ブッダ曰く、「世の中はかげろうのごとしと見よ」。
世の中はテレビの画面ようなものだとも言えます。
スイッチを切ればたちどころに消え去る。人の生死もそのようにスイッチ1つで現れては、消え去る。どんなに多くのドラマがあっても。
豊かな生活、幸福な生活もテレビのドラマのようであり、時間がくれば番組の終了のように消え去る。しかも、それを楽しんだ心も消え去る。あとは神のみが残る。
豊かさ、幸福感を基準にしても、本当の満足・充実・悟りは得られない。富と幸福の維持のための果てしない悪事に従事しなければならない。
今の日本の課題は、国民全体として豊かな生活、幸福な生活を求める時代は終わったことを理解することにあります。昨年の大震災・原発事故はまさに、そのような観点からとらえるべきなのです。
財政赤字、年金問題、社会福祉の財源不足もこのような考え方から取り組むべきです。
中学生ですら、予算が足りなければ増税だ、と考える。高校生なら、増税の前にシロアリ退治だと考える。大学生になれば、増税のために議会解散の密約は不道徳だと考える、社会人なら百年に一度の金融危機、千年に一度の大震災・原発事故の時に増税は無理だと考える。
野田首相と谷垣総裁は、日本の政治の劣化の象徴となりました。
日本の国会議員が、これほど知的に、道徳的に劣化したとは驚くべきことです。
これは、日本の有権者の知的・道徳的な劣化を表しています。
昨年のM9.0の大地震は、まさに天の警告だったと考えている日本人も多いはずです。
しかも、昨年の震災の死亡者は2万人程度ですが、毎年日本の社会では3万人が自殺している。デフレのせいです。デフレが克服され、景気が回復すれば必ず自殺者は減る。
こういう状況で、「待ったなしの増税」を叫ぶ野田首相は異常です。国家経済について、まるで、かげろうのようなイメージを追っている。本当の問題点を把握していない。これでは自殺者は減らない、中学イジメもなくならない、売春産業や麻薬産業もなくならない、インチキ評論家や不良芸能人が跋扈する。
谷垣総裁と裏取引をするという、国民無視の民主主義の原則に反する行為自体が問題、だということが分かっていない。
財務省的な数字合わせなら増税推進となる。しかし、百年に一度の金融危機、千年に一度の大震災・原発事故の時に、被災者や避難民の苦労を思って1~2年は増税論議をしない、というのが心の政治です。
国民に負担を強いるが、自分は何も負担していない、ということに気が付かずに、「政治生命をかける」という使い汚れたセリフに酔う野田首相の人格が疑われます。
まだ500兆円くらいは日銀が国債を引き受け、政府紙幣を発行し、富裕層・高給取りに増税し、資産家に課税することで、消費税を上げることなくやっていけるはじです。日本は半世紀にわたってGDPが世界第2位の国なのです。蓄積はあるのです。
Tokyo