2017年10月30日月曜日

人類の歴史を変えるもの、神の介入

日本人は当たり前のように冷房・暖房などに電気、電気器具、エネルギー装置などを使っているが、本来これは日本人や中国人の考えだした科学の成果ではない。

これは、1543年に到来した火縄銃と同じように西洋の科学文明の産物だ。

しかし、西洋の科学文明をもたらしたのはキリスト教文化に基づくヨーロッパ社会だ。ヨーロッパの産業革命もキリスト教文化の中で生まれたのだ。いくら古代ギリシアの学問的伝統があっても、キリスト教社会の枠組みがなければ近代ヨーロッパ科学は生まれなかった。

ヨーロッパのキリスト教社会をもたらしたのは、ユダヤ教とイエス・キリストだ。いずれも、神の直接的な関与によってもたらされたものとされている。つまり、神の直接的な関与によるユダヤ教とキリスト教の成立がなければ、ヨーロッパの近代科学の発展もなく、産業革命もなく、現代の科学技術や物質文明もなかったことになる。

また、当然、16世紀頃以降のヨーロッパ人の世界進出もなく、火縄銃も日本にもたらされることもなく、切支丹、鎖国といった現象も日本になく、明治維新もなかったことになる。要するに、今でも日本は戦国時代の延長にあり、ヨーロッパではローマ帝国が今でも続いていたかもしれない。

あるいは、人類全体の科学水準は今でも古代エジプトのピラミッドのレベルにあったかもしれない。

歴史に「もし」というのはナンセンスだが、「もし、神の直接的な関与によるユダヤ教とキリスト教の成立がなければ」と考えるのは単なる仮定の問題のレベルを超えている。ここには宇宙的な意義がある。

なお、インドで仏陀が生まれず、中国に孔子が生まれなければ当然、仏教や儒教は生まれず、日本にも仏教文化や儒教の影響は生じなかったことになる。ということは、その場合、日本は今でも古墳時代が続いているかもしれない。


このように、ほんの幾らかの特殊な事象によって人類の歴史が変えられたというのが事実だ。スケールは違っても、そのような例を発見することが歴史の勉強だ。例えば、日本ならまず第一に神武天皇があげられる・・・

2017年10月26日木曜日

歴史は神

歴史という意識があるのは人間だ。しかし、歴史は人間が計画できるものではなく、神が計画するものであり、その意味から歴史は神なのだ。

中国では先祖崇拝、古代崇拝、各王朝の正当化のために歴史書が書かれた。日本もこの延長にあるが、万世一系の皇室が覆されない限り、歴史書の重みには違いがある。

キリスト教世界の歴史は500年ごとに1つの特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:ローマ帝国内へのキリスト教の浸透
500年から1000年:ローマ帝国後のヨーロッパへのキリスト教の浸透
1000年から1500年:バチカンの権威の拡張
1500年から2000年:全世界へのキリスト教の浸透

これは、神の計画であるという観点から振り返らなければ、その意味は分からない。

日本でも概ね500年ごとに宗教的観点から特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:自然崇拝・祖先崇拝
500年から1000年:仏教の輸入と仏教文化の確立
1000年から1500年:日本固有の仏教各宗派の成立
1500年から2000年:ヨーロッパ・キリスト教への反発と暗黙の受容

日本の第4期は戦国時代になり、鉄砲がもたされ、日本の統一が軍事的に加速され、次いで、切支丹の急激な普及、バチカン支配に対する懸念から切支丹禁教、鎖国へとつながるという劇的な前半と、黒船開国、西洋化の明治維新以降という中盤と、欧米支配への挑戦の太平洋戦争、敗戦、米国のキリスト教徒の草案による平和憲法受け入れがあった。

日本は明治維新以降、和魂洋才の方針で欧米の物質文明だけ受容し、キリスト教は無視したけれど、欧米の物質文明はキリスト教の影響で成立したから、矛盾が生じたのです。


戦後は、アメリカのキリスト教徒の草案による平和憲法の全面受け入れによって、日本も欧米と同じ枠組みで安全に科学・技術・経済を発展させることができた。しかし、江戸時代に日本固有の文化を発展させたことが、日本民族の文化的レベルを高め、豊かにし、明治維新以降の欧米化を容易に推進できる知的基盤を作ったことも事実だ。ここに日本の歴史にも神の計画が働いていると考えるかどうかで、歴史の意味も変わる。

2017年10月20日金曜日

日本人とユダヤ人

世界の歴史で特異なのはユダヤ教徒の存在だ。どのような民族も「民族の神」という概念を持っていたから、ユダヤ民族が自分たちの神を持っているのは当然だが、その神がキリスト教徒の神となり、イスラム教徒の神となり、事実上、現在全人類の神となったという点でユダヤ教徒は特異な存在だ。

しかし、なぜ神がユダヤ民族を選ばれたかについて研究した例は欧米にも余りない。ピラミッドのエジプト人、最初の都市文明のシュメール人、インダス文明や仏教のインド人、東アジアで古代文明を築いた漢民族、現代につながる哲学発祥のギリシア人、南米独自の文明を発達させたインカ帝国などではなく、神は特にユダヤ民族に目をかけられた。そして、神の子、イエス・キリストをユダヤ民族に送られた、それには絶対的な理由があるはずだ。

その理由の1つは、ユダヤ教がモーゼの十戒などに象徴されるように倫理的なレベルが高かったことだと思われる。その民族の聖典に「『殺すな、盗むな、姦淫するな』と神に命じられた」と書くような民族は他に例がない。

キリスト教も倫理規範をその柱とする宗教であり、ユダヤ教、キリスト教に次ぐイスラム教も、基本的に倫理的戒律を述べたコーランを持ってる。このため、現在では神とは「宇宙の創造者」と「倫理・道徳・善の推進者」という2 つの顔があることが常識になっている。

このような神概念は、神がユダヤ教徒を4000年前に選ばれたことによって、現在実現したと考えられる。

しかし、なぜ神は日本人を選ばなかったのかという点は、日本人として考えるべきだ。

エルサレムを中心とした世界地図で見れば、世界の東の果てにあるのが日本だ。自然に恵まれた日本列島には北はシベリア、中国東北部から南は中国南部、東南アジアなどからさまざまな民族が流入し、多様なDNAが合わさって日本民族が生み出されている。そして、比較的温暖な風土の中で他民族との闘争のない島国で1万年にわたって平和な時代を過ごした日本民族には、世界で求められる、又は、世界と共通する普遍的な文化意識、宗教、世界観が生まれなかった。要するに、厳しい倫理規定の必要のない恵まれた環境だった。


こういう日本の特質に意味をユダヤ人との比較で考えることが、まず第一歩だ。

2017年10月17日火曜日

聖書「学者たちは災いだ」- 皇室存続の謎

長い歴史の中で いわゆる半端ものは消えていく。

逆に真実は歴史が証明する。ユダヤ教が4000年生き残ったので、神がアブラハムやモーゼに行った約束が正しかったことが証明される、キリスト教徒が2000年間発展したのでイエス・キリストが神の子であったことが証明された、イスラム教が1300年揺るぎなく存続したので天使がムハンマッドに語り掛けたことが証明された。

仏教も2500年続いたので、仏陀が正しく悟りを開いたことが証明され、儒教の教えも2500年伝えられたのでその真実が証明された、ということになる。

日本的仏教は鎌倉時代の始まり頃からだが、1000年近く続いたことになる。これも法然、親鸞、一遍などの教えが真実であった証明になる。しかし、日本の歴史で特異なのは皇室の存在だ。歴史的には1500年以上継続している。世界でもこういう王室はない。

皇室の歴史は日本の歴史だというわけではないが、平安時代末までは日本の中枢であった。そして、今も日本の中で大きな存在感がある。この天皇家の成立の理由が何であれ、そこには大きな力があったと考えられる。これを解明するのが日本の歴史学の大きな課題だ。

1万年の縄文時代のあと、弥生時代になり、銅鐸文化が発生し、次いで、銅鏡と古墳の時代(卑弥呼の時代)になり、そして、仏教が伝来して600年頃の法隆寺の建立となり、大和朝廷の威信が確立した。しかし、古墳時代以前に神武東征があって天皇家が大和に入り日本を支配できたのはなぜか、ということは明らかにされていない。

ローマ帝国の場合は、先行するギリシア文明やアレキサンダー大王の軍事技術を学んで、市民軍事国家を編成し、周辺民族を圧倒する文化力、軍事力で地中海世界、西ヨーロッパを支配した。ローマ帝国の繁栄はギリシア文明やアレキサンダー大王の軍事技術の卓越性を証明する。(その余りの危険な物質的繁栄に警告を与える意味で、キリスト教がローマにもたらされたと考えられる。)

しかし、皇室の日本制覇とその長期の存続は何を証明しているのか、それが日本人の歴史研究の最大の課題だ。 

2017年10月13日金曜日

救世主イエス「私はイスラエルに遣わされた」- 神と日本人

救世主イエス「私はイスラエルに遣わされた」- 神と日本人

世界の歴史で特異なのはユダヤ教徒の存在だ。どのような民族も「民族の神」という概念を持っていたから、ユダヤ民族が自分たちの神を持っているのは当然だが、その神がキリスト教徒の神となり、イスラム教徒の神となり、事実上、現在全人類の神となったという点でユダヤ教徒は特異な存在である。

しかし、なぜ神がユダヤ民族を選ばれたかについて研究した例は欧米にも余りない。ピラミッドのエジプト人、最初の都市文明のシュメール人、インダス文明や仏教のインド人、東アジアで古代文明を築いた漢民族、現代につながる哲学発祥のギリシア人、南米独自の文明を発達させたインカ帝国ではなく、神は特にユダヤ民族に目をかけられた。そして、神の子、イエス・キリストをユダヤ民族に送られた、それには絶対的な理由があるはずだ。

その理由の1つは、ユダヤ教がモーゼの十戒などに象徴されるように倫理的なレベルが高かったことだと思われる。その民族の聖典に「『殺すな、盗むな、姦淫するな』と神に命じられた」と書くような民族は他に例がない。

キリスト教も倫理規範をその柱とする宗教であり、ユダヤ教、キリスト教に次ぐイスラム教も、基本的に倫理的戒律を述べたコーランを持っている。このため、現在では神とは「宇宙の創造者」と「倫理・道徳・善の推進者」という2 つの顔があることが常識になっている。

このような神概念は、神がユダヤ教徒を4000年前に選ばれたことによって、現在実現したと考えられる。

しかし、なぜ神は日本人を選ばなかったのかという点は、日本人として考えるべき。

エルサレムを中心とした世界地図で見れば、世界の東の果てにあるのが日本だ。自然に恵まれた日本列島には北はシベリア、中国東北部から南は中国南部、東南アジアなどからさまざまな民族が流入し、多様なDNAが合わさって日本民族が生み出されている。そして、比較的温暖な風土の中で他民族との闘争のない島国で1万年にわたって平和な時代を過ごした日本民族には、世界で求められる、又は、世界と共通する普遍的な文化意識、宗教、世界観が生まれなかった。要するに、厳しい倫理規定の必要のない恵まれた環境だったということになる。

なお、日本人はどのようにして成立しかたも、歴史探求の大きなテーマだ。

2017年10月9日月曜日

聖書 「最初に言葉があった」ー 日本の歴史の始まり

聖書 「最初に言葉があった」ー 日本の歴史の始まり


歴史は歴史書によって作られる、という考え方がある。なお、聖書も歴史書である。

しかし、日本では文字もなく1万年続いた縄文時代には歴史がなかったことになる(?)。日本の最古のでき事が世界の歴史書で報告されているのは5世紀の中国で書かれた後漢書の「建武中元二年(57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす」という記述だ。そして、有名なのが邪馬台国の卑弥呼を記した3世紀末の魏志倭人伝。

この邪馬台国・卑弥呼論争が日本史の最大の謎の1つだ。これは皇室の先祖にかかわる問題である。他方、日本の歴史書の日本書紀は8世紀前半(720年)の成立。そして日本書紀の最大のトピックは神武東遷と神功皇后。神功皇后の項は他の天皇と同格の独立した章立てになっている。そして、本文の注記に魏志倭人伝が引用されている。
「即位39年。この年、太己未。 
魏志によると、明帝の景初三年六月に倭の女王が大夫の難斗米などを派遣して、郡に行き、天子に会おうと朝献した。太守の鄧夏は吏を派遣して、京都に詣でた。
即位40年。 
魏志によると、正始の元年に、建忠校尉梯携たちを派遣して詔書印綬を奉り、倭国にもたらした。
即位43年。 
魏志によると、正始4年、倭王は使者の大夫の伊聲者掖耶約たち8人を派遣して献上した。」

このように自国(日本)の歴史書に中国の歴史書を引用するのは異例。

そもそも、漢文で書かれた日本書紀は一般日本人向けに書かれたものではなく、中国の唐と白村江で戦って敗戦し(663)、その後、日本の国威再興のために書かれたと思われる。従って、中国の朝廷の眼を意識して書かれたと考えられる。そのとき、中国の権威ある史書と整合性の取れないことを書けば、「たわごと」と軽んじられる。従って、中国の史書、魏志倭人伝に書かれた内容との整合性を示す必要があった。


ポイントは、当時の大和政権が「邪馬台国は九州で、卑弥呼は地方の女酋長」として無視することはせずに、神功皇后と関係づけたということ。これは日本の歴史解明に重要な意味をもつ。大和朝廷の記憶は、数百年前に遡って確かなものであるはずだからだ。古代人の記憶力は現代人以上なのだ。

2017年10月8日日曜日

「天と地に神は奇跡をおこされる」ー 日本民族と神の奇跡

聖書 「天と地に神は奇跡をおこされる」ー 日本民族と神の奇跡

日本人の宗教観は、日本の縄文時代以来の特殊な風土と結びついた先祖崇拝が基本だが、世界では万物の創造主、神との関係が基本。

万物の創造主、神と人類の関係は、ユダヤ民族を選ばれた神、キリストを人類に遣わされた神、コーランを与えられた神というように考えられている。しかし、天文学的規模でも神は人類の成立と進歩に関与したと考えるべき。それは奇跡という形で現れている。

まず、空を見上げれば太陽と月があるが、両者は見かけ上同じ大きさに見える。これは他の惑星では見られない地球独自の現象だ。しかし、月と太陽が同じ大きさで見えるということは古代の人類に大きな影響を与えている。それは、各民族の神話に現れている。このような神話を通して人類の霊性・知性は発展してきた。

このような月が形成されたのは45憶年前に火星規模の惑星と地球が衝突した結果だとされている。これは神が起こした奇跡であると考えるべき。

次に、地球の歴史で人類発生にかかわる大事件は6600万年前の大隕石の衝突による恐竜の絶滅。この結果、ほ乳類の天下になり、やがて人類が発生する。これも、人類成立のために神が起こした奇跡であると考えるべき。

この時期以降、アフリカに発生した人類が世界の他の大陸に進出するが、神はエルサレムをアフリカ、ヨーロッパ、アジアの結節点(世界の中心)に作らせた。大陸移動理論から見れば、ちょうどいいタイミングで神は大隕石を用いて恐竜を滅ぼされたことになる。

つまり、人類のために神は月を生じさせ、恐竜をある時点で滅亡されたと言える。その手段として火星規模の惑星や大隕石を神は使われた、と考えられる。今、人類は月と太陽を見て、また、恐竜の化石を見て、神が起こされた奇跡に心から感謝すべきなのだ。


さらに、日本列島も神が奇跡的に作られたと考えられる。列島が完成したのは、世界で大氷河時代が終焉した1万年前だが、その時に富士山も本州のほぼ中央に形成される。そして、富士山に象徴される縄文時代(1万年間継続)以降、日本民族は固有的に存続し(固有種?)、世界でも稀な民族の歴史を持つに至った。これも、神が日本民族を世界の歴史の中で特別な役割を与えるために準備された奇跡だと考えられる。

日本民族と神の奇跡、こういう考え方が日本人には必要!

2017年10月7日土曜日

「神は石からでもアブラハムの子孫を作ることができる」ー 日本が世界のリーダーになる条件

聖書 「神は石からでもアブラハムの子孫を作ることができる」


不思議なことに世界の歴史は500年ごとに区切られるように見える。そして日本の歴史も同じ。

1. 紀元前500
世界:仏陀、孔子、ソクラテス、旧約聖書の完成
(日本:日本書紀の神武天皇)

2. 紀元1
世界:ユダヤ教に不満な神がキリストをこの世に送る。ローマの帝政開始、ユダヤ戦争
(日本:漢帝国が委の奴国王に金印を授与し、歴史に日本が出現)

3. 紀元500年頃まで
世界:ローマ帝国後のヨーロッパでキリスト教の成立と確立
(日本:銅鐸、古墳文化から仏教の受容)

4. 紀元1000年頃まで
世界:ヨーロッパの中世前期、キリスト教の権威が確立するも、その教義に不満な神によってイスラム教がアラブ人などに付与される。
(日本:天皇中心の体制の確立と発展。)

5. 紀元1500年頃まで
世界:ヨーロッパの中世後期、バチカンの権威が頂点を極めるが(十字軍)、教皇たちの腐敗・堕落の進行、そして世俗の王権の巻き返し。イスラム世界の分裂的展開。
(日本:日本的仏教の発展、武家政治の確立。)

6. 紀元 2000年頃まで
世界:ルターの宗教改革、コロンブスの新大陸到達と白人による世界の植民地化、科学の発展、産業革命、さらに世界大戦を経て、資本主義、商業主義、先端科学・技術の発展
(日本:戦国時代、切支丹対策の鎖国、開国、近代化、第二次大戦、キリスト教的民主化)

問題は、現在の社会の経済・科学・技術が2500年前以降の哲学・宗教の枠組みを超えて暴走する危険。

特に1500年以降はバチカンの堕落からヨーロッパ人が爆発的にその活動範囲を拡大し、世界を植民地化しながら、科学技術を発展させ、新大陸アメリカでさらに近代化が促進され、その延長で今も物質文明が進展しているわけです。そして、霊的に危険水域に入っている。日本もその流れにある。こういう問題意識に基づいた歴史観が日本の関係者にも必要。

ユダヤ・キリスト教と何の関係もない日本でも、正しい歴史認識、宗教観をもてば、神は日本民族をユダヤ・キリスト教の世界に取り入れてくれるはずであり、その時、日本人は真に国際的なリーダーとなれる。






2017年10月4日水曜日

「神に救いを求めるものは救われる」ー 主流派と非主流派

聖書 「神に救いを求めるものは救われる」


聖書の予言ではないが、聖書の2017(年)にかかわる節は次のようになっている。

ルカによる福音書
20:17
そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。
20:18
すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。

これは、多くのユダヤ人には受け入れられなかったイエスの教えが「隅のかしら石」となることの予言のように思われる。実際、イエスの教えによって現在、キリスト教が世界の大宗教となっている。

ヨーロッパでもこの2000年の間に多くの反キリスト教的な動きもあったが、それらは結局歴史の中で「打ち砕かれ」、「こなみじん」にされた。

この2017年にも、多くの人々からは見向きもされない正しい言動がやがて普及し、大きな力をもち、敵対者を打ち砕くような勢力になる動きが見られると考えられる。

例えば、日本の政界では自民党が主流だが、その自民党の支持者からは捨て去られるような小勢力がやがて大きな力を持つ可能性もある。

世界的には、経済のグローバル化が叫ばれて主流になっているが、その資本主義的、商業主義的性格に疑問をもち、道徳、人間性、神への信仰に重きを置く勢力がやがて大きな力をもつことを暗示しているとも考えられる。

特に、アメリカの商業主義の象徴であるようなトランプが大統領になって、利己主義的な政策を推進する状況が続いているが、それがいつまでも続くとは考えられない。

また、民主主義もないのに管理型の市場経済を追求し、周辺国を威嚇する中国のやり方がいつまでも続くとは思われない。

現在のこういう主流の勢力に押されて、多くの不利益を被っている人々も、正しい教えに従っていれば、やがて救われるということをこの聖句が暗示していると思われる。