2024年5月8日水曜日

人類の歴史は、聖書の威力を教えている!

 

歴史を振り返るのは、人間の基本的な知的訓練になる。そして、歴史から学ぶのは神様が人類の歴史に介入されているという事実です。これが、学問や宗教の基盤でなければならない。また、社会の常識の基礎でなければならない。

この2千年の人類の歴史を理解することが、今の時代を生きる人々の世界観、人生観、人間観の基本となるべきです。しかし、物質文明のもたらす快適性や物質的幸福や快楽・快感に洗脳された人間は、まともな精神を失い、歴史から学ぶこともしなくなった。聖書に書かれているように、「人々は見ても分からず、聞いても理解できないようになっている、さもなければ、神は彼らを癒し、救うはずだが・・・」という状態になっている。つまり、歴史も理解できなくなった人類は神様に見放されるということです。

誰でも知っているように、今年は2024年です。その出発点は、イエス・キリストの生誕の年だとされている。実際には、紀元前6年くらいに生まれたという説もでているが、この年号は、キリスト教に基づいて文明を発展させてきた西欧の文化が人類の文明の主流になり、キリスト教の世界観が人類に受け容れられたことを示すものです。日本の年号やイスラム教の年号が世界の主流になったわけではない。中国では既に、清朝の崩壊と共に年号は廃止されている。ヨーロッパのキリスト教の総本山であるバチカンが、今も権威を持っているのは、世界がキリスト教由来の西暦を受け入れていることからも納得できる。西欧発の現代文明の頂点にキリスト教会の最大組織のバチカンが名目的にも存在していることは、日本文化の頂点に皇室が存在していることに対応する。

日本人の霊的な歴史と天皇家が深く関わっているように、世界の人類の霊的な歴史とキリスト教は深く関わっている。日本と日本人が世界を主導出来ないのは、このキリスト教理解が浅いからです。ただし、日本の皇室は欧米のキリスト教文化には最大限の敬意を払い、現天皇もキリスト教国の英国に留学している。しかし、日本人には皇室をキリスト教よりも意味があるとして、崇拝させている。それでも、現行の日本国憲法はアメリカのキリスト教的民主主義の上に成立している。戦後の、日本の平和と繁栄は、天皇神道のお陰ではなく、キリスト教精神のお陰なのです。

現代日本の隠れた最大因子は、過去2千年間に西欧がそうであったように、キリスト教なのです。しかし、そのような歴史教育は日本では行われていないし、神道や仏教の霊力を頼る風潮も廃れていない。日本の伝統的な宗教とキリスト教の関係も重視されていない。欧米自体がキリスト教の精神を離れ、物質主義に陥ったのに合わせて日本も物質主義に陥り、世界の歴史を理解するよりも、物質主義的繁栄を求めている。2千年のキリスト教文明の結論が物質的繁栄の追及だと誤解した日本人は、真摯にキリスト教を理解しようという姿勢は見せなくなった。これが、イエス・キリスト出現以来、2千年たった世界の現状です。

今の日本社会の人権重視、個性の尊重、表現・思想の自由、平和主義なども、欧米のキリスト教文化の産物であり、その根本は聖書に描かれたイエス・キリストの生き方や教えに根差しているのです。歴史的に日本には、キリスト教大国アメリカを通して、現行憲法を通して影響を及ぼしているのです。この点を理解するのが、歴史を学ぶということです。

ただし、日本の霊性も霊界に通じている。神道や仏教の霊性も霊界に通じている。だから、明治以降も日本の霊性に通じた霊能者や超能力者が日本にも現れている。また、そのような霊力を売り物にする新宗教も出現している。確かに、キリスト教でなくても霊界に通じるが、この世界の2千年の歴史が証明するように、最大の霊力を持っているのはキリスト教なのです。

だから、救いを求める日本人も、神道や仏教の霊力に頼るよりも、キリスト教の霊力に頼るべきなのです。ところが、欧米のキリスト教は悪魔の物質主義に洗脳され、その効果を失っている。むしろ、日本の伝統的な清貧主義がイエス・キリストの教えに近い。精神的、宗教的、霊的なものは全て霊界に通じるからであり、日本の霊性を通してでも、霊界を支配するキリスト教の神様に通じる。これは、心霊主義の考えが間違っていないことを示している。ただし、霊界には悪魔もいて、キリスト教の伝統の裏付けのない心霊主義は悪魔に惑わされやすい。

従って、日本人も聖書を読んでキリスト教を研究する必要があるが、日本の伝統の清貧主義も捨てるべきではない。清貧主義を支える神道や仏教の威力も軽んじるべきではない。それでも、この世の物質界を超えた霊界を支配しているのは、キリスト教の神様だということを歴史を通して理解するのが、真の学問であり、宗教であり、修行であり、人間の義務だということになる・・・

生活に困っている人も、いじめられて苦しんでいる人も、難病で苦しむ人も、悩みのある人は、難解な仏典や祈祷書ではなく、世界の歴史を主導した平易な表現の聖書を読むべきなのです・・・