2017年12月25日月曜日

日本史のヒーロー


日本史の中で誰が注目されているか、次のようなデータがある。

1位 織田信長
2
位 徳川家康
3
位 坂本龍馬
4
位 豊臣秀吉
5
位 聖徳太子
http://blog.livedoor.jp/jouhoubanngumi-ranking/archives/24030.html

戦国時代の終焉と徳川幕府の始まり、及び、明治維新が日本の大きな転換点だったことは一般人でも理解している。実際、日本人の精神性や世界観に決定的な影響をもたらした人物が選ばれるべきであり、また、単に表面的な社会の変化を象徴しているだけではなく、世界の中の日本の立場の変化も表す人物でもあるべきだ。

そうすると以下のように考えるのが正しい。(順位なし)
1 卑弥呼
2
 聖徳太子
3
 織田信長
4
 徳川家康
5
 坂本龍馬

卑弥呼は古代日本を象徴し、しかも、大和朝廷(神道)の先駆けとなった人物であり、聖徳太子は法隆寺に象徴されるような仏教文化の開始と隋帝国との外交を象徴し、織田信長は世界に伝道されるキリスト教・西洋文化(鉄砲)との遭遇を象徴し、徳川家康はキリスト教忌避の鎖国政策をとる徳川幕府の創設者であり、坂本龍馬は明治維新を実現した薩摩・長州の同盟を実現させ、近代化に関わる多くの人物に大きな影響を与えた人物だ。


明治以降では、伊藤博文、東条英機、昭和天皇、吉田茂、田中角栄などが時代精神を代表する人物としてあげられる。しかし、何と言っても日本史上最大の影響力をもったのはマッカーサー元帥だ。日本を初めて支配した外国人であり、アメリカ・キリスト教をベースとした日本国憲法の計画者であり、日本人の思想に最大の影響力をもたらした。世界的には、日本にユダヤ・キリスト教の影響が及ぶことが歴史の流れの最大の目標であったと考えるべき。このような歴史観こそ、正しい歴史観だ。

2017年12月17日日曜日

世界の一神教と日本精神的伝統

歴史には決定的な瞬間、時代、世紀というのがある。

日本史では1868年の明治維新、1945年の敗戦などが分かりやすいできごとだが、外見的な事象だけでなく精神的に大きな影響を与えた時代というものがある。

古事記、日本書紀、万葉集の編纂、東大寺大仏、地方の国分寺の創建などのあった奈良時代が日本の文化と精神性にとって最も重要な時代であったと言える。平城京が唐の長安に似せて作られ、8世紀の前半に日本神話を確定させた古事記、天皇家創立の経緯を明らかにし、当時の文明国中国に対抗して作られた日本書紀、漢字の用法を一歩進めた万葉集、仏教を大和朝廷が公に支持し、一種の国教として採用したのを象徴する大仏、国分時の建立、さらに日本史上最初の本格的律令法典である大宝律令が導入され、天皇制が制度的に安定した8世紀(ほぼ奈良時代)こそ日本にとって決定的な時期であった。

この8世紀の大改革の発端は663年の白村江の戦いで、日本・百済が唐・新羅に敗戦したショックだ。日本に唐軍が攻め込んでくるの恐れた大和朝廷は、その脅威がなくなってからも日本の再建、改革の必要性にめざめ真剣に日本を唐の文明水準に近づけようと努力した。そして、この奈良時代の努力と成果の延長上にその後の日本文化が花開く。つまり、日本文化の原点はこの時代に求められることになった。

島国日本の動きは常に海外からの文化的ショックによって牽引されてきた。日本列島の中ではそれなりに満ち足りた日本人が、中国文明、仏教文明と遭遇して、自らの客観的な位置に目覚めて文化の向上をはかる、これが日本の伝統的な動きになった。

ただし、切支丹の急激な普及とその後の弾圧の例に見られるように、国内の根本的体制を揺るがすような海外の影響力は拒絶する。同じような例が、明治維新後の西洋化と、その反動のような昭和前半の国粋化、対米戦争にも見られる。根本的な問題に抵触すれば激しく対立し、敗戦すれば直ちに海外文化の優位を悟って日本に取れ入れるのが歴史的特質だ。


思想や制度的にはさまざまに海外の影響に対応して発展してきた日本だが、それでも、いまだに8世紀(奈良時代)の文化的遺産が日本の文化的基盤となっている。もっとも、霊的には1万年の縄文時代の影響が見られる日本人だが、その文化的、霊的基盤と世界水準のキリスト教、ユダヤ教、イスラムの精神性の理解が今は問題となっている。近代科学の源である海外一神教の精神を理解できなければ、日本が世界をリードすることは不可能だ。これが日本の根本問題だ。こういう意識はどの日本人にも必要だ。

2017年12月4日月曜日

日本とアメリカ

現在の日本にとって、また、その歴史において最も重要なのはアメリカとの関係だ。

例えば、大日本帝国がアメリカと戦争していなければ、今日の北朝鮮問題など存在せず、また、アメリカ人が起草した憲法だということで生じているさまざまな政治問題も日本には存在しなかったことになる。

しかし、現実は大日本帝国がアメリカと戦争して敗戦し、朝鮮半島などの支配を放棄し、アメリカ人の起草した平和憲法を受け入れざるを得なかった。この日本の運命を正しく理解するには、「人類と神との関係」について正しい認識を持つ必要がある。

現在、世界の70憶人のうち47憶人が信じるユダヤ・キリスト・イスラムの神が真実の宇宙の創造主であり、人類の創造主であるなら、この神は当然、ヨーロッパ・アメリカ・中東だけでなく東アジアにも、自分を信じ、崇拝する宗教が広まるのを望まれているわけであり、人類の歴史に必要な干渉を行ってきたと考えられる。大日本帝国の興亡はその1つの事例だと解釈すべきである。

バチカンの影響力を遮断するための鎖国から、明治維新の開国、西洋化を経て日本も世界の強国になったが、西洋文明の基盤のユダヤ・キリスト教の精神を十分に取り入れなかった大日本帝国はある意味でキリスト教世界に対して大変な脅威となった。しかし、ヨーロッパの植民地主義国は、もはや軍事大国となったこの帝国を軍事力で滅ぶすことはできなくなり、アメリカのみが大日本帝国を戦争で打ち負かす国力を備えていた。従って、日本とアメリカの戦争はある意味で必然的に生じた。アジア人と白人との闘いというよりは、非キリスト教国とキリスト教国の戦いであった。当然、戦後の日本はアメリカのキリスト教・ユダヤ教の影響を受けたものとなり、日本の社会も徐々にその精神を受け入れるようになった(宗教の一派としてのキリスト教の拡大とは別に)。

アメリカは戦後も世界に民主主義を広める使命を持った国として位置付けられようになったが、アメリカの民主主義の基本はバチカンの支配を受けないプロテスタント系のキリスト教・ユダヤ教だ。アメリカの民主主義を広めるとは、アメリカの宗教精神を広めることを意味する。(ただし、アメリカのキリスト教も完全ではないし、問題が多すぎる。)


そこで、現在の世界でこのアメリカの宗教精神を受け入れない勢力として、イスラム世界と北朝鮮(中国)がアメリカと摩擦を引き起こすことになる。これが歴史的必然性だ。こういう認識を持つのは、国民の義務と言ってもいい。

2017年11月26日日曜日

「私はイスラエルに遣わされた」救世主キリスト - 日本の歴史の鍵


日本の歴史の出発点は3万年前からの石器時代、或いは15000年前の縄文文化からだが、有史としては紀元前200年頃からになる。問題は大和朝廷、天皇家の成立だ。

紀元前200
中国秦帝国の徐福一行が日本に向かって出発。日本では銅鐸など青銅器が作られ始める。
紀元50年頃
「漢委奴國王」の金印が漢から北九州の奴国に下賜され、倭人は中国を宗主国と仰ぐ。
100年頃
倭国王帥升等が奴隷を連れて漢に遣使。
150年~200年頃
倭国大乱。出雲の荒神谷に銅剣、銅矛、銅鐸が埋められる。銅鐸の製造が途絶える。
250年頃
邪馬台国の卑弥呼、台与。特に卑弥呼が国内抗争に魏の援軍を求める。古墳時代が始まる。
300年代
大和王権が成立。朝鮮半島に進出
400年代
倭の五王が中国の宋王朝などに朝貢し、日本・朝鮮の支配権の認知を求める。
500年代
仏教の伝来。
600年頃
聖徳太子、遣隋使で煬帝に対等の姿勢を示す。
663
白村江の戦い(日本と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に敗れる)
720
日本書紀成立

日本史の最大のミステリーは、日本書紀の神武天皇の東征(天皇家の成立)と、確証された歴史的事実がどのように対応するかだ。

その仮説として、九州(佐賀や宮崎)に到達した徐福一行の子孫が、青銅・鉄器の使用などの文化的優越性から北九州の奴国の王となり(それでも200年もかかり、十分倭人に同化する)、当時の大水田地帯の奈良盆地、大和に向かって支配権を伸ばし、一旦は大和攻略に失敗するが、別の徐福系の住み着いた紀伊半島の新宮で新たな味方を得て、ついに大和を攻略する。これが倭国大乱(神武東征)となる。しかし、大和にはすでに出雲系の勢力や別の徐福系の一派が存在していたため、最終的には同化吸収する。しかし、北九州に残された徐福の末裔の一族や、出雲、吉備など各地の勢力との支配権の争いが生じ、卑弥呼を共立して統一を保つ。この動きの中で出雲系支配の象徴の銅鐸は破棄され、銅鏡の時代になる。卑弥呼・台与のあとは、大和王朝の権威誇示のために秦の始皇帝陵にならった古墳を作り始める。しかし、仏教の伝来によって、和人の世界観が拡大し、中国崇拝から日本民族の独立性を尊ぶ思想が生まれ、遣隋使の姿勢にも反映される。以降、唐帝国との白村江の戦いを経て、ますます中国からの独立の姿勢を強め、720年頃に平城京で成立した日本書紀では邪馬台国や卑弥呼は中国に対して余りに隷属的・追従的だとして正式には取り上げない。以後、戦後まで日本の歴史の中で徐福や卑弥呼のことは隠されていく・・・

この仮説は、大和朝廷が奈良盆地で自然に発生した勢力ではなく、北九州から大和への征服王朝であること、その支配権が永続できたのは、弥生時代の倭人(原始的な稲作文化、平和的な銅鐸文化)に対して圧倒的な文化的優越性があったと考えられることから、そのような勢力は中国からの移住者、又は、その末裔と考えるのが自然であり、それに対応する歴史的事実としては徐福の到来が最も有力であることが仮説の下敷きけとなっている。

徐福一行は分散して各地に到達したと考えられ、徐福一行以外にも、秦による中国の武力統一の戦乱を逃れて朝鮮半島経由で北九州や出雲、丹後などに到来した人々によって進んだ稲作、青銅器、鉄器も「紀元前200年頃」に日本に到来したと考えられる。特に神武が大和を支配したあとも、大和の三輪山などでは出雲系の神が祭られ続けたことも重要だ。

しかし、このような古代中国文明に対する従属的な精神も、インド発祥の仏教の到来によって大きな影響を受ける。世界は中国だけではない、仏教を生んだインドもあるということで、日本人は中国に対して独立性を強める。それが、日本書紀の精神だ。そうなると、神武天皇が徐福の末裔であった可能性、邪馬台国の卑弥呼が魏に援軍を依頼した事実などはタブー視される。そして、日本の歴史は曖昧になり、天皇家成立の謎となる。

ポイントは、青銅器も鉄器もなかった弥生時代の日本と、万里の長城や巨大な始皇帝陵を築くような当時の中国との文明の格差、及び、中国に隷属するかのような倭の五王の時代から、隋の煬帝に対等を求める外交文書を書いた聖徳太子の間には仏教伝来という大きな出来事があったことだ。歴史は文化・文明の発展の過程だ。これが日本史の謎を解く鍵だ。


世界的には、現在も主流のユダヤ・キリスト教文化の原点のアブラハムから歴史が始まったと言えるが、そのアブラハムの出自はどの文化かというのが大きな謎だ。特にアブラハムと古代メソポタミア文明との関係が人類にとって最重要な研究課題とも言える。

2017年11月19日日曜日

歴史のミステリー

日本史の魅力はミステリーがあるからだという考えもできる。世界からほとんど隔離されたこの島国でミステリーもないものだと、考えたくなるが、それでも日本の歴史に謎はある。

卑弥呼の邪馬台国はどこにあったのか、出雲と大和の関係とは、徐福と神武天皇の関係は、仁徳天皇陵は本当に仁徳天皇の古墳か、聖徳太子は実在したのか、天皇家の万世一系は本当か、日本書紀・古事記はどこまで信用できるか、武家政権成立の真相とは、元寇は本当に神風で防げたのか、戦国時代の庶民の生活は、信長暗殺の真相とは、豊臣家滅亡の真相とは、鎖国の真の理由とは、幕末の孝明天皇・坂本龍馬の暗殺の真相とは、西郷隆盛の反乱の真相とは、伊藤博文暗殺の真相とは、2.26事件の真実とは、南京事件の真実とは、昭和天皇周辺の終戦時の動きなど、他民族に征服されたこともないのに日本の歴史には謎が多い。

中国では1つの王朝を滅ぼした次の皇帝・政権が新たに歴史書を書かせて、自分たちの都合のよい歴史をねつ造するという傾向がある。日本でも時の支配層に都合の悪いことは隠されている。アメリカではリンカーンやケネディの暗殺、ニクソンのウォーターゲト事件、ビル・クリントンとヒラリーのスキャンダル、ブッシュとビンラディン一族の関係などが有名で、関係するノンフィゥクョン、小説も多く出版されている。


人類的な歴史の問題としては、シュメール人はどこから来たのか、ピラミッドの製造方法とは、インダス文明は誰が創ったのか、モーゼとユダヤ人の出エジプトは事実か、イエス・キリストは何だったのか、聖書成立の謎、なぜローマ帝国は滅んだのか、イスラムはなぜ普及し成功したのか、なぜヨーロッパでユダヤ人の迫害が続いたのか、なぜ産業革命がイギリスで生じ、大英帝国が世界を制覇したのか、なぜ2度も世界大戦がヨーロッパで始まったのか、ソ連の崩壊と冷戦の終結の真相とは、中国共産党の中国支配はなぜ成功したのか、イスラム過激派の実態とは、9/11テロの真相とはなど、今も研究すべき話題が多くある。

正しい歴史観を持つためには、こういう歴史のミステリーも研究しなくてはならない。

2017年11月9日木曜日

世界宗教と日本

日本の歴史は石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、大和朝廷時代、平安京時代、武家政権時代前期、武家政権時代後期、明治維新体制、第二次大戦後と分けらる

このうち、海外との軍事関係は卑弥呼の時代の魏の軍隊要請、大化の改新後の白村江の戦い、鎌倉幕府の元寇、秀吉の朝鮮出兵、明治以降の日清・日露・中国戦争、太平洋戦争があげられる。その時代の宗教は、卑弥呼の鬼道(原初神道)、大化の改新以前の仏教受容、鎌倉前期の日本固有の仏教の確立、戦国末期の切支丹伝播の影響、明治維新後の国家神道の導入、戦後のアメリカ・キリスト教の影響など、それぞれ特徴のある状況にある。

日本が有史以来一貫して、異民族による支配や他民族の大規模流入などを受けず、日本民族の国であり続けたのは上記の海外との軍事関係において民族として持ちこたえからだと言える。しかし、軍事力だけで民族の防衛できたのではなく、民族の文化力の支えがあったからこそ、有史以来2000年の独立と発展に成功したわけである。その文化の核は宗教だ。

この意味からも、1945年の大日本帝国の敗戦は、民族として非常に深刻な事態を意味する。明治維新以降の国家神道では世界に通用しない、これが1945年の敗戦の本質。そして、日本の国家神道が対決したのはヨーロッパ・アメリカのキリスト教文化だった。要するに、神道に依拠する大和魂も欧米のユダヤ・キリスト教の精神文化に勝てなかったということだ。そこで、戦後、日本人はアメリカのキリスト教徒が草案した憲法をほとんど無条件で受け入れ、文化の大転換をはかった。その結果、戦後は欧米と思想を同じくする文明国と認められ、アメリカに次ぐ経済大国になることができた。

それ以前の中国の関係では、卑弥呼の原初神道、大和朝廷の仏教受容、元寇以前からの日本仏教の確立などによって、文明国(中国)対野蛮国(日本)という構図ではなく、日本も中国と同等の精神文化を持った勢力として対抗し、中国の支配を回避できた。
 
しかし、産業革命後欧米の物質文明が世界を席巻し、その文明を支える欧米の精神文化・宗教にそぐわない勢力は大日本帝国のように破滅するか、アフリカ・インドのように植民地に貶められ、又は、中国のようにマルクス主義を取るしかなくなった。そして、今、21世紀にはユダヤ・キリスト教の後継とも言えるイスラム諸国の存在が問題になっている。


ここで世界の主流、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の問題に日本人も関係してくることになる。これらの世界宗教を理解するには、なぜ神がユダヤ・キリスト教とイスラム教を人類に与えたのかを理解する必要がある。

2017年10月30日月曜日

人類の歴史を変えるもの、神の介入

日本人は当たり前のように冷房・暖房などに電気、電気器具、エネルギー装置などを使っているが、本来これは日本人や中国人の考えだした科学の成果ではない。

これは、1543年に到来した火縄銃と同じように西洋の科学文明の産物だ。

しかし、西洋の科学文明をもたらしたのはキリスト教文化に基づくヨーロッパ社会だ。ヨーロッパの産業革命もキリスト教文化の中で生まれたのだ。いくら古代ギリシアの学問的伝統があっても、キリスト教社会の枠組みがなければ近代ヨーロッパ科学は生まれなかった。

ヨーロッパのキリスト教社会をもたらしたのは、ユダヤ教とイエス・キリストだ。いずれも、神の直接的な関与によってもたらされたものとされている。つまり、神の直接的な関与によるユダヤ教とキリスト教の成立がなければ、ヨーロッパの近代科学の発展もなく、産業革命もなく、現代の科学技術や物質文明もなかったことになる。

また、当然、16世紀頃以降のヨーロッパ人の世界進出もなく、火縄銃も日本にもたらされることもなく、切支丹、鎖国といった現象も日本になく、明治維新もなかったことになる。要するに、今でも日本は戦国時代の延長にあり、ヨーロッパではローマ帝国が今でも続いていたかもしれない。

あるいは、人類全体の科学水準は今でも古代エジプトのピラミッドのレベルにあったかもしれない。

歴史に「もし」というのはナンセンスだが、「もし、神の直接的な関与によるユダヤ教とキリスト教の成立がなければ」と考えるのは単なる仮定の問題のレベルを超えている。ここには宇宙的な意義がある。

なお、インドで仏陀が生まれず、中国に孔子が生まれなければ当然、仏教や儒教は生まれず、日本にも仏教文化や儒教の影響は生じなかったことになる。ということは、その場合、日本は今でも古墳時代が続いているかもしれない。


このように、ほんの幾らかの特殊な事象によって人類の歴史が変えられたというのが事実だ。スケールは違っても、そのような例を発見することが歴史の勉強だ。例えば、日本ならまず第一に神武天皇があげられる・・・

2017年10月26日木曜日

歴史は神

歴史という意識があるのは人間だ。しかし、歴史は人間が計画できるものではなく、神が計画するものであり、その意味から歴史は神なのだ。

中国では先祖崇拝、古代崇拝、各王朝の正当化のために歴史書が書かれた。日本もこの延長にあるが、万世一系の皇室が覆されない限り、歴史書の重みには違いがある。

キリスト教世界の歴史は500年ごとに1つの特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:ローマ帝国内へのキリスト教の浸透
500年から1000年:ローマ帝国後のヨーロッパへのキリスト教の浸透
1000年から1500年:バチカンの権威の拡張
1500年から2000年:全世界へのキリスト教の浸透

これは、神の計画であるという観点から振り返らなければ、その意味は分からない。

日本でも概ね500年ごとに宗教的観点から特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:自然崇拝・祖先崇拝
500年から1000年:仏教の輸入と仏教文化の確立
1000年から1500年:日本固有の仏教各宗派の成立
1500年から2000年:ヨーロッパ・キリスト教への反発と暗黙の受容

日本の第4期は戦国時代になり、鉄砲がもたされ、日本の統一が軍事的に加速され、次いで、切支丹の急激な普及、バチカン支配に対する懸念から切支丹禁教、鎖国へとつながるという劇的な前半と、黒船開国、西洋化の明治維新以降という中盤と、欧米支配への挑戦の太平洋戦争、敗戦、米国のキリスト教徒の草案による平和憲法受け入れがあった。

日本は明治維新以降、和魂洋才の方針で欧米の物質文明だけ受容し、キリスト教は無視したけれど、欧米の物質文明はキリスト教の影響で成立したから、矛盾が生じたのです。


戦後は、アメリカのキリスト教徒の草案による平和憲法の全面受け入れによって、日本も欧米と同じ枠組みで安全に科学・技術・経済を発展させることができた。しかし、江戸時代に日本固有の文化を発展させたことが、日本民族の文化的レベルを高め、豊かにし、明治維新以降の欧米化を容易に推進できる知的基盤を作ったことも事実だ。ここに日本の歴史にも神の計画が働いていると考えるかどうかで、歴史の意味も変わる。

2017年10月20日金曜日

日本人とユダヤ人

世界の歴史で特異なのはユダヤ教徒の存在だ。どのような民族も「民族の神」という概念を持っていたから、ユダヤ民族が自分たちの神を持っているのは当然だが、その神がキリスト教徒の神となり、イスラム教徒の神となり、事実上、現在全人類の神となったという点でユダヤ教徒は特異な存在だ。

しかし、なぜ神がユダヤ民族を選ばれたかについて研究した例は欧米にも余りない。ピラミッドのエジプト人、最初の都市文明のシュメール人、インダス文明や仏教のインド人、東アジアで古代文明を築いた漢民族、現代につながる哲学発祥のギリシア人、南米独自の文明を発達させたインカ帝国などではなく、神は特にユダヤ民族に目をかけられた。そして、神の子、イエス・キリストをユダヤ民族に送られた、それには絶対的な理由があるはずだ。

その理由の1つは、ユダヤ教がモーゼの十戒などに象徴されるように倫理的なレベルが高かったことだと思われる。その民族の聖典に「『殺すな、盗むな、姦淫するな』と神に命じられた」と書くような民族は他に例がない。

キリスト教も倫理規範をその柱とする宗教であり、ユダヤ教、キリスト教に次ぐイスラム教も、基本的に倫理的戒律を述べたコーランを持ってる。このため、現在では神とは「宇宙の創造者」と「倫理・道徳・善の推進者」という2 つの顔があることが常識になっている。

このような神概念は、神がユダヤ教徒を4000年前に選ばれたことによって、現在実現したと考えられる。

しかし、なぜ神は日本人を選ばなかったのかという点は、日本人として考えるべきだ。

エルサレムを中心とした世界地図で見れば、世界の東の果てにあるのが日本だ。自然に恵まれた日本列島には北はシベリア、中国東北部から南は中国南部、東南アジアなどからさまざまな民族が流入し、多様なDNAが合わさって日本民族が生み出されている。そして、比較的温暖な風土の中で他民族との闘争のない島国で1万年にわたって平和な時代を過ごした日本民族には、世界で求められる、又は、世界と共通する普遍的な文化意識、宗教、世界観が生まれなかった。要するに、厳しい倫理規定の必要のない恵まれた環境だった。


こういう日本の特質に意味をユダヤ人との比較で考えることが、まず第一歩だ。

2017年10月17日火曜日

聖書「学者たちは災いだ」- 皇室存続の謎

長い歴史の中で いわゆる半端ものは消えていく。

逆に真実は歴史が証明する。ユダヤ教が4000年生き残ったので、神がアブラハムやモーゼに行った約束が正しかったことが証明される、キリスト教徒が2000年間発展したのでイエス・キリストが神の子であったことが証明された、イスラム教が1300年揺るぎなく存続したので天使がムハンマッドに語り掛けたことが証明された。

仏教も2500年続いたので、仏陀が正しく悟りを開いたことが証明され、儒教の教えも2500年伝えられたのでその真実が証明された、ということになる。

日本的仏教は鎌倉時代の始まり頃からだが、1000年近く続いたことになる。これも法然、親鸞、一遍などの教えが真実であった証明になる。しかし、日本の歴史で特異なのは皇室の存在だ。歴史的には1500年以上継続している。世界でもこういう王室はない。

皇室の歴史は日本の歴史だというわけではないが、平安時代末までは日本の中枢であった。そして、今も日本の中で大きな存在感がある。この天皇家の成立の理由が何であれ、そこには大きな力があったと考えられる。これを解明するのが日本の歴史学の大きな課題だ。

1万年の縄文時代のあと、弥生時代になり、銅鐸文化が発生し、次いで、銅鏡と古墳の時代(卑弥呼の時代)になり、そして、仏教が伝来して600年頃の法隆寺の建立となり、大和朝廷の威信が確立した。しかし、古墳時代以前に神武東征があって天皇家が大和に入り日本を支配できたのはなぜか、ということは明らかにされていない。

ローマ帝国の場合は、先行するギリシア文明やアレキサンダー大王の軍事技術を学んで、市民軍事国家を編成し、周辺民族を圧倒する文化力、軍事力で地中海世界、西ヨーロッパを支配した。ローマ帝国の繁栄はギリシア文明やアレキサンダー大王の軍事技術の卓越性を証明する。(その余りの危険な物質的繁栄に警告を与える意味で、キリスト教がローマにもたらされたと考えられる。)

しかし、皇室の日本制覇とその長期の存続は何を証明しているのか、それが日本人の歴史研究の最大の課題だ。 

2017年10月13日金曜日

救世主イエス「私はイスラエルに遣わされた」- 神と日本人

救世主イエス「私はイスラエルに遣わされた」- 神と日本人

世界の歴史で特異なのはユダヤ教徒の存在だ。どのような民族も「民族の神」という概念を持っていたから、ユダヤ民族が自分たちの神を持っているのは当然だが、その神がキリスト教徒の神となり、イスラム教徒の神となり、事実上、現在全人類の神となったという点でユダヤ教徒は特異な存在である。

しかし、なぜ神がユダヤ民族を選ばれたかについて研究した例は欧米にも余りない。ピラミッドのエジプト人、最初の都市文明のシュメール人、インダス文明や仏教のインド人、東アジアで古代文明を築いた漢民族、現代につながる哲学発祥のギリシア人、南米独自の文明を発達させたインカ帝国ではなく、神は特にユダヤ民族に目をかけられた。そして、神の子、イエス・キリストをユダヤ民族に送られた、それには絶対的な理由があるはずだ。

その理由の1つは、ユダヤ教がモーゼの十戒などに象徴されるように倫理的なレベルが高かったことだと思われる。その民族の聖典に「『殺すな、盗むな、姦淫するな』と神に命じられた」と書くような民族は他に例がない。

キリスト教も倫理規範をその柱とする宗教であり、ユダヤ教、キリスト教に次ぐイスラム教も、基本的に倫理的戒律を述べたコーランを持っている。このため、現在では神とは「宇宙の創造者」と「倫理・道徳・善の推進者」という2 つの顔があることが常識になっている。

このような神概念は、神がユダヤ教徒を4000年前に選ばれたことによって、現在実現したと考えられる。

しかし、なぜ神は日本人を選ばなかったのかという点は、日本人として考えるべき。

エルサレムを中心とした世界地図で見れば、世界の東の果てにあるのが日本だ。自然に恵まれた日本列島には北はシベリア、中国東北部から南は中国南部、東南アジアなどからさまざまな民族が流入し、多様なDNAが合わさって日本民族が生み出されている。そして、比較的温暖な風土の中で他民族との闘争のない島国で1万年にわたって平和な時代を過ごした日本民族には、世界で求められる、又は、世界と共通する普遍的な文化意識、宗教、世界観が生まれなかった。要するに、厳しい倫理規定の必要のない恵まれた環境だったということになる。

なお、日本人はどのようにして成立しかたも、歴史探求の大きなテーマだ。

2017年10月9日月曜日

聖書 「最初に言葉があった」ー 日本の歴史の始まり

聖書 「最初に言葉があった」ー 日本の歴史の始まり


歴史は歴史書によって作られる、という考え方がある。なお、聖書も歴史書である。

しかし、日本では文字もなく1万年続いた縄文時代には歴史がなかったことになる(?)。日本の最古のでき事が世界の歴史書で報告されているのは5世紀の中国で書かれた後漢書の「建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす」という記述だ。そして、有名なのが邪馬台国の卑弥呼を記した3世紀末の魏志倭人伝。

この邪馬台国・卑弥呼論争が日本史の最大の謎の1つだ。これは皇室の先祖にかかわる問題である。他方、日本の歴史書の日本書紀は8世紀前半(720年)の成立。そして日本書紀の最大のトピックは神武東遷と神功皇后。神功皇后の項は他の天皇と同格の独立した章立てになっている。そして、本文の注記に魏志倭人伝が引用されている。
「即位39年。この年、太己未。 
魏志によると、明帝の景初三年六月に倭の女王が大夫の難斗米などを派遣して、郡に行き、天子に会おうと朝献した。太守の鄧夏は吏を派遣して、京都に詣でた。
即位40年。 
魏志によると、正始の元年に、建忠校尉梯携たちを派遣して詔書印綬を奉り、倭国にもたらした。
即位43年。 
魏志によると、正始4年、倭王は使者の大夫の伊聲者掖耶約たち8人を派遣して献上した。」

このように自国(日本)の歴史書に中国の歴史書を引用するのは異例。

そもそも、漢文で書かれた日本書紀は一般日本人向けに書かれたものではなく、中国の唐と白村江で戦って敗戦し(663)、その後、日本の国威再興のために書かれたと思われる。従って、中国の朝廷の眼を意識して書かれたと考えられる。そのとき、中国の権威ある史書と整合性の取れないことを書けば、「たわごと」と軽んじられる。従って、中国の史書、魏志倭人伝に書かれた内容との整合性を示す必要があった。


ポイントは、当時の大和政権が「邪馬台国は九州で、卑弥呼は地方の女酋長」として無視することはせずに、神功皇后と関係づけたということ。これは日本の歴史解明に重要な意味をもつ。大和朝廷の記憶は、数百年前に遡って確かなものであるはずだからだ。古代人の記憶力は現代人以上なのだ。

2017年10月8日日曜日

「天と地に神は奇跡をおこされる」ー 日本民族と神の奇跡

聖書 「天と地に神は奇跡をおこされる」ー 日本民族と神の奇跡

日本人の宗教観は、日本の縄文時代以来の特殊な風土と結びついた先祖崇拝が基本だが、世界では万物の創造主、神との関係が基本。

万物の創造主、神と人類の関係は、ユダヤ民族を選ばれた神、キリストを人類に遣わされた神、コーランを与えられた神というように考えられている。しかし、天文学的規模でも神は人類の成立と進歩に関与したと考えるべき。それは奇跡という形で現れている。

まず、空を見上げれば太陽と月があるが、両者は見かけ上同じ大きさに見える。これは他の惑星では見られない地球独自の現象だ。しかし、月と太陽が同じ大きさで見えるということは古代の人類に大きな影響を与えている。それは、各民族の神話に現れている。このような神話を通して人類の霊性・知性は発展してきた。

このような月が形成されたのは45憶年前に火星規模の惑星と地球が衝突した結果だとされている。これは神が起こした奇跡であると考えるべき。

次に、地球の歴史で人類発生にかかわる大事件は6600万年前の大隕石の衝突による恐竜の絶滅。この結果、ほ乳類の天下になり、やがて人類が発生する。これも、人類成立のために神が起こした奇跡であると考えるべき。

この時期以降、アフリカに発生した人類が世界の他の大陸に進出するが、神はエルサレムをアフリカ、ヨーロッパ、アジアの結節点(世界の中心)に作らせた。大陸移動理論から見れば、ちょうどいいタイミングで神は大隕石を用いて恐竜を滅ぼされたことになる。

つまり、人類のために神は月を生じさせ、恐竜をある時点で滅亡されたと言える。その手段として火星規模の惑星や大隕石を神は使われた、と考えられる。今、人類は月と太陽を見て、また、恐竜の化石を見て、神が起こされた奇跡に心から感謝すべきなのだ。


さらに、日本列島も神が奇跡的に作られたと考えられる。列島が完成したのは、世界で大氷河時代が終焉した1万年前だが、その時に富士山も本州のほぼ中央に形成される。そして、富士山に象徴される縄文時代(1万年間継続)以降、日本民族は固有的に存続し(固有種?)、世界でも稀な民族の歴史を持つに至った。これも、神が日本民族を世界の歴史の中で特別な役割を与えるために準備された奇跡だと考えられる。

日本民族と神の奇跡、こういう考え方が日本人には必要!

2017年10月7日土曜日

「神は石からでもアブラハムの子孫を作ることができる」ー 日本が世界のリーダーになる条件

聖書 「神は石からでもアブラハムの子孫を作ることができる」


不思議なことに世界の歴史は500年ごとに区切られるように見える。そして日本の歴史も同じ。

1. 紀元前500
世界:仏陀、孔子、ソクラテス、旧約聖書の完成
(日本:日本書紀の神武天皇)

2. 紀元1
世界:ユダヤ教に不満な神がキリストをこの世に送る。ローマの帝政開始、ユダヤ戦争
(日本:漢帝国が委の奴国王に金印を授与し、歴史に日本が出現)

3. 紀元500年頃まで
世界:ローマ帝国後のヨーロッパでキリスト教の成立と確立
(日本:銅鐸、古墳文化から仏教の受容)

4. 紀元1000年頃まで
世界:ヨーロッパの中世前期、キリスト教の権威が確立するも、その教義に不満な神によってイスラム教がアラブ人などに付与される。
(日本:天皇中心の体制の確立と発展。)

5. 紀元1500年頃まで
世界:ヨーロッパの中世後期、バチカンの権威が頂点を極めるが(十字軍)、教皇たちの腐敗・堕落の進行、そして世俗の王権の巻き返し。イスラム世界の分裂的展開。
(日本:日本的仏教の発展、武家政治の確立。)

6. 紀元 2000年頃まで
世界:ルターの宗教改革、コロンブスの新大陸到達と白人による世界の植民地化、科学の発展、産業革命、さらに世界大戦を経て、資本主義、商業主義、先端科学・技術の発展
(日本:戦国時代、切支丹対策の鎖国、開国、近代化、第二次大戦、キリスト教的民主化)

問題は、現在の社会の経済・科学・技術が2500年前以降の哲学・宗教の枠組みを超えて暴走する危険。

特に1500年以降はバチカンの堕落からヨーロッパ人が爆発的にその活動範囲を拡大し、世界を植民地化しながら、科学技術を発展させ、新大陸アメリカでさらに近代化が促進され、その延長で今も物質文明が進展しているわけです。そして、霊的に危険水域に入っている。日本もその流れにある。こういう問題意識に基づいた歴史観が日本の関係者にも必要。

ユダヤ・キリスト教と何の関係もない日本でも、正しい歴史認識、宗教観をもてば、神は日本民族をユダヤ・キリスト教の世界に取り入れてくれるはずであり、その時、日本人は真に国際的なリーダーとなれる。