2024年11月25日月曜日

新経済理論へ!

 

現在の経済の主役は消費者(需要)と企業(供給)と政府(統治)です。このシステムの出発点と到達点は需要サイドにあります。

消費者の需要(ニーズ)があって、企業の供給(サプライ)活動が成立し、その関係を維持・調節する政府の活動(統治)が必要になる。この関係がおかしくなると、1990年頃からの30年にわたる日本の経済不振が生じる。

この30年間に、日本人(消費者)は怠け者になったわけでもなく、ニーズがなくなったわけでもない。要するに「働けど働けど、生活は楽にならない」という状況だった。2000年頃には、経済状況に苦しんだ国民が毎年約3万人も自殺するほどだった。しかし、破産・倒産する大企業はほんとんどなかった。政府も破産・破滅することもなかった。日本の30年間の経済不振の原因は、政府の間違った政策・活動と企業の利己的な方針・活動にあったことは明白です。

しかし、この関係の中心は消費者です。そして、消費者は消費費用が必要です。消費費用は消費者の固有の資産と政府からの消費費用(まだこの観念は消費者にはない)の受給と企業からの給与などの所得が基本です。そして、消費者は物品・サービスを購入する。この消費の潜在力が経済の原点です。特に、消費者は企業で働いて給与を得るのが一般的です。そして、企業に投資も行い、政府に税金も払う。

企業は、製品・サービスを消費者や政府に供給し、その対価を得る。また、消費者から投資を受けたり、政府から補助金も得る。そして、従業員としての消費者に給与を払い、原材料を購入し、開発投資を行い、投資家に利益を還元し、政府には税金を払う。また、内部留保金として企業の資産も増やし、金融所得を得る。

政府は、消費者や企業から税金を受け、消費者には消費費用(まだこの考えは政府にもない)を給付し、企業には補助金を出し、その他の資金運用で利益を受ける。

この三者(消費者、企業、政府)の収入と支出が均衡を保っていれば問題はない。特に、経済の主役である消費者の消費が滞れば、経済のサイクル全体が止まる。そして、日本の30年間の経済不振が生じる。そして、消費力の源泉は、消費者の固有の資産と、政府からの消費費用給付金(生活保護費用も含む)、企業からの給与とその他、投資などの経済活動からの収入となる。つまり、政府と企業の発想の転換が求められる。

90年頃のバブルで地価と株価が暴騰し、経済犯罪も多発し、社会が不安定化したとき、日銀(政府の一部)は総量規制を行い、地価と株価を今度は暴落させた。その結果、消費者の固有の資産も暴落した。また、企業は経済活動を収縮させたので給与水準も停滞し、政府の財政も圧迫され、十分な消費手当を消費者に支給する考えも顧みられなかった。この後、生活保護受給者が増大し、大手金融機関の破綻が続き、自殺者も増大し、詐欺犯罪が横行する。ただし、大企業幹部と資産家はバブルの崩壊、デフレ化の中で富裕生活を持続し、資産も増やした。

一方、企業はコスト削減を旗印に、内部留保を確保・増大させ、大企業の破綻もなく、経営陣は富裕な生活を満喫し続け、これにつながる消費者の一部は富裕化した。企業は人件費削減のため、当時、人件費が日本の10分の1だった中国に大挙して進出した。また、この低賃金化の中で企業の売り上げを確保するために、製品・サービスの低価格化を推進し、デフレが常態になった。消費者の消費力が低下する中で、企業は経営陣の富裕化と内部留保拡大を維持し続けた。また、資産家もデフレを利用して資産を拡充させた。

政府は、税収を維持するために、消費税の拡大を続け、政府機能の維持のために、国債を発行し続けた。政府官僚は富裕層と軌を共にし、デフレの利益を享受した。90年代末には日本の財政は10年で破綻し、円は暴落すると言われたが、実際にはアメリカで2007年頃からウォールストリートで金融破綻が生じ、リーマンショックが生じた。日本経済は2020年代になっても破綻していない。国債は国内で消化され、マネーの循環システムに組み込まれており、1980年代から2000年代の末までGDPが世界第二位であったことから社会の内部留保が確立していたからです。しかし、広い意味で経済不振は今も続いている。コロナや東京オリンピックの空振りの影響もあるが、企業と政府の間違った動きが続いているからです。

要は、1940年代から50年代の戦後復興、60年代の高度成長、70年代から80年代にかけての社会の富裕化が実現したが、80年代末にはバブル期となった。社会の高度産業化と消費社会の実現は完成したが、日本国土の自然破壊と物欲増大による日本社会のモラルの低下と金融犯罪が多発した。90年代は日本の経済暴走への危機感が強まり、バブル崩壊によって企業の中国等への進出・製造拠点の移転が加速し、自然破壊・社会荒廃の海外移転が行われた。一方、日本国内はデフレ化、賃金停滞が進んだ。国土の自然は荒廃から守られたが、しわ寄せは消費者に集中した。物質経済の暴走を抑えるために、精神的、霊的に経済活動の抑制が行われたとも考えられるが、デフレ化の経済不振で多くの消費者が苦しみ、自殺者も増えた。日本は物質的繁栄から霊的救済を求める時期に来ていると考えられる。

もはや、世界の歴史は物質文明の崩壊が近づいていると考えられるが、来るべき第三次世界大戦や自然大災害を現状で迎えるのは、より悲劇的だと考えられる。せめて、消費者は安定した生活で今世紀の物質文明の崩壊を迎えるべきだと考えられる。つまり、十分な消費費用を与えられるべきです。

消費費用のうち、企業の給与が不十分であれば、政府が給付金の形で消費費用を補填すべきです。消費者力が十分であれば、供給側の企業活動は活性化し、政府の税収も増加する。さらに、企業は新たな製品・サービスの開発を強化する。将来的に経済は活性化する。これが新経済理論になる。

ただし、物欲の増大は、モラルの低下と、社会の腐敗をもたらす。霊的な精神文化の育成を社会は努めなければならない。つまり、消費の維持と清貧生活の推進を、政府は目的とすべきなのです。物欲は際限がないし、どれほど富を得ても人間は満足しない。イエス・キリストは「富裕層は天国に入れない」と教えている。社会は豊かになっても、個人は清貧生活を追求しなければならない。企業も物質的成功ではなく、霊的な成功を求めるべきであり、内部留保の増大を目的とするべきではない。

消費者の消費力が社会の経済のけん引力であるから、消費者には十分な消費費用を政府や企業は与える必要があるが、あくまで個人は清貧生活を理想とする思想に沿って生きるべきです。そうすれば、社会はどんなに富裕になっても、腐敗・堕落することはなくなる。そして、今世紀の悲劇(第三次世界大戦や自然大災害)に適切に対応できる。