世の中には、絶望している人もいる。
「カネがない」、「仕事や収入がない」、「友達がいない」、「事故にあった」、「事件の被害者になった」、「病気になった」、「いじめから逃げられない」、「不幸の連続だ」、「悪霊に憑りつかれた」、「相談者がいない」など、絶望している人がいる。
要するに、不治の病を宣告され、「寿命あと何年、何カ月」と宣告された気持ちになっている人もいる。
たいていの人間は、祈禱師や拝み屋に頼る。政治家も専属の祈禱師を持っている人間がいる。怪しげな宗教に頼って被害を受ける人もいる。ブッラク企業や詐欺師に騙される人もいる。医師に見放され、又は、無能な医師にかかり、無責任な教師に苦しめられ、悪意の同僚や上司に悩まされる人もいる。
しかし、何はなくても、人間には最後の手段がある。それが、「神仏への祈り」です。
宗教は問わないでも、霊的な偉大な存在に「祈る」ことは効果を持つ。だから、仏教も神道も、キリスト教も2千年近く存在してきた。祈りに効果がなければ、すぐに廃れる。ただし、霊界の偉大な霊の序列など人間には分からない。仏教関係では、仏陀が最高の存在らしいことは分かるが、空海などの密教関係の名僧の評判は高い。神道関係では、天照大御神やスサノオノミコトなどが人気が高い。新宗教では、仏教や神道関係の大霊の他に、イエス・キリストまで取り込んでいるものがいる。それでも、霊界の神々の力は皆、認めている。
心霊解釈によれば、それらは皆、霊界の天使の一種だということになる。霊界も人間界も唯一の絶対神が創造し、霊界にはさまざまな大霊が生まれた。あるものは、霊界の天使となり、ある者は仏教の大霊となり、また、ある者は神道の大霊となったと考える。現実のキリスト教では、キリスト教以外は邪教だと考えるが、全ての霊は唯一の絶対神の下にあり、それぞれの宗教は、それぞれの大霊に属すると考えれば、宗教間の対立はない。普通の日本人のように、年末/年始には神社や寺院に詣で、クリスマスにはイエス・キリスト生誕を祝えばよい、ということになる。
要するに、この世は霊界のエネルギーから、唯一の絶対神によって作られ、その絶対神の下に仏教の善霊や、天皇家が崇める天照大御神がいると考えればよい。霊界のエネルギーを与えてくれる大霊であれば、何でもよいからその大霊に祈れば、霊界のエネルギーを与えられて、この世の問題は解決すると考えるべきです。
つまり、霊界の大霊に祈ることが大事だということになる。霊界のエネルギーは、この世でも有効です。霊界の力はこの世でも働き、その力を得た人は超能力を発揮できるようになる。このことを明確に宣言したのがイエス・キリストなのです。つまり、本来のキリスト教は祈りによって超能力を得ることを勧める宗教だった。(現実のキリスト教は、単なる道徳宗教になっている。)
従って、世の中に絶望している人は、聖書を読んで霊性を高め、イエス・キリストの神様(唯一の絶対神)を信じ、祈りを通して助けを求めれば救われる、という理論が成り立つ。これは、科学的な理論ではないが、霊的な理論です。
優れた宗教者や医学者も「祈り」の力は認めている。ただし、欲望を追求する生活をしていては、正しく霊界の方向に向かえない。清貧の生活をすることで、正しく霊界の方向に向かうことができ、「祈り」が霊界の大霊、又は、絶対神に届くことになる。
つまり、この世の問題はカネという名の悪魔に頼って解決するのではなく、霊界の善霊や絶対神に祈って解決すべきだということです。
清貧生活と霊界のエネルギーの理解を通して、神仏に祈れば問題は解決することを信じるのが、本当の宗教なのです・・・