2026年9月21日月曜日

料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかった (ヨハネによる福音書 第 2 章) (the master of the banquet tasted the water that had been turned into wine)


2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。(ヨハネによる福音書 第 2 章)

2 and Jesus and his disciples had also been invited to the wedding. 3 When the wine was gone, Jesus’ mother said to him, “They have no more wine.”
4 “Woman, why do you involve me?” Jesus replied. “My hour has not yet come.”
5 His mother said to the servants, “Do whatever he tells you.”
6 Nearby stood six stone water jars, the kind used by the Jews for ceremonial washing, each holding from twenty to thirty gallons.
7 Jesus said to the servants, “Fill the jars with water”; so they filled them to the brim.
8 Then he told them, “Now draw some out and take it to the master of the banquet.”
They did so, 9 and the master of the banquet tasted the water that had been turned into wine. He did not realize where it had come from, though the servants who had drawn the water knew. Then he called the bridegroom aside 10 and said, “Everyone brings out the choice wine first and then the cheaper wine after the guests have had too much to drink; but you have saved the best till now.”
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これは、「カナの婚礼」と呼ばれるイエス・キリストが最初に行ったとされる有名な奇跡です。

AIによれば、「「カナの婚礼」はヨハネによる福音書2章1節から11節にあります。ガリラヤのカナで婚礼があり、ぶどう酒が足りなくなったとき、イエスが水をぶどう酒に変えました。これはヨハネ福音書で最初のしるしとされています」とされており、さらに、「この出来事では、イエスがただ困りごとを解決しただけでなく、栄光を現したことが大事だと語られます。その結果、弟子たちがイエスを信じたと記されています。(bible.com)
また、日本語の解説では、イエスの「わたしの時はまだ来ていません」という言葉は、後の使命や栄光を先取りして示す表現として読まれることがあります。(note.com)」とされている。

婚姻の宴に招かれたイエスについて書かれたのは、この箇所だけです。母のマリアと共にイエスが出席したことは、イエスが家族との関係を絶ってはいなかったことを明らかにしている。しかし、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」とイエスが述べたのは、イエスに霊が入って、もはや、この世の人間関係を超越した存在として生き始めたことを意味する。この世で最愛の母へすら、一人の女性に対する態度を見せたということは、イエスの伝道活動に、イエスは家族を関わらせる気持ちがないことを意味している。

ただし、イエスが伝道活動を開始したことを知った母マリアは、密かにイエスのことを気遣ってイエスの後をつけていたように思われる。特に、イエス・キリストが十字架の刑を受けた時にも、その十字架の周囲にいて、イエスの最後を見守ったとされる。そして、死に行くイエスは、弟子の一人に、イエスの母の面倒を見るように命じたとされている。いづれにしても、母マリアがイエスの伝道に、何らかの影響を与えていたことは考えられない。

イエスが権力者によって逮捕されたときも、イエスの家族は取り調べられなかった。また、イエスが伝道を開始した当初は、イエスの家族の誰も、イエスが神様の霊的な息子であることや、イエス・キリストの言葉を信じなかったが、やがて聖母マリアは、イエスの死の瞬間に立ち会われたほどに、イエスの言葉を信じられたと考えられる。

なお、超能力や霊能力のあったイエスが、その力を家族のために使って、家族を経済的に救ったり、家族の直面する問題を解決することはなかった。その中で、母マリアと共に出席したカナの婚礼の宴で水をブドウ酒に変える奇跡を行ったことは印象深い。イエスは、最初の奇跡を母の出席する婚礼の席で表され、母の知り合いの面目をたて、ひいては、母も助けたことになる。イエスの母マリアに対する深い愛情と配慮の表れだと見ることができる。

ただし、今後の伝道の厳しさを思って、母マリアにはイエス自身からは遠ざかっているようにとの気持ちを「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」と述べたのだろう。だから、イエス・キリストが十字架での死刑を言い渡された時に、当局はイエスの家族を取り調べなかった。イエスは、伝道の厳しい生活や権力者の攻撃から、母マリアや家族を守ったのです。

いづれにしても、この「カナの婚礼」は、イエス・キリストとその家族が関わった唯一の出来事です。なお、イエス・キリストのこの世の父親については、福音書に出てこないため、後世、さまざまな推論が行われている。しかし、神様の送られた聖霊によって母マリアが身ごもったという聖書の説明を信じれば、イエス・キリストは父親は神様だということになり。神の遺伝子やDMAを持って生まれ来たことになる。

なお、AIでは、「イエス・キリストの父親」については、
「キリスト教
キリスト教では、イエスは神の子で、父は神と理解されます。
一方で地上での家族としては、ヨセフが父親役とされる説明が一般的です。 (ja.wikipedia.org)

イスラム教
イスラム教では、イエスはイーサーという預言者です。
とても重要な人物ですが、神の子ではないと考えます。神は唯一で、子をもたないという理解です。 (islamicity.org)

ユダヤ教
ユダヤ教では、イエスを神の子とも救世主とも受け入れない立場が一般的です。
そのため、神がイエスの父であるという説明は取りません。歴史上の人物として見る考え方が中心です」
と説明されている。

いづれにしても、イエス・キリストが、その母のマリアや婚礼などに、無関心ではなかったことが、福音書に表されている。

イエス・キリストは、母マリアに従って誰かの婚礼の席に出席したのは事実なのです。そして、そこで最初の奇跡を起こされたのです。

カトリックや心霊主義の教会では、母マリアの霊的な役割を重視し、母マリアの霊が、以後、人類に出現していると考える。その最大の例が、1917年にポルトガルのファチマで起きたとされる聖母マリアの出言です。

聖母マリアを崇めるのが、カトリックですが、「プロテスタントではマリアは大切な人物ですが、カトリックのように特別に崇敬したり、祈りの対象にしたりすることは一般にしません」とAIでは説明されている。

それでも、多くの人間の女性の中から、イエス・キリストの母になる運命を与えられたのは、唯一、マリアなのです。聖母マリアは、人間として神様から最高の地位を与えらた女性だということになる。イエス・キリストは単なる純粋の人間だったとは言えないが、聖母マリアは、単なる人間の一人だった。

つまり、人間の心を持った聖者が、母マリアだということになる。だから、聖母マリアに人間は親しみを覚えて当然なのです。人生の苦しみや悲しさなどは、聖母マリアはよく理解しているはずです。だから、カトリックのキリスト教徒は、今でも聖母マリアに願いをかけたり、祈ったりするのです。

心霊的には、人類の霊で最高の霊格をもっていて、神様の子のイエス・キリストの母に選ばれたのは、マリアだというこになる。(ただし、イエス・キリストは、単なる人間の霊を持った存在とは言えない。)