2026年9月19日土曜日

「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」 (マタイによる福音書 第 22 章) (“So give back to Caesar what is Caesar’s, and to God what is God’s.”)



17 「それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
18 イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。
19 税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。
20 そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。
21 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
22 彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。(マタイによる福音書 第 22 章)

17 "Tell us then, what is your opinion? Is it right to pay the imperial tax[a] to Caesar or not?”
18 But Jesus, knowing their evil intent, said, “You hypocrites, why are you trying to trap me? 19 Show me the coin used for paying the tax.” They brought him a denarius, 20 and he asked them, “Whose image is this? And whose inscription?”
21 “Caesar’s,” they replied.
Then he said to them, “So give back to Caesar what is Caesar’s, and to God what is God’s.”
22 When they heard this, they were amazed. So they left him and went away.
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これが、イエス・キリストの言葉としてよく知られた「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という言葉の出典です。

イエスに敵対するものが、税金()をローマ皇帝に納めるべきかをイエスに質問したときに、イエスがその肖像が刻印された硬貨を示して、「カイザル(皇帝)のものはカイザルに返し、神のものは神に返せ」と答えられたのです。

当時のユダヤ人の住むパレスチナを植民地化していたローマ帝国の当局者は、ユダヤ人から税金を集めていたが、ユダヤ人の中にはそれに反発し、反ローマ帝国の動きもあった。イエスの敵対者は、イエスが税金を当局に払うわなくてもよい、と答えることを期待していたのだろう。そうすると、イエスはローマ帝国に反対する者であり、当時の支配者への反逆者であることが明確になり、当局に逮捕されても仕方がないことになる。その口実を彼らは得ようとしていたと思われる。

また、イエスが税金を払うべきだと答えれば、権力に追随する者として、ユダヤ人の民衆から軽蔑を買い、イエスの評判は落ちると考えていた。

どう答えても、イエスは苦境に立たされる。イエスの敵対者(ローマ帝国の支配者やユダヤ教の宗教幹部)は、イエスを抹殺しようとして、そのような難問をイエスに与えたのです。

それに対して、イエスは誰もが思わなかった答えをした。それが、「カイザル(皇帝)のものはカイザルに返し、神のものは神に返せ」という言葉なのです。

つまり、イエスは、権力者には逆らってはならないから、「カイザル(皇帝)のものはカイザルに返せ」と述べられたが、この世には権力者よりも力のある神様がおられる、ということを、「神のものは神に返せ」という言葉で人々に思い出させたのです。

ローマ皇帝の肖像が刻印された貨幣は、ローマ皇帝のものなのは明らかです。だから、それを税金としてローマ当局に支払うことは自然だという理屈は誰でも分かる。しかし、自分たちが苦労して稼いだカネを、税金としてローマ当局に取られるのは、ユダヤ人には気に入らない。だから、イエスは、権力者のローマ当局に密かに仕返しをするのをユダヤ人に煽るようなことを言うかも知れないと、イエスの敵対者は期待していたのだろう。それを当局に通報すれば、イエスの逮捕につながる。つまり、イエスがユダヤ人の間で人気を得ようとすれば、当局には反逆者となるし、逆に、ローマ当局に迎合すれば、ユダヤ人の民衆から軽蔑され、人気を失う。

それに対して、イエスは、権力者には逆らうべきではないが、この世の権力者よりも、もっと力があるとユダヤ人なら誰もが考える神様を持ち出してきて、「神のものは神に返せ」と言われたのです。

イエスの敵対者たちの計略は、宙に浮いて、その企みは失敗したことになる。それは、イエスは権力者への恭順を示しつつ、ユダヤ人にむしろ神様のことを考え、ローマ皇帝に対する忠誠と同等の強い信仰心を神様に示すべきだと述べたからです。この世のことよりも、神様への信仰心が大事だと、イエスは人々に教えたので、それにイエスの敵対者や権力のスパイは、それに対して表立って文句をつけることも、イエスの伝道者としての人気を貶めることもできなかった。

つまり、イエス・キリストは、一方では、権力者とは表立って敵対したり、波風を立てることなく生きるようにとユダヤ人に教え、他方では、ローマ帝国の支配に苦しむユダヤ人に、神様という強い味方がいることを忘れるなとのメッセージを与えたのです。これは、腰抜けのインチキ宗教家にできることではない。結局、権力側も民衆も、このイエスの言葉を受け入れざるを得ない。ローマ帝国といえども、ユダヤ人にローマ人の宗教を強要しても、心の底からの信仰心は得られないことは承知しているからです。政治的にローマ帝国に逆らうなというイエスの言葉には、当局者もつけいる隙はない。イエスは、ローマ軍によるパレスチナの支配を認めたことになるからです。

ユダヤ人の民衆の方は、この言葉によって、この世の政治よりも神様への信仰心が大事だということを思い出させられた。そして、伝道者としてのイエス・キリストの人気や評判は、ますます高まることになった。

なお、2千年前の当時、日本では稲作の弥生文化が始まった頃だが、地中海沿岸のローマ帝国では、貨幣経済が生まれており、ユダヤ人社会でも貨幣経済が進み、貨幣で税金が集めらていたのは注目すべきです。

AIでは、「日本の最初の貨幣として一般に挙げられるのは、和同開珎です。708年に作られた、日本初の本格的な流通貨幣とされています」と述べている。日本よりも、700年も前に南ヨーロッパのローマ帝国では、貨幣経済が始まっていた。だから、2千年前の新約聖書も現代人には理解しやすい。カネに悪魔が取りつく感覚は、今の人間でも理解できる。カネにまつわる人間の欲も、当時も同じなのが現代人にもよく理解できる。

イエス・キリストが弟子のユダに裏切られたのも、ユダのカネに対する欲望からだという話しも理解しやすい。

それよりも、敵対者がスパイを送り込むという方に注目すべきです。敵対者は巧妙な質問をしたり、狡猾な罠をしかけてくるのは、2千年前も今も変わらない。

人間のやること、考えることは、2千年前も今も変わらない。これが、聖書の新約聖書の福音書が、現代でも分かりやすく読める理由なのです。(他にも、それ以前の「ギリシア文化やインド発の仏教、中国の儒教なども、普遍的な人間性に関する教えなので、今でもよく理解されている。また、ユダヤ教と重なる旧約聖書も、キリスト教につながるものとして理解できる。)

さらに、悪魔が2千年前と同じように、神様やイエス・キリストを信じる人を攻撃し、罠にかけようとしているのも変わらないのです。とにかく、カネという悪魔の小道具には執着せずに、信者は神様のことを第一に考えよというイエス・キリストの教えは、今も有効なのです。

なお、今の日本では消費税が大きな話題になっているが、税金のことより、日本的霊性を高めることが重要です。税金が日本国を円滑に動かすのに必要であれば、政府に払うべきであるが、日本人の霊的・精神的な救済や幸福に必要な日本的霊性も重要です。

その霊性を世界的な視野から眺めると、日本人も世界の主流であるキリスト教への理解を深めることが重要です。日本の神道や仏教の霊性を探求すれば、霊界の支配者としての万物の創造主を崇拝するようになる。そして、その万物の創造主は、イエス・キリストの教えを説くキリスト教の神様だとうのが結論なのです。

つまり、「カイザル(皇帝)」の代わりに、「日本の神仏(天照大御神やブッダなど)」を置き換えても同じことです。「日本の神仏を崇める宗教に寄付をしても良いが、万物の創造主の神様へも礼拝をせよ」ということになる。これが、霊的なキリスト教なのです。