2022年2月28日月曜日

祈りの力は奇跡をもたらす。コロナ・ウイルスに対しても。

       八王子皇室墓地

祈りの力は奇跡をもたらす。

シスターの鈴木秀子によれば、それぞれ40人の同程度の重症患者の2組を対象とした「祈りの力」の実証調査では、病気回復の祈りがなされなかったグループの半年後の生存率は10%であり、祈りがなされたグループの半年後の生存率は90%であったという。

これは、患者が祈りを受けているということを知らされた場合の半年後の生存率であるが、知らされずに祈りが行われていた場合は、87%であった。いずれにしても、祈りの効果は歴然です。

つまり、重症患者であっても、自分の回復が祈られていることを知らない場合でも、そのような患者は、祈られていない患者より9倍近い生存率を示すということです。

だから、かつてキリスト教の宣教師がヨーロッパから、アフリカやアジアでキリスト教の伝道をしたとき、気候や風土の違いにもかかわらず、疫病や風土病で倒れることもなく、キリストの教えを現地人に伝え、キリスト教の普及と拡大を行うことができたのです。

過去2千年にわたって、コロナのような疫病の大感染、パンデミックが世界中で何度も生じたが、このようにして、宣教師たちはウイルスや病原菌には負けずに伝道を行なうことができたのです。20世紀のインドの貧民救済を通してイエス・キリストの愛の教えを実践したマザー・テレサも毎日の祈りで免疫力を高めていたと思われます。

イエス・キリストは信仰があれば、疑わずに信じて祈れば奇跡が生じると述べています。

マタイによる福音書
第 17 章
20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。

霊能者でなくても、イエス・キリストと神様への信仰があれば、霊能者以上の奇跡を行うことができるのです。逆に、祈りの心のない霊能者は信用できないことになります。霊能者であっても、祈りの心のない人間は、他人だけでなく本人の寿命も伸ばすことができない場合が多い。

ただし、霊能者であってもなくても、信仰者であってもなくても、人は死ねば霊界に入る。人間の魂は、死後、霊界に入ることは、聖書では当然とされています。しかし、この世で生きている間に、他人のために祈って病からの回復を願うことで、祈った人自身は死後、天国に迎えられることになるのです。

この世は、宇宙も、太陽系も地球も、物質世界は霊的エネルギーから生まれたものだと考えられます。人間の精神、心、魂は霊界と結びついていると考えられます。そして、祈りでこの世と霊界の結びつきが強化され、祈りの対象となった病人に霊的効果が生じ、癒され、生存率が高まるのだと考えられます。

心霊主義、スピリチュアリズム、霊能力も重要ですが、あくまで神様やイエス・キリストへの信仰があって意味のある力となるのです。

心霊主義、スピリチュアリズム、霊能力に関心を持つ前に、まず2千年の伝統のあるキリスト教や2千500年の伝統のある仏教を学ぶことが安全で効果的なアプローチなのです。聖書や18世紀の霊能者スウェーデンボルグによれば、霊界には悪魔や悪霊がおり、いつでも人間を破壊しようとしており、イエス・キリストがこの世で悪魔と戦って勝利したことを記してあるのが、新約聖書なのです・・・

祈りの力は奇跡をもたらす。コロナ・ウイルスに対しても。そして、その力の源泉は霊的知識ではなく、イエス・キリストや神様への信仰なのです・・・

2022年2月23日水曜日

日本人の70%近くは物質的に幸福な生活・・・だから、コロナが生じた!!

富士山、夕方

日本人の3人に一人は、「低所得者」に分類される。

日本では2900万人超が所得税や住民税を一切納めず、控除の対象でもない。脱税や滞納をしているわけではなく、納税の義務がない。総務省の「市町村税課税状況等の調」によると、2015年度に住民税の納税義務があったのは6034万人。昨年1月の成人人口から引くと、4535万人が非課税となる「低所得者」」 (https://www.nikkei.com/article/DGKKZO10226230S6A201C1ML0000/)

ただし、相対的な貧困率という観点からは、6人に1人が相対的貧困に直面している。

日本における相対的貧困率は、約15%とG7の中ではワースト2位。高齢者世帯や一人親世帯を中心に、6人に1人が相対的貧困に直面しているのが現状だ」(https://eleminist.com/article/1253)

物質的な幸福という観点からは、日本人の3人に二人は、即ち、70%近くは幸福な人生を送っていることになる。これが、社会の風潮を決めている。しかし、人間はこの世で物質的に幸福になることが、人生の目的ではない。

神学的には、神の教えを実践することが、人生の目的なのです。神の教えに反した生き方をして、豊かな生活を送っても人間の魂は救われない。金持ちばかりの社会とは、神の教えに反する人間ばかりの社会であり、社会の誰もが悪魔の手先となったことを意味する。

実際、救世主イエス・キリストは、「金持ちは、天国に入れない」と述べておられる。社会の全員が金持ちになれば、死後、天国に入れない人間ばかりが社会にいることになる。つまり、死後、地獄に落ちる人間ばかりの社会となる。富裕層ばかりの社会になっても。憎悪、怒り、裏切り、邪悪、腐敗、狂気にあふれた社会になる。そういう社会は、神によって滅ぼされる。

逆に言えば、愛や真理の意味を本当に理解し、求めるのは貧困層だと言える。歴史的に宗教の教祖は全て貧困を経験している。「神を信じていれば、この世で貧困であっても、あの世ででは天国に入ることができる」というのが、まとまな伝統的な宗教の共通の教えです。

富裕な人間、カネのある人間、成功した人間、幸福な人間は、この世に執着する。神の教えがなくても、この世では満足して生きることができる。この状態こそ、悪魔が望んだ状態であり、満足な生活を保障する物質的なことばかり人間は考えるようになり、神の教える愛や真理は軽んじるようになる。

金持ちばかりの社会では、誰か一人が貧しくなっても、周囲の金持ちは誰も助けないだろう。なぜなら、貧しい隣人を助けるというのは、神の教えに従うことですが、金持ちばかりの社会では、そういう精神は失われるからです。

今、日本がGDPで世界第二位になったのは1968年です。それから、中国に第二位を奪われる2010年まで、約40年にわたって世界の経済をリードし、現在も世界第三位の地位にあります。つまり、約50年にわたって日本は、物質的に豊かな社会だったのです。だから、現在、日本人の70%近くは物質的に幸福な生活を送っていることになる。

逆に言うと、それだけ社会の腐敗・堕落が進んでいることになる。あるいは、神の教えから遠ざかっていることにある。だから、日本の社会では、さまざまな問題が生じており、中流層でも富裕層でも精神的には満たされてはいない。

欧米でも状況は同じです。豊かな社会になっても、精神的に苦しむ人間はなくならない。なぜなら、この世と人間を創ったのは神であり、神は霊だからです。人間は、神の教えに従わねば、精神的、霊的な満足は得られない。むしろ、悪魔が人間を豊かにして腐敗・堕落させ、神から遠ざけようとしていると考えるべきです。

この意味から、神から遠いのは富裕層であり、貧困層は神に近いということになる。

何千万人も物質的に幸福な人がいるが、何百万人もの物質的に不幸な人もいる。物質的に幸福な人は、物質的に不幸な人を気に掛けることはない。年間、何万人が自殺しようが、交通事故で死のうが気にしない。これが、社会の風潮を作っている。

しかし、コロナ・ウイルスは貧富の差に関係なく感染する。こういう意味で、コロナは貧乏人より金持ちを罰するものだと考えられる。

貧乏人は、コロナで死亡しても、天国に入れてもらえる。他方、金持ちは死亡すれば、地獄に落ちるしかないのです。まさに、人間社会に警告を与えるために、神は死の天使にコロナをもたせて、この世に派遣したと考えられるのです。

忘れてならないのは、「死後、貧乏人は天国で永遠に生き、金持ちは地獄で亡ぼされる」というイエス・キリストの教えです。一人でも貧乏人がこの世にいる限り、この教えは有効なのです・・・

2022年2月20日日曜日

本当のコロナ対策とは、聖書を読んで神様の怒りを和らげること・・・

雪の日 

イエス・キリストは、歴史上最高・最大の治癒者でした。

従って、コロナに対する最良の防御は、イエス・キリストに頼ることです。

イエス・キリストは2千年前に、この世に生きていた人ですが、その霊は今も霊界で生きています。

コロナ大感染は、人々がイエス・キリストに対する信仰心を示す機会だと言えます。

イエス・キリストのような本当の霊能者は、病人の治癒に力を発揮します。逆に言えば、神様が与えられた霊能力を病人の治癒に使わない霊能力者は、やがてその力を失います。つまり、良き治癒者が、真の霊能力者の証明なのです。しかし、テレビの人気者になり、大金を稼ぐ怪しげな霊能力者が目立ちます。スピリチュアルを売り物にして大金を稼ぐ霊能力者は、やがて神様から罰せられ、その能力を失います。

日本人の霊能力者で、治癒力を最も明確に発揮したのは、明治時代の長南年恵です。彼女は、病人の病を治す「霊水」を、病人が持ってきた封をした空のビンに、空中から発生させ、満たしたと言われています。

何度ワクチンを使っても、コロナ・ウイルスの変異は抑えられません。ウイルスが変異するごとに、新たなワクチンが必要とされます。しかし、ウイルスのRNAなどの化学成分に、霊能力者の力が作用すれば、無力化することができます。或いは、人間の免疫能力を高めることができます。霊界にいるイエス・キリストにウイルスの抑制や、免疫力の向上を願うことが正しいウイルス対策なのです。

そもそも、21世紀になってコロナ大感染が世界に生じたのは、人間社会の堕落・腐敗に対するイエス・キリストの警告だと考えるべきなのです。実際、カネのためなら悪魔に魂を売る人間ばかりになっています。「カネより神様が大事」と言えば笑うような人間ばかりになっています。カネは世界の共通言語になり、カネは世界宗教になっています。当然、神様が人間に警告を与えます。それが、コロナです。

ヨーロッパは過去に何度も疫病に襲われましたが、その信仰の力によって絶滅から免れたのです。だから、今でもキリスト教のシンボルであるバチカンは存続するのです。本来は、ローマ法王が霊力を発揮してコロナを抑えるべきなのです。しかし、今のバチカンにはそのような霊能力はありません。だから、直接、イエス・キリストの霊がこの世に働きかけるように祈るのが一番なのです。

人間社会の腐敗と堕落に怒った神様が、死の天使にコロナ・ウイルスを持たせてこの世に派遣されたのなら、人間にはどうすることもできません。しかし、神の子、イエス・キリストは神の怒りを和らげ、今回のコロナ大感染を収めてくれるように、神様にお願いしてくれるのならコロナは収まるようでしょう。

世の中には、さまざまな霊能者もいますが、神様の息子、イエス・キリストの霊に匹敵する霊能者はいません。むしろ、自分の霊能力を誇って、しだいに堕落する霊能者も多いのです。彼らにコロナ・ウイルスを抑える力はありません。

人々が聖書を読み、神様の教えを知って、神様に祈らなければコロナは終息しません。

今からでも遅くない、聖書を読んで神様に祈ることです。これが、本当のコロナ対策なのです。


2022年2月16日水曜日

神様への祈り方とは・・・過去2千年にわたって、欧米を中心に証明されてきた「祈り」とは?

富士山

イエス・キリストは、神様への祈りの言葉を教えています。

マタイによる福音書 - 第6章 
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

これは、どんな仏教のお経や、神道や新興宗教の文言より、魂の安定に効果がある。なぜなら、神様を「天の父」と呼びかけることを教えているからです。父は子を見捨てることはありません。神様から、絶対的な愛情が期待できることを意味しているのです。

そして、このように祈る人は「神様の認めるキリスト教徒」として、自信を持って生きることができるのです。

ただし、教会が公認するわけではないが、教会の方が神様に認められないことになる。なぜなら、イエス・キリストは、キリスト教徒の条件など定めなかったからです。これは、仏教についても同じです。教会や寺院、神社は本来、全ての人に開かれているべきものなのです。だから、教会、寺院、神社に誰が入っていっても不法侵入などとは言われない。本来、本当の宗教は、全ての人に開かれたものだからです。(ただし、窃盗などを目的として侵入する悪人は、神様の怒りを買う。信徒も怒る。警察も怒る。もっとも、ホームレスなどの侵入は特別に許されるはずです・・・神様は憐れみ深い方だから。それでも、悪魔がホームレスの人を利用する場合もあるので、人間には人間を裁くことはできない。)逆に、教会、寺院、神社を自分の財産のように扱う牧師、僧侶、神主、教団幹部は信用できない。「宗教への信仰」ではなく、「神様への信仰」がポイントです。

新興宗教でも、教祖が霊能力を発揮すれば、信徒は教祖を信用する。しかし、人間である教祖には、その霊能力を完全にコントロールすることはできない。一方、「神の子」であるイエス・キリストの教えは完全です。従って、「神の子」イエス・キリストの教える「祈り」には完全な力があるはずです。実際、キリスト教では「祈りの力」というものが重視されている。教会とは祈りの場だと定義できる。祈りのないキリスト教徒の集まりは、考えられない。経典をとなえない仏教の僧侶が考えられないように、祈りを行わないキリスト教徒はありえない。事実、イエス・キリストは具体的な「祈り方」についても教えています。

マタイによる福音書 - 第6章
5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

つまり、教会にいかなくても、神に祈る者は「キリストと神様を信じる者」として、イエス・キリストと神様に認められることになるのです。

ただし、見えない世界には悪霊や悪魔がいる。彼らは、宗教人が真に神様に従うことのないように、干渉してくる。だから、教会組織、神社仏閣、教団などの幹部は、悪霊や悪魔の攻撃の対象になる。この攻撃とは、牧師、僧侶、神主、教団幹部に欲の心を起こさせ、表面上は道徳的に振る舞いながら、心の中では出世欲、物欲、情欲、利己愛などを持つようにさせることです。このような悪魔との戦いを2千年間続けてきたのが、伝統的なキリスト教、仏教、神道などです。新興宗教の教祖は悪魔と戦って教団を立ち上げても、いつかは悪魔の狡猾な罠にはまって教団が腐敗・堕落・狂信化することもある。だから、千年、二千年という試練を経ていない新興宗教には注意が必要なのです。

ただし、2千年の歴史を持つキリスト教ですら、悪魔の企みによってさまざまな問題を起こしている。2千5百年の歴史のある仏教でも、すでに、江戸時代に幕府から優遇されすぎて堕落していた。一番悲惨だったのは、昭和の戦前の天皇神道だった。この強制的国民宗教のせいで、第二次世界大戦では300万人以上の日本人が戦死したのです。

宗教があってもなくても、悪霊や悪魔は人間を攻撃し、誘惑し、支配しようとする。それでも、悪霊や悪魔と戦うには宗教の教えが有効なことは多い。さらに、直接、神様を信じることで、悪霊や悪魔から守られる。ただし、宗教的・霊的な天災でもない限り、ゼロから、無から神様に近づく方法は分からないものです。やはり、2千年の実績と伝統のあるキリスト教や仏教を手掛かり、足がかりするのが安全なのです。そこで、聖書や仏典を自分で勉強することが重要になる。

どんな、宗教家でも死ぬ。ただし、神様を信じている本当の宗教家は、霊的には死なない。「魂」が、或いは、「心」や「意識」がこの世からあの世に移るだけです。むしろ、霊界はこの世より神様に近い。だから、本当の宗教家は死を恐れないのです。それでも、この世でなすべきことを達成する前に、この世を去るのは残念なことです。死は、決して祝うべきことではない。

この世に生きている限り、誰でも不服を持ち、不幸に遭い、不運に見舞われる。人間には限界がある。しかし、「人間には不可能なことでも、神にはできる」とされています。全知全能の神様に、人が頼るのは当然なのです。多くの人間が、「困ったときの神頼み」で、困ったときは神様に願をかけます。特に、神様を愛し、信じる者は「祈り」と言う形で神様の助力を求めるべきなのです。

そして、救世主イエスは、2千年前に「祈り」の方法を、親切にも教えておられるのです。この「祈り」が有効なことは、過去2千年にわたって、欧米を中心に証明されているのです・・・

2022年2月13日日曜日

神の霊と悪魔の影響と、コロナ大感染・・・

浅草駅周辺

ある学者は、「心はあるか?」を哲学的に考えて、「単独では心は存在しない」と結論付けた。要するに、心を使って「心はあるか?」と考えて、「無条件では心は存在しない」と結論付けた。

これは、ほとんど狂気に近い。「私の心は、『心は存在しない』という結論を出した」という学者は、ほとんど狂気に近いのです。

人間には、肉体と心があることは誰でも知っている。問題は、人間の中に霊があるのかという問題です。これは、コンピュータで動くロボットが、「自分にはロボットとしての体と、コンピュータによる心があるが、ロボットを作った人間の設計意図は存在するだろうか」と考えるようなものです。霊が存在するから、心が存在し、体が機能すると考えるべきでしょう。

霊については、キリスト教の聖書が参考になります。Wikipediaによれば、

神の霊
新約聖書での「霊」はまず何よりも「神の霊」である。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである
— ヨハネによる福音書4:24、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年

人間の霊
そして、神によって造られた人間も霊を有する。ステパノはイエスに「私の霊をお受けください」と祈る(使徒言行録7:59)。
死んだ聖徒は「全うされた義人たちの霊」といわれた(ヘブル人への手紙12-23)。
この他、悪霊などもある。

真の霊性
霊性は、聖霊によって生み出され、肉とは対立するとされる。
「肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。」
— ローマ人への手紙8章2-16、『口語新約聖書』日本聖書協会、1954年())
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E6%80%A7_(%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99)

神の霊に気づいた人間は、さまざまな霊感によって、さまざまな宗教を作って来たが、神の霊と人間の霊を明確に区別するキリスト教が、最も信頼でき、安全であることは、この2千年の歴史が示しています。実際、現代文明は、欧米を中心とするキリスト教文化から生じたのです。欧米を中心とするキリスト教文化がなければ、今でも電気、自動車、飛行機、そして、民主主義も世界にはないのです。

日本には現代も、さまざまな霊能力を持った人間がいます。中には、新興宗教の教祖になる人もいます。しかし、本当のキリスト教ほどには成功していません。

「貧乏人は、死後、天国に行き、富裕層は、死後、地獄に行く」と宣言する霊能者もほとんどいません。しかし、このイエス・キリストの教えが、仏教も超える福音なのです。つまり、貧しい人をこの世の苦しみから救う「良きニュース」なのです。

霊能力、霊界の知識、霊との交信、仏教の悟りなどで人間が救われるより、学歴、財産、地位のない人を救うのは、やはり、このイエス・キリストの教えなのです。そして、この教えは神の霊を持った、歴史上最高の霊能者イエス・キリストの貧乏人への愛を象徴するものなのです。

霊については、悪霊、悪魔、地獄の霊があることは、聖書でも指摘されています。18世紀の大霊能者のスウェーデンボルグは、悪霊は人間を破壊しようとしている、と警告しています。

霊的な問題は、あくまでキリスト教の聖書を読んで、神の教えを学び、イエス・キリストの愛を通して扱うべきです。ただし、教会の信徒になれということではありません。誰でも、神様に祈れば、神の霊、イエス・キリストの霊につながることができるからです。ただし、キリスト教会を嫌う必要はありません。それでも、狡猾な悪魔は教会にすら入り込むことがあります。ましてや、歴史のない新興宗教団体は、悪魔と十分に戦えるとは限らない。

この世でも、霊界でも善悪の戦いはある。だから、霊界は天国と地獄に別れるのです。安易に、心霊問題にかかわるべきではないのです。人間は、人間界で正しく、つまり、カネを求めずに貧しく生きれば、霊問題などにかかわる必要はないのです。しかし、人間社会全体が悪魔に洗脳され、拝金主義になれば、神様が人間に警告を与えられる。コロナ大感染もその表れかも知れない。

コロナ大感染で、人間が考えることは、神の怒りでしょう・・・

2022年2月9日水曜日

霊と霊能力者に要注意!! 神から来る聖霊を求めよ! 「にせキリスト」に警戒せよ!!

東京・隅田川

霊能力を持った霊能者という者は存在する。しかし、全ての霊が聖霊や善霊ではなく、巧妙な悪霊や邪悪な霊、悪魔の霊もある。

特に降霊は、世界で古くから行われていた。

降霊術はバビロン、エジプト、ギリシア、ローマで行われていた痕跡があり、西洋の古代において広く行われていた。降霊術についての最古の文学記述はホメーロスの『オデュッセイア』(紀元前700年頃)にある・・・(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%8D%E9%9C%8A%E8%A1%93)

しかし、旧約聖書では、降霊などの呪術は禁じられている。 

申命記
第18章
10 あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、
11 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。
12 主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。
なた、新約聖書でも霊に関する記述は多いが、聖霊や善霊と悪霊は明確に区別されている。
ルカによる福音書
11:14
さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。
11:15
その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、
11:16
またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。
11:17
しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。
11:18
そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、
11:19
もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
11:20
しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
また、悪霊や悪魔は神の教えを攻撃するものとして、警戒を高めている。
テモテへの第一の手紙
第4章
4:1
しかし、御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。
4:2
それは、良心に焼き印をおされている偽り者の偽善のしわざである。
4:3
これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
4:4
神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
4:5
それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。
つまり、霊能力者であっても、イエス・キリストと神への信仰がなければ、軽々しく霊を扱う訳にはいかないのです。

そもそも、イエス・キリストは霊能力や奇跡を起こす力だけで人々を救ったのではない。神の教えを伝え、貧しい人への愛を実践し、癒しの力で病人などを救ったのです。
そして、貧乏人は死後、天国に入ると宣言して、貧しい人や社会の底辺・下層の人を死の恐怖から救い、精神と魂を救い、悪魔の支配から解放し、生きる希望を与えたのです。
そのイエスの働きを悪魔や悪霊が妨害し、イエスを殺害したことが福音書に書かれているのです。

スピリチュアリズムや霊能力ではなく、聖書を読んでイエス・キリストの教えを実践する人間が信用できるのです。最悪、霊を扱う「にせキリスト」が人々を最後には地獄に落とそうとするのです・・・


2022年2月8日火曜日

死後の世界は存在する! しかし、富裕層は天国に入れない!

東京駅前

イエス・キリストを信じるとは、死後の世界を信じることです。
ヨハネによる福音書 - 第14章
あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
4 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

死の恐怖は誰にでもある。
しかし、全ての宗教は、死後の世界を保証している。
特に、キリスト教は天国と地獄の存在を強調する。

死後の世界が保証されれば、人生の問題の半分は解決する。ただし、あの世には天国と地獄がある。ここで、善悪と死後の世界が結びつく。即ち、善人は天国に行き、悪人は地獄に行くのです。この善悪と死後の世界の関係を重んじるのが、イエス・キリストの教えの中心です。

さらに、善悪とは貧富の差で表されるというのが、イエス・キリストの教えの核心になるのです。ここで、多くの宗教の専門家がつまずく。或いは誤解し、曲解し、キリスト教自体を無意味なものとしている。

善良な人間、他人に優しい人間、慈愛に満ちた人間、親切な人間は、厳しい競争に勝って人を支配し、富を蓄えることができない。つまり、神を愛する人間は利己的に富を追求し、富裕層になることはできない。従って、彼らは貧しい生活を強いられ、不幸な生活を送る。ただし、そういう人間を神は愛され、死後は天国に受け容れる。

この世で貧しい人間は、善良な人間だと判断され、死後は天国で幸福に生きることができる。これが、イエス・キリストの愛なのです。

他方、邪悪な人間、他人に冷酷な人間、人を苦しめて喜ぶ人間、不親切な人間は、この世の競争に勝って人を支配し、富を蓄える。つまり、神を嫌う人間は利己的に富を追求し、富裕層になる。従って、彼らはこの世で豊かな、幸福な生活を送る。ただし、そういう人間を神は憎まれ、彼らは天国の光に耐えられず地獄に行く。

この世で豊かな人間は、邪悪な人間だと判断され、死後は地獄で生きることになる。これが、イエス・キリストの教えなのです。

日本などでは、国民の30%は、貧困層です。30%は、準富裕層・富裕層です。40%が、中間層になります。しかし、中間層の大部分も貧困層に落ちる恐怖を持って生きています。準富裕層・富裕層以外は、イエス・キリストの教えを学ぶべきなのです。特に、イエス・キリストは貧困層の人間には、死後の天国を約束しているのです。この世の富を捨てることで、死後の幸福が約束されるのです。この世の人生はたかが100年程ですが、人の死後、その魂は永遠に霊界で生きるのです。イエス・キリストの教えを信じるべき理由は、このことからも明らかです。

さらに、イエス・キリストの教えを信じれば、この世の貧しい生活でも、霊的、精神的に救われるのです。善良で貧しい生活を送っている人は、イエス・キリストの教えを信じれば、死を恐れることもなく、この世で神様の霊的、精神的な愛と光によって救われるのです。

しかし、人間を地獄に入れようとする悪魔は、富とカネで人間を誘惑し、神様よりもカネの力を信じさせ、カネが万能であると洗脳し、この世の物質的な幸福を求めさせ、神の愛の光から遠ざかるようにさせるのです。

つまり、この世の富裕層、エリート、上流階級、成功者は、この世で幸福な生活を送った後、死後は、神の愛の光を嫌って自ら地獄に行き、その隠れた邪悪な本質をむき出しにして地獄で生きるのです。その恐ろしい地獄の様子は、18世紀の霊能者のスウェーデンボルグが詳しく語っています。

イエス・キリストだけではなく、古代ギリシアの哲学者ソクラテスやプラトンも、善人は死後を恐れることはないと語っています。そして、貧乏人は死後を恐れることはないというのが、神様の子、イエス・キリストの教えなのです。

2022年2月5日土曜日

金持ちは神様に嫌われる!! 貧しい人間はイエス・キリストの教えを学ぶべき!!

東京湾沿岸
 

聖書では、イエス・キリストは多くの「たとえ話」を語っている。

その中でも、特に、カネ持ちを批判するものが重要です。他の宗教の聖典の中で、「金持ち」を直接批判するものは少ない。

ルカによる福音書 12 新共同訳
16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
神様は、無条件に金持ちを嫌っておられる。これが、イエス・キリストの教えです。

なぜなら、人がカネを得るためには、必ず悪魔に魂を売るからです。悪魔に魂を売り、この世の悪を受け入れなければ、人間は1円、1ドルも稼ぐことはできない。カネがなければ、この世で幸福にはなれない。自分の欲を満たし、やりたいことをすることもできない。そして、悪魔に逆らえば、悪魔の手先に攻撃され、社会から排除され、出世もできず、会社や役所に採用されず、ビジネスも成功せず、不幸になる。逆に、悪魔を神と崇めれば、社会で成功し、地位と名声を得て、富を獲得できるような仕組みに社会がなっている。つまり、この社会は悪魔の支配下にある。

「たった一度の人生だから、この程度の悪は受け入れてでも、カネを得て、成功し、幸福になって当然」と、考えるように、人々は悪魔に洗脳されているのです。

この世で幸福になるには、社会的に成功し、富を蓄えなければならない。そのために、弱者を無視し、人に不親切にし、正義や隣人愛にも目をつむり、真理を軽んじ、権力者や富裕層に追従し、愛と真理を求め、神の教えに従う者を攻撃、黙殺する。これが、悪魔の支配する世界です。このような人間は、死後、地獄に落ちる。しかし、悪魔は誰でも死後は霊界で幸福に暮らせると人々を洗脳する。または、死ねば無しかないと洗脳する。この世で幸福を求めるのは当然である、というのが悪魔の教えです。そのために、人は金持ちになろうとする。だから、神様は金持ち、富裕層を無条件で嫌われるのです。

神の言葉を信じ、愛と真理を追究し、善と正義を愛する人間は、カネ持ちにはなれないのです。神様は、そのような貧乏人を愛されるのです。

確かに、人は誰でも死ねば霊界で死後の人生を生きる。ただし、霊界の天国に入れるのは貧乏人なのです。金持ち、エリート、権力者、成功者、有名人、幸福な人間は天国に入ることはできず、邪悪な本性が発揮できる地獄に、自ら行くのです。

たとえ、宗教人、霊能力者であっても、社会で成功し、豊かな生活を送るには悪魔に魂を売ってカネを得なければならない。従って、牧師、僧侶、霊能者であっても、そのような人間は神様に嫌われ、天国には入れない。

イエス・キリスト以来の最大の霊能力者、18世紀のスウェーデンボルグは、詳細に霊界の地獄について語っている。地獄では、カネ持ちはこの世で隠されていた凶悪性をむきだしにして生きるが、彼らは悪魔に支配され、悪魔を恐れて生きている。しかし、神様はいつでも悪魔と地獄を亡ぼすことができるのです。

他方、天国に受け容れられた貧乏人は、天国で神様に愛され、幸福に生き、永遠の命を与えられるのです。

この世の金持ち、富裕層はあの世で地獄に入る。この世の貧乏人は、あの世で天国に入り、幸福な人生を送るのです・・・

これが、救世主イエス・キリストの教えなのです・・・

キリスト教とは、本来、「貧乏人に死後は天国に入って幸福に生きることができる」のを教える宗教なのです。死後、天国で幸福に生きるには、この世で悪魔の教えを拒否し、貧しい生活を来ることが必要なのです。キリスト教のローマ法王、牧師、神父などは、世界で一番貧しい人間でなければなないのです。この世で最も貧しい人間は、死後は、天国でどんな金持ちよりも高く評価されるのです。だから、貧しい人間はイエス・キリストの教えを学ぶべきなのです。


2022年2月2日水曜日

死後の世界は、天国か地獄です!

富士山

人の死に関する科学的な研究は、霊能者や心霊家ではなく、アメリカの医学者エリザベス・キュブラー・ロスやレイモンド・ムーディ、モーリス・ローリングズによって行われてきた。

死の直前の人間、臨死体験者を調査した結果は、「死後の世界はある」ということです。

ただし、臨死体験者や霊能力者は、死後の世界は天国だ、とだけ語ることが多かった。しかし、何千件という事例を調べるうちに、死後の世界には地獄もあることが明らかにされて来た。臨死体験者や霊能力者は、霊界で地獄を見ても、それを報告しないことが多いのです。あるいは、天国と地獄に別れる前に生き返って来ることも多い。

まさに、イエス・キリストが聖書で言っているように、人間は死後、天国に行く者と、地獄に行く者に別れるのです。霊界の素晴らしさは、全ての臨死体験者が語っているが、そこから多くの死者は地獄に行くことになる。

地獄に行くのは、神を憎む人間、悪魔を崇める人間、邪悪さを愛する人間、凶悪な人間、隣人への愛のない人間、貧乏人を愛さない富裕層、一般人を軽蔑するエリート、下層の人間を顧みない上流階級の人間、不幸な人間を無視する幸福な人間、利己主義的な成功者、奢り高ぶる才能のある人間・有名人、不親切な人間、カネや富と地位で腐敗・堕落した人間などです。

天国に行くのは、神を敬う人間、悪魔と戦う人間、善を愛する人間、慈愛のある人間、隣人を愛する人間、悪魔に魂を売らずに貧乏に生きる人間、非エリート、下層の人間、不幸な人間、悪魔に魂を売らないので成功しない人間、謙虚で真実を愛する人間・無名人、親切な人間、カネや富と地位を避け腐敗・堕落しない人間などです。

大部分の人間は前者に属し地獄に落ちる。イエス・キリストによれば、キリスト教以前には、75%くらいの人間が地獄に落ちていたと推測されます。キリスト教が成立しても、50%くらいは地獄に落ちていると考えられます。

だから、心霊主義、スピリチュアリズムも最後に地獄に近づくことになる。それでは、この世の人間は耐えられない。そこで、心霊主義、スピリチュアリズムは社会的に抑えられることになる。キリスト教も仏教も、そのような霊界・死後の世界はなるべく扱わないようになる。

つまり、この世は悪魔が支配しており、できるだけ多くの人間を地獄に落とそうとしている。この世のカネ、富、地位、幸福、成功、名声は、悪魔が人間を地獄に導くための道具なのです。そして、地獄に落ちた人間は、地獄で悪魔に支配されて、苦しむことになる。それでも、彼らは地獄を好むのです。

しかし、天国に入いることができた貧しい人間、愛のある人間、真理を愛する人間は、天国で幸福に、永遠に生きることができる。これが、イエス・キリストの教えです・・・