17 教訓を守る者は命の道にあり、懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。
18 憎しみを隠す者には偽りのくちびるがあり、そしりを口に出す者は愚かな者である。
19 言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
20 正しい者の舌は精銀である、悪しき者の心は価値が少ない。
21 正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚かな者は知恵がなくて死ぬ。
22 主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。
23 愚かな者は、戯れ事のように悪を行う、さとき人には賢い行いが楽しみである。
24 悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる。
25 あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、正しい者は永久に堅く立てられる。(箴言 第 10 章)
17 Whoever heeds discipline shows the way to life,
but whoever ignores correction leads others astray.
18 Whoever conceals hatred with lying lips
and spreads slander is a fool.
19 Sin is not ended by multiplying words,
but the prudent hold their tongues.
20 The tongue of the righteous is choice silver,
but the heart of the wicked is of little value.
21 The lips of the righteous nourish many,
but fools die for lack of sense.
22 The blessing of the Lord brings wealth,
without painful toil for it.
23 A fool finds pleasure in wicked schemes,
but a person of understanding delights in wisdom.
24 What the wicked dread will overtake them;
what the righteous desire will be granted.
25 When the storm has swept by, the wicked are gone,
but the righteous stand firm forever.
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「箴言(しんげん)」とは、AIで「旧約聖書にある知恵の書の一つです。人がどう生きるとよいかを、短い言葉や教えの形で伝えています(bible.or.jp)」とされている。
Wikipediaでは、「これによれば箴言は前3世紀には正典化されたことになるが、その後5世紀はその地位には揺らぎがあった。その経過はバビロニア・タルムードに収録されている」と説明されている。
箴言では、神様の教えとして、「悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる。あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、正しい者は永久に堅く立てられる」と、善を推奨し、悪を退けている。
善悪の考えは、人間には生まれつき与えられている。ただし、自分の欲望を満たすために、人は多くの悪を受け入れるようになる。自分の欲望を満たすための悪と、善なる神様の教えに従って善を追求する心が、人間の一生を決めることになる。
自分の欲望を満たすというのは、自然な心だが、そのために弱者、小さき者、愚かな者を犠牲にするのは悪だという考えが、本来の人間には備わっている。
1つのパンを、貧しい者と分け合うというのが、自然な生き方です。しかし、悪魔は人間の心に入り込み、貧しい者を無視し、自分の空腹を満たすことしか考えないような生き方をさせる。さらには、富を自分の幸福のためにだけ使うという心を持たせて、神様の教えに反する生き方をさせる。
そのような社会では、利己主義的な人間ばかりになり、社会の発展は失われ、社会は分裂する。悪魔は、神様の作られた人間同士が争い、傷つけ合い、憎み合うのを見て喜ぶ。人間同士が互いに、不幸にし合うのが悪魔の願うところなのです。
しかし、全知全能にして全善なる神様は、善を行う者を助け、悪をなす者を抑えられる。箴言では、「悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる」として、神様が悪を行う者には災いを与え、善を行う者の願いはかなえると述べている。ただし、目先の欲望や、自分の幸福を考える者は、他人を不幸にしてでも、自分の利益を追求する。そのような生き方が当然だということ自体が間違っているのです。
神様を崇める宗教では、必ず善を推奨し、悪を抑止する。天国は善人が死後に行くところであり、悪人は地獄に行くというのが、人間の宗教に共通して見られる教えです。
この単純な真理、即ち、神様は善であり、悪を排斥されるというのが、人間の魂に書き込まれた神様の教えなのです。人間界の基本的な法則です。神様は善を報われる。悪人は追放される。この単純な教えに従うのが人間の正しい生き方だと信じて、神様と善を愛するのが、本来の人間の生き方なのです。
この教えの延長上に、イエス・キリストの教えもある。ユダヤ教では、キリスト教が生じる以前から、この善悪の考えを明確にしていた。そして、神様は善を推進されるお方だとの明確な意識があった。
他の宗教では、大霊が信者を救ってくれるという信仰はあるが、霊界の支配者でもある神様は、善を推奨される存在だということが曖昧になっている。悪人でも、自分は大霊によって救われたいと願う。そして、自分の欲望を満たしてくれる悪魔に従おうとする。
だから、悪魔に富をもたらす力があると考えれば、善を推奨する真実の神様より悪魔を愛するようになる。隣人愛を求める神様より、自己の欲望を満たしてくれる悪魔を好む人間は多い。だから、世の中は不幸な人間が多くなる。そのような、状況から人間を救おうというのが、イエス・キリストなのです。
日本の弥生時代に、このような人間の本質と社会社会の本質を見抜いていたユダヤ教は、日本人でも学ぶ価値がある教えです。
仏教の教えも、悪を為すな、正しく生きよということですが、善悪に対する判断は、キリスト教の方が徹底している。ただし、どちらも悪を為す者は、死後の霊界で地獄に落ちるということに変わりはない。
愛と善を愛し、憎しみと悪を憎むのが本来の人間なのです。愛を愛し憎しみを憎みのが、本来の人間なのです。
