2023年10月30日月曜日

修行とは、清貧生活をしながら悪魔と戦うこと!

秋の富士山

人間は死後も、霊界で修行を求められる。霊界で修行をしなければ、霊界で高いレベルに上がれずに、どんどん地獄に近づく。しかし、修行をすれば天国に近づく。 

「修行」とは、「悪魔に魂を売らない」こと。「悪魔に魂を売らない」とは、「貧乏生活」をすること。貧乏生活は、霊界ではなく、この世で生きている間に行わなければならない。そのため、魂は何度もこの世に生まれ変わって修行をしなければならない。これが、輪廻転生、生まれ変わりの理論です。

従って、この世の貧乏生活は、死後の霊界で天国に入るための修行だと考えることが必要なのです。

しかし、この世では、悪魔が修行を妨げようとする。「死後は無だ。この世で生きている間に、出来るだけカネを得て、この世で幸福になるべきだ。人生はたった一度なのだから」という誤った考えを、悪魔は人間に吹き込む。そして、「悪魔に魂を売ればカネは得られる」と教え込む。

この悪魔の教えに従った人間が、企業、役所、宗教団体を支配しているのが世の中です。

特に、宗教団体には悪魔の教えを神様の教えだと信じる狂った人間が多い。彼らは悪魔を神だとして崇めている。信徒から寄付金やお布施を奪ことが正しいことだと考えている。宗教の教えを使って、どのように信徒を騙すかを毎日考えているのが、大部分の宗教団体の幹部です。

だから、ホームレスのような生活をしている教祖しか信用できない。美食や美酒を好む教祖は信用できない。毎日、お握りやコッペパンで生活している教祖しか信用できない。

しかし、キリスト教や仏教という伝統的な宗教組織にも悪魔が入り込んでいる。神父・牧師や僧侶という肩書に溺れて、一般人を下に見る神父・牧師や僧侶もいる。また、山に籠って禁欲的な生活を送るのが修行だと考えている、密教僧や修験者もいる。しかし、そのような密教僧や修験者の背後には大きな教団組織がある。大きな教団組織は、巨額の寄付やお布施で運営されている。つまり、社会の中で宗教組織に属さず、普通の生活をするのが修行なのです。

これを日本の伝統から言えば、清貧生活をすることが修行だということになる。清貧生活をしていれば、死後は、カネ持ちより高いレベルに上げられる。この世の階級、身分と死後の霊界でのレベルは反対になる。だから、富裕層とエリートは死後は天国に入れない。

しかし、この世で貧乏生活をするだけでは十分ではない。貧乏人の世界にも悪魔が入り込む。だから、貧乏生活をしなかがら悪魔と戦うことが必要です。つまり、清貧生活をしながら、自分は悪魔と戦っているのだ、と言う意識が必要なのです。貧乏生活をしながら、悪魔の誘惑に勝つことが必要なのです。そのために、聖書を読んで悪魔と戦ったイエス・キリストを学ぶことが必要なのです。

「死後の世界(霊界)は存在する、この世は修行の場だ、修行とは貧しい生活をしながら悪魔と戦うことだ」、と考えるのが正しいのです。

しかし、たとえ霊の存在を信じ、死後の世界(霊界)が存在することを知っていても、悪魔に魂を売ってこの世で大金を稼ぎ、物質的な幸福を求める人間もいる。だから、富裕層・エリートは信用できない。祈禱師・霊能者の中にも悪魔に魂を売ってカネを稼ぐ者がいる。スピリチュアルな知識でカネを稼ぐ者もいる。イエス・キリストも大霊能者だったが、無料で心霊治療を行っただけだった。聖書は死者の霊を呼ぶことなどは禁じている。霊界には悪魔がいて、霊能者や祈禱師などもその手下にされることが多い。そのためには、聖書を読んで悪魔を退けることです。本来、仏教や儒教は霊界の危険を知っているので、死後の世界は無視する教えだった。輪廻転生しなくて済むように、この世での修業を成功させるための教えが仏教や儒教です。心霊主義やスピリチュアリズムも、悪魔に付け込まれる場合が多い。イエス・キリストは霊的な知識ではなく、信仰によって霊能力を高めよと言っている。

要するに、日本の伝統の清貧生活をしながら、聖書を読んで悪魔と戦い、霊能力を高めるのが、本当の修行なのです。

山の中で滝に打たれたり、何万回も念仏を唱える苦行よりも、普通の社会生活の中で貧しい生活をするのが修行なのです・・・