日本の歴史を動かしてきたのは、日本の霊性です。
素朴な自然宗教の縄文土器の時代、銅鐸・稲作に象徴される弥生文化、卑弥呼の鬼道、仏教伝来以前の古墳文化、 奈良時代までの天皇家中心の古代の神道と中国仏教の受容、平安時代の怨霊・陰陽道や密教の世界、鎌倉時代以降に展開した日本独自の仏教、戦国時代(各大名が真言宗の密教僧などを使う)から江戸幕府初期の切支丹の普及、江戸幕府(天台密教や朱子学を重んじた)のキリスト教弾圧と仏教寺院による民衆管理、そして、幕末の新宗教の台頭から天皇神道による第二次世界大戦での悲劇から、キリスト教精神に基づく戦後憲法の下での繁栄(言論・思想の自由により新・新宗教も盛んとなる)と、日本の歴史の流れは、日本社会の霊的な変化に象徴されている。
つまり、かつては仏教や道教、儒教を取り入れ、また、明治以降は新宗教ブームとなりながらも、日本人はその基本的な霊性を守って来た。
今も、日本人は病気、人間関係、仕事関係などで苦しむと、祈禱師や拝み屋、密教僧や神道系の行者や新・新宗教の霊能力に頼る人間が多い。年末・年始には神社・寺院に参詣して願いをかける。日本人はどこかで神仏や大霊の力を信じている。また、呪術や心霊現象への関心も高い。戦後の天皇象徴性も、そのような人々の宗教観に根差しているが、今では天皇家では霊的な威力は失われ、現天皇/皇后もイギリスやアメリカのキリスト教国で教育を受けている。ただし、天皇家は、自分たちは日本神話の天照大御神の直系だと今でも信じている。
つまり、天皇神道を掲げて第二次世界大戦を戦った日本は、キリスト教国アメリカに敗戦し、天皇神道の限界に人々は気づき、アメリカのキリスト教に基づいた新憲法を受け入れ、アメリカ文化を受け入れ、その体制が現在まで続いている。キリスト教の精神や、それに基づくアメリカ式の民主主義や文化を日本人は認めるようになったが、それでもキリスト教の様式、教義には馴染めなかった。イエス・キリストの名前は誰でも知るようになったが、聖書を読む習慣は日本人には根付かなかった。実際に、日本からキリスト教の聖者は現れていない。公式には日本人のキリスト教徒は国民の1%だと言われている。
他方、スピリチュアリズムや神秘主義に基づく新・新宗教は、多くの信徒を集めている。超能力を売り物にしたオウム真理教事件や、統一教会関係の安倍元首相の銃殺事件などで「宗教団体はいかがわしい」との認識も浸透するようになったが、社会自体が金権主義で腐敗・堕落しているのだから、宗教をカネ儲けの手段として考える人間は後を絶たない。
日本の霊性の歴史の最後、即ち、現代社会は欧米のキリスト教精神の受容だったが、それが伝統的な日本人の神仏観、霊性とつながっていない。しかも、現在の欧米のキリスト教自体が腐敗・堕落したと言われている。日本人は自ら聖書を読まなければならない。バチカンの教義やプロテスタント系教会の教えからも霊性は失われている。しかし、キリストの教えの基本は単純です。聖書は仏典や祝詞と違って、分かりやすい言葉で書かれている。
その聖書でイエス・キリストが言っていることは、(1) 霊界は存在し、死者は死後、天国か地獄に行くこと、(2) ただし、金持ちやエリートは天国に入れないこと、です。これだけでも、画期的な教えだと言える。さらに、(3) 信仰心があれば、イエス・キリストのように病人を癒し、悪霊を追い出せること、(4) この世は悪魔の影響力の下にあり、イエス・キリストの信者は悪魔に魂を売った人間に攻撃されること、(5) それでも、イエス・キリストの教えを捨てない者は、神様が天使を送って助けてくれるということです。無学な人や貧乏人を救おうとしたイエス・キリストの言葉は分かりやすい。誰でも、意味が分かるのです。
要するに、日本人が伝統的に信じてきた霊の世界は存在するが、悪魔に魂を売って富や権力を得た者は死後、天国に入れない。日本の伝統的な清貧生活をすれば、イエス・キリストの神様が助けてくれるということです。
つまり、「本当のキリスト教は貧乏を推奨する宗教」であり、カネや富を求める人々が作る社会では本来、受け入れられない。なぜなら、カネや富の獲得のためには、人間は魂を悪魔に売るからです。だから、欧米ではこの教えは歪められ、都合の良い聖書解釈が行われ、富を追及することが常識になっている。つまり、現代の世界はキリスト教の霊性を無視した物質文明が主流になっている。
しかし、イエス・キリストの本来の教えは、富の崇拝を否定するものです。その代わり、信じる者はイエス・キリストのような霊能力を与えられる。どんなに貧しい生活をしていても、天使が助けてくれる。これを信じることが本来のキリスト教なのです。ただし、仏教や神道を否定するものではない。それぞれの宗教の教祖も、イエス・キリストの神によって魂を与えられたということです。
だから、貧しい人、不幸な人、正義を求める人、他人に親切な人は聖書を読み、神様、イエス・キリスト、聖母マリアなどに祈れば、霊能力を与えられて、さまざまな問題を解決できるようになる。日本の伝統的な神仏の上に、「霊界とこの世の創造主のイエス・キリストの神様」が存在することを信じれば、怪しげな宗教団体とつながった神仏に祈ったり、厳しい修行をしなくても霊的な力を与えられるのです。さまざまな問題をカネで解決するのではなく、愛と信仰心で解決せよ、というのが聖書の教えです。
実際に、イエス・キリストは、「幼児のように素直に信じる者は、山を動かす奇跡でも起こすことができる」と言っている。貧困問題も、人間関係でも、社会問題ですら霊能力や超能力で解決できるようになる、ということです。