2018年9月2日日曜日

ヨーロッパ、アメリカ、日本、インド、中国


インドと中国のGDP19世紀初頭までずっと1位か2位を占めていた。16世紀から18世紀 まで世界の圧倒的経済大国は中国とインドであった。イタリアは、紀元1年の時点では古代ローマ帝国の中心地だったが、GDPはインド、中国に続いて3位だった。

1600年の時点で中国のGDPは西欧全体のGDPを超えていたし、インドもまた同様だった。 西欧の合計がインドのGDPを超えたのは1820年、中国のGDPを超えたのは1870年のことだと言われている。


自然風土を考えれば、亜寒帯地域の多い西欧と比較して、インド・中国は亜熱帯・温帯の豊かな風土に恵まれ、農業に適していた。しかし、17世紀からの西欧科学文明の発展、18世紀からの産業革命によって欧米の優位が決定し、今日に至っている。

インド・中国の精神的背景はヒンドゥー教・仏教・儒教・道教であり、欧米はユダヤ・キリスト教だ。日本が20世紀に世界の経済大国になるまでは、欧米のエリートはキリスト教国、白人以外は無能であり、アジア・アフリカは永遠に欧米の支配を受けざるを得ないとの思想があった。ヒンドゥー教・仏教・儒教・道教は一段劣った宗教だとされていた。

今では日本に続いて中国、韓国、インドも近代科学・技術をマスターし発展している。しかし、世界の文化の主流は欧米文化であり、ノーベル賞の受賞者数でも明らかなように、人道的な分野、創造的な分野、最先端科学の分野でも欧米が世界をリードしている。いくら中国のGDPが増えても、中国の社会は事実上、共産党の独裁国家であり、民主主義も未熟だ。中国の市場を狙って欧米の企業は中国に接近するが、欧米の学者が中国から思想を学んだり、人道主義・平和主義を学んでいるわけではない。インドについても、世界の文化をリードできるような立場にはない。

現在の中国・インドはあくまで20世紀の日本の成功の影響によって、非キリスト教国でも現代科学・技術・経済を発展させることができることが証明され、その波に乗ったものであり、何も革新的な思想的影響を世界に及ぼしているわけではない。ヒンドゥー教・仏教・儒教・道教が現代社会を支え、影響力を及ぼしているわけではない。

しかし、世界にはユダヤ・キリスト教と対立する宗教、イスラム教がある。イスラム世界も欧米の植民地支配を受け、同じ神を崇めているにも係わらず、キリスト教からは一段、劣った宗教と見られている。逆に、イスラム社会は欧米の現代社会の風潮を受け入れず、欧米文化への抵抗勢力となっている。欧米的なGDPの拡大には不向きな社会体制を維持している。

物質的な成功が重視され、商業主義が社会を支配し、ユダヤ・キリスト教の精神が軽んじられる欧米と比較して、(ドバイなどの繁栄は別として)イスラム教社会はかたくなにその宗教的伝統を保持している。その反ユダヤ・キリスト教の流れから、テロ勢力が生まれるという状況もある。実際、イスラム社会がコーランを捨てて、欧米化する可能性はない。

この歴史の流れを見ると、風土的に恵まれていたインド・中国が世界を支配することはなく、一神教の欧米が世界を支配したが、日本が欧米だけの独走を許さず、その影響でインド・中国も復活し、さらに、イスラム社会は欧米社会に対する批判勢力として存在している、ということになる。

神は欧米に強力な精神的文化を与え、物質的に世界を支配させたが、他方、日本を選んで欧米を抑え、しかも、宗教のルーツが同じ反キリスト教のイスラム社会を存続させた。神がどこまで欧米を支えているかという点から、この状況を考えるべきだ。世界中が欧米の白人中心の資本主義・商業主義に従っているわけではない。

1500年前、2000年前、4000年前の科学が未熟な時代に生まれた宗教が今も実践されているということ自体が、物質文化に対する精神文化の優位を意味するわけだが、神が人類に望んでいるのは物質的な繁栄ではなく、精神的な成長だと考えれば、今後の人類の歴史には劇的な神の介入が考えられる。そのときに、日本やイスラム社会がはたす役割が何であるのかを考えるのも有益だ。1000年後には、宗教心のある人間は世界からいなくなり、富を崇めるだけの人間ばかりになるのか、神の裁きで人類の物質文明が崩壊しているのかは誰にも予言できないとしても。