2018年11月24日土曜日

ヨーロッパとアジアの文化の衝突


マックス・ウェーバーによれば、「善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。そして、もし選ばれていなかったら自分は永遠の地獄に落ち、二度と救済されることがない。このような予定説の恐るべき論理は、人間に恐怖と激しい精神的緊張を強いる。そして、人々は、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出した。・・・・人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献した。そして、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになった」とされている。

つまり、これが資本主義の基盤になったということだ。その歴史的根源は、この精神に基づいて、西欧の修道院では修道士たちが規律ある生産的な生活を行うことに象徴されているとされている。仏教でも修行僧は禁欲的に規律ある生活を行っているが、それは解脱、悟りを目指しての行だとされている。仏教では最終的に静的な瞑想などが目標とされているが、キリスト教では活動を通して神に信仰をアピールするのが目標だとされている。これが東洋と西洋の違いを象徴するものとなっている。

このような2 つの文化が衝突すると何が生じるのか、という問題が歴史に現れている。その結果は欧米によるアジアの植民地化だ。積極的な活動を正当化し、征服的な活動を正当化する思想に駆り立てられた西欧勢力の前には、厭世的な仏教などの思想に基盤を置くアジア勢力は無力であったというのが20世紀の前半までの歴史の流れの本質だ。

そして、この関係が明治維新以降の日本の歴史を理解する鍵でもある。なぜ、わずか数隻の黒船が東京湾に現れただけで日本中が大騒ぎし、幕府の権威が吹っ飛び、維新後の明治政府が積極的に欧米化を図ったのかという点もこれで理解できる。また、近代化・西欧化を果たした日本の行動が、いかに朝鮮・中国にとって脅威になったのかも、これで理解できる。

平和主義的な東アジアに、好戦的な西欧諸国が進出したとき、中国も朝鮮も無力であったのに、日本だけがうまく対応したというのがその本質だ。この事情を理解できない朝鮮・中国は西欧の侵略的な活動に対する非難を日本に向けることになるが、日本人は世界の流れに対応しただけという思いがあるから、本心ではその侵略的であった過去を反省しない。これが不幸な過去の戦争に対する理解の違いに現れている。

しかし、戦後は新たな経済のグローバル化の中で、朝鮮・中国も日本をみならって西欧の行動や思想を受け入れる。これが現在の東アジアの経済的発展につながった。それでも、アメリカ・ヨーロッパの自然な流れの中の資本主義の発展と、東アジアのある意味で強いられた資本主義の発展とでは本質が異なる。西洋では、行き過ぎた資本主義に対抗して、ユダヤ教の影響を受けた社会主義・共産主義が生み出される。そして、アジアではその社会主義・共産主義ですら、西洋から輸入せざるを得ない。しかし、そのようなイデオロギーは本質的に非アジア的な歴史の流れで生まれたものだから、これも本当は根につかない。これは、共産党独裁といいながら資本主義化する中国や、社会主義を掲げながら儒教的な独裁主義に走る北朝鮮、どうしても勢力を伸ばせない日本の社会主義・共産主義勢力に現れている。東アジア各国の経済発展も西洋発の資本主義を追っているだけだとも言える。

この点から、アメリカはヨーロッパで発生したキリスト教と資本主義の直接的な延長にあり、いわば心の底から資本主義を信じ、また、ある意味では社会主義的な人道主義の必要性も理解している。日本は30年前のバブル期にアメリカ経済に迫ったけれど、結局、世界経済をリードできなかったのも、こういう本質的な宗教・思想と文化の違いにある。今は、中国が経済規模を拡大しているが、その基本には西洋のような宗教につながるような文化的基本はない。実際、中国は今、古典帝国の時代の栄光を求めて国力の拡張を続けている。しかし、日本のようにその発展には限界があるのは間違いない。

ユダヤ教の現実主義とプロテスタントの精神に基づくアメリカの資本主義は、ユダヤ教を敬遠し、カトリックが主流のヨーロッパよりも一層、経済のグローバル化には適した文化構造を持っている。アメリカの主導の世界の経済発展は今後も変わらない。豊かな国土と、世界中からの移民による多様な文化のメリットを享受しているのも長所だ。

問題はイスラム世界だ。何よりも神への尊崇を求めるこの宗教は信者の思考・生活・行動に大きな制約を課す。とても、世界経済を主導する社会は生まれて来ないと思われる。実際に1500年以降、イスラム世界は欧米の風下に置かれている。しかし、経済でユダヤ教・キリスト教世界にリードされたからと言って、イスラム教が廃れるわけではない。これは、如何にムスリムがその宗教の真実性に確信を持っているかを示している。

最近は、トランプ大統領が自由貿易に背を向け、アメリカの利己主義的な経済利益を追求しているのが話題になっているが、これはあくまで短絡的な発想と、近視眼的な政治的な動機に基づくものであり、アメリカの文化、政治と経済の本質は変わらない。しかし、アメリカの宗教性の基盤のプロテスタントの精神が生み出した、経済のグローバル化がアメリカのプロテスタントである一般白人の労働者に不利益に働くという点は重要だ。東アジア発展の原動力となった日本も、こういう一神教的発想への理解が求められる。

2018年11月7日水曜日

人類の原罪とは? 戦争の歴史


朝鮮戦争の終結が行われるのかどうかに世界の注目が集まっている。

世界中で、アメリカ、ロシア、中国、日本が直接関係する紛争地域は朝鮮半島だけであり、この地での紛争にアメリカ、ロシア、中国、日本、韓国が巻き込まれれば、世界のGDP2分の1が影響を受ける。それに、北朝鮮のミサイル・核技術がイランに流れ、イランはロシアと一緒にシリアや反イスラエル勢力を支持する。そして、中東からの数百万人の難民がヨーロッパに流れ込み、イギリスはEU離脱を強いられる。そういう意味で北朝鮮問題は世界の最大のリスク要因なのだ。しかし、イギリスのEU離脱と北朝鮮の関係を見抜くヨーロッパ人はいない。そこには、ヨーロッパ中心の、即ち、ヨーロッパ・キリスト教世界中心の偏見が欧米にあるからだ。

世界の歴史は戦争の歴史だと言ってもいい。史上初の公式な軍事記録に残された戦争は、紀元前1286年のシリアで、古代エジプトとヒッタイトがオロンテス川一帯で戦った戦争だと言われている。これは、エジプトのラムセス2世の治世にあたり、モーゼもこの王の時代にヘブライ人の出エジプトを指揮したと言われている。そもそも、アブラハムがメソポタミアのウルを離れたのも、都市国家ウルの滅亡とアブラムの弟ハランの死が関係していたと言われる。そして、救世主キリストが現れたのは、ローマ帝国のエジプト征服、クレオパトラの死、イスラエルの属国化のあとだ。救世主キリストの出現も戦乱の果てであった。

東アジアでも、中国は春秋・戦国時代で古典文化を完成させた。それ以降は、各王朝が戦乱で亡び、新たに勃興し、中国の歴史が作られてきた。最後は、国民党と共産党の戦いだ。日本の歴史も、倭国の大乱、卑弥呼と狗古知卑呼の戦いから始まっている。ただし、白村江の戦いで日本と朝鮮半島は完全に分離し、元寇、秀吉の朝鮮出兵(対明戦争)くらいしか対外戦争はなかったが、明治維新の戊辰戦争以後、最後に太平洋戦争で原爆を落とされるまで、近代日本の歴史も戦争の歴史だった。

このように見てくると、いかに人類が戦争を好むのかが現れている。人類同士の戦いに対する抑止力は非常に小さい。これは、他の生物には見られない特徴だ。こういう同胞殺傷性向に対する最大の抑止力は宗教だ。ところが、人類は宗教のために戦争も起こす。同じキリスト教でも、異端は迫害される。同じ神を敬っていても、キリスト教徒はユダヤ教徒を迫害し、イスラム教徒を支配して植民地化する。いかに、人類が紛争、戦争を好むかが人類の歴史で現れている。

戦争の出発点は殺人だ。サル類の間には戦争はない。人類がサル類の世界を離れ、知性をもった生物になったとき、同類攻撃に対する抑止がなくなっていった。これは、エデンの園でアダムとイブが知恵の実を食べて、神によって追放されたとの記述に関係する。

「多く与えられた者は、多く要求される」という言葉が聖書にある。他の生物を征服できるような知恵、武器を手に入れた人類には、それを同胞に向けない知恵が求められた。しかし、石器時代には倒した獲物の奪い合いで人間同士が相争い、互いに武器を使う。これが戦争の取発点だ。そして、殺された仲間に復讐心が芽生え、その報復を行う。これが、人類の罪のサイクルになった。

全ての人類がこの罪のサイクルに巻き込まれたとき、民族同士の争いが当たり前になる。そうすると神は人類を見捨ててもいいところだが、アブラハムに特に目をかける。そして、その子孫のユダヤ民族に目をかける。エジプトで奴隷にされたときはモーゼを使って救う。新バビロニア王国によって滅ぼされかかったときも、ペルシャを使ってユダヤ人を救う。ペルシャの支配が強まればアレクサンダー大王によってペルシャを滅ぼす。これで、ギリシャ文明がユダヤ人にも浸透する。ローマ帝国に征服されたときはイエス・キリストを送る。その後、2000年間に渡ってヨーロッパ人に迫害されてきたユダヤ人を救い、イスラエル国を再建させる。人類が戦争志向を捨てない限り、神はユダヤ人への肩入れをやめない。

ところが、今では、イスラエルは核兵器も保有し、中東第一の軍事国家となっている。イスラエルと同程度の数のユダヤ人が生活し、有力なユダヤ人の多いアメリカは軍事超大国となっている。実際、「世の終わりに向けて、国々は互いに対立する」とイエス・キリストは予言している。人類の好戦的な特徴は最後まで治らない。

21世紀の開始前後には、もはやヨーロッパでは戦争は考えられない、と考えられていた。EUで各国は平和的に結びつき、欧州は統一され、ロシアもG7グループに加えてもいいくらいに民主化した。中東も安定し、中国も経済発展を通して民主化するだろうと考えられていた。世界経済はグローバル化し、各国は経済競争をするだけだろうと考えられていた。

しかし、2001年の同時多発テロによって世界の平和ムードは吹っ飛び、2014年のロシアによるクリミア併合でヨーロッパ諸国のロシア観も修正を強いられた。そして、現在にいたる中国の南シナ海武力支配によって、中国に対する幻想も失われた。要するに、人類は紛争・戦争を好むDNAを持っているのだと考えざるをえない。これは、憎悪、嫉妬、憤怒、復讐心、利己主義、傲慢、無知、不信といった人間の原罪に由来すると考えるのが一神教だ。そして、一神教以外に抑止手段がないのも事実だ。一神教でない日本民族が明治維新以来、戦争に走ったのもある意味で当然だった。一神教の研究が平和への道なのだ。

2018年11月4日日曜日

日本経済の真実


1990年代から現在まで、日本は「失われた20年」、「長期デフレ」にあると言われている。そのカギは中国だ、日本政府の金融・財政政策であるというよりは。そして、その背景に「経済のグローバル化」があり、更にそのきっかけは「米国発のIT文化」なのだ。

デフレが問題なのは実質賃金の減少により、物価も伸びず、税収も伸びず、GDPも伸びないことだ。しかし、この間日本企業の内部留保は上昇を続けている。また、企業が倒産し、失業率が異常に上昇し、日本経済が壊滅したのでもない。この期間に特徴的なことは日本企業の中国進出数が増加の一途をたどり、中国のGDPが急上昇したことだ。ただし、1980年代の勢いで日本国内の工業化が進めば、日本の自然環境は破壊されていただろうが、中国に工場を移転することで日本の自然環境は守られたとも言える。




これらは全て連動している。出発点は経済のグローバル化だ。即ち、「経済のグローバル化」→「競争の激化」→「人件費削減」→「中国への進出」→「国内人件費も中国並みに」→「実質賃金の低下」→「日本のDGPの停滞、中国のGDPの増加」という流れだ。

このデフレ時代直前には日本企業がアメリカ経済を脅かし、日本がアメリカを買収するのではないかとの懸念がアメリカに生じ、「日米金融戦争」などと呼ばれる状況にあり、特にクリントン政権は日本を仮想敵国するほど日本に脅威を感じており、日本を抑えるために中国に肩入れし、中国経済を優遇しました。この流れで中国経済は活性化した。

そして、90年代にはアメリカ経済もIT化の波に乗って復活し、日本との格差を広げ、超大国の位置を確保したが、IT技術に乗ったグローバル経済のせいで金融・技術は世界中に拡散し、むしろアメリカの影響力の低下が現れた。しかし、IT化の波、即ち、インターネットの普及とスマホなどのハイテク製品、社会の高度システム化が出発点だったことは間違いない。これは、16世紀の大航海時代に匹敵する大きな歴史的出来事なのだ。

IT関連の大企業、マイクロソフト、インテル、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンなどは全て米国企業だ。まさに、IT技術が米国経済を復活させたのだが、インターネット文化にはもっと深い特徴がある。単に「英語文化」でなかったために日本企業が乗り遅れたのではなく、「一神教文化」でなかった日本がIT技術文化に乗り遅れ、アメリカに抑えられたと考えるべきであり、それが「失われた20年」をもたらしたのだ。IT・インターネット先端技術の開発には文化的な側面が大きく働いたのであり、その点からも日本も一神教の理解を深めるべきなのだ。