2021年11月30日火曜日

もう一度、10万円の定額給付金を政府は支出すべき! 「支出金経済」を確立すべき!

岸田首相は「新資本主義」を唱えている。

そもそも経済は、消費者が基本です。商品を必要とする消費者がいるから、商品を提供する企業活動が成り立つのです。そして、消費者は勤労者として企業で働き、給与を得ます。そして、その給与で商品を購入して経済を回すのです。

日本経済の問題は、企業が利益を維持するために、給与の支出を低く抑え、企業の内部留保を増やしたことです。1990年代から20年以上続いたデフレの失われた20年の間、中国の人件費は日本人の10分の1でした。そこで、企業は大挙、中国に進出した。そして、日本の給与水準は据え置かれた。これが、消費の低迷とデフレをもたらしたのです。

その結果、日本社会には停滞感が生じ、少子化がもたらされた。他方、中国は日本の技術と資本を導入して産業の活性化を果たした。中国は、国策的に欧米・日本の技術を違法に盗み出し、産業のハイテク化を果たした。90年代には世界を制覇した日本のエレクトロニクス産業は停滞の道を辿り、テレビもスマートフォンも生産・販売の勢いを失った。日本の大手企業が、日本経済より自社の利益を優先した結果、日本人の給与を抑え、中国などのアジアに資本・技術の移転をした結果です。アメリカも製造の空洞化が生じ、労働者の危機感がトランプの台頭を許したわけですが、アメリカには巨大IT産業や、強力な金融産業がある。日本の方がはるかに深刻です。

日本経済を活性化するには、適切な消費水準を維持することです。そのためには、日本の企業に給与水準を上げさせる必要があることに、岸田首相は気が付いたと思われる。

さらに、非正規社員、低所得者などの消費を維持・活性化させるには、政府が支給金を出す必要がある。この支給金は当然、貯蓄ではなく消費に使われるような仕組みを考える必要があるが、新資本主義とは、単に企業利益の分配先を勤労者に広めるだけでなく、支給金を経済(消費)の基本とするという発想の転換が必要なのです。「支出金経済」を確立すべきなのです。

国の借金は1000兆円になるという警告を、財務省の幹部などが警告しているが、従来的な財政観ではなく、革命的な財政観を持つべきです。政府からの支出金は、消費に使われた分だけを政府紙幣で裏付けし、例えば、1年以内に支出されない支出金は非貨幣化する。要するに、日銀は100%消費に使われる支出金だけを日銀紙幣として認め、政府は支出金に関わる消費から利益を得る企業からの税収でバランスを取る。

又は、国の資産についての評価方法を見直す。国内の企業、個人の資産は全て国家の資産一部だとみなし、何らかの仕組みで政府の赤字を相殺させる。

「支出金=>消費=>企業収入=>給与と税収」が基本です。経済は、政府からの支出金から始まる、という新たな発想を取るべきです。

コロナを契機として、全面的に経済観、財政観を一新すべきです。経済や財政、企業の内部留保より、一人々の国民の生命を優先すべきです。昨年の10万円の定額給付金で救われ、自殺をしないで済んだ社会的弱者も多くいたはずです。もう一度、10万円の定額給付金を政府は支出すべきです。安倍政権にできたことを、岸田政権ができないはずはない・・・

2021年11月28日日曜日

死の問題とは?

日本人は、国際的に、正式には無宗教だと言われる。

世界が認める宗教、即ち、キリスト教や仏教、神道などの伝統的な宗教の正式なメンバー(洗礼を受けた教会員、仏教の各派の檀家、神道の氏子など)は、国民の30%しかいない。

しかし、初詣などで神社仏閣に参る人、クリスマスなどでは教会の催しなどに参加する人は、国民の70%もいる。

若者の間でも、スピリチュアリズムや霊などを信じる人も多い。家族の老人が臨終、死の前に、「先祖の霊がお迎えに来た」と言っていたという家族も多い。

結論を言えば、日本人には、既成の宗教の範疇には入らない独特の死生観がある。基本は祖先崇拝です。死後も祖先の魂は霊界で生きているという考えが基本になっている。この縄文的な死生観の上に、神道、儒教、仏教、キリスト教が乗っかている。また、新興宗教や娯楽的なスピリチュアリズムが受け入れられるのも、そういう伝統があるからです。

ただし、現代社会は死をタブー化している。死というものを考えないように教育が行われている。現代医学にとって、死は医学の敗北を意味する。死人は、もはや社会の経済活動に参加しない。企業なども、高齢者には、死がないかのようにカネを使ってもらわなければならないから、死には背を向ける。そして、死人はさっさと処分される。企業社会では、死など考えずにカネを使うのが好ましい消費者だということになる。だから、政府も、人生の最後に気持ちよく死んでもらうための医療を提供すべき、という考えは持たない。死者とは、経済活動を行う生者の階級からすべり落ちた敗北者だとみなされている。

また、高齢化社会では葬儀ビジネスなども賑わう。資産を保有するのは、富裕増の老人です。老人は必ず死ぬ。そのカネを狙って活動するオレオレ詐欺や葬祭ビジネスは廃れることがない。

人間の細胞は最長でも120年で死ぬ。100歳まで生きる老人は、日本でも何万人もいるが、120歳を超えて生きる人間は世界にも、ほとんどいない。しかし、死を考えて、その恐怖から狂う人間もほとんどいない。結局、人間は、死は自然なことだと受け入れる。そして、生きている間に「死など忘れて、たった一度の人生を楽しもう」という考え方に落ち着く。しかし、これほど間違った考え方はない。

このような死に対する態度では、「たった一度の人生だから、どんなに悪いことをしてでも楽しめ」という悪魔の教えに洗脳されることになる。あるいは、「誰でも死ねば、その魂は霊界で幸福に生きるのだから、死を気にすることはない」、というインチキ霊能者の言葉に洗脳される。

実際、死については、キリスト教界も仏教界も曖昧なことしか言わない。宗教自体が経済主体の社会体制に組み込まれているからであり、宗教者にも正しい信仰がなく、死後の世界について確信が持てないからです。それでも、「死に不安な人は、うちの宗教にすがれば不安がなくなります」というのが、現代宗教です。

なお、欧米文明の基礎となったイエス・キリストは「死後の世界は当然、存在する。ただし、金持ちは天国には入れない」と教えている。貧乏人の魂は、死後、天国に入り、金持ちの魂は、死後、地獄に行く。この教えは、現代のキリスト教界でもほとんど無視されています。富を求める人間ばかりの社会では、その社会の宗教もこのような教えは無視する。

死の問題とは、まさに、このイエス・キリストの教えを信じるかどうか、ということです。「死んで天国に入れない人生は無である」というのが、本当の宗教の教えです。

2021年11月22日月曜日

コロナと人類の運命

コロナは欧米、韓国などで、まだ感染が拡大している。世界的には第7波の中にある。ワクチンが普及した地域での感染拡大は不安をもたらす。

日本では、年末・年始後の2月にかけて第6波が心配される。コロナの終息は2024年になるとの予測もあり、当分、マスクの生活が続く。

平安時代の頃には疫病が流行れば、悪霊の仕業だとされた。誰かの怨霊が災厄をもたらしたと考え、朝廷をはじめとして除霊の儀式が行われた。誰かのせいで不幸な目にあって、それを恨んだ人間が怨霊となって、霊界から人間界に災いをもたらすと信じられていたのです。

科学の進んだ今では、そのような考えは迷信として片づけられるが、科学自体は霊界や魂の解明、人間の意識の解明には至っていない。物質界を扱うのが科学ですが、その物質をもたらしたのは霊界のエネルギーだという理論は、科学的には肯定も否定もできない。

そもそも物質界の始まりは、我々の住む大宇宙の成立によるが、宇宙は量子論的な真空のエネルギーから生じたという理論がある。物質界から見れば真空のエネルギーだが、霊界から見れば、霊界のエネルギーの一部が物質界の宇宙を作ったのかも知れない。つまり、この世、即ち、物質界も霊界の影響下にあることになる。そうすると、怨霊がこの世に災いをもたらすという考え方も否定できないことになる。

そうすると、歴史上、最大の怨念を持っていておかしくない人物は誰かということになる。昔の考えでは、そのような人物の人間社会に対する恨みを解かないと、どんな災いが人間社会にもたらされるとも限らないことになる。コロナもその人物の怨念がもたらしたものだと考えられないこともない。

ブッダは食中毒で死亡し、涅槃という悟りの世界を説いた人生を完結し、人を恨む理由もない。孔子は、思想家として成功し多くの弟子をもった上で死亡しており、「死については語らない」との姿勢で倫理性・道徳の追求に終始した。世の中に対する恨みを、死後、晴らすなどとは考えられない。

しかし、イエス・キリストの場合は異なる。「神の子」でありながら、自分が救おうとした人間によって十字架につけられ殺害されたのです。人間は恩人である神の子、イエス・キリストを殺害したことになる。人間は連帯責任として、どれほど神様によって恨まれても文句は言えない。キリスト教の本質の1つが、まさに、人間の罪の認識にある。しかし、その罪ある人間を許すのが、イエス・キリストの愛だとされている。問題は、聖書の中に、息子を使用人によって殺された主人が、使用人に復讐する話を、イエス・キリストが語ったということが記されていることです。イエス・キリストは人間を許しても、神様の裁きがどうなるかは分からない。イエスの時代以降、歴史上何度も人類は災いを経験してきたが、その背後に神様がいなかったとは言えない。

長期的に見れば、神の子を殺害した人間は、本当に悔い改めなければ、人類は最後に神様によって絶滅される可能性はある。そういう危機感も持たなくなった現代人は、物質文明の発展でますます増長し、いよいよ神様の気持ちをないがしろにしている、という見方もできる。

今は、イエス・キリストの時代から2千年たった時期です。ユダヤ教・キリスト教の始祖とも言うべきアブラハムからイエス・キリストの時代までが2千年だった。神様が人類に最終判断を下す時期が近づいていると考えるべきです。そして、人類を亡ぼす前には、神様は人類に最後の警告を与えられると思われる。コロナは、まだその最後の警告ではないとしても、最後の警告の予告編になるかも知れない。

18世紀の科学者であり、聖書の研究家だったニュートンは「世の終わりは2060年以降に始まる」との予言を残している。同じく18世紀の霊能者スウェーデンボルグは、「最後の審判は最近(18世紀に)、既に霊界で行われ、その影響は数百年後に人間界で現れる」と述べている。

コロナは、「この世の最後」に対する警告の前の段階の予告編だと考えられる。ただし、人類は今世紀は、多少反省もして、滅亡せずに発展を続けると思われる。それでも、さらに2千年間発展し続けるとは考えられない。2千年後には、生物としての人類は絶滅し、AIロボットが地球を支配していると思われる。人類の歴史は、今後、2千年間で終焉するだろう。人類の文明の後を継ぐのは、ウイルスにかからないAIロボットだと思われる。数億年前には、地上の生物の大半が絶滅する大変動が地球を襲ったことがある。しかし、生物的条件の制約を受けないAIロボットは、半永久的に地球で生き残る。人間は、死後、霊界に入って、霊界からAIロボット、人口知能の活躍を見るだけになるだろう・・・

神様の子、イエス・キリストを2千年前に殺害した人類は、神様のお情けを乞うしかない。いつ人類絶滅を神様が決心されても、人間は文句は言えないのです。

2021年11月19日金曜日

「反自殺論:人に命を与えたのは、親と言うよりは神様」

コロナで若者の自殺者が増えている。

かつて、90年代の初めに狂った好景気の「バブル経済」が崩壊し、21世紀になってもデフレが続き、日本経済の「失われた20年」と言われたとき、毎年3万人が自殺していた。毎月3千人、毎日100人近くが自殺していたことになる。異常な世の中でしたが、現在はそれに次ぐ異常な状態になっている。

なぜ、人が自殺に走るのかというと、希望がなくなり、苦痛だけの人生になるからです。出口のない地獄のような毎日が続くと考えるからです。しかし、出口はあるのです。それは、いずれ訪れる「死」です。

ただし、それなら、さっさと死のうと考えるのは大変な間違いです。いずれ「死」が訪れ、死後のあの世では、この世の苦痛から救われるので、この世が全てだとは思わず、「あの世では幸福になる」のを楽しみに、あの世に希望をもって生きるべきなのです。

そのために、イエス・キリストは「死後の世界は存在する」、「この世で悪事をなさずに生きていて、周りの者から苦しめられた者は、死後、天国で幸福になる」と宣言されたのです。

特に、「貧しい者は、天国で歓迎される」と述べています。そして、「金持ち、富裕層、エリートは、天国に入れない」と教えています。

要するに、「貧しき者、弱き者、小さき者、虐げられた者、苦しめられた者、競争に敗れた者、不幸な者は、死後、天国で幸福になる」と教えておられるのです。

つまり、「自殺に追い込まれている者」も、「生き続けて、高齢になって自然死すれば、天国で幸福になる」のです。だから、寿命まで生きて自然死すれば、必ず、天国で幸福な生活を送ることができるということです。

ただ、そのためには、「肉体の死後も、魂は存続する」ことを信じる必要があります。人間の肉体は死んでも、体の中の魂は死にません。これは、多くの臨死体験者や、霊能力者や霊媒の証言で、裏付けられており、「死ねば、全ては無になる」というのは正しくありません。終末医療の現場でも、多くの医師や看護師が、死者の魂が生き続けるとの実感を持つようになっています。

(なお、「たった1度の人生だから、どんな悪事をしてもいい。自分の好きなように生きろ!」というのは悪魔の教えです。「この世の人生のあとには、あの世の人生がある」というのが、イエス・キリストの教えなのです。)

そして、過去2千年間、世界の文明の主流となった欧米文明の基礎となったキリスト教は、死後も人の魂は生きる、という教えが基本になっています。

従って、自殺したくなったとき、聖書を読んだり、教会の牧師に相談するのが正しいということになる。ちなみに、キリスト教では自殺は禁止されています。寿命まで、神様が与えた人生を生きるのが信仰者なのです。

そもそも、人に命を与えたのは親と言うよりは、神様なのです。自殺したくなったら、神様にすがる、祈る、その教えに従うというのが正しい生き方なのです。聖書を読んで、神様の教えを知るべきなのです。

逆に、悪魔は人を自殺させようとします。だから、自殺者の周囲には悪魔に従う悪人、隠れた殺人者がいると考えられるのです。しかし、悪魔は神様には勝てません。だから、神様にすがれば、自殺しなくて済むのです。

なお、イエス・キリストは、「ある町で迫害されたら、その町から逃れよ」と教えています。人を自殺に追い込むような、学校、職場、仲間、環境からは逃げ出せ、ということです。日本のことわざにも、「渡る世間に鬼はなし」というものがあります。英語のことわざにも、「転がる石には苔が生えぬ(A rolling stone gathers no moss.)」というものがあります。「引きこもらずに、新たな環境にチャレンジせよ」というのが、その教えです。

2021年11月17日水曜日

イエス・キリストは、貧乏人の味方

 マタイの福音書によれば、「マタイ5:3 こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」とされている。

これが、単純に「貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」とされなかったのはなぜか、ということはこれまで専門家にたちによって多く議論されている。

答えは、その言葉の後段にある。

「5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、

彼らは慰められるであろう。

5:5 柔和な人たちは、さいわいである、

彼らは地を受けつぐであろう。

5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、

彼らは飽き足りるようになるであろう。

5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、

彼らはあわれみを受けるであろう。

5:8 心の清い人たちは、さいわいである、

彼らは神を見るであろう。

5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、

彼らは神の子と呼ばれるであろう。

5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

このイエス・キリストの言葉の趣旨は、貧しき者、正しき者、愛のある者、イエスに従う者、信仰心のある者は、この世で苦しめられても、死後、天国では幸福を与えられるということです。

逆に、富裕層、エリート、信仰心のない者は、天国に入れない、ということです。富裕層、エリートは通常、高度の教育を受け、豊かな経験を積み、高い教養を持っている。また、信仰心のない者は、信仰の代わりに世の中の知恵、生きるための悪知恵で相当豊かな精神能力を持っている。彼らは、「こころの貧しい人たち」ではない。しかし、物質的に貧しければ、高度の教育を受けられず、豊かな経験も積めず、「こころの貧しい人たち」になる。従って、「物質的に貧しい人たち」は、「こころの貧しい人たち」でもある。だから、わざわざ「こころの貧しい人たち」とせず、単に「貧しい人たち」でよいことになる。

しかし、教会の幹部、特に、バチカンのローマ法王や枢機卿は、誰が見ても豊かな人たちです。しかし、聖書に単に「貧しい人たち」と聖書に書かれていれば、彼らも富を捨てて、貧民の仲間にならなければならない。しかし、やや意味が曖昧な「こころの貧しい人たち」なら、物質的に豊かな彼らも信仰心があるので(これは、誰にも証明できないが、否定もできない)、天国に入れてもらえると主張できることになる。つまり、教会の幹部が富裕層であることの正当化のために、聖書の編集の際に「こころの貧しい人たち」という表現を採用したと考えられるのです。

2千年前の貧乏人にイエス・キリストが教えを述べたとき、意味が曖昧な「こころの貧しい人たち」という表現ではなく、単に「貧しい人たち」という表現を使ったと考えるのが自然です。

イエス・キリストは、貧乏人の味方だった、というのが聖書の理解の基本です。曖昧な表現の「こころの貧しい人」の味方ではなく、単純に「物質的に貧しい人」の見方ですが、「物質的に貧しい人」とは、「こころの貧しい人」でもあります。従って、「こころの貧しい人」と言っても、意味は変わらない。ただし、富裕層の中にも「こころの貧しい人」はいるかも知れない。富裕層だが「欲心のない人」などです。そのような人は、富を捨てて貧乏人になる。つまり、彼らも究極的には単純な貧乏人になる。

結論を言えば、「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」は「物質的に貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」と考えるべきです。

こういう議論が生じるから、悪魔は教会に入り込んで、信徒を惑わすと言われるのです。バチカンにも、悪魔が入り込んだと思われる事件が過去に何度もあった。いまだに、ローマ法王が、「イエス・キリストは金持ちではなく、貧乏人を愛した」と宣言し、人々に富を捨てるように勧告しないことからも、悪魔の影響が見て取れるのです。

イエス・キリストは、貧乏人の味方であり、神様も金持ちではなく、貧乏人を愛されるのです。これが、聖書の精神です。


2021年11月15日月曜日

霊能力の善用 ー 拉致被害者の居所を霊視すべき

1995年のオウム真理教事件後、日本では一時、心霊ブーム、スピリチュアリズムがブームになった。その後、同時多発テロや、リーマンショック、東日本大震災で現実の社会の問題が人々の関心事となり、オカルト系の流行は下火となった。ただし、今でも、その影響は残っている。新興宗教の中には、そのような霊的能力を売り物にする人間が関わっている例もある。

そもそも、キリスト教の聖書自体が霊的な内容を含んでおり、信仰の核には霊的インスピレーションがある。ただし、18世紀の著名な霊能者スウェーデンボルグによれば、霊界には人間に悪意を持つ悪霊も多く、一般人が霊と交流するのは危険が付きまとうと警告している。霊的問題と宗教は切り離せないが、あくまで聖霊、善霊と結びつくのが正統の宗教です。

一方、臨死体験では、多くの人が死後の世界(霊界)を経験している。また、一般人の中にも霊的能力を持った人が少なからずいる。カトリックのシスターの中には霊能力で著名になった女性や、東大医学部の教授の中にも、霊媒を通して霊との交信を経験した者もいる。従って、一概に、霊界や死後の世界、霊能力を否定することはできないが、霊界には悪魔や悪霊もいる。霊的問題については、キリスト教や仏教など、伝統と実績のある宗教関係者を通してかかわるのが安全だと言える。

キリスト教の信仰生活や祈りは、信者の霊的能力を高め、天界につながることを目的としている。仏教の修行も、雑念を払って、霊的能力を高めることを目的としている。逆に言えば、霊的能力は信仰生活や修行を通して獲得できるものだということになる。

日本全体には、霊的能力を持った人間は何十人もいると思われる。彼らの中には、霊視能力で、例えば、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの居所を知ることができる者もいるかも知れない。むしろ、政府がそのような霊能力者を使って拉致被害者の現状を探るべきかも知れない。拉致被害者の家族が、そのような霊能力者に頼らない方が不思議だと言うことになる。例えば、「横田めぐみさんは、今、ピョンヤンの高層マンションに住んでいる」などの霊視情報が得られれば、家族にとっては慰めになるかも知れない。

ただし、霊界には怨霊もいる。バチカンは、悪魔払いを専門とするエクソシストも公認している。日本の神道でも、怨霊を鎮めるという考えが平安時代には一般的だった。先の大戦で戦死した300万人の怨霊が、戦争責任のある天皇家などに取り付いていると思われる。霊能力者には、そのような怨霊が見えるはずである。1年に1度、8月15日に慰霊式典を行うだけでは除霊できないと思われる。だから、天皇家には男子の跡継ぎが生まれず、今世紀には消滅する可能性が出ている、とも考えられる。

人は死後、その魂は霊界に入る。従って、霊的問題は全ての人間に関係のある問題だということになる。無神論者でも、死後は霊界で生きる。ただし、信仰心のある霊は、霊界から天国に入るが、邪悪な人間の霊は、霊界から地獄に行くというのがキリスト教などの教えです。霊的能力は、この世のカネ儲けや、世の中での成功のために使うべきではない。守護霊に守ってもらって幸福になりたいと願う前に、正しい信仰心を持つべきです。

それでも、霊能者が、北朝鮮拉致被害者の居所を霊視するなら、神様も大目に見るだろうと思われる。霊能能力を人々の役に立てるのは、意外と難しい。政府が管理することもできない。それでも、拉致被害者が霊視能力者に頼らないのが、むしろ不思議に思われる。


2021年11月12日金曜日

スペイン風邪とコロナ、そして、コロナの終息予測

 コロナは、いつまで続くのか? コロナの犠牲者は何人になるのか?

政府も、専門家も明確な答えは与えない。テレビも新聞も、そのような特集は発表しない。そこで、100年前のスペイン風邪を振り返ってみよう。

スペイン風邪は、一般的に1918年から1920年にかけ全世界的に大流行し、全世界で5億人、当時の人口の27%が感染し、死亡者数は5,000万-1億人以上、おそらくは1億人を超えていたと推定されており(感染者の10~20%)、人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつだったとされている。

21世紀のコロナは2020年から2021年、現在まで流行し、全世界で2億5千万人が感染し(全人口の3%)、死者数は5百万人に達している。

スペイン風邪の時代にはワクチンはなかったが、現在はワクチンや治療薬がある。従って、感染者率はスペイン風邪の2分の1以下に抑えられると考えられるが、全世界で全人口の10%が感染するなら、7億人が感染し、死者は現在の統計によれば感染者数の2%なので、1400万人が死亡する。つまり、コロナの終息には、まだ2年以上かかる。従って、コロナは2024年まで影響が残ると示唆される。

しかし、今回のコロナ・ウイルスは変異速度が速い。いったん終息が見られた中国、韓国、イスラエル、ドイツでも、新種で再び感染が拡大している。

霊感に頼って聖書を参照すれば、2025~2026年まで注意せよとの示唆があった。最悪、世界で10億人が感染し、2千万人の死者が出るかも知れない。

日本では、スペイン風邪の時は約2300万人が感染し、死者は約38万人だった。現在のコロナでは、180万人の感染、1万7千人の死者だが、500万人の感染者、5万人の死者が出るまで、コロナ続く可能性がある。2020年代の前半は、コロナの時代になる可能性がある。

しかし、世界的感染流行(パンデミック)だけが脅威ではない。スペイン風邪は、むしろ、兵隊の数が減って第一次世界大戦の終結を早めたと言われているが、スペイン風邪の終息後、10年で世界大恐慌が生じ、20年で第二次世界大戦が勃発した。

日本でもスペイン風邪の終息後3年で関東大震災が発生し、25年後には広島/長崎原爆被害で大日本帝国は壊滅し、アメリカに占領された。

過去の例からは、2025年に世界でコロナが終息しても、2050年にかけて大きな自然災害や、第三次世界大戦が生じる可能性もある。

18世紀の科学者ニュートンが、聖書を研究して、「世の終わりは2060年以降に始まる」と予言したことが想い出される。同じく18世紀の霊能者スウェーデンボルグが「神による最後の審判は霊界で既に行われ、数百年後にその効果が人間界に現れる」と書いたのも注目すべきです。

今のどんな霊能力者、超能力者でもコロナの発生は明確に予言できなかった。1990年5月に岐阜新聞が、2020年のパンデミック発生に関するWHOの予測を報道した例などもあるが(https://www.asahi.com/articles/ASN85457RN7YOHGB00N.html)、神様が人間に隠されたことは誰も予見できない。商業ベースの予言者ではなく、信仰心のある人間に神様が与えた預言のみに耳を貸すべきです。

問題は、どこの政府にも、研究機関や宗教団体にもそのような信仰心のある人間がいないことです。本来は、バチカンがコロナについて警告を出すべきだった。2019年にローマ法王が日本を訪問した甲斐もなかったということになります・・・

皆が、信仰心を高め、神様に警告をお願いすべきです。「コロナは、腐敗・堕落した人間社会に対する神様の警告の現れだ」、と言うのが信仰者の意見です!

2021年11月10日水曜日

世界中で、コロナで500万人が死亡、でも、毎年80万人が自殺!

 コロナで自殺者が増加した。

日本では、1990年代の後半から、2010年代の初めまで、毎年3万人が自殺していた。具体的には1998年から2011年までで40万人以上が自殺したことになる。この期間には、毎日100人近くが自殺していたことになる。

これに比べれば、2020年から蔓延したコロナ・ウイルスによる死者は、まだ2万人以下で自殺ほどの脅威は与えていないことになる。

コロナで日本中が大騒ぎだが、自殺問題はメディアで取り上げられることも少ない。しかし、今でも年間2万人が自殺する状況は異常です。日本の社会にはコロナよりも悪質な心理的ウイルスが蔓延している。

一方、海外を見れば、21世に入ってから韓国の自殺率は日本を超えて高どまっている。アメリカの自殺率は日本より低いが、21世になって増加を続け、日本の水準に近づいている。ただし、ロシアの自殺率は、21世紀の初めは日本よりも高かったが、今世紀になってからは低下を続け日本と同程度になっている。コロナ以前には、世界の自殺者総数は年間約80万人だった。他方、コロナによる世界の死者は2年近くで500万人に上り、コロナ大感染の被害の大きさが理解できる。

人が世界で大量に死ぬのは、世界大戦か感染爆発だということになるが、日本は、戦後は戦争に巻き込まれることはなかったが、1970年代の半ばから、毎年2万人以上が自殺し、現在までその傾向は続いている。自殺は社会に問題がある。人名尊重、人権尊重の社会では自殺が少ない。過度な競争が見られる社会では、他人の不幸を気にすることはなく、敗者、貧者、ハンディを負った者は死に追いやられる。自殺とは、隠れた殺人者による犯行だということになる。

このような人類の状況に、神様が警告を与えたのがコロナだと考えられないこともない。社会の競争に敗れた人間は自殺し、人を自殺に追い込んだ者もコロナで死亡する。これは、まさに地獄図です。

まず、人間が自殺者をなくすような社会を作らなければ、神様はコロナを収束させてくれないかも知れない。こう考えるのが正しい。

イエス・キリストの教えに従って、誰もが隣人を愛するようになれば、社会は親切な人間であふれ、自殺者は激減する。コロナは、愛のない社会に対する神様の警告です。

2021年11月7日日曜日

神のエネルギー、霊界のエネルギー、宇宙のエネルギーと人間の精神

この宇宙がどうしてできたのか、人間の心はどのようにしてできたのか、これが科学の最大の謎になっている。

その答えは、物質にこだわる科学では解明できない。万物の創造主である神様を認めなければ、答えは得られないのです。

神が存在するので、全てのものが存在する。これが、基本です。神は、万物の存在の基本です。大宇宙も、銀河系も、太陽系も、地球も、生物も、人類も、その精神も、全て神によって生み出された、と考えるのが正解です。この神学によれば、神が存在しなくなれば、宇宙も、人間も、その精神も存在しなくなる。

具体的には、神の存在から、霊界が生じ、霊界のエネルギーが物質界のエネルギーに転換し、そのエネルギーから物質と宇宙が生じ、さらに生物と人間の精神が生じたということになる。簡単に言えば、人間の生命と精神も、霊界のエネルギーから物質界を通して生まれたことになる。特に人間の精神は、霊的なエネルギーとつながっている。物質である肉体が亡びても、人間の精神は霊的エネルギーとして、霊界で生き続ける。つまり、肉体の死は精神の死ではなく、人間の精神は霊的エネルギーとして、霊界で生き続ける。

特に、イエス・キリストが神様から直接、この世に派遣されたと自ら宣言していることも、この点から理解しやすい。神から出る霊的エネルギーが、霊界から、物質界へと到達し、さらに、人間界に達して人の形を取ったのがイエス・キリストだということになる。だから、イエス・キリストが十字架刑の後で、死から生き返ったというのも理解できる。人間として生きていても、霊的なエネルギーと直接、結びついていたイエス・キリストは、肉体が亡びても直ちに、霊界で生き続けることができ、さらに、霊界から人間界に姿を現すことができたのです。

イエス・キリストだけでなく、全ての人間の生命は霊的エネルギーの影響で生じている。従って、誰でも肉体が死んでも、その魂は霊界に入って生き続ける。人間の体内では、その霊魂に霊的エネルギーが凝縮しているので、肉体の死後、人間の魂は霊界に入ることになる。だから、臨死体験者は、死に直面したときに、その魂が霊界の入り口まで行くことになって、霊界を垣間見る。

スエーデンボルグなどの霊界を見た霊能者によれば、神は霊界の太陽として存在し、その光を浴びて至福を感じるところが天国だということになる。霊界の太陽は愛と善の光で輝いている。しかし、生きている間に愛よりも憎しみ、善よりも悪を選んだ者は、その光に耐えられず、霊界の太陽から遠ざかり、光の届かない地獄に隠れて生きる。これが、霊界の構造になっている。地獄は、悪業が罰されるところというよりは、悪人の邪悪な霊が、神の光を避けて、好んで集まるところだということになる。

ただし、地獄の支配者が悪魔(サタン)であり、邪悪な霊を従えて神に反抗し、悪霊は神に従う善良な霊や人間を攻撃しているというのが、キリストの教えに基づく神学だということになる、

ポイントは、物質も、精神も、全ての存在の源泉は神だということです。逆に、この宇宙が存在し、人間に生命と精神があると言うこと自体が、神の存在を示唆している。

どんなに、科学が進歩しても、神のエネルギー、霊界のエネルギーは解明できない。ただし、霊界では霊は神の知恵を学んで、神に近づき真理、愛の光を浴びて至福を感じることになる。

科学は、霊界につながる問題は解明できないが、科学を推進する人間の精神は、神のエネルギー、霊界のエネルギーにつながるものです。そのつながりを明らかにしたのが、イエス・キリストだということになる。ただし、旧来のキリスト教では、悪魔の干渉を受けて、このような正しい理解を促進できなくなっている。現在の仏教なども、人間に霊界との関係について、正しい理解を与える力を失っている。

欧米でもスピリチュアリズムは、キリスト教のような宗教としては認められていないが、霊界を解明するという点では、単なる宗教よりも人間を神様に近づけるのに役立つと思われる。


2021年11月5日金曜日

「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先する

 「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先する。

なぜなら、聖書や古代ギリシア哲学、エジプトの死者の書、チベットの死者の書、キュブラー・ロスやレイミンド・ムディーなどのアメリカの医学者、18世紀の霊能者のスエーデンボルグなどの証言によれば、この世の死後も、人間の魂は存続し、霊界で生きる。

日本でもシスターの鈴木秀子や東大教授の矢作直樹の証言でも、死後の霊魂の存在は裏付けられている。

善人でも、悪人でも死後は、人間の魂は霊界で生きる。世界中の臨死体験の報告書でも、死後の霊界の素晴らしさが報告されている。

しかし、いつまでも魂は、人間界とつながった霊界にいるわけではない。最終的には、天国か地獄に行く。そして、イエス・キリストによれば、又は、聖書によれば、貧しい人間の魂は天国に入り、金持ちの霊は地獄に行く。なぜなら、貧しい人間は善人とみなされ、金持ちは悪人とみなされるからです。

貧しい人間が悪人なら、手段を選ばず金持ちになろうとうする。金持ちが善人なら、自分のカネを貧しい人間に与えて自分も貧乏人になる。だから、例外を除いて、貧しい人間は善人、金持ちは悪人とみなされる。

「生と死」の問題は、善人でも悪人でも、死後は霊界に入るということで解決される。しかし、「善と悪」の問題は、死後、天国か地獄かという結果になる。そして、イエス・キリストによれば、天国に入った善良な霊には「永遠の命」が与えられ、地獄に入った邪悪な霊は、神によって滅ぼされる(2度目の死)。

つまり、「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先するのです。

2021年11月3日水曜日

「偽キリスト」を演じる悪霊などに要注意!

 死後の世界は存在する。霊界は存在する。そして、当然、霊は存在する。

しかし、悪霊、邪悪な霊、悪魔も存在する。

18世紀の霊能力者、スウェーデンボルグも、神や救世主を演じ、人を誑かす邪悪な霊について警告している。聖書でもイエス・キリストは、「偽キリスト」について警告している。霊だからと言って、全てを信用するわけにはいかない。

新興宗教(伝統的な一神教や仏教以外の宗教)は、教祖が神がかりになって始まることが多い。神の霊が教祖の体に入り、神の言葉を伝え、新たな宗教が始まるという例が多い。しかし、霊界を見てきたスウェーデンボルグによれば、神や、他人の霊、偉人を真似る悪霊も多い。中には、人間の心に入り込んで、その人間を支配し、犯罪を行わさせたり、他人の生まれ変わりだと信じさせる例もある。悪霊は、人間を破滅させたいと考えているので、人間が尊敬する他の霊を演じて、その人間を惑わし、おかしな方向に誘導することもある。このようにして、新興宗教が始まる場合もあるので、注意しなければならない。

死後の世界は存在し、霊界は存在し、当然、霊は存在するので、人間の中には霊能力を持った人物は確かに存在する。彼らは、さまざまな霊と交信し、霊の姿を見、霊界も見ることができる場合もある。

そのような人物は、実は、聖書の中にも書かれている。キリスト教の聖者も、そのような能力を持っていたとされる。しかし、現在では、その能力を人を救うために使うのではなく、職業として、又は、エンターテインメントとして用いる者も多い。スウェーデンボルグは、霊能力で経済的利益を得ることはなく、その霊界の体験を本に書いただけだった。キリスト教の聖者もカネ儲けはしなかった。カネと結びついた霊能力者は信用できない。自分自身が悪霊にだまされている霊能力者も多い。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教は、みな聖霊(神様から送られた霊)との関りで生まれた。人間は肉体と霊魂でできている。この世で肉体は死んでも、霊は霊界に入って生き続ける。これが、宗教の基礎のはずだが、キリスト教の牧師でも、仏教の僧侶でも信徒に明確にそのような教えを述べる者は少ない。ローマ法王でも、「この世で肉体は死んでも、魂は死なない」という教えを広めない。だから、人は正しい霊の知識を得ることはなく、怪しげな霊能力者に惑わされることになる、ただし、イエス・キリストは明確に霊界は存在すると述べている。

霊や霊界、死後の世界に関心があれば、まず、聖書や仏典を読むべきです。怪しげな霊に取り付かれて、自分も神になったように振る舞う新興宗教の教祖は信用できない。同じように、超能力でカネもうけをする人間も信用できない。霊能力者には、超能力を持つ者も多いが、それを無償の人助けに用いる者のみが信用できるのです。

霊能力者や新興宗教の教祖などは、その霊能力を使って、例えば、「横田めぐみ」さんなど、北朝鮮による拉致被害者が、北朝鮮のどこで生きているかを霊視し、関係者に知らせるべきです。政府もそのような霊能力を育てるべきかも知れない。例えば、本当の霊能力者なら、「横田めぐみさんは、今、ピョンヤンの高層マンションで、北朝鮮当局の監視の中で生活している」などと真実を伝えることができるはずです・・・

2021年11月1日月曜日

日本の21世紀の発展には、大統領制が必要

2021年の総選挙は、自民党の勝利(大勝ではない)、立憲民主党の敗北(大敗ではない)に終わった。

投票率も伸びず、過去最低3位だった。コロナのストレスを晴らすような、選挙ブームも起きなかった。要するに、何も変わらなかった。無条件の定額給付金の支給を公約する政党もなく、相変わらず国民には信用されない言葉だけが躍った選挙だった。

しかし、保守右翼やサヨク反体制への支持は明らかに低調だった。国民は、無党派への志向を示している。だから、「維新」や「れいわ新選組」が議席数を伸ばした。

歴史的に、日本の政治は大統領制に向かわなければならない。この意識が生まれるまで不毛な政治状況が続く。

現在の日本国憲法が目指すのは、アメリカのような大統領制です。日本の将来の発展のためには、大統領制が必要だという意識が国民の間に浸透しなけれれば、本当の政治改革はできない。日本の伝統的な文化は、天皇制と結びついているが、21世紀の社会・政治はアメリカ型の大統領制でなければ有効に機能しない。

さらに、古代の天皇制以前に、日本には1万年を超える縄文文化があり、日本人の社会性、霊性、死生観は縄文時代に基礎が作られた。その意味からは、天皇制は日本人の本質に根差したものでもない。

むしろ、弥生時代の2200年前くらいに、当時の中国の秦帝国から渡来した方士(修行者)の徐福の一行などが、天皇家の先祖であると考えられる。当時の古代中国の先進文化で、銅鐸文化の縄文人を征服し、支配したのが天皇家の先祖であると考えられる。そのために、わざわざ、日本書紀などで日本神話を作り、日本人を洗脳したと考えられる。日本の国家体制から天皇制を廃止し、大統領制を採用するのが、日本の伝統に即するものだと言える。

今の政治体制では、大統領制の採用が推進されることは期待できない。むしろ、無党派層の中から、大統領制を推進する勢力が出てくるだろう。

日本が大統領制を採用すれば、社会的にも大きな影響が出る。過去の25年間に及ぶデフレや、国力・経済の低迷などは、強力な大統領制の下で回避できるだろう。大統領制の下では、現代には不適切でむしろ非人道的な制約の多い天皇家や皇族の人間も自由を享受できる。大統領が元首として東京(今の皇居)に住み、天皇は伊勢神宮の神官として政府の保護の下で暮らし、皇族は国民としての権利を享受すればよい。江戸時代の皇族より自由な生活が保障されるので、彼らも満足だろう。

「日本が21世紀に発展するには、大統領制の採用しかない」と判断する無党派層が、日本の政界で主流となれば日本の未来は明るい・・・