2018年2月27日火曜日

聖者とは?


カトリックには数百人という聖者がいる。教会組織が、ある人物を聖者と認定するのは馴染めないが、神であるキリストの代理人であるローマ教皇が誰かを聖者と認定すれば聖者ということになる。もちろん、これは神様による認定ではない。バチカンの権威で誰かを聖者と認定するというのは、もしかしたら神様の権威に対する冒涜かも知れない。

日本では人々の信仰が聖者を決めている。仏教や神道の組織が誰かを聖者と認定しても、人々の間で本当に尊敬されるわけではない。しかし、人々の間で聖者として崇められている歴史上の人物もいる。聖徳太子、空海(弘法大師)、親鸞など。特に、空海は民話などで多く取り上げられている。

歴史の浅いアメリカでも、キング牧師など社会的な影響力のあったさまざまな人物を聖者扱いしている。何年かたてばオバマも聖者扱いされる可能性がある。

中国では孔子の時代に聖者が出尽くした感じがある。ただその後も日本仏教に影響を与えた著名な僧侶は出現している。しかし、共産党革命で過去の精神的な伝統は断絶したようなところもある。聖者とも呼ばれるガンジーが出たインドでは今でも多くの「聖者」が輩出しているが、彼らは皆、眉唾ものだと見られている。

極論すれば、人類に聖者は3人しかいなかったと言える。モーゼとキリストとモハメッドだ。しかし、モーゼはユダヤ人だけを救い、キリストは病人を癒しただけ、モハメッドは多くの敵を殺害した。とても、人類の聖者と呼べるようなものではない(仏陀や孔子は理屈を述べただけ?)。こう考えると、人類にはたいした聖者がいなかったことになる。

しかし、人々の心の中では聖者の出現を期待している。過去の偉人を美化し、聖者に祭り上げる、又は、宗教の教祖をことさら神聖化する。そのため日本では太子信仰や大師信仰が受け継がれている。同時に、ご利益を求めて怪しげな新興宗教も絶えることはない。

聖者というのは神の概念の反映だ。神なら人々を救う力がある。そのような力を少しでも受け継いだ聖者が現れてほしいという願いの反映だ。しかし、同時に、人々はカネが問題を解決すると信じている。現代では聖者の出現を願うより、経済発展、金融革新、ビジネスの成功への願いが主流になっている。人を救うのが聖者なら、カネが聖者だということになる。世界の富豪は崇められる。富裕層は特別視される。カネが宗教になり聖者になる。

逆に、「人はカネに仕えるか、神に仕えるかだ」という神の言葉が意味を持ってくるのだ。

2018年2月19日月曜日

ユニークな日本

2017年のノーベル賞には日本国籍者は一人も出なかったが、日本系のイギリス人が文学賞を受賞した。1901年からの国別上位授賞者数は次のようになっている。
(1)アメリカ265人、(2)イギリス84人、(3)ドイツ81人、(4)フランス51人、(5)ロシア34人、(6)スエーデン29人、(7)日本 25人、(8)オランダ18人、(9)イタリア17人、(9)スイス17人。

この中で、非欧米、非キリスト教国は日本だけ。欧米はギリシア・ローマ文明の伝統とキリスト教の伝統によって近代文明の発祥の地になっている。現在の世界の主流は欧米発の文明であり、エジプトやインド、中国の伝統ではない。それを可能にした精神文化の核はユダヤ・キリスト教だ。ニュートンは聖書研究者でもあり、アインシュタインはユダヤ人だった。旧約聖書、新約聖書を2000年間読んできたキリスト教徒(ユダヤ教徒)が産業革命を起こし、近代科学・技術を発展させることができたわけだ。

他方、エジプトのピラミッドを4600年間見ていても、インドの哲学書を3000年間読んでいても、中国の仏典や論語を2500年間読んでいても近代文明は生み出せない。しかし、日本はその西欧文明に伍すことができた。そのカギとなるような聖典は日本にあったのかということになる。

そもそも、1万年以上続いた縄文時代の土器芸術に象徴される古代日本人の芸術性が鍵となったのかも知れない。あるいは、現在も日本全国に存在する8万以上の神社が象徴するような民族の霊性が基盤になったのかも知れない。あるいは、聖徳太子以来の仏教の伝統が日本人の知的水準を高めていたのは間違いない。そして、日本書紀や古事記が日本人の精神性に与えた影響、万葉集が日本人の文化性に与えた影響は我々が思っているより大きかったかも知れない。


しかし、最も大きかったのはこの日本列島の風土的な恩恵と、海外からの侵略には合わなかったという歴史的な安定性が大きい。その中で縄文以来の霊性、精神性、文化性が発揮されたことになる。そして、ユニークな日本という国、日本人ができあがった。その象徴としての天皇家には意味があるが、もっと基本的には富士山や桜の花が日本のユニークさの象徴だということになる。あるいは、正月などを祝う風習自体が象徴だ。

2018年2月10日土曜日

末法思想、最後の審判、そして日本

日本は何と言っても(世間的には)仏教国だが、仏教には末法思想というのがある。今では誰も真剣に論じないが。

「大乗仏教には歴史観として、未来を含めて歴史を三段階で分ける考えがあった。正法五百年、像法千年、末法万年といい、正法は仏陀の死後五百年でその教えが正しく実行されている時代、次の像法千年は教えは守られているが、それを実行し悟りを開くことが困難な時代(像とは似ているという意味)で、末法は仏陀の教えが行われなくなる時代であるという」(http://www.y-history.net/appendix/wh0302-060_4.html

仏陀は紀元前500年頃の人だから、キリストが生まれるころまでは正法だったことになりる。そして、次の1000年が過ぎる頃というのが日本の平安時代の末期になる。テレビでよく取り上げられる、この時代の陰陽道などもこの影響にある。

「日本では1052年が末法入りと考えられ、源信の『往生要集』が著され、源平の争乱から鎌倉幕府への転換はそのような乱世の表れと捉えられた。念仏によって極楽往生を願う浄土信仰はさらに鎌倉仏教のなかに、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)という宗派を生み出し、進化を重ねていく」(同)

「三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。
「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95)ともされており、この場合西暦1500年以降に末法となる。実際、日本では同じ時期に戦国時代になり、まさに末法の時代に入る。しかし、1549年にはザビエルが来日する。同じころ鉄砲も到来し、戦国の統一が進む。ただ、それから500年経っても、世界も日本も滅びていない。

しかし、この500年間はキリスト教が世界に布教した時代でもあった。日本も末法の世にザビエルが現れて、仏教の支配する世界からキリスト教の影響を受けた時代に入った。ザビエル(信長・秀吉)=>鎖国(江戸時代)=>開国(明治維新)=>西洋化(戦前)=>キリスト教化(戦後)、という流れだ。戦後のキリスト教化はアメリカ文明の受容という形を取っている。

一方、仏教はまだ名目的、儀式的に日本人の宗教ということになっているが、社会システムへの影響力はない。そういう意味では仏教は日本文明の宗教ではなくなった、ということになる。

しかし、キリスト教の影響が、ある意味で隠された影響だから、仏教との摩擦は少ない。いや、日本人の霊性には、縄文の精神、神道の精神、仏教の精神というように階層性が見られる。その一番上に、現憲法の精神でもあるアメリカ・キリスト教の精神がある。そして、世界の主流のキリスト教とはどこかでつながっている。ザビエル来日以来日本も、複雑ではあるが、キリスト教世界の影響の下に移行したと言える。

そして、世界の主流のキリスト教では「最後の審判」という思想がある。特に、キリスト自体が「世の終わり」という考えに基づいた説教をしている。これは、実際にキリストの死後、30年経ってユダヤ戦争が起き、パレスチナはローマ軍によって直接支配されるようになり、エルサレムの神殿も破壊され、ユダヤ人の離散をもたらした。

ユダヤ戦争前と後ではユダヤ教は変わる。神殿を中心とした宗教から、ユダヤ教の聖書を中心とした宗教に代わる。要するに古いユダヤ教は亡び、新しいユダヤ教が生まれた。これは、まさにそれまでのユダヤ教徒にとっては「世の終わり」なのだ。キリストの「世の終わり」とは、このユダヤ戦争のことを意味していたと思われる。「ローマ帝国によるエルサレム破壊は近い。だから、もっと神に帰依せよ」という代わりに「世の終わりが近いから、悔い改めよ」と説教したのだ。キリストは「私はイスラエルに遣わされた」と言っているから、「古いユダヤ教の終末」が「世の終わり」だった。

つまり、キリストの予言は成就したということになる。しかし、その後、2000年もキリスト教徒はこのことが理解できず、「世の終わりというのは難解だ」と考えてきた。また、ニュートンのように旧約聖書に基づいて、この世の終わりの日を計算した人もいる。

さらに、キリストは「私は雲に乗って再びこの世にやってくる」とも予言している。こちらの予言はまだ成就していない。しかし、20世紀になってさまざまなキリスト時代の遺物が発見され(死海文書、ナグ・ハマディ文書、当時の骨箱、トリノの聖骸布の調査など)、また、ファティマの予言やマラキの予言、イスラエルの建国などキリスト教の周辺に重要な出来事が起こっている。何がでてきても不思議はないような状況だ。


仏教では終わったはずの21世紀の世界で、今、イスラム教世界の動きが注目される時代になった。世界はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教について新たな考えをもつべき時代になったのではないだろうか。同じ神を敬いながら異なる宗教が永遠に分離されているということは考えらない。特に、アブラハムからキリストまでが2000年、キリストから現在までが2000年。何かが起きてもおかしくない。

2018年2月5日月曜日

日本文化の優秀性を支える文学

日本人の優秀性はノーベル賞の受賞者数にも表れている。
1位 アメリカ 352人  (2016年まで)
2
位 イギリス 119
3
位 ドイツ  82
4
位 フランス 58
5
位 スウェーデン 32
6
位 日本   23
7
位 スイス  22
8
位 ロシア・ソビエト連邦 20
9
位 オランダ 17
10
位 イタリア 14

これは、科学技術だけでなく、日本文化全体の優秀性を表している。また、日本の国情が中国やインドなどより安定していたことも意味する。ただ、日本語の特殊性と文化の孤立性から文学関係は国際的に余り評価がない。俳句は国際的に高い評価を得ていますが、カズオ・イシグロも英国に帰化して成功した。

産業革命を始めたイギリスもシェークスピアのような文学的伝統があって科学技術は花開いた。日本の技術・経済の発展も文学に支えられていたと言える。文化レベルを象徴する文学を振り返ってみると、例えば、ネットのサイトなどでは次のような例がある。

日本の名作小説おすすめランキング
1位:日本人に愛されている!夏目漱石作品
2位:リズムを感じる!宮沢賢治作品
3位:作品に苦悩がにじむ!芥川龍之介作品
4位:生き様も無頼!?太宰治作品
5位:直木賞唯一の辞退者!山本周五郎作品
6位:日本人初のノーベル文学賞!川端康成作品
7位:悲劇の闘士!三島由紀夫作品
8位:軍医のちに小説家!森鴎外作品
9位:耽美の極み!谷崎潤一郎作品

あるいは、日本の近代・現代の十大小説として、
愛の不可能性―夏目漱石『明暗』
女の孤独と聖性―有島武郎『或る女』
故郷と山と狂気―島崎藤村『夜明け前』
愛と超越の世界―志賀直哉『暗夜行路』
四季をめぐる円環の時間―谷崎潤一郎『細雪』
愛と戦争の構図―野上弥生子『迷路』
根源へ向う強靱な思惟―武田泰淳『富士』
暗黒と罪の意識―福永武彦『死の島』
人間の悲惨と栄光―大岡昇平『レイテ戦記』
魂の文学の誕生―大江健三郎『燃えあがる緑の木』

紫式部の源氏物語が日本人の知性にどのような影響を及ぼしたのかは分からないが、万葉集が日本文化の基礎にあることは間違いない。あるいは鎌倉時代の方丈記、鎌倉末期の徒然草などは今の日本人にも理解できる感性が現れているし、日本の文化性も示している。

海外では、近代10大小説では、
1 ヘンリー・フィールディング、トム・ジョーンズ、イギリス1749
2 ジェイン・オースティン、高慢と偏見、イギリス1813
3スタンダール、 赤と黒、フランス1830
4オノレ・ド・バルザック、ゴリオ爺さん、フランス1834年〜1835
5チャールズ・ディッケンズ、デイヴィッド・コパフィールド、イギリス1849年〜1850
6ギュスターヴ・フロベール、ボヴァリー夫人、フランス        1856
7ハーマン・メルヴィル、 白鯨、アメリカ    1851
8エミリー・ブロンテ、嵐が丘、イギリス    1847
9フョードル・ドストエフスキー、カラマーゾフの兄弟、ロシア           1879
10レフ・トルストイ、戦争と平和、ロシア  1865年〜1869
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%B0%8F%E8%AA%AC

英国、フランス、アメリカ、ロシアといった大国がノミネートされている。しかし、ドイツではゲーテ、イタリアにはダンテ、スペインにはセルバンデスがいる。大国は文学によって大国なのだ。カフカやプルーストというユダヤ人もいる。

しかし、最大の物語は聖書のイエス・キリストの言行録だ。日本最大の作家、夏目漱石にもキリスト教は何らかの影響を及ぼしているはずだ。欧米では、旧約・新約の聖書の物語が決定的な影響を及ぼしている。


逆に、欧米の文学、そして、文明を理解するには聖書の研究が不可欠だ。それが明治以降きちんと行われていれば、太平洋戦争もなかったかも知れない。