです・・・

神を忘れた世界では、いつ、コロナのような世界的な感染爆発が起きても不思議はないのです・・・

2021年12月25日土曜日

聖書の内容・目的とは?

富士山
聖書の内容・目的とは?

1.イエス・キリストは「神の子」であることを伝える。
2.神は金持ちを嫌い、「貧乏人」を愛することを伝える。
3.人間の「魂」は死後、霊界に入るのを伝える。
4.ただし、金持ちは地獄に、貧乏人は「天国」に行くことを伝える。
5.「悪魔」とその手先の悪霊は、神に従うものを攻撃することを伝える。

そして、悪魔はカネによって人間を堕落・腐敗させ、天国に入るのを妨げる。従って、神を信じる信仰者は、貧乏人を助け、自分も貧しくなることを聖書は勧めています。富裕層に生まれても、貧乏人にカネを与えて自分も貧しくなれば、死後は天国に入れるのです。

学者や聖職者にしか理解できない複雑で難解な神学は、学ばなくても、貧乏人への愛を実践していれば、天国に入れるのです。この世の学問、知識、神学、宗教は、霊界では役に立ちません。霊界では、高学歴者、エリート、富裕層の人間やこの世の成功者、この世で幸福になった人間は、低い地位におかれます。彼らは、神の愛と真理を理解できず、神の光を嫌って自ら地獄へと落ちて行きます。そして、地獄では、もはや人間界の法律、道徳、世間体などの制約を受けずに、隠されていた本性が露になります。高学歴者、エリート、富裕層の人間やこの世の成功者、この世で幸福になった人間は、ほとんどが、その悪質で凶悪、腐敗した本性が明らかになります。しかし、善人、信仰者、親切な人間、愛のある人間、貧乏人は、神の愛と真理と光を好み、霊界で高い地位を得て、ますます神様に近づきます。これを教えているのが聖書なのです。

要するに、死後、天国に入るには、この世で貧乏である必要があります。この世で貧乏になるとは、自分よりも貧しい人を助ける必要があります。そして、この世で一番貧乏人になった人間が、優先して天国に入ることができるのです。本来、ローマ法王は、世界で一番貧乏な人間であるべきなのです。牧師は教会の中でで一番貧乏な人間であるべきなのです。

しかし、今の仏教の高僧は豊かな生活を送り、他の新興宗教の教祖もカネを好んでいます。ヨダヤ人にも富裕層は多いし、イスラム教徒もカネを求めています。つまり、世界中の宗教が腐敗・堕落しているのです。従って、神様が怒ってコロナの大感染を起こしても不思議でない。

逆に、コロナの大感染から救われるには、貧しい生活をして、聖書を読むことです。コロナは悪魔が人間を亡ぼそうとして起こしたものではなく、神様が腐敗・堕落した人間社会を罰するために起こしたと考えるべきなのです。悪魔は、人間社会がますます発展して、人間がさらに富を求めてもっと堕落するのを望んでいるのです。人類を絶滅させるのは、人類の腐敗と堕落に怒る神様なのです。

神様の怒りをやわらげるには、皆が聖書を読んで貧しい生活を送ることなのです・・・・



2021年12月22日水曜日

コロナ危機から脱するには、清貧に生きること!


18世紀の霊能者、スウェーデンボルグによれば、霊界で18世紀に「最後の審判」が行われたという。

スウェーデンボルグは、生きながら霊界を見ることを許された18世紀のエリート学者であり、30年にわたってこの世に生きながら霊界に出入りし、数十冊の書物を著わした人間です。今でも、スウェーデンボルグの研究者は多い。最近のスピリチュアル関係者にも大きな影響を与えている。スウェーデンボルグが、今の霊能者と異なるのは、彼が真摯なキリスト信者であったことです。彼は、神に許されて、霊界を見聞することができたと信じていた。しかし、霊界には悪魔の手先もいる。そして、そのような悪霊がスウェーデンボルグを攻撃し、彼は霊界にいる悪霊の凶悪さを実感したのです。彼の書物には、悪霊に対する警告が多く書かれている。悪魔の手先となった凶悪な悪霊は、常に人間を破壊しようとする。特に、神様に従う善人や善霊には激しい敵意を示すのです。

しかし、この世の今の霊能者の中には、霊界の凶悪な霊から攻撃を受けていると述べる者はほとんどいない。今の霊能者の大部分は、善悪を論ぜず、ただ人間は死後、霊界でハッピーに生きることができると言っている。しかし、スウェーデンボルグは、善人の霊は霊界から天国に入るが、悪人の霊は霊界から地獄に行くと述べています。霊界では、善霊と悪霊が混在しているが、やがて、天国と地獄に別れていく。

こういうスウェーデンボルグの説明は、聖書の教えと合致ている。イエス・キリストは、地獄に落ちた金持ちは、天国に入った貧乏人に助けを求めるが、地獄と天国の間には越え難い溝があると述べている。

今の霊能者は、この世で金持ちになって幸福な人生を送り、死後も霊界で幸福に生きれると述べているが、それは、イエス・キリストの教えに反するのです。この世では、悪魔に魂を売らなければ金持ちにはなれないし、悪魔に魂を売った人間は霊界から地獄に行く。イエス・キリストは「金持ちは天国に入れない」と述べています。

霊界では、この世では隠されていた人間の本性は明らかにされ、本質が邪悪な金持ちは霊界ではこの世の外見も振り捨てて、凶悪な行動に走るとスウェーデンボルグは述べている。また、この世で聖職者・学者であった者も、神の愛と真実に対する彼らの無理解が明らかにされ、霊界では低い位置に置かれる。

霊界では、そのような悪霊が増えすぎたので、最後の審判が行われ、善霊と悪霊が分けられたということです。その影響が、この世の人間界に及ぶのは、2~300年後だということです。18世紀から2~300年後というのは、まさに21世紀です。この意味で、21世紀の今日、いつ霊界での「最後の審判」の影響が現れてもおかしくないのです。コロナの大感染も、この観点から考えるべきなのです。

この世はカネを求める人間ばかりだということは、悪魔に魂を売った人間ばかりだということです。カネは腐敗と堕落、悪の容認をもたらします。これに怒った神様が、人間を罰することを決めた、というのが神学的解釈です。スウェーデンボルグの時代に、まず霊界の浄化が行われ、やがて、この世の人間界でも浄化が行われる。

21世紀になってから、同時多発テロ、リーマンショックなどの金融危機、福島第一原発事故と世界を震撼させる事件が続いています。そして、コロナ・ウイルスの世界的感染爆発というパンデミックが生じたのです。コロナが終息しても、また、いつ新たな大感染が生じるかも分からない。100年間、パンデミックの時代が続けば、人類の文明は崩壊の危機に瀕します。そして、その可能性はあるのです。22世紀には、文明は崩壊している可能性もあるのです。神様が人間を生かそうと思わなければ、そのような悲劇を抑止しようとする天使も働かなくなる。悪魔は人間を苦しめ、滅ぼそうとし、神様が人間を守らなければ、人類は亡ぼざるを得ないのです。

この危機を回避するには、聖書を読んで神の教えやイエス・キリストの教えを学び、富を避けて、清貧に生きるべきなのです。それによって、善人が増えれば、彼らが死後、霊界から天国に入り、霊界の状況も改善します。地獄の勢力が弱まれば、神様は人間の存続と発展を許するはずです。

コロナ危機から脱するには、地獄に落ちる人間を減らして、神様の怒りを減らすことです。そのためには、カネによる洗脳から解放されることです。つまり、人間が清貧の生活を志すことです。

霊界の状況と、人間界の状況は密接に関連している、と考えるのがスウェーデンボルグの研究から得られる結論です。


2021年12月21日火曜日

イエス・キリストの教え、「貧乏人は幸福だ」、その意味とは?

空の十字架

誰かが、「貧乏人は幸福だ」と言えば、「アタマのおかしな人間だ」と言われるのが、今の世の中です。

しかし、イエス・キリストは「貧乏人は幸福だ」と言っておられる。
ルカによる福音書第 6 章
20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
21 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

マタイによる福音書第 5 章
3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
そして、金持ちは天国に入れないとも、イエス・キリストは言っておられる。

マタイによる福音書第 19 章
23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。


他の宗教で、このように貧乏人を賛美し、富裕層を呪った言葉が、その経典に書かれているものはない。しかし、キリスト教の牧師、聖職者、ローマ法王、信者は皆、一般人と同じように富裕層になるのを目指している。これを、イエス・キリスト様が不快に思わないはずがない。世界のキリスト教関係者が全て、ホームレスのような貧乏人になることが、イエス・キリストの教えを実践したことになる。


では、なぜイエス・キリストは「貧」を推奨し、「富」を拒絶したのか。答えは、本当は誰でも分かっているはずです。


「富」は、隣人愛の否定、冷酷な競争・選別・階層化・支配構造・利己主義・弱者の搾取・他者への不親切・小さき者への威嚇を意味するのです。要するに、「富」は「愛なき社会」に通じるのです。「富」は、「悪の容認」につながるのです。実際、日本でも富が平等に分配されれば、社会問題のほとんどが解決されます。


強者、狡猾な者、冷酷な者、利口者が「富」を支配し、弱者、正直な者、親切心のある人間、アタマの働きの鈍い者が「貧者」にされる。難しい試験で利口者を選び、官僚として政府を運営させ、その上にもっと狡猾な人間が支配層として社会の頂点に立つ、これが、どこの国でも見られる「悪による支配」の構造です。サヨク政権でも、エリートを選抜し管理的な地位に置き、その上に、もっと狡猾な人間が支配層として社会の頂点に立つのは同じです。「富」を求める限り、右翼政権でもサヨク政権でも、その支配構造は変わらないのです。


しかし、そのような「富による支配」の頂点には、「悪魔」がいるというのが本来のキリスト教です。富裕な、強力な大教団も同じです。そのような教団の頂点には「悪魔」がいるのです。


「悪魔」に魂を売らなければ、1ドルも1円も入手できない、というのが社会の構造です。従って、「富裕層」とは悪魔に従う者であり、天国には入れないのです。


神様の教えに従い、貧乏人を「愛する人間」は、自分のカネを貧乏人に与えて、自分も貧乏人になる。それが「善」なのです。従って、「愛」=>「貧」=>「善」となるのです。そして、神様、イエス・キリストは、「貧」を喜ばれることになるのです。


逆に、本当の信仰心のある宗教家とは、貧しい人間なのです。イエス・キリストも仏陀も、人間としては、ホームレスの生活をされていたのです。全ての人間が互いに貧しさを競って、天国に入ることを目指す、というのが正しい姿なのです。


なぜなら、この世の果てには霊界があり、人は死後は霊界に入り、貧乏人は天国に、富裕層は地獄に行くからです。これを信じるのが、信仰なのです・・・

2021年12月19日日曜日

この世は、善と悪の戦いの場!

東京駅

 この世は、善と悪の戦いの場です。これが、聖書の教えです。

「たった一度の人生だから、善悪など気にせず、他人のことなど無視してカネをため、幸福に生きることだ」というのは悪魔の教えです。

「この世の死後はあの世があり、貧しく正義を愛する人間は天国で幸福になる」というのがイエス・キリストの教えです。

霊界の存在を信じる人間にも、「この世では金持ちになって幸福な人生を送り、死後も霊界で幸福に生きろ」というのも悪魔の教えです。

「神を信じる人間は、この世では不幸な他人を無視して幸福な生活を送ることはできず、この世で不幸な人を助け、自分も不幸になっても、死後は天国で幸福になれる」というのがイエス・キリストの教えです。

霊界には、神様に従う善霊と、悪魔に従う悪霊が共に存在している。人間の魂は、死後、霊界に移行し、その本性に応じて天界と地獄に別れてゆく。邪悪な人間の霊は、生きている間には隠されていた凶悪な本性が、霊界では露になり、制約なく悪事を働くことができる地獄に、自ら進んでいく。神の教える愛と真理を愛する善良な人間の霊は、霊界から天界に進んで、神様に近づこうとする。

天界と地獄に別れる前の霊界では、善霊と悪霊が共に存在する。そして、悪霊は霊界から人間界に干渉し、善良な人間を攻撃し、苦しめ、悪魔の教えを広める。世の中の人間の4分の3、75%は悪魔の影響を受けている。悪魔の最終目標は、人間を破壊することだから、当然、この世で善良な人間を攻撃し、苦しめる。悪魔の教えに従った人間も、死後は地獄で悪魔の手先になるが、最終的には、神様に滅ぼされる。この過程の中で、この世では悪魔が手下を使って善良な人間を攻撃し、破滅させようとする。聖書は、そのようにして悪魔から攻撃を受けたイエス・キリストの様子が描かれている。

悪魔とその手先の悪霊は、霊界から人間の心の基盤となる霊に影響を及ぼす。例えば、霊能力者の心の中の霊魂に、悪魔は働きかけ、悪魔の教えを吹き込み、手先として使うこともある。そうすると、霊能力者は「誰でも死後は霊界で幸福に生きれる。この世でも幸福な人生を送り、あの世でも幸福に生きれる」と述べて、むしろ、人を現生の幸福追求に駆り立てる。幸福になるには、カネが必要だから、霊能力者の言葉を信じた人間は、貧乏な他人を無視して自分の幸福だけを追求して金儲けに走る。やがて、そういう人間は幸福のためなら、どんな悪でも受け入れるようになる。これが、悪魔の支配するこの世の真相です。「カネで何でも解決できる」というのが悪魔の教えです。

しかし、イエス・キリストは「カネは悪魔の小道具だ、カネではなく愛と真理で問題を解決すべき」と教えている。カネではなく、神の教えに頼ることで、人間はこの世で神の国に入ることができる、とイエス・キリストは教えている。そして、「金持ちは、死後、天国に入ることはできない」と霊界での運命を述べています。

この世で苦しい人生を送る人間は、悪魔やその手先の悪霊に苦しめられていることが多い。苦しみから脱するために、仏教のような悟りを得ることは、普通の人間には無理です。しかし、聖書なら誰でも読める。神様に救いを求めて祈ることは誰にでもできる。悪を憎み、善と正義を愛する人間が祈れば、神様は本当の守護霊を送ってくれる。これを信じることが信仰なのです・・・

コロナに対しても、神に祈れば、感染は避けられるし、感染しても軽症で済み、重症になっても死亡することはないし、死亡しても天国に行ける。これを信じることが信仰なのです・・・


2021年12月17日金曜日

自殺、引きこもりを救うのは、イエス・キリストと聖書、そして、教会!



引きこもりの人間でも、スマホは使う、テレビは見る、インターネットにはアクセスしている。何かに救いを求めている。

しかし、悪の世の中は、その犠牲者に救いの手を差し伸べない。

「かつて内閣府は、ひきこもりは青少年問題だと捉えていたため、40代以上の調査は初めて行われたのだが、15~39歳の合計54万人を上回り、ひきこもりの高年齢化を示すものとなった。また、潜在的な人数を合わせると100万~200万人は存在すると主張する専門家も少なくない。さらに中年以降にひきこもりを開始した人が57.4%と大半であり、ひきこもるようになった理由の55.3%が「退職」や「職場での人間関係」など就労に関するもの・・・」(https://nikkan-spa.jp/1732796

引きこもれる世界のある人間は安全です。たとえ、Aさんのように財務省の職員になっても、場合によっては自殺に追い込まれる。Bさんのように、トヨタなどの一流企業に勤めても場合によっては自殺に追い込まれる。美人のCさんのように東大を出ていても、半分狂った上役によって自殺に追い込まれる。こういう潜在的に悪魔の力が支配する世の中では、善人、気の弱い人間、世の悪になじめない人間、人を出し抜けない人間、悪魔に嫌われる正義感は、悪魔の手先に追い込まれ、引きこもりになるか、自殺に追い込まれる。

悪魔に洗脳され、悪魔を神と崇める悪魔の手先は、悪を嫌う人間、正義を求める人間、愛を求める人間、世の腐敗と堕落になじめない人間を攻撃する。悪に染まった人間同士の付き合い方をマスターできない人は、攻撃対象になり、やがて、はじき出され、黙殺され、引きこもりや、自殺に追い込まれる。要するに、世の悪になじめない人間は抹殺される・・・

しかし、イエス・キリストは、彼らは死後、天国で幸福に生きることができると宣言している。これが、本来の聖書の意味です。「貧しき者、弱者、正義を求めるもの、愛に生きる者、悪魔と戦う者は、死後、天国で満たされ、平和に生きる」というのがイエス・キリストの教えです。

キリスト教の牧師にも未熟な人間、腹黒い人間はいる。しかし、教会に弱者が相談に来れば相手にしないわけにはいかない。弱者に援助の手を差し伸べるのが、本来の教会の使命だからです。最後の駆け込み寺は、教会なのです。

役所の福祉担当者、精神科の医師、学校の教師、警察なども、本来、弱者を保護するのが使命のはずだが、彼らも悪魔の支配下にある。「所詮は、自己責任」というのが、たいていの場合、彼らの最終判断になる。だから、自殺者、ホームレス、引きこもりはなくならない。おまけに、オレオレ詐欺もなくならない。

世の中に出て、悪の道に走り、邪悪な人生を送るよりも、引きこもって生きる人間は、世の中の悪を増やさない。「たった一度の人生だから、幸福を得るには、バレなければ、どんな悪いことをやってもいいんだ」と考え、悪魔に洗脳されて生きる人間は多い。引きこもりは、消極的な悪魔への反抗だと言えなくはない。

しかし、イエス・キリストは「世の中の悪魔の手先を恐れるな。彼らは、人の命を取ることしかできない。しかし、善人は、死後、天国で幸福に生きることができる。悪魔の手先になった人間は、地獄に落とされ、そこで神様によって抹殺される」と述べています。

引きこもりや、自殺に対する救いは、キリスト教、聖書、教会からしかやって来ない!


2021年12月16日木曜日

コロナの時代には、強者の大企業ではなく、弱者の女性を救済すべき!

 

コロナで苦しんでいる女性が多い。

非正規やパートの仕事がなくなって、収入が絶たれて生活が成り立たなくなった女性は多い。母子家庭、実家に頼れない女性、夫と断絶状態の女性の中には、ホームレス同然の生活に追い込まれる女性もいる。政府も、自治体も、社会も、隣近所も助けてくれない。自殺に追い込まれる女性は増えている。

1990年代、2000年代には、GDPが世界第二位の繁栄を誇った日本も、2010年代は東日本大震災・福島第一事故で委縮し、オリンピック景気で経済の活性化を狙った2020年代は、期待を吹っ飛ばすコロナで始まった。

ある霊能者の言葉によれば、世界は1958年から1998年までは比較的平穏な時代になるが、それ以降は、世界は悲劇に見舞われるという予言があった。第二次大戦の後遺症がほぼ終息した1958年から、イスラム・テロとの戦い・世界金融危機・中国の脅威へと続く21世紀には人類全体の歴史に影がさすということです。

日本固有の問題だけではなく、世界の歴史的な流れの中でコロナが世界中に蔓延したことになる。いずれコロナが終息し、経済も生活も昔のような順調な状態に戻ると考えるのは甘いというべきです。イエス・キリストの出現後2000年たった今日、まさに、「最後の審判」、「世の終わり」がいつきてもおかしくない時期に突入したことになる。

このコロナ危機の底流には、愛のない社会、愛のない経済、愛のない政治という問題がある。日本がGDPで世界第二位となったとき、相変わらず企業中心の社会ではなく、福祉重視の社会へと転換すべきだった。そのためには、新たな経済理論の確立と共に、新たな社会観・人間観が必要だった。

貧しい女性を無視するような社会ではなく、民族と国家の基盤である女性の保護に重点を置くような政府、社会を確立すべきだった。一部のエリート女性をもてはやすような社会ではなく、一般の弱者としての女性を保護するのを国家と社会の基本課題とすべきだった。

財政赤字についても、新たな経済・財政理論を採用し、経済・財政の基本の消費を重視し、政府からの給付金を経済・財政のサイクルの出発点とし、生活保護・年金などの福祉を拡大し、受給者の消費活動を確保する体制を取るべきだった。

そもそも日本の企業は曖昧な目的で内部留保を確保することを第一目標とし、人件費の削減を当然のように行い、政府の税収は減少し、財政赤字となって福祉への支出が停滞した。その間隙をついて、安価な労働力で日米の企業を誘致してきた中国が異常な経済発展を続けたのが現状に至る国際状況をもたらした。

そして、コロナが生じたときに、強者の企業優遇、弱者の女性無視という日本の国家・社会の体制が明白となった。むしろ、女性などの弱者を優遇するという基本理念のもとに、経済・社会の体制を再構築すべきときだということです。

今回のコロナが終わっても、今世紀には、また、第二のコロナ危機、或いは、第三次世界大戦が起きるかも知れない。どんな強者でも耐えられないような歴史的危機が生じる。それなら、女性などの弱者の救済を基本とする体制を確立し、歴史の神様から憐れみをいただき、今世紀の悲劇を乗り越えようとすべきなのです。その第一歩が、給付金経済です。

2021年12月11日土曜日

「人の生死」と「この世の終わり」:2060年が鍵・・・

18世紀の科学者ニュートンは、万有引力の発見で有名な物理学者だったが、聖書の研究にも熱心だった。今のコロナのような疫病がイギリスで生じたとき、ニュートンはイギリスの田舎に籠って研究をした。そして、聖書の研究の結論を得た。

「2060年までは、世の終わりは生じない」というのが、ニュートンの結論だった。

ニュートンと同じく18世紀のスウェーデンの学者スエーデンボルグは、霊界を見る能力を神から与えられた。そして、30年以上にわたって生きながら霊界、死後の世界を観察し、死者の霊や天使などと交流した。スエーデンボルグはその経験を数十冊の本に現わした。これが、19世紀から20世紀の欧米のスピリチュアリズム(心霊主義)に大きな影響を与えた。

「人の魂は死後、霊界に入り、善良な霊は天界に入り、悪人の霊は地獄に行く」というのが、スエーデンボルグの結論だった。しかし、スウェーデンボルグは、熱心なキリスト教徒であり、世の終わりに関係する「最後の審判」についても述べている。「最後の審判」とは、聖書で述べられているように、神様による人間の世界に対する最終的な裁きだとされています。

ニュートンやスウェーデンボルグの話しが信用できるのは、彼らが敬虔なキリスト教徒であったからです。日本人でも、信用できる霊能力を持った人間は、ほとんどが敬虔なキリスト教徒です。スウェーデンボルグは、悪霊も人間に干渉し、霊能力を持った人間の心を支配すると言っている。霊媒や心霊現象なら何でも信用できるという姿勢は危険です。悪魔は、霊能力を持った人間を支配し、人間を地獄に引き込もうとする。実際、カトリック教会では、「悪魔祓い」という儀式すら行われることがある。テレビなどでもてはやされる霊能力者は信用できない。霊能力があるなら、北朝鮮に拉致された被害者の居所を突き止めるなどの社会的貢献をすべきです。

そもそも、キリスト教の基本は「神の子」イエス・キリストが霊的な力を持ってこの世に現れたということにある。当然、キリスト教では天国や地獄、霊界が存在することが前提とされています。そして、キリスト教の聖書では、悪魔の影響で堕落した人間を、神様は「最後の審判」で滅ぼすという教義が書かれている。人間は裁きを受けて天国か地獄に行く。スウェーデンボルグによれば、1757年に霊界で「最後の審判」が行われ、その影響が人間界では200~300年後に現れるとされている。これは、ニュートンの予言とも一致する。現在、2021年は、ちょうどこの時期に相当する。

「2060年までは、世の終わりは生じない」というニュートンの予言が正しければ、また、「1757年の200~300年後に最後の審判の影響が人間界に現れる」というスウェーデンボルグの予測が正しければ、今、人類は「世の終わり」に先立つ「最後の審判」に直面していることになる。

19世紀から20世紀の初めにかけて欧米で心霊主義が盛んになり、20世になって、第一世界大戦、スペイン風邪の世界大感染、第二次世界大戦が生じ、戦後は米ソの冷戦を通して人類は多少反省したが、21世紀を迎えるとイスラム・テロとの戦いが始まり、そして今、米中による第三次世界大戦の危機が生じ、コロナ・ウイルスが世界大感染している。2060年に向かって、世界の危機は一層高まると思われる。第三次世界大戦や世界的な疫病の発生で人類文明は破壊される可能性すらある。まさに、「世の終わり」です。

その根本原因は、人が霊的な心を失い、物欲に従って生きるとうになったからだというのが正しい。「たった一度の人生だから、この世で幸福になるためには何をやってもいいんだ」という悪魔の教えに洗脳されているからです。だから、世界中でカネが神のように尊ばれている。カネは世界共通の宗教になっている。カネのためには、悪魔に魂を売ってでも金持ちになりたいという人間が世界であふれている。

しかし、「人の魂は死後、霊界で生き続け、善良な人間の魂は天国に行き、邪悪な人間の魂は地獄に行く」というイエス・キリストの教えを信じて、悪魔の化身のカネを避けて、貧しくこの世で生きて、死後は天国に入るというのが正しい人間の生き方だということになる。そういう人間が増えれば、最後の審判で人間は神様に赦され、「この世の終わり」を回避できるのです。

「人の生死」と「この世の終わり」は、密接な関係があるのです・・・


2021年12月6日月曜日

貧/富=> 善/悪=>(死後=> 霊界=>) 天国/地獄

死後も人の魂は、霊界で生きる。これが、日本人の伝統的な死生観です。縄文時代以降の死生観です。

そこに仏教が導入され、浄土思想(天国/地獄思想)が根付いたのです。しかし、明治維新以降の近代化によって、この死生観が曖昧になり、宗教は形骸化し、日本人の死生観も曖昧になりました。そして、「たった一度の人生だから、何をしてもいいんだ」と言う悪魔の思想がはびこるようになったのです。

医療や終末期のケアーの現場でも、「死んだらどうなるのか?」という不安に襲われる人間も多い。「死ねば、自分の意識は完全に消滅し、無しかない」と考え、恐怖に襲われる人もいます。終末期の人間を見舞う宗教人も、曖昧な答えしかできない場合が多い。そして、死者はモノのように扱われる例も多い。それでも、無宗教者が多数だと言われる日本人でも、年末年始などでは神社仏閣に詣でる人は70%を超える。表面的には、死後の魂の存続には不安を持ちながらも、縄文時代以来の魂の不滅性を信じる心が、まだ日本人には残っている。

科学的・論理的に考えれば、万物の創造主の神の存在は否定できない。キリスト教や仏教などの伝統的な正統宗教では、魂の存在とその死後の存続の上に教義が成立している。しかし、キリスト教ですら死後の世界については特に強調しない。信じる者は天国に行けるという教義を、おとぎ話のように語るだけです。あるいは、曖昧なあの世での成仏を、誰も理解できない漢文の経典を読んで、有難がらせ、位牌を拝むだけです。

そこに、スピリチュアリズムが世に受け入れられる土壌が出来上がった。わけの分からない霊能力を信徒にアピールする新興宗教や、霊視や生まれ変わり説で人々の興味を引き付ける霊能力者がテレビなどで人気を博する。しかし、彼らが文化の主流になることはない。オカルトの世界、霊能力という特殊な世界だとみなされ、むしろ、潜在的に危険な勢力だとみなされている。世界的にも、死後の世界を盲信して自爆テロを行うイスラム急進派などのテロ、韓国でしばしば発生する新興宗教の大規模詐欺、欧米の白人優先思想を裏付ける歪んだキリスト教の一派など宗教、スピリチュアリズムに対する警戒感も強い。

それでも、死にゆく人々の魂の平安を願うのが人間的な行為です。「死んでも、魂は天国で生きるよ」と、臨死の老人、病人などを納得させれば、彼らは安らかな死を迎えることができる。問題は、そのような確信を持った魂の導き手がほとんどいないことです。牧師・神父、僧侶は理屈でそのように理解していても、自分自身は100%、その教義を信じているわけではない。霊能力者は、死後の生は信じていても、この世の金もうけに忙しい。ここに問題があるのです。

必要なのは、伝統的な正統宗教の基盤の上に、スピリチュアリズムを理解した霊能力をもった専門家だということになる。

実際、イエス・キリストはそのような霊能力者だった。伝統的なユダヤ教を理解し、霊能力で病人を癒し、天国/神の国を人々に説いたのです。「貧乏人や不幸な人は天国に入れる」という教えを聞いた多くの人々が救われたのです。

つまり、強い道徳性、人間愛を伴った霊能力者が必要なのです。死後は誰でも、霊界に入れる。だから、この世で何をしてもいいんだ、という霊能力者は悪魔(それ自身が霊的存在)に洗脳され、その手先にされる危険を大きいのです。

18世紀のスウェーデンボルグのようなキリスト教的な裏付けを持った霊の力者は、「悪霊は人間を破壊しようとしている」と警告する。霊界は極楽ではない。天国に入れる善霊もいるが、自ら地獄を選ぶ悪霊も多いのが霊界です。

しかし、死にゆく人が死後に霊界から天国に入れるように、正しい霊的知識を与えることも必要です。そして、そこに善悪の区別、愛と憎悪、真理と欺瞞、神聖性と堕落・腐敗の区別が必要になるのです。それを、象徴するのが、「富は邪悪につながり、貧は魂の救済につながる」というイエス・キリストの教えです。現代技術で富の蓄積に走る人間には、「富は悪」という警告が必要なのです。実際、悪魔に魂を売らずに富を蓄えることはできません。悪を容認せずに、1円でも稼ぐことはできないのです。そして、それは「完全な善」を象徴する神の受け入れるものではなく、金持ちは霊界から地獄に落ちるのです。

イエス・キリスト以前の、ギリシアの哲学者ソクラテスやプラントンは「善人は死を恐れる必要はない」と言っていますが、まさに、「善人は死後、天国に入る」という教えを信じることが、イエス・キリストや仏教の教えに本当に従うことになるのです。

つまり、ホームレスのような宗教者、霊能者のみが信用できるのです。テレビで活躍する宗教者、霊能者には、悪魔が寄り添っていると考えるべきでしょう。たとえ、霊能力があっても、地獄とつながっている霊能者もいる。宗教家の肩書をもっていても、悪魔に魂を売った牧師・神父、僧侶もいる。

結論は、「死後は誰でも霊界に入れるが、さらに天国に入って、永遠の命を得るには、善人でなければならないし、善人の証明は、生きている間は貧乏人であることだ」ということです。

2021年12月3日金曜日

死後は、天国で永遠の命を得たいなら、神様/イエス・キリストを信じるべき!

神様の存在を信じない人間でも、自分の存在は信じる。

しかし、ウイルスも人間の細胞の存在は信じていても、人間そのものは理解できず、人間が存在するとは信じていないかも知れない。自分の存在は信じても、神様を理解できず、神様の存在を信じられない人間は、人間の細胞中に寄生するウイルスのようなものかも知れない。

存在するものには、必ずその源がある。この宇宙に存在する全てのものには、その源がある。源もなく、理由もなく、この精妙な大宇宙と人間とその精神が偶然に、無目的的に存在する確率はゼロです。あるいは、永遠の無限の試行の果てに存在するようになる。ということは、この精妙な大宇宙と人間とその精神が偶然に、無目的的に存在することは、現実に生じない。今でも、又は、いつでもその無限の試行は完了していないはずだからです。

神様ではなく、ランダムな、無秩序的なメカニズムがこの精妙な大宇宙と人間とその精神を作ったのなら、大宇宙と人間やその精神には精妙な秩序ではなく、ランダム性、無秩序性がその本質に含まれるはずだが、大宇宙や自然、人間とその精神には、法則性、秩序と、倫理性がそれらの本質として含まれる。例えば、多くの数学の定理が成立するように、この宇宙と人間の精神は作られている。要するに、神様がそのように精妙に大宇宙と人間精神を作られたと考えるのが適切であり、正しい。

人間と言うちっぽけな存在でも、存在するくらいだから、神様と言う偉大な存在は当然存在すると考えるのが、正しい考え方です。ちっぽけな犬や猫と言うペットが存在するくらいだから、もっと偉大な飼い主という人間は当然存在するのです。

さて、万物の創造主の神様の存在を信じたからと言って、「自分と神様の間に何の関係がある? 神様なんか関係ない!」と考えたがる人間もいる。「神様が存在しても、人間を救ってくれるわけでもない。自分の人生と神様は何の関係もない!」と考えたがる人間もいる。

しかし、生まれつき神様を信じ、神様を尊敬し、神様に従おうと言う人間もいる。あるいは、人生経験を積んで、やっぱり神様を信じるのが正しいと考える人間もいる。もしくは、死後の世界のことを考えて、自分の魂を死後、天国で生かしてくれるのは神様だと気が付いて、神様を信仰する者もいる。

救世主と言われるイエス・キリストは、「神様を信じ、私の教えを信じる者の魂は、死後、天国で永遠の命を得る」と言っておられる。

つまり、魂の存在、死後の世界と霊界や天国の存在、永遠の命を信じる者は、「その魂は、死後、天国で永遠の命を得る」ということになる。

ただし、条件がある。「金持ちであってはならない、貧乏人であるべき」なのです。なぜなら、金持ちになろうとする人間、又は、金持ちである人間は、必ず、悪魔に魂を売り、神様を裏切るからです。カネは悪魔の化身です。

神様を信じ、貧しく生きることが、死後、天国で永遠の命を得る条件なのです。従って、信仰心のある貧しい人間は、ソクラテスやプラトンが言うように、死を恐れる必要はないのです。これが、神様の子と言われる救世主イエス・キリストの教えです。

なお、ブッダは万物の創造主である神様の存在を認めなかったので、死後の天国での永遠の命という考えは持たなかった。精神を超高度化すれば、全ての肉体的かつ精神的な苦しみから解放され、死後の天国など考える必要がないというのが仏教の本来の考えです。

神様を信じないのは自由であり、ブッダの教えを信じるのも自由であり、神様やイエス・キリストを信じるのも自由です。しかし、自分が悪魔に苦しめられていると考える人は、死後は天国で救われたいと考えるのが自然です・・・

2021年12月1日水曜日

天皇制から大統領制へ! 21世紀の日本が生きる道!

天皇制は、1945年の第二次大戦の終了と共に瓦解した。これが正しい歴史的認識です。

日本を占領した連合軍のマッカーサー元帥が、新たな憲法の草案を作成し、それまで国家元首であった天皇を、明治憲法におけるような実権をもった国家元首ではなく、単なる象徴役に降格させた。当時の日本人は、この画期的な処置を受け入れた。

実際、第二次大戦で日本国民は300万人の戦死者を出していたが、天皇や戦争中の指導者は誰も責任を取ろうとしなかった。連合軍が東京裁判で、東條首相(大将)などを処刑し、天皇を象徴役に降格させたことで、国民は一応、納得した。その延長上に21世紀の日本も存在する。

しかし、戦後の歴代の日本政府は、実質的に天皇を首相の上に置き、政府の権威付けに利用して来た。マッカーサー草案による戦後の日本国憲法は、熱心なキリスト教徒であったマッカーサーの思想を反映し、アメリカのキリスト教を基本とするアメリカ型の民主主義を導入するものであったが、日本の占領を円滑に行うためにマッカーサーは天皇家の存続を認め、その権威で日本政府が円滑に機能することを狙った。つまり、天皇が日米開戦に賛成しなければ、300万人の国民は戦死せずに済んだのであるが、天皇は戦争を防止する権限を持ちながら、その権限を行使せず、戦後もその天皇の責任は「うやむや」にされた。

そして、戦後の日本社会の問題点を突き詰めれば、この事実上の戦後の新天皇制の欠陥に行き当たることになった。本来、マッカーサーが草案した戦後憲法が目指していたのは大統領制の導入です。天皇ではなく、大統領を政府の最高権威とし、アメリカのように大統領が神に忠誠を誓うことが求められているのです。そして、それが人類の歴史の正統なのです。

日本の歴史・文化における天皇家の影響は大きいが、戦後の世界は欧米発のキリスト教を基本とする民主主義が主流であり、キリスト教の神が人類の神であるとみなすのが主流となっている。(なお、ユダヤ教、イスラム教の神も、キリスト教の神と同じです。)

天皇制には、四つの問題がある。第一に、上に述べた300万人の国民が戦死した先の大戦の戦争責任。第二に、天皇崇拝は、キリスト教の神を人類の神を認める、人類の歴史的流れに反すること。第三に、大統領制でなければ、21世紀に日本が迎える試練(少子化、貧富の格差、コロナなど)に、効果的に対応できないこと。第四に、天皇家の出自が曖昧なこと。(天皇の祖先は、古代中国の秦帝国から渡来した方士の徐福の一行だと思われる。しかし、日本人とその文化の基礎となったのは、天皇家出現以前に1万年以上続いた縄文文化です。縄文文化に比較すれば、天皇文化は新参ものだということになる。)

要するに、日本が21世紀以降も発展するには、事実上の天皇制に依拠する体制では非効率であり、国家の衰退が予測されるので、強力な大統領制を採用し、欧米各国と同じ一神教を信奉し、世界文明の主流となるべきだ、ということです。

ただし、キリスト教を国教にせよ、ということではなく、また、天皇家も伊勢神宮の神官として、それなりの待遇を与えてもよい。ただし、国家元首は、アメリカのように民主的に選ばれた大統領とするということです。

縄文人の子孫の日本国民から日本国大統領を選ぶことが、日本の進むべき道です。