2022年1月30日日曜日

「死後の世界」と、「この世での貧富」の関係に気が付くべき!

東京の神社

聖書によれば、「死後の世界」はある。

善人や貧乏人は死後、「天国」に行き幸福になり、永遠の命を与えられる。

しかし、悪人や金持ちは、「地獄」で悪魔に支配され、やがて、悪魔と共に神によって滅ぼされる。

これを信じれば、誰もが善人として貧乏を目指して生きなければならない。金持ちの信者は、富を捨て、カネを貧乏人に与えて貧しくなり、善人となるように努力しなければならない。これは、大革命です。実際、この世の富と幸福ではなく、死後の幸福を求めて生きるのは、今の世では狂気の沙汰です。

しかし、死後の世界は有るか、無いか分からない。天国や地獄は作り話しだと考える人は多い。そんな不確かな話より、現実の生活のためにはカネが大事だ、と考える。

普通の人間は、「臨死体験や心霊現象も科学的には証明されていない。怪しげな宗教に近づくのは危険だ。キリスト教の牧師や神父も、『金持ちは死後、天国に入れない』とは言わない。やはり、この世で金もうけをして幸福になるのが大事だ」と考える。

しかし、人々が、死後は存在することに気が付けば、間違いなくその生き方は変わる。死の恐怖から救われるだけでなく、今度は、死後の幸福を考えることになる。そこで、イエス・キリストは、「貧乏人は天国に入れるが、金持ちは天国に入れない」と宣言している。ここで、皆が、立ち止まる。金持ちを敵視する宗教など信じる必要がない、とほとんどの人が考える。実際に、教会も寺院も、宗教団体は富裕増からの寄付に頼っている。だから、このイエス・キリストの教えはキリスト教の世界でも大きくは取り上げない。ヴァチカンのローマ法王自身が、世界で最も高価な教会施設で、最高の富裕層の生活をしている。しかし、キリスト教は本来、貧者のための貧乏を讃える宗教だったのです。

悪魔は、この世で幸福と富を求める人間が、死後の世界を信じることなく、幸福や富のためにはどんな悪事でも行うことを期待している。だから、悪魔は、イエス・キリストの死後の世界に対する教えを隠そうとする。そのために、牧師などの心にも悪魔は入り込む。

悪魔が支配するこの社会では、政府、企業、テレビ、新聞、学界、芸能界の幹部を悪魔が支配し、イエス・キリストの死後の世界に対する教えを無視させようとしている。「死後のことより、今、カネ儲けをしろ」と言うのが社会の常識になっている。

しかし、死後の世界が存在し、天国と地獄も存在すれば、この世の仕組み、経済、宗教、学問も全てくつがえされる。人々が、死後の世界が存在し、天国と地獄も存在することに気づけば、大革命が生じる・・・

イエス・キリストは、2千年前に既に「貧乏人は天国に入れるが、金持ちは天国に入れない」と宣言しているのです・・・

「貧」は悪の欠如を意味し、「カネ」は悪を意味するのです。だから、貧乏人は死後に「天国」に受け容れられ、富裕層は「地獄」に行くのです・・・

2022年1月28日金曜日

ホームレスのラザロと、金持ちの死後の運命とは? 聖書の教えとは?

富士山

聖書の中で、神が貧乏人を天国に入れ、カネ持ちを地獄に落とすのを証明する箇所!

ルカによる福音
第16章
16:19
ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
16:20
ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
16:21
その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
16:22
この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
16:23
そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
16:24
そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
16:25
アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
16:26
そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
16:27
そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
16:28
わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
16:29
アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30
金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31
アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。(https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3))

アブラハムとはユダヤ人の始祖であり、神に認められるほど信仰の篤い人だった。アブラハムの いる所とは天国です。

聖書のこの部分は、「金持ちは、生前よいものを受け、貧乏人は悪いものを受けた。しかし今ここでは、つまり、死後の世界では、貧乏人は慰められ、金持ちは苦しみもだえる」ということです。

これほど明確に、「貧乏人は死後、天国に行き、金持ちは死後、地獄に行く」ことをドラマチックに述べた宗教書は少ない。

重要な点は、「貧乏人は無条件に天国に受け容れられる」ということであり、「金持ちは無条件に地獄に落とされる」ということです。

さらに、この話を拡大すれば、この世の「富裕層、エリート、組織の幹部、上流階級、成功者、幸福な人、人気者、高学歴の人間、才能のある人」などは、皆、金持ちということになり、地獄に落ちることになる。

当然、キリスト教の世界でも、教団や教会の幹部、牧師、神父は地獄に落ちることになる。ということは、バチカンの元首、ローマ法王も地獄に落ちることになる。

これでは、大変なことになる。そこで、聖書のこの部分は黙殺され、軽く読み飛ばされ、又は、わざと複雑な解釈を行って一般信徒が真剣に考えないようにさせているのです。

2千年前にイエス・キリストがこのように述べたとき、世界にはまだキリスト教会もバチカンもなかった。ヨダヤ教の司祭はみな、金持ちの生活を送っていた。だから、この物語の中のラゾロとは、自分のことだと多くの貧しいユダヤ人は考え、イエス・キリストの教えを信じたのです。

つまり、神による貧乏人の救済、カネ持ちへの処罰を唱えたこの教えが、欧米を中心とする現在のキリスト教の出発点となったのです。

しかし、時代と共にキリスト教会は堕落し、信徒は皆、金持ちを目指すようになった。そして、教会は富裕層からの献金・寄付に頼るようになったのです。

それでも、本当のイエス・キリストの教えは聖書に書かれているのです・・・

2022年1月27日木曜日

貧乏人を救うイエス・キリスト、死後の天国を約束して・・・

 
皇居前

神様の救いを求めるのは貧乏人、不幸な人、社会の敗北者、下層・底辺の人間です。

そこで、神様は救世主イエス・キリストを、貧乏人、不幸な人、社会の敗北者、下層・底辺の人間を救うためにこの世に遣わした。これが、キリスト教の真実です。

しかし、救世主イエスは、カネで貧乏人、不幸な人、社会の敗北者、下層・底辺の人間を救おうとしたわけではない。

救世主イエスは、まず治癒力で病の人を治し、霊能力で死者を甦らせ、さまざまな奇跡を起こした。そして、その上で、「死後の天国での幸福」を約束した。イエスの霊能力を見て、イエスが神から来たのを信じた人々は、そのイエスの言葉を信じたのです。これが、2千年前に救世主イエスがこの世に現れたときの実状なのです。なお、当時の素朴な人間は、神の存在、霊界と天国の存在、天使と悪魔の存在、死後の世界を素直に信じていたので、イエスの言葉も受け入れやすかったのです。現代人は「死後の天国での幸福」など鼻で笑うところだが、昔の人は真面目に信じたのです。そのお陰で今もキリスト教は生きているのです。

しかし、悪魔は神様とイエス・キリストの思いを妨げようとして、人々をカネで洗脳し、社会を堕落・腐敗させ続けた。その結果、現代では事実上、人類の過半数が悪魔(カネ)を神であるかのように崇拝しているのです。

さらに、悪魔は人間の霊的能力を鈍らせ、「死ねばおしまいだ」との思想を広め、「天国や地獄もおとぎ話だ」との観念を植え付けたのです。特に、科学と技術の発展で人間は自然な霊能力を失い、死後の霊界を信じる心を人間は失った。ただし、神は人間の宗教心を守って、人間が完全に霊的理解を失わないように助けて来た。それでも、宗教団体には悪魔が手先を送り込んで堕落・腐敗させてきたし、霊能力者もカネで汚染され、宗教自体も混乱した。まさに、宗教は神の善と、悪魔の邪悪さの戦いの場となった。

この世の幸福を求める人間は、幸福に必要なカネを求めようとし、そのためには、悪魔に魂を売ってでもカネを得ようとする。悪魔はカネを小道具として使い、人間を洗脳し、そのような社会体制を作らせ、カネで人々を支配しようとするのです。悪魔に魂を売り、悪を許容させ、悪魔を神として崇めさせることに悪魔は成功したのです。この世の全ての悪の根源は、まさに、悪魔による支配と拝金主義にあるのです。つまり、人々が「カネのためなら、この程度の悪は許されるはずだ」と考えるのが、地獄への第一歩となったのです。

その結果、「たった一度の人生だから、悪魔に魂を売り、道徳を無視し、冷酷に他人を見捨てて成功し、富を得て成功者となり、この世で成功と幸福を手に入れるのだ」と考える人間ばかりになったのです。

しかし、この考えは間違っている。この世の人生の後には、霊界での生活が待っている。この世でカネ持ちになっても、死後の世界にカネを持ってはいけない。死後に人間の魂が行く霊界は、神様が支配する世界です。この世で悪魔に魂を売った金持ちは、霊界の天国に入って永遠の命を得ることはできない。イエス・キリストは明確に「金持ちは、天国には入れない」と述べているのです。金持ちの邪悪な霊は、この世の制約なく悪を発揮できる地獄に行くか、又は、霊界から悪魔の手先となって、人間界に悪影響を及ぼす。

他方、この世で苦しんだ貧乏人、不幸な人、社会の敗北者、下層・底辺の人間、そして、真理と正義を愛し、信仰を実践した人間は、霊界の天国に受け容れられる。そして、天国で幸福に永遠に生きることができる。これが、救世主イエスの教えの真実なのです。

要約すれば、「貧乏人、不幸な人、社会の敗北者、下層・底辺の人間、そして、真理と正義を愛し、信仰を実践した人間」は死後、天国に入って永遠の命を与えられ幸福に生きる。

しかし、金持ち、富裕層、エリート、上流階級の人間、社会の成功者、幸福な人間は死後、地獄に落ちて、やがて、神によって悪魔と共に滅ぼされるのです。

人間の死後は、その魂は霊界に入って生き続ける。これは、臨死体験者が証言するように正しい。しかし、霊界で善良な霊は天国に行き、凶悪な霊は地獄に落ちるのです。


2022年1月24日月曜日

「異境を見た寅吉」と「昭和人情の寅さん」

月と都市 

幕末がまだ始まらない平和な江戸時代に、仙人(霊)に連れられて異境(霊界)を見たと言う江戸の貧乏少年、寅吉からの聞き書きで著名な国学者、平田篤胤は、「学問をするにはまず自らの死後の魂の行方を最優先で知らなければならない」と考えて、『仙境異聞』を著わし、最近にも注目され、岩波文庫『仙境異聞・勝五郎再生記聞』は、異例の売れ行きを見せたと言われている。

その「仙境異聞下 仙童寅吉物語二」の最後に、霊界を見てきた寅吉の現生(この世)批判が記さている。

「学問は良いものだが、それを究める者は者は少なく、大部分は生学問をして、知識を鼻にかけ、書物を知らない者を見下し、高慢で心が狭く、最後には悪魔・天狗に憑りつかれる」と、寅吉はまず学者を批判する。

さらに、「慢心や心の高ぶりほど悪いものはない。美人、芸の達人、金持ち長者なども慢心おごりの心があるから、大部分は魔道に入る」と、イエス・キリストのような言葉を述べている。

「金持ちが、十分な富があるのに更にカネを求めるのは、神が憎むところだ」と、まさに聖書の趣旨に沿ったことを述べている。

「金持ちが一所にカネを集めるゆえに、貧乏人が多くなる。金銀は天下のもので個人のものではない。いくら金銀を集めても、死ねばあの世には持ってはいけない。金持ちは、死んでも欲心は消えず、人の物を集めて欲しがる鬼物となり、やがて魔道に入る」とまで言っている。まさに、イエス・キリストの教えの通りです。

平田篤胤は仏教ではなく、神道を学んだ人間であり、寅吉の仏教の僧侶(幕府の庇護に甘えて堕落)に対する批判も隠すところなく述べている。江戸時代には幕府が仏教を優遇し、庶民を管理する役割を寺院にもたせており、仏教批判は幕府に危険視されたのか、やがて平田篤胤は江戸を追われて故郷の秋田に帰っている。

平田篤胤は、若い時、秋田から脱藩して江戸に出て来た苦労人であり、寅吉の金持ち批判には大いに共鳴したと思われる。

まだ十代の少年の寅吉が、大人の学者や侍に自分が体験した霊界・仙人界のことを話すときには、バカにされまいとして多くの誇張もあったと思われ、信じがたい言葉も多いが、ヨーロッパの18世紀の霊能者スウェーデンボルグによる霊界見聞記の江戸バージョンだと考えることもできる。いずれにしても、実体験の裏付けがなければ、江戸時代の少年の寅吉が臆するところなく、長期に渡って作り話を身分が上の目上の学者や侍に話し聞かすことなど考えられない。

18世紀のヨーロッパの霊能者、スウェーデンボルグによれば、霊界には、この世の全ての事物が対応する形で存在するとされているが、スウェーデンボルグが見た霊界は、ヨーロッパ人から見た霊界であり、寅吉が見た霊界は日本の江戸時代の霊界だと考えられる。今の日本人にとって、スウェーデンボルグが見た霊界の方が分かりやすい。特に、神道家の篤胤の寅吉への質問は、神道の祭具や儀式に関することが多く、我々にはなじみにくい。それでも、霊界の本質である神(善)と悪魔(悪)の戦いという点においては、本質をついている。

平田篤胤自身も夢で本居宣長に会って、その弟子入りを許されたと述べるように、霊感を重視する人物だった。明治維新で新政府は、幕府が優遇した仏教を軽視し、皇室神道を推進することになり、平田篤胤の神学も注目されるようになったが、やがて、政府・神道主流からは排斥される。

『明治維新期には平田派の神道家は大きな影響力を持ったが、神道を国家統制下におく国家神道の形成に伴い平田派は明治政府の中枢から排除され影響力を失っていった (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4)』

逆に言えば、明治以来の日本のエリートには、寅吉の見た霊界の真理とは相容れないものがあったと考えられる。それは、上に述べたような寅吉のエリート批判は、明治から現代に至るエリートには受け入れられないからだろう。

平田篤胤は秋田で没し、寅吉はやがて千葉に移り、自分の体験を書物に書くこともなかったが、霊能力によって医者として人生を終えたとされている。その子孫は薬草の販売や、健康に効果のある温泉旅館の運営をしたとされている。いずれにしても、霊界で仙人が、寅吉をこの世で平田篤胤にめぐり合うように仕組んだとも考えられ、平田篤胤がいなければ、寅吉の話も現代には残らなかっただろう。

なお、「寅吉」は明治維新前の江戸時代に人々に霊界の知識を与え、平田篤胤を通して権力と富に対する警告を与えたと考えられるが、昭和の後半には、1995年以降の世紀末・新世紀に生じる震災・デフレ金融危機・コロナ大感染を前に、「男はつらいよの寅次郎」映画が国民の間に人気を博し、人情と隣人愛の大切さを訴えていたと考えられる。明治維新の動乱の前の「異境を見た寅吉」と20世紀末に先立つ「昭和人情の寅さん」という、2 人の「寅さん」を使って神が人々に警告を与えたと考えられる。

2022年(令和4年)は寅年です。第三の「寅さん」が出てきてもおかしくない・・・

2022年1月23日日曜日

「にせ預言者」と「にせキリスト」を警戒せよ!

富士山

聖書は「偽予言者を警戒せよ」と教えている。
マタイによる福音書 - 第7章
15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。

マタイによる福音書 - 第24章
24 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。

「にせ預言者」とは、宗教団体に属していないでも霊能力をもった人間であり、「にせキリスト」とは、何らかの宗教団体に属している人間だと考えられます。

霊能力があっても、悪魔に魂を売っている人間はいる。宗教的知識や修行をしていても、その心に悪魔が入り込んでいる人間はいる。彼らは、一般人と異なる能力を持っていることで、優越感を持ち、自分たちは特別な存在であり、成功と大きな富を得て、幸福に生きる資格・権利があると考えている。その傲慢さに悪魔が入り込み、霊能力などを使って一般人を利用して自分は豊かな生活を送ってもいいはずだと洗脳する。

これは、18世紀の霊能者スウェーデンボルグが警告していることです。つまり、霊界には悪魔や悪霊がおり、人間の心に入り込んで支配し、人間を破滅させようとする。臨死体験者は、魂が肉体を離れることを経験するが、逆に、悪霊は人間の心に入り込んで、悪魔の教えで人間を洗脳する。そういう悪霊や悪魔に心を支配されている人間が、「にせ預言者」や、「にせキリスト」なのです。

スピリチュアリズムや、新宗教の危険性はこの点にあります。人間の欲につけこみ、金銭崇拝の思想を吹き込み、ご利益(りやく)で人々をひきつけ、最後には、「カネがほしければ、また、幸福になりたければ、私を信じなさい」というのが、彼らのやり方なのです。特に、「にせ預言者」や、「にせキリスト」は、テレビやネット、漫画、アニメなどで娯楽・エンターテインメントを利用してやって来ることも多い。

或いは、最初は真面目な霊能力者であっても、この世の腐敗・堕落の雰囲気に染まって、しだいに悪の道に進む霊能者もいる。キリスト教関係者であっても、この世の荒波にさらされているうちに、真摯な信仰心を失って、自分の幸福を第一に考えるようになり、いつしか悪魔に洗脳される者もいる。

霊や霊界の知識があり、さまざまな霊能力を持っていても、心の奥底では悪魔とつがっている人間も多い。

そこで大事なことは、神は完全な善であり、「善悪」の問題は、「生死の問題」や「霊的問題」に優先するということです。

全ての人間が死後に行く霊界でも、善人は天国で受け入れられて、幸福に生きるが、悪人の霊は地獄に落ちて、悪魔に支配され、苦しむのです。

「にせ預言者」や、「にせキリスト」に惑わされないためには、「人類の最高の霊能者のイエス・キリスト」の言葉を聖書で読んで、その真意を理解することです。

21世紀では、今後、コロナだけではなく、多くの危機が人類を襲い、「にせ預言者」や「にせキリスト」も出現すると考えられます。スピリチュアリズムや心霊に関する最高の書物は聖書であり、天国につながる聖書を信じて、地獄につながる「にせ預言者」や、「にせキリスト」に対抗すべきなのです・・・


2022年1月21日金曜日

コロナは、悪魔に魂を売った人間社会に対する神様の警告!

東京・新幹線

 死後の世界は存在する。貧乏人は、死後、天国で幸福に生きる。金持ちは、死後、地獄で生きて自分の罪で苦しむ。

これが、神の子と言われる救世主イエス・キリストの教えです。

その前提は、万物の創造主である神が存在することです。大宇宙、人間界を含むこの世も、天国と地獄を含む霊界も、神が作られたということです。そして、神は完全な善であるということです。

では、なぜ、完全な神が地獄を作られ、悪魔が人間界を支配しているのか、という疑問がおこる。その答えは次のように考えられる。

完全であるということは、不完全性も含む。完全であるということは、善も悪も含むことです。完全な善である神は、その完全性のゆえに、不完全で悪の象徴である悪魔の存在も許すことになる。しかし、善である神は、不完全で悪の象徴である悪魔をいつでも抹殺することはできる。ただし、悪魔に支配された人間界では、悪魔を神として崇拝するように多くの人間が洗脳されている。悪魔に洗脳された人間は、死後、地獄に落ち、やがて、神によって悪魔と共に抹殺される。このとき、霊界では地獄も消滅し、人間界でも霊界でも神による善の支配が完成する。これが、神学です。

しかし、そのような神による悪魔に対する決定的な処分を待たないでも、貧しい者はイエス・キリストの教えを信じることで、この世で「神の国」を生きることができる。まだ、霊界の天国ではないが、この世で悪魔に魂を売らない者には神が救いの力を及ぼす、と考えられるのです。

問題は、イエス・キリストが人間界に来てその教えを述べなければ、ほとんど全ての人間は悪魔によって洗脳され、死後、地獄に行くということです。歴史的に見ても、キリスト教がなければ、世界は専制国家だらけになっている。今の中国や北朝鮮より酷い悪の独裁体制になっている。

ただし、今の世界でもっともキリスト教の影響の強いアメリカでも、悪魔が入り込み、カネでアメリカ人を洗脳し、拝金主義が横行している。貨幣経済が事実上、世界の宗教となり、人々はカネを神のように崇めている。拝金主義とは、悪魔(カネ)を神だとして崇拝する体制です。

例えば、霊能者や霊感をもった宗教者でも、悪魔の支配を受ける。霊界の悪霊は、この世の霊能者や宗教家の心の中にも入り込む。この世で幸福、成功を願わない人間はいない。そのためには、カネが必要となる。そこに悪魔・悪霊が入り込む。ホームレスにでもならない限り、悪魔とは戦えない。しかし、ホームレスの世界にも悪魔は入り込む。これが、この世の恐ろしさですが、貧しく信仰を持つ者は、神が天界から天使を送って救って下さる。これを、信じるのが本来のキリスト教なのです。

ブッダやイエス・キリスト自身も、この世ではホームレスとしての人生を送られた。つまり、信用できるのはホームレスのような宗教家・霊能者だけということになる。

この世の富、地位、知識、才能は死後の霊界では役に立たない。この世で優秀な人間と言われ、富裕層やエリート、人気者になっても、死後は、その利己的な自己愛によって地獄に行く。しかし、悪魔の支配下のこの世では、そのような人間が幸福そうに見える。そして、悪魔に魂を売ってでも幸福になろうと人は考える。そして、死後は地獄に行く。これが、真実の姿なのです。

しかし、この世で貧しく生き、信仰心をもって神を愛し、恐れ、崇拝し、隣人に慈愛を示す者は、死後、天国に受け入れられ、幸福に生き、永遠の命を与えられる。

ただし、このような信仰心のない人間ばかりになれば、神の怒りが人間に下ることになる。悪魔を人間と共に亡ぼすために、神がコロナを送って来たのではないか、と考える理由はここにあるのです。

人類が、悪魔に魂を売って、永遠に繫栄することは、ありえないのです・・・


2022年1月17日月曜日

金持ちは、あの世で地獄! 貧乏人は、あの世で天国! これを信じれば、貧乏人は救われる!!

           東京スカイツリー・タワー
 
2千年前、イエス・キリストが人々に伝道したとき、多くの人がイエス・キリストを信じた。これが、現在に至る世界宗教キリスト教の基盤となった。しかし、なぜ人々はイエス・キリストを信じたのか?

それは、イエスが「貧しい人は、死後、天国で幸福になり、永遠の命を与えられる」と述べた言葉を信じたからです。

当時も、貧しい人が大部分だった。エリート、富裕層は、ほんの一部だった。今の日本などの先進国では、ホームレス、最下層の人々、生活保護受給者は社会の少数派だが、全世界的に見れば、まだ、エリート、富裕層の方が少数派です。

しかし、誰かが「貧しい人は、死後、天国で幸福になり、永遠の命を与えられる」と述べても、人はすぐには信用しない。やはり、イエス・キリストは神から来た人であり、又は、神の子だと信じられなければ、その言葉も信用できない。神から来た者として、そのような十分な証拠をイエスは示すことが必要だった。

イエス・キリストは病人を癒し、複雑な人生の真理や宗教の教えを誰にでも分かるように述べ、奇跡の技、霊能力、超能力を示し、それを見た人々は、イエスは神から来た者だと信じたので、その言葉を受け入れたのです。

この世で何の希望もない、2千年前の貧しい人々にとって、最後の望みは死後、天国に入ることだけだった。或いは、もはや、死後、天国に入ることしか希望のない人々は、神の子、イエスの教えに救われた思いがしたはずです。

どんなに貧しくても、悪知恵を働かせ、隠れて悪事を働き、抜け目なく他人を出し抜けば、ある程度の生活を送れるようになる。しかし、不幸な人を憐れみ、慈愛に満ち、神の教えを裏切れない人は、必ず生存競争に敗れ、敗者、貧者となる。つまり、富裕層には隠れた悪人が多く、貧困層には隠れた善人が多い。そして、神は貧しい善人を救うためにイエス・キリストをこの世に遣わしたのです。そこで、イエス・キリストは霊界の真理を貧しい人に告げて、その心を慰めることにした。それが、「死後、金持ちは地獄に、貧乏人は天国に行く」という教えです。

つまり、イエスの言葉を信じれば、誰もが富を捨てて、貧しい生活を目指すはずです。世界は、貧乏競争の場になるはずです。この世で生きれる期間はせいぜい100年ですが、死後は、ほとんど永遠だと考えられるからです。

いくら、この世で豊かな生活を送っていても、死後、天国に入れなければ地獄で生きなければならない。地獄は神に罰されるところ、というより、生きている間に身に着けた神に反する生き方が、むき出しになるところです。地獄には、邪悪な人間、冷酷な人間、不親切な人間、真理を求めない人間、愛を求めない人間、悪と偽善と憎悪を好む人間、神に反感を持つ人間などが、この世の制約なく本性をむき出しにして生きれる場であり、より邪悪なものが他の者を支配し、互いに悪を競うような世界です。そして、その世界の頂点には悪魔がおり、悪魔に逆らう者は、耐えられないような攻撃を受ける。つまり、悪魔を神として崇拝させ、恐怖が支配する世界です。これは、まさに、この世の隠れた一面を現してします。この世でも、組織の隠された悪を受け入れられない者は、就職もできず、ビジネスもできす、社会から葬られます。

しかし、天国に受け入れられた信仰心のある貧乏人、善人、正義と愛と真理を求める人は、そこで幸福にされ、永遠の命を与えられるのです。

「この世で金持ちは、あの世で地獄! この世で貧乏人は、あの世で天国!」、 イエスは、この霊界の真実を貧乏人に伝えて、彼らに希望を与え、その心に光を与えたのです。

いつかは人間は必ず死ぬのと同じだけ確実に、貧乏人は、死後、天国で幸福になるというイエス・キリストの言葉が、貧しい人に受け入れられたのが、キリスト教の出発点なのです。

ただし、今の世には、心霊現象、霊界やあの世の知識を振り回して有名になる人間や、そういう知識を売り物にする宗教団体もありますが、その幹部が神によってこの世に送られて来たのでなければ、最悪、悪魔に操られている可能性がある。信用できるのは、2千年の実績があり、現在の世界文明の基礎となったキリスト教だということになる。

ただし、生きながら霊界を見聞した18世紀の学者、スウェーデンボルグは、当時、既にキリスト教会は、本来のイエスの霊的な教えから外れてしまったと述べている。今の世界はまだ悪魔の強い影響下にある。悪魔は霊能力者も支配しているのです。

要するに、貧乏人、社会の下層の人間、低所得者、この世で不幸な人間、社会の敗北者、善人、信仰者、親切な人間、正義と真理を愛する人間、神と隣人を愛する人間は、死後は、天国で幸福になると、神の子、イエス・キリストは、彼らにとって「良い知らせ(福音)」を伝えている。

しかし、金持ち、エリート、富裕層、この世で幸福な人間、社会の成功者、悪人、不信心な人間、正義と真理よりカネと地位を愛する人間、神と隣人を憎む人間は、死後は、地獄で悪魔に支配され、最後は、悪魔と共に、神様によって抹殺される。

これが、本来のイエス・キリストの教えなのです!

つまり、「貧乏な自分は死後、天国に入れる」と信じた貧乏人は、皆、魂が救われるのです・・・

2022年1月15日土曜日

財政より福祉が優先する! 愛なき財政主義より、人命を守る福祉が優先!

この世の体制は2 つある。

利己主義的な個人の幸福追求を無制限に認める「自由主義」と、全体の統合と秩序を重んじる「管理主義」です。

前者から出発した社会では、弱者、敗者、貧者は切り捨てられる。アメリカなどの「資本主義社会」はこの典型です。後者を目指す社会では、異端者、自由主義者、不服従者は切り捨てられる。中国などの「統制社会」はこの典型です。

それぞれの欠陥を正すために、資本主義社会では政府が民主主義を採用し、福祉政策を推進する。統制社会では、政府は国民の不満を抑えるために権威主義を推進し、経済的成功を推進する。

コロナ危機になったとき、アメリカなどでは給付金の支給拡大などで、国民の不安と社会の崩壊を防ごうとし、中国ではさらに経済を世界市場に拡大させ(世界への影響力を強めて)、経済的発展と政治的独裁制を目指す。

日本は、アメリカ型の社会なので、給付金の支給拡大などで、国民の不安と社会の崩壊を防がねばならない。岸田内閣が「新たな資本主義」や「配分重視」を打ち出すのは当然と言える。逆に言えば、そこまで国民の不安が高まり、社会の崩壊の危機が予感されたことを意味する。この危機感の中で、「国家財政の黒字化重視」の政策の愚かさが浮き彫りにされたということです。

財政黒字化のためには、企業や個人などの経済活動から得られる「高い税収」が確保されねばならない。経済活動は、需要があって成り立つ。需要の基本は消費者の購買力です。しかし、日本では何十年にもわたって、企業は収益確保のために、人件費を抑制し、低価格商品の重視から、低賃金が常態化した。特に、かつては中国では人件費が日本の10分の1で済んだことから、日本の企業は大挙中国に進出し、日本国内の空洞化が進んだ。(一方、中国では日本から資本や技術を容易に取得できた。)

要するに、利己的な日本企業が、その利益確保のために、国全体の低賃金化を促進し、国民の購買力が低下し、消費が低迷することになり、GDPも停滞した。(おまけに、中国企業に市場を奪われることにもなった。)しかし、コロナで社会危機になっても、破滅する大企業はない。「内部留保」が十分あるからです。その意味では、企業の低賃金化は成功した。

しかし、低賃金社会となった日本社会では、コロナの影響で多くの国民が経済的な危機に見舞われることになった。それが、非エリート女性、非正規社員、母子家庭などに集中して現れることになった。その影響は、子供同士のいじめや、親による児童虐待などに及んでいる。ストレスの受ける親から、子供が悪影響を受けているからです。

根本的には、アメリカが主導し、日本が追随した「利己主義的な個人の幸福追求を無制限に認める自由主義」に問題があったことになる。ただし、アメリカにはキリスト教の伝統があり、寄付文化・相互扶助の精神が根付き、福祉強化が発動されやすい。バイデン大統領も100兆円とも200兆円とも言われる経済対策を行っている。しかし、日本では、「自社さえ儲かればいい、自分さえ儲かればいい、国がどうなっても構わない」という無責任資本主義が蔓延し、それを抑制させる、又は、その欠陥を補う思想的・宗教的バックボーンが足りない。

人間にとって最も重要なのは「自由」だから、アメリカ型の資本主義も最悪とは言えない。むしろ、自由のない中国社会の繁栄の方が人類全体の脅威となる。中国では、宗教ですら管理され、国民は一種の洗脳状態にある。日本などのアメリカ型の資本主義社会では、キリスト教の精神に基づいて福祉政策を強化すれば、国民は救われるが、中国型の統制社会では、国民は最後に国家によって家畜化されて救いがない。

この意味で、「国家財政の黒字化重視」を推進し、福祉支出を抑制してきた日本の財務省などは責任が大きい。「購買力」=>「消費」=>「税収」という流れが経済と財政の基本であり、低賃金とコロナ不況で購買力の低下した国民には、政府が「給付金」を支給するのが当然、ということを理解する必要があるのです。

「給付金」=>「購買力」=>「消費」=>「税収」

コロナで国民が全員感染し、経済活動が停止すれば、税収もゼロになり、財政も崩壊する。給付金で国民の健康・安全を守り、消費レベルを維持することで、経済・財政も生き残ることになるのです・・・

そもそも税収があろうと、なかろうと政府は福祉費用を支出すべきなのです。福祉とは、国民の命を守るものであり、財政黒字化や企業や個人の富裕化よりも優先されるべきなのです。そして、「福祉費用は基本的には、全て消費に使われる。この消費で企業の経済活動は可能となり、最低の税収は保証される」。

しかし、この理論を受け入れるには、「経済は一部の人間の幸福のためではなく、社会の人間全体の福祉のためであり、困窮する国民は救わねばならない」、という思想への転換が求められる。そもそも政府の財政支出とは、人命を守るためなのです。人命より財政黒字を重視するのは、本末転倒なのです。

個人や個別の企業の繁栄のためなら、国家・社会がどうなっても構わない、というのが日本の問題なのです。政府・財務省も富裕層や大企業優先の財政黒字主義ではなく、国民全体の福祉を中心とする思想に転換すべきなのです。


2022年1月14日金曜日

神学とコロナ大感染

 この世には秩序が存在する。

自然界には、さまざまな法則がある。全ての原子は、物理法則に従っており、原子から作られる、この世の全ての物質は秩序正しく物理法則に従っている。

人間の精神も、秩序に従っている。思考も、理性も、感情も秩序に従って働く。狂った人間は正常な生活が送れず破綻する。人間の身体も、生物学的秩序で働いている。身体の機能が狂えば、身体が亡びる。

要するに、この世は精密に設計されてできている。この宇宙がでたらめに、偶然に生成され、しかも、秩序正しく生成されたという可能性はゼロです。

では、誰がこの宇宙、この世を設計したのかということになる。その偉大な設計者のことを神と呼ぶべきでしょう。

そこで、歴史上、最も偉大な人間は神のことを、何と言っているかを調べる必要が出てくる。そして、明らかにそのような偉大な人間は、イエス・キリストです。なぜなら、この2千年の人類文明は、キリスト教を基盤としているからです。現代の文明の主流は欧米文化です。欧米文化・文明がなければ、スマホも、テレビも、自動車も、ジェット機も、電気も、水道も、ガスも、インターネットもないのです。日本人や、中国人や、インド人が、このような文明を生み出した訳ではない。

イエス・キリストは、「神は霊である」と仰っておられるのです。つまり、神は物質ではない、生物ではない、人間ではないということです。

そして、イエス・キリストは、「神は霊であるから、霊を持って崇拝しなければならない」と仰っておられる。つまり、人間の心の中にも霊があるということです。

イエス・キリストを信じれば、つまり、正常な人間なら、神は存在し、霊は存在し、霊界は存在し、死後の世界は存在し、天国と地獄は存在することを認めなければならない。

「そんなことは信じない」という人間でも、スマホ、テレビ、自動車、ジェット機、電気、水道、ガス、インターネットを使って生きている。酒を飲みながら、「この世に酒なんかあるか」と言っているアル中の狂人のようなものです。

そして、欧米文明の基礎の1つとなった古代ギリシア文明の哲学者、ソクラテスやプラトンは「神は完全な善である」と結論付けています。そうすると、神は善から、即ち、愛からこの宇宙と、この世と、人間を作ったことになる。そして、ソクラテスやプラトンは「善人は死を恐れることはない」と言っている。

ただし、イエス・キリストは、「金持ちは天国に入れない」と述べておられる。そして、イエス・キリストの人生は悪魔との戦いだった。悪魔はイエス・キリストを十字架にかけて殺害したが、当然、イエス・キリストは霊体をもって復活する。このことを記したのが聖書です。

要約すれば、この大宇宙、この世は神様が霊界から作られ、人間の精神も霊で作られた。死後は、貧乏人・信仰者・慈愛を持った人間は、天国で永遠の生命を与えられ、金持ち・エリート・この世の成功者は地獄に行く。

これを、信じるのが本当のキリスト教徒なのです。これが、最高神学への道なのです。

ただし、金持ち・エリート・この世の成功者が支配する人間社会に、神様が怒れば、いつでも人間文明を亡ぼすことができる。その警告がコロナの大感染なのです・・・


2022年1月10日月曜日

邪悪な宗教・社会とは? だから、コロナが生じた!

                                                                新幹線
邪悪な宗教というものがある。

例えば、悪人は生きていれば、必ず悪をなし、死後は地獄に落ちる。だから、そういう悪人の命を奪って悪の人生を過ごさないようにしてやれば、その人間の魂は死後、恐ろしい最悪の地獄ではなく、比較的罰の少ない霊界で再生し、救われる機会が与えられる。従って、そのような殺人は、そのような人間を救うことになる、という理論を信徒に教え込む。そして、教団に逆らう者、教団に寄付をしない者、或いは、多くの富を持った富裕層を狙いとして、洗脳した信徒を送り込み、命を奪って、その被害者の財産まで奪う。

このような狂った教団の例として、1995年にサリン・テロを起こしたオウム真理教があげられる。この教団の教祖は、そのような殺人を「ポアする(解脱させる)」と称していたのです。

「ポア(チベット語: 'pho ba [ポワ])とは、オウム真理教教祖の麻原彰晃が、自らの関与した殺人をその被害者が自身の悪業により地獄に堕ちるのを防ぐだけでなく、より高い世界へ転生させる為であるとして使用した用語である。チベット語における「ポワ」という言葉自体は「殺人」や「殺害」という意味を持たない・・・」

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2_(%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99))

ヨーロッパでは、中世末期のバチカンの堕落に対して、ルターなどが宗教改革を起こして、プロテスタント派が誕生している。当時、バチカンは、死後、地獄に落ちないように免罪符を買うように信徒に勧めていた。16世紀のヨーロッパは、ルネサンスやコロンブスのアメリカ大陸発見、アフリカ/アジアへの伝道拡大など、精神的に大きな変動を経験しており、バチカンもイグナチウス・ロヨナなどが霊的運動で改革を行っていた。今のキリスト教の体制もこの時代に遡る。しかし、18世紀以降の産業・科学革命などにより、物質的繁栄を経て霊的な信仰心は衰退を始め、20世紀という戦争の世紀を経て、人々の教会離れも加速した。その中で、アメリカでは新たな教派が次々と生まれ、世界のキリスト教の中心とも言える位置に立った(アメリカ人の60%以上はキリスト教に基づいた教育を受けており、中国人の80%は無宗教に基づいた教育を受けている)。しかし、物質的な繁栄で世界をリードしているのもアメリカである。悪魔の影響は、中国でもアメリカでも大きい・・・

本来のイエス・キリストの教えによれば、「人は神と富に兼ね仕えることはできない」とされており、カネは悪魔の小道具だというのが基本的な教えです。しかし、現在では、拝金主義が世界を席巻し、人々は「神」ではなく「カネ」を求めて生きている。これは、もはや宗教というレベルに達している。世界中で「カネ」が求められており、カネは世界の共通言語にとどまらず、拝金主義は世界の共通宗教となっている。しかし、カネの背後には悪魔がいるのです。

悪魔に魂を売らなければ、1円も、1ドルも入手できない経済体制・社会体制が世界を覆っている。悪魔に洗脳された宗教家は、「悪魔は神だ」という教えを密かに信じているように見える。一般人でも、「カネは万能だ」という思想に汚染され、「カネ(悪魔)は神だ」という狂った考えに取り付かれいる。就職の面接でも、「カネのためなら、どんな悪でもします」という狂った積極的な悪の態度を評価している。「カネのためなら、悪魔に魂を売るのは当然」という狂った教えが、人間社会を支配している。

教祖など教団幹部が、密かにカネ儲けを目標として、教徒を拝金主義で洗脳している例が多くみられる。本来、イエス・キリストや仏陀などの教えは、嫌金主義で貫かれている。キリスト教では、本来、「カネは悪の源泉」であり、仏教では、本来、「カネほど汚れたものはない」という教えが基本でした。しかし、「たった一度の人生だから、悪魔に魂を売ってでもカネを稼いで幸福になれ」という悪魔の教えに基づく狂った教団もある。

宗教団体だけでなく、社会自体が拝金主義になれば、「悪魔(カネ)は神だ」という観念が支配的になる。そして、社会は腐敗・堕落し、神の教えを忘れる。

そこで、神様が怒って死の天使にコロナを持たせて、人間社会に警告を与えている、と考えるべきなのです。

2022年1月7日金曜日

キリスト教に基づいた「心霊科」も精神病院には必要!

内閣府の障碍者に関する統計によれば、日本には1000万人近くのさまざまな障碍者がおり、特に、精神障碍者は420万人もいる。

「身体障害、知的障害、精神障害の3区分について、各区分における障害者数の概数は、身体障害者(身体障害児を含む。以下同じ。)436万人、知的障害者(知的障害児を含む。以下同じ。)109万4千人、精神障害者419万3千人...

外来の年齢階層別精神障害者数の推移(図表4)について、2017年においては、精神障害者総数389万1千人のうち、25歳未満38万5千人(9.9%)、25歳以上65歳未満206万人(52.9%)、65歳以上144万7千人(37.2%)...

精神障害者   総数   在宅者数   施設入所者数
男性(万人)  172.2  158.5    13.7
女性(万人)  247.1  230.7    16.4

(https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r02hakusho/zenbun/siryo_02.html)」

障碍者は弱者だが、皆、善人だというわけではない。施設(看護施設、病院、刑務所など)でも、弱者の中には、自分より弱い弱者をいじめ、支配し、悪事を働くものいる。それでも、一般人の間より凶悪性は少ない。

精神障碍者の中には、精神科の医師の治療ではなく、民間医療、祈禱師、拝み屋に頼る人もいる。昔は狐憑きなどと言って、狐(きつね)などの動物の霊が人間に取り付いて、精神に異常が生じることがある、と信じられていた。あるいは、死霊や生霊が取り付くと考えられる場合もあった。そこで、祈禱師や拝み屋に祈ってもらって、悪霊祓いを行おうとする。キリスト教世界でも、悪魔祓いの儀式というものがバチカンで認められている。悪霊払いが実際に成功した例も報告されている。しかし、怪しげな宗教がからんだ悲劇も見られる。霊能者の中には、故人の霊を呼び出して、かえって遺族との間でトラブルに巻き込まれる者もいる、との話もある。

ただし、今では精神科で適切な治療を受けることで治癒する人は多い。昔は、封建的な社会で自由のない人が、さまざまなプレッシャーによって異常をきたし、その抑圧された気持ちを発散させるために、さまざまな霊に取り付かれたようになって人格を変え、その隠された本当の思いを表に出すということもあったと言われる。

今の自由な社会でも、異常な犯罪をおかす人間の中には、明らかに魂に異常をきたしている人間がいる。京アニメや大阪の神経内科クリニックのガソリン放火犯などは、彼らの精神は正常に働いていて、目的のために合理的な行動をしており、心神喪失の状態ではないが、悪霊に取り付かれているとしか考えられない。精神はまともだが、その根底にある魂がおかしくなったと考えれば説明がつく。

ガソリン放火をすれば、自分も焼死するか、又は、生き残っても死刑は免れない。アニメ会社や精神科の医師と、他人には分からないトラブルを抱えていて(他人に言っても理解されないタイプのトラブル)、そこに、悪霊が取りついて犯行に走らせたと考えられる。ただし、単に精神に病があるから悪霊が取りつくのではなく、誰にでも悪霊が取りつくと考えられる。むしろ、悪霊が取りついて精神病になる場合が多いと考えられる。最悪、まとまな精神では考えられない犯罪を、悪霊に支配されて実行すると考えられる。

昔は、呪術によって、他人に害を与えることができると信じられていた。古代には、法律で他人を害するための呪術の使用を禁じていた。また、朝廷から左遷された菅原道真の霊を後代の貴族が恐れて、菅原道真を死後に昇進させたなどの例があった。伝統的に日本の文化には、祖先の霊を祀り、生き物の霊に配慮するという姿勢がある。霊の世界を重視しなかった本来の仏教も日本では、死後の世界の極楽を保証するものとして受け入れられた。年末・年始に神社・仏閣に人々が詣でるのも、霊の存在を信じているからだと思われる。

霊には、善霊もいれば、悪霊もいる。善霊は守護霊となって、人を守るが、悪霊は人間に取り付いて人間を破壊すると、スウェーデンボルグも言っている。「神が人間を悪霊から守ってくれないと、悪霊は人間の魂の中に入り込んで、人間を狂わせ、人間を破壊しようとする」とスウェーデンボルグは書いている。

スウェーデンボルグは18世紀の人間だったが、この世の人間界と霊界の関係は今も変わらないと思われる。420万人の精神障碍者の中には、悪霊に取り付かれて苦しんでいる人もいるだろう。一般人の中にも、正常に生活し精神科にもかかってはいないが、悪霊の影響を受けている人もいるはずです。社会全体が、正しい宗教によって指導、管理されなければ、物欲・拝金主義につけこんで、悪霊が人々にさまざまな影響を与えると考えられる。その意味で最も信頼できる宗教がキリスト教なのです・・・

心の問題は、単に科学的・合理的に扱える精神の問題だけではなく、霊的な問題である場合も多い。精神科だけではなく、霊の存在を認めるキリスト教に基づいた「心霊科」も精神病院には必要なのです・・・

2022年1月5日水曜日

貧しいもの、弱き者、小さき者、困っている人、正義の人を救うイエス・キリスト!

                                                            東京スカイツリー

貧しいもの、弱き者、小さき者、困っている人、正義の人を救うのはイエス・キリストです。なぜなら、神は完全な善であり、神はこの世を救うためにイエス・キリストをこの世に送られたからです。これを信じるのがキリスト教徒です。

他方、世の中には、金持ち、権力者、力を誇る者、悪を好む者が存在しており、彼らが、貧しい者たちを苦しめています。そのような金持ちたちを罰するのも神様です。これを信じるのがキリスト教徒です。

善悪は、貧富という形で現れます。悪魔が支配する世の中では、悪魔に魂を売らなければ、カネを得られない仕組みになっています。狡猾な悪人ほど、豊かなになれるのが世の中です。逆に、悪を行えない善人は、カネ儲けができない仕組みになっています。従って、善人は貧しくなり、悪人は金持ちになります。だから、イエス・キリストは「金持ちは、天国に入れない」と宣言しておられるのです。

しかし、生活にはカネが必要です。悪魔に魂を売らないでも、カネを得る方法はあるのか? 悪魔に魂を売らないでも生活は成り立つのか? そういう心配、疑問が生じるのは当然です。そこで、イエス・キリストは「まず、神の教えに従え、そうすれば、必ず必要なものは与えられる」と宣言しておられます。要するに、悪魔に魂を売らなくても、最低限の生活が成り立つように神様が面倒を見て下さるということです。

従って、まず、神様の存在を信じることです。「神など存在しない、あの世も存在しないし、天国もない、あるのは、この世と自分の命だけだ」と考えるのは間違いです。確かに、自分が生まれ来たのは、この世があるからです。そして、「この世が存在するのは、わけの分からない理由のせいであって、そんなことは分かるはずもないし、自分には関係ない」、と考えるのは愚かです。

神様もなく、偶然この世が生じてきたなら、宇宙はもっと無秩序になり、この世は善も悪もない無茶苦茶な世界になり、人は善も愛も考えることのない存在になります。この宇宙に秩序が存在し、人間に愛や善を求める心があるのは、神様がこの大宇宙と人間の精神を作ったからです。

そして、実際に生きながら死後の世界を体験した18世紀の科学者、スウェーデンボルグは、霊界が存在することを証言しています。天国も地獄も存在するのです。日本人が伝統的に信じてきた、あの世や、極楽と地獄も存在するのです。死後も魂は、霊界で生きることは、現在でも多くの臨死体験者が語っています。死を恐れることはありません。そして、イエス・キリストは、「貧乏人は、死後、天国に入れる」と述べています。死の恐怖に打ち勝つには、聖書を読んでイエス・キリストの教えを学ぶことです。スウェーデンボルグと同じ18世紀の科学者、ニュートンも神様を信じており、聖書を研究していました。古代ギリシアの哲学者のソクラテスやプラトンも死後の世界を信じていました。孔子も死後の世界は否定せず、ブッダはこの世と霊界(死後の世界)を、ほとんど同一視していました。死後の世界は存在するのが、世界の宗教の常識なのです。

その中でも、最も重要な教えは、「貧乏人は、死後、天国に入り、そこで幸福に生きる」という神様とイエス・キリストの教えです。金持ちも、死後は霊界に入りますが、霊界から地獄に行きます。彼らは、天国の光に耐えられないので自ら地獄に行くのです、神様の光から逃れるために。

神様とイエス・キリストは、悪魔に魂を売らない貧乏人を愛しており、「この世で苦しむ貧乏人は、死後は、天国で幸福にする」ことに決めておられるのです。これが、イエス・キリストの教えであり、真実のキリスト教なのです。

逆に、この世では、悪魔に魂を売らねば、金持ち、エリート、権力者、成功者、幸福な人にはなれず、彼らは当然、死後、天国に入ることはできません。地獄はこの世の富裕層やエリート、成功者で溢れており、この世では隠されていた彼らの凶悪な本質は、地獄ではあからさまになり、さらに、霊界からこの世に悪の影響を及ぼそうとします。そのような悪霊から貧乏人を守ってくれるのも神様とイエス・キリスト、天使、各人の守護霊なのです。

これを、信じればキリスト教徒になるのです・・・

貧しいもの、弱き者、小さき者、困っている人、正義の人がなすべきことは、聖書を読んでイエス・キリストに救いを求めることです・・・

2022年1月3日月曜日

人類に22世紀はあるか? 7,4,3、1の時系列に基づく予見!

 

新年にあたり、なすべきことは歴史を振り返ることです。

戦後は、1946年から始まり、第二次世界大戦で疲弊した日本は、アメリカのキリスト教精神に基づく民主主義を全面的に取り入れた新憲法の下で戦後の復興を始めることになる。その49年後(7x7)の1995年には、日本のGDPはアメリカに次ぐ世界第二位の規模になり、昭和の終わりからのバブルとその崩壊を乗り越えて、ソ連の崩壊による冷戦の終結に伴って繁栄と太平の世を謳歌していた。しかし、この年、阪神大震災とオウム真理教のテロが発生し、日本国民にも世紀末の不安感が忍び寄って来た。この震災と社会的危機感は、戦後の繁栄に対する大きな警鐘となったのです。

1995年から16年後(4x4)の2011年には、東日本大震災と福島第一原発が起きて、日本だけでなく世界を震災させた。世界では、新世紀、21世紀に入ると直ちにアメリカで同時多発テロが発生し、アメリカはイスラム過激派と戦闘状態に入った。そして、2007年から金融不安が始まり、黒人初のオバマ大統領が誕生する。日本でも、リーマン・ショックと呼ばれた金融危機の影響で保守政権からサヨク系の民主党政権に政権交代が起きた。しかし、この間、経済力を高めた中国が日米欧の民主主義国に対抗する姿勢を強め、その反動もあって日米ともに保守政権が復活する。

さらに、2011年から9年後(3x3)の2020年に、中国からコロナ・パンデミックという世界大感染が発生し、その影響でアメリカでは、アメリカ第一主義を唱えたトランプは大統領に再選されず、日本では安倍が首相を退陣し、習近平の国賓来日も中止された。中国ウイルスで、日米の保守政権が崩壊したことは皮肉だったが、その後任は低支持率に悩むことになった。

そして、2020年から1年後(1x1)の2021年に、コロナ・パンデミックは欧米でさらに猛威を振るい、東京オリンピックも無観客を余儀なくされた。2022年正月の現在でも、イギリスやフランス、アメリカでは、毎日10万人から30万人の感染者が出ている。

戦後、1946年からの時系列を振り返れば、日本では 7x7, 4x4, 3x3, 1x1 という時間幅で劇的な現象が起きてきた。そして、この系列は昨年、2021年に終了したことになる。しかし、2022年にもコロナの終息は考えられない。

ただし、2022年は新たな系列の起点になると考えられる。つまり、新系列が2022年から始まるとすれば、コロナ大感染は1年後(1x1)の2023年に終了し、2023年から9年間(3x3)は平安な期間となり、その後、2032年に新たな悲劇が生じ、2032年から16年後(4x4)の2048年までは平安な時期となり、2048年にさらに大きな悲劇が日本や世界に生じ、その後、49年後(7x7)の2097年には決定的な悲劇が生じる。最悪、22世紀を前に世の終わりが生じ、人類の文明は崩壊するかも知れない。そうすると、2022年は今世紀中の人類文明の崩壊の第一歩だということになる。

実際、18世紀の科学者ニュートンは、「この世の終わりは2060年から始まる」との予言を書いており、同じく18世紀の霊能者スウェーデンボルグは、「最後の審判は霊界では終了し、2~3世紀後に人間界でもその結果が現れる」と述べている。

イエス・キリストは2000年前に、この世に現れた。イエス・キリストの2000年前にはユダヤ人の始祖、アブラハムがこの世に現れた。イエス・キリストから2000年たった今、神は人類の歴史を終焉させるかも知れない。ということは、人類に22世紀はないと言うことになる。

ただし、憐れみ深い神様は、人間が悔い改め、腐敗と堕落の文明を放棄して、聖書に従った神の国を目指した文明を打ち立てれば、人類を亡ぼすことはしないと思われる。

そのためには、カネは悪魔の化身だとの意識をもって、「カネより神を選ぶ」ことです。宇宙の創造主、神様への愛と、隣人への愛を実践することです。

まだ、22世紀までには時間がある。カネまみれの社会や文明を作り直す時間はまだある。これが、2022年の新年にあたっての歴史の反省です・・・ 

この意味で、世界最強のキリスト教国家アメリカ、何十億人もの信徒を有する世界のキリスト教会やバチカンの反省と対応が求められるのです・・・



2022年1月1日土曜日

リンカーンも田中正造も信じたスウェーデンボルグの思想とは?

 

東京スカイツリー・タワー

リンカーン、ヘレンケラー、田中正造、鈴木大拙は、18世紀のスウェーデンの心霊家、スウェーデンボルグの思想に影響を受けていたということは、一部のキリスト教関係者にはよく知られている。

さらに、前のアメリカ大統領の一族、ブッシュ家の先祖も、その周辺にいたと言われる。日本でスウェーデンボルグを最初に紹介したのは、禅の研究で世界的に著名な鈴木大拙だと言われるが、日本の初代の文部大臣の森有礼や元仙台藩士のキリスト者、新井奥邃も明治時代にスウェーデンボルグの思想に触れていた。さらに、戦前に来日経験のあるインドの神秘家、サンダー・シングもスウェーデンボルグを崇拝していた。

霊界を体験し、独特のキリスト教教義を広めようとしたスウェーデンボルグは、現代の心霊主義者やキリスト教徒に深い影響を与えている。日本のスピリチュアリズム関係者もその影響下にある。霊界や死後の世界を論じる世界中の人の思想の背後にスウェーデンボルグがいると言っても過言ではない。

ニュートンと同時代の18世紀に、30年間にわたって生きながら霊界を体験したスウェーデンボルグは敬虔なキリスト教徒であったことが、最近のスピリチュアリズム関係者とは異なる。何十冊にも及ぶ彼の著作は、キリスト教的な観念・用語が溢れており、単に霊界訪問記を期待して読めば理解できない部分も多い。しかし、その趣旨は明快です。即ち、(1) 人間の魂は死後に霊界で永遠に生きる、(2) 善人は霊界から天界に入り、(3) 悪人は自ら地獄に行く、(4) 地獄に入るような邪悪な霊は、霊界から人間界にも侵入し、人間を破滅させようとする、(5) その邪悪な霊の害から、この世の人間を守っているのは神様である、(6) 神は霊界の浄化のために何回か最後の審判を霊界と人間界で行った、(7) 人間の霊的状況は歴史と共に悪化しているので、最後の「最後の審判」の後で、神様は人間界を亡ぼすかも知れない。

これは、要するに聖書のイエス・キリストの言葉と同じです。歴史の中でキリスト教会が霊性を失って聖書を霊的に理解できなくなって、キリスト教世界や人間社会が堕落・腐敗するのを心配したイエス・キリストの霊が、スウェーデンボルグに霊界を見せて、その状況を人間に知らせるように導いたと考えられる。

スウェーデンボルグの思想では、教会のメンバーだけが真のキリスト教徒ではなく、他の宗教を信じる人間でも、万物の創造主である神を認める人間は、霊界で天界に受け入れられることになる。仏教や神道の影響下にある非キリスト教徒の日本人でも、万物の創造主である神を認めれば、霊界で天界に入ることができる。仏陀の上に万物の創造主である神を認め、日本神話の神々の上に万物の創造主である神を認めれば、真のキリスト教徒と同じように、霊界から天界に入り、永遠の命を与えられることになる。これが、スウェーデンボルグの思想の真の意味です。

霊、霊界、スピリチュアリズムの上には、万物の創造主である神が存在し、その神が2千年前に人間界にイエス・キリストを派遣したと考えるべきなのです。

ただし、スウェーデンボルグのように真摯な信仰を持つことが必要です。カネ儲けを目指す新宗教や娯楽的な心霊主義では、悪霊や悪魔に支配される危険があるのです。あくまで、伝統的で正統な宗教観が基本なのです。霊能力者や霊媒、超能力者、神秘家と呼ばれる人たちも悪霊や悪魔に支配される危険がある。あくまで、神性、善性、道徳性をもった人だけが信用できるのです。信用できるか否かは、イエス・キリストの教えによれば「神への愛と、隣人愛」が見られるか否かです。そして、決定的なのは、「カネよりも神を愛する」か否かです。

要するに、貧しい霊能力者や霊媒、超能力者、神秘家、キリスト教徒のみが信用できるのです。