キリスト曰く、「野の花を見よ、飛ぶ鳥を見よ。あくせく働かないでも、神が装いを与え、養っていてくださる」。
生活保護問題は、人生とは何か、人間とは何か、社会とは何か、国家とは何か、そういう問題に関わる奥深い問題です。
そもそも、経済活動に関わらない人間をどう扱うか、これがビジネス/産業社会の大命題です。
人が労働の能力を失えば、ホームレスになり、行路死、野垂れ死にするのが当然、とは誰も思っていない。
競争に勝利した一握りのエリート、金持ち、成功者のみが豊かな老後をおくるべきであり、一般人は定年になり、給料が得られなくなれば、ホームレスとなり、行路死、野垂れ死にするのが当然、とは誰も思っていない。
もし、日銀総裁、経団連会長、医師会会長、弁護士会会長、東大総長、総理大臣、財務事務次官、宮内庁長官がそのような意見を述べれば、ただちに、社会的に糾弾され、批判の嵐にさらされるでしょう。
江戸時代は、あるいは、第二次大戦敗戦前は、家族的な助け合いが基本でした。老後は子供の世話になる。失業しても大家族、親類で面倒をみあう。公のお世話になるのは恥だ、そういう社会的思想があった。しかし、今は個人の時代です。自由の時代です。家族・親類・コミュニティには頼れない。
問題は、こういう弱者の市民が数千万人いることです。数千万人が社会の成功者でないという理由でホームレスになれば、何が生じるか?
革命です。暴力革命になる。中国や北朝鮮と組む者もでてくる。治安も悪化する。数百万人が毎日、窃盗、強盗、恐喝に走る。日本社会は崩壊する。
しかし、そういう悲劇を防ぐことだけが、年金制度、福祉制度、生活保護の目的ではない。
そこには、もっと奥深い考えがある。
社会全体、国家全体として、民族全体として、構成員の全員に高度の文化的生活をおくってもらう必要がある。
競争の敗者を奴隷にする、そういう思想は許されない。
ビジネスの敗者にも、人格とプライドを尊重して、手厚い支援を行う。さもなければ、勝者は奴隷商人なみに堕落する。文化レベルは退化する。野蛮な社会になり、誰もが人間失格となる。愛なき社会は腐敗と堕落と暴力に支配されることになる。誰もが互いの敵となる。人間の社会ではなくなる。全ての文化活動が衰退する。
全国民が「カネ、カネ、カネ」と叫ぶオレオレ犯や、コンビニ・ナイフ強盗のレベルになる。栄光の日本民族の歴史が終焉する。他民族が日本列島を侵略する・・・
とにかく、固定観念を捨て去り、仕事、カネ、地位、優越感、生活水準から解放されることです。
そのようなレベルで、増税問題も再考すべき。
(特に、鳩山元首相が増税に反対したことの意味は大きい。鳩山議員を説得できなかった野田首相は、増税にのめりこむべきではなかった。)
Shinkansen Railway in Tokyo