2018年6月18日月曜日

世界共通の宗教は「マネー」


ある調査によれば「神の存在について「分からない」と回答するものの多さで日本人は世界一である」という結果が出ている。


中国についてすら「現代の中国のキリスト教徒は、ブリタニカ国際年鑑の最新データによると中国の人口の7-7.5%9100-9750万人程度と記録されている。しかし、在米の中国人人権活動家や在日本の中国人ジャーナリストなどの知識人が把握している直近の状況では当局の監督下にある国家公認教会と非公認教会の合計が人口の10%を超える段階に達しており13000万人を超えているという情報が有力」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99)とされている。

いわゆる多神教的な「八百万の神」ではなく、「唯一の神の存在を認める」のが世界の主流だ。しかし、この点、日本人は人口の5%しか、そのような神を認めていない。キリスト教徒も人口の1%程度だと考えられている。

いくら小学校から英語教育をしても、日本人が世界の宗教的、霊的な大勢に追いつけるとは思えない。世界は唯一の神を認める人々によって動かされている。日本の文化が世界で特異なのも、このような霊的な違いに存すると考えられる。

しかし、これは日本には「唯一の神の存在を認める」宗教の必要がなかったとも言える。世界の歴史は戦争の歴史であり、中国でも王朝が何度も変わっている。要するに社会には永続的なものはなく、信じられるのは、せいぜい一族、家族、個人であるというのが世界の大勢であり、その社会的環境の厳しさから「唯一の神」に頼る文化が生じる。そして、そのような認識の下に文化を発展させている。ところが、日本は有史以来、異民族の支配を受けずに独自の文化を発展させることができた。日本人は日本的環境、社会を信じて生きており、「唯一の神」に頼る必要性もなかった。それでも、経済活動、ビジネス・技術・科学の世界などでは欧米人や、世界の人々と対等以上に渡り合える。日本的霊性を捨て去る必要もない、と考えてきた。世界の人々も、基本的に宗教以外の面では日本人に何も違和感を持たない。同じ人間だと、日本人も世界の人々も考えている。

これはユダヤ民族と対極の存在だ。ユダヤ民族は現在のキリスト教、イスラム教の根源のユダヤ教を信じており、自分たちの民族の神が世界中の人々に「唯一の神」として受け入れられているのを知っている。しかし、ユダヤ人も特別な人間ではない。DNAに違いがあるわけではない。それでも、やはりその存在には特別な意味があると考えられる。ユダヤ人は世界の人口の0.2%であるのに対し、ノーベル賞受賞者のうち、ユダヤ人 が占める割合は22%にもなると言われている。要するに、他の民族と何かが100倍異なる。

現在では、世界共通の宗教は「マネー」だ。アメリカ人も中国人も、イスラム教徒も「富の支配」を信じている。これは、資本主義を超えた宗教だ。「マネー」は世界中で威力を発揮する。しかし、救世主キリストによれば「魂を悪魔に売らなければ、1円と雖も得られない」ということになっている。「神に仕えるか、富に仕えるか、2 つに1つだ」という教えがある。ということは、世界は「マネー」という悪魔教に支配されていることになる。世界の人口の0.2%のユダヤ人も、世界の大富豪のランキングの15%を占めている。他民族より70倍強力に悪魔と手を組んでいると言える。ユダヤ人も神を裏切っている。

日本人には「清貧」の思想というものがある。皆が貧しかったので貧しさを美化しただけという皮肉な見方もあるが、やはり、どこかで金銭欲の卑しさを恥じる文化がある。この点で日本は世界の中で良い意味で特異な民族であるべきなのだ。

2018年6月8日金曜日

先祖を敬え - 聖書


日本の歴史は日本という国号がどのようにして成立したか、から始まるべきかもしれない。

「倭」というのが中国人や朝鮮人が日本に最初に与えた名称だが、倭と呼ばれた民族は日本人だけではない、という説がある。しかし、この一種の卑字による名称を日本人は受け入れていた。それでも、漢字の知識が進むと、「倭」から「和」に変えようという動きがでてくる。そして大和と書いて国内では「やまと」と読ませる。

ところが中国語では大和は「たいわ」であって「やまと」とは読めない。それではと、好字を使って「矢真都」などと書いて国号とすることはしなかった。そもそも魏志倭人の条では邪馬台国と書かれていて、中国に変更を言い出しにくい。他方、「あすか」という古い地名もあるが、これは奈良の南部や大阪の一部の地名に過ぎない(古代朝鮮語の「安宿」?)。やはり、卑弥呼の時代から国名としては「やまと」の方がよく知られている。

ただし、「やまと」とは何かについては今も議論がある。本来、纒向遺跡や箸墓古墳など三輪山の麓の地域が「やまと」と呼ばれていたと考えらる。その辺りの地形を見ると、奈良東部の山地の麓になっている。従って、「山のふもと」が縮まって「やまと」になったと考えられる。そこで、今度は「上る太陽の麓」という意味から「日のふもと」、即ち、「日の本」、「日本」を国号にしたというのが私の説だ。日本の原点は「やまと」にあったということだ。これはまだ誰も主張していない。そして、この説は卑弥呼の邪馬台国の延長に今の日本があることを意味する。邪馬台も「やまと」と読むべきであり、邪馬台国は奈良の三輪山の麓にあったということになる。

アメリカはコロンブスではなく、同じ時代の探検家アメリゴ・ヴェスプッチを語源としている。それは日本を目指して大西洋を東に進み、アジア大陸の一部を発見したと信じていたコロンブスに対して、アメリゴはそれが新大陸であると主張したせいだと思われる。アメリカは新大陸であるという点が本質なのだ。バチカンの支配下に入ったことはないのだ。

イスラエルの国名は、ヤコブが兄エサウと和解するために会いに行く途中、夜に天使と取っ組み合って勝ち、その天使から「あなたは神と戦って勝ったのだからイスラエル(神に勝った者)と名乗りなさい」と言われたことに由来する。このヤコブについては「ヤコブを愛していたリベッカはヤコブをそそのかして大変卑劣な手段をもって父親のイサクをだまし、イサクからの長子の祝福をエサウから奪い取ってしまう」という物語が聖書に書かれている。ユダヤ教徒の強烈な生存の意思が現れている。しかし、古代イスラエルには神の子イエスが現れる。そして現代でもまだ神との関係は続いている。日本やアメリカは?