キリスト曰く、「自分の十字架を背負って私に従え」。
よく日本語でも「~の十字架」という言葉を使います。その原典がこのイエスの言葉です。
人間は、意識するにせよ、しないにせよ、必ず罪をおかしている。そうすると、その反作用で必ず問題が生じる、マイナスの影響が生じる。それを、宗教では因果応報という。その負の条件を背負いながら、人間は生きていく。大金持ちでも、貧乏人を助けないという罪をおかしている。そのために、さまざまな因果が生じ、身の回りに悪がはびこり、精神的におかしくなる。
そのような罪から本当に解放されることはない、生きている限り。
従って、人間は罪の意識を持つのが正常であり、ないのがおかしい、ということになる。
例えば、世界のどこかの貧乏人を無視していられるからこそ、自分はいい暮らしができる。それが罪だ。しかし、その罪の意識を捨て去ってはいけない。自分は神の教えを完全に守ることができない、という意識をもってキリストの教えに従って生きろ、ということです。
罪を忘れれば、もう歯止めが効かなくなる。貧乏人や不幸な人のことなど、気にせず自分の幸福を追求する。世の中を悪くする。自分も最後はおかしくなる。バカになる。悪魔の子分になる。
罪の恐ろしさを忘れる。即ち、神の怒りを忘れる。そうすると、人間は何でもする。ギャングになる。オレオレ詐欺師になる。カネ儲けのためには風俗で世の中を汚す。いじめを楽しむ。強盗殺人、女性暴行、なんでもする。罪の意識を捨て去り、神の恐ろしさに目をつぶれば・・・
日本の政治家も失敗し、罪を犯す。
鳩山元首相は、普天間問題という十字架を背負わねばならない。
菅前首相は、尖閣ビデオ、北朝鮮グループ支援、原発事故拡大という十字架を背をわねばならない。
野田首相は、与野党談合増税、尖閣/竹島防衛失策という十字架を背をわねばならない。
これを潔く反省すれば、民主党はもう野党に下るしかない。次の総選挙で。
(続く)
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相模湾