2021年12月29日水曜日

日本人の霊性とコロナ大感染の意味

東京湾周辺

日本では、21世紀になって「死後の存在」を信じている人が増えている。

「2013年の調査では回答者の40%が「あの世」を信じると答え、信じてはいない(33%)を上回ったという。1958年の調査では「信じる」が20%、「信じてはいない」が33%だったそうで、あの世の存在を信じる人が増えているという結果となった。また、世代間によっても違いがあり、20代で信じると答えたの45%。いっぽう70歳以上で信じると答えたのは31%だったそうだ。

なお、仏教においては霊魂の存在を明確に認めているのは高野山真言宗と日蓮宗だけだという。https://idle.srad.jp/story/17/08/09/0644232/」

本来、日本文化は霊の存在を認める文化だった。霊の存在を認めれば、死後の世界も存在することを認めることになる。なぜなら、肉体は死んでも、霊は死なないからです。

縄文時代の死者の埋葬跡(屈葬)も、死者の魂に対する配慮がうかがわれる。(「屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体が多いことから、死者の霊が浮遊しないように、というのが最有力な説とされています。https://www.osohshiki.jp/column/article/208/」)。

弥生時代の銅鏡も単なる鏡ではなく、魂を映すものとして尊重されたと思われる。

文学作品では、万葉集も魂に関係する歌が多い(古代の嘆きは魂を送り出す呪的行為であり、その魂が対象に作用すると考えられたためである。呪的行為であることは、同じく魂に関係する、紐や袖振りについての俗信とからめ考察することで確認できる・・・https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/49/9/49_KJ00009766783/_article/-char/ja/)。「源氏物語」も、霊の働きが重要な役割を果たしている(生霊が怨霊となって女性を呪い殺すなど)。

仏教も、平安時代末期から鎌倉時代にかけて発展した浄土思想は、死後の魂の行き先として極楽を想定し、民衆の心をつかんだ(源信の往生要集は「浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書」、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86)。

「能」という舞台芸術も死者の魂を主題にした作品ばかりです。民衆が魂の存在を認めていなければ、能が室町時代から今日まで廃れることなく受け継がれることはない。

戦国時代には、天国という観念をもたらしたキリシタンが、秀吉や徳川幕府によって弾圧されるまで日本中で普及していた。一部は「隠れ切支丹」として、明治維新まで信仰を守った。権力と結びついた仏教では得られない西洋宣教師の教えが、民衆の心をとらえたのだろう。

徳川家康は神仏習合の東照大権現として、その霊が日光東照宮に祀られたが、江戸時代には仏教の形骸化が始まった。しかし、「つきもの」という霊的な現象、幽霊物語などには民衆の霊的な関心が現れており、「狐憑き」にまつわる伝承も多く語られるようになった。平田篤胤による、霊の生まれ変わりの研究などもよく知られている。占い師や(除霊のための)拝み屋という職業も現れてきた。こういう日本の霊的な傾向は、明治に来日したラフカディオ・ハーンがその作品の中で取り上げるようになる。

そして、明治時代には天皇神道が復活し、天皇が神話の天照大御神の子孫とされ、全国民が強制的に国家神道に服従させられた。なお、天皇の男系相続の思想は、こういう霊的な意味もある。キリスト教をバックボーンとした強力な欧米に対抗する意味でも、明治政府は天皇神道の国教化を推進した。

戦後は、アメリカのキリスト教的な民主主義思想に基づいた憲法が導入されたが、キリスト教自体は日本の主流とはならなかった。ただし、戦前の国家神道から解放された社会では、さまざまな宗教が乱立する状況となった。ヒンズー教・チベット仏教やユダヤ・キリスト教を混合したようなオウム真理教がテロを起こしたが、その後もスピリチュアルな関心はポピュラー文化として定着し、テレビの娯楽番組でも関心を集め、臨死体験なども注目されるようになった。ただし、人々の霊的関心を悪用する新興宗教への警戒感も強まっている。

そして、21世紀になって、イスラム原理主義者のテロが世界で勃発し、狂信的宗教に対する警戒感は高まる。一方、物質的な経済の行き詰まりが見られる日本では、俗世間の泥にまみれた中高年ではなく、精神的な救いを求める若者の間に死後の世界、スピリチュアリズムへの関心は根強く存続する。娯楽番組で人気者となる霊能力者も現れたが、社会全体としては行き過ぎた怪しげなオカルト(非科学的な超自然現象・神秘的現象への関心)は、社会に危険であるとの抑制姿勢も強まる。心霊主義と「カネ儲け宗教」の結びつきには、犯罪性がついて回る。邪悪な洗脳の危険が心配される。伝統的な日本人の霊性を悪用した、現代的な組織犯罪すら考えられる(今の中国も一種の洗脳社会だが、中国人の霊性も本当は共産党独裁と相容れないので、いずれ、中国の共産党政権は崩壊すると思われる)。

そして、その中で、コロナの大感染が生じたのです。日本人の、このような霊性がこの世界的なパンデミックからどのような影響を受けるのかも注目すべきです。

2021年末で、世界で500万人以上がコロナ・ウイルスが原因で死亡したが、まだ、その精神的な影響は世界でも明らかになっていない。しかし、現代物質文明、拝金的な経済活動に不安を感じる人が出てきてもおかしくない。世界文明の中心とも言えるアメリカだけで、コロナで80万人以上が死亡したのだから、コロナ・パンデミックは終息しても、その影響は何年も続くと考えられる。特に、人間の死生観には何らかの影響が出ると思われる。キリスト教の「最後の審判とこの世の終わり」という教えが注目されるべきなのです(なお、世の終わりには「にせキリスト」が現れるという教えもある)。

ただし、この世界的な悲劇は、日本独自の死生観では対処できない。単に、あの世の存在、霊魂の不滅、極楽思想だけでは、「世界的な歴史の中のコロナの悲劇」の意味を正しく理解し、対処できるとは思えない。個人的にコロナで死んでも極楽に行けると信じても、そもそも「なぜ、世界中の人が今、コロナで死ななければならないのか」と言う問いに対する答えは出ない。

答えは、「万物の創造主である神」、「人類の主、イエス・キリスト」を認めなければ得られない。「霊的な神と悪魔の戦い」や、人間の死後に天国を約束するイエス・キリストの教えなどを学ばなければ、21世紀の物質文明の最盛期に世界を破壊しかねないコロナ大感染が生じた意味を正しく理解できないのです。

真摯なキリスト教徒なら、「世の終わり」を思わせるコロナの悲劇に、神様の意図を見ようとするものです。日本人も「死後の世界」や「霊魂の存在」を信じるなら、その上に立つ神様やイエス・キリストが、物質的に腐敗・堕落した人類社会に警告を与えるために、コロナの大感染を黙認したと考えるべきなのです。


2021年12月27日月曜日

コロナは、富を求める人間への神の怒り!

富士山

人間には2種類ある。金持ちと貧乏人です。

そして、「金持ちは死後、天国に入れない」というのがイエス・キリストの教えです。

この単純な教えが、2千年にわたって発展し、現代の世界文明をもたらしたキリスト教の基盤となったのです(仏教や儒教・神道が世界文明の基礎となったのではない)。特に、近代の世界を支配した欧米各国の事実上の国教はキリスト教でした。

日本は明治維新となるまで、キリスト教は江戸幕府によって禁止されていました。明治維新で欧米の科学・技術は取り入れても、その基本のキリスト教は全面的には受け入れませんでした。しかし、第二次大戦での敗戦後、日本を支配したアメリカは、キリスト教的民主主義に基づく新憲法を導入しました。これが、現憲法です。

明治の大日本帝国憲法は、天皇神道に基づく天皇絶対制を導入するものであり、それが、非人道的で愚かな軍国主義につながったのです。昭和の敗戦後に導入された現憲法は、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を全面的に導入するものであり、その上に戦後の日本の復活と、経済の発展が保証されたのです。しかし、日本人でキリスト教徒を自称する者は、国民の1%にも満たない。(世界の人口の32%はキリスト教徒)。

日本でキリスト教は、明治以来、主に欧米から導入された。欧米は先進国であり、日本より豊かな地域だった。従って、「キリスト教は金持ちの宗教」だとの印象が強かった。ただし、外国人宣教師でも、日本で貧民救済の活動に携わる者はいたし、今でも、教会は貧民救済の活動に関わることは多い。それでも、文化程度の高い欧米発のキリスト教は、一般日本人には敷居が高かったのです。また、日本人の聖職者も、欧米のキリスト教組織とつながることで、一般人より進んだ人間としてプライドの高い者が多く、一般の人間との間に見えない溝があったのです。牧師や修道女は、先進国の欧米の宗教に関係する者として、密かなプライドを持つ者も多かったのです。しかし、本来、キリスト教は「貧乏人の宗教」だったのです。

なぜ、「貧乏人の宗教」のキリスト教が、「金持ちの宗教」になったのかは世界の歴史を見ればわかります。キリスト教に基づく欧米社会で産業革命・科学革命が遂行され、欧米は物質的に豊かになり、現代の世界の物質文明を支配することになった。欧米文明がなければ、電気もガスも水道も、鉄道も自動車も飛行機も生まれなかったのです。キリスト教は、現代の物質文明の基本となったのですが、問題はその文明がもたらした富が欧米のキリスト教徒を堕落・腐敗させたことです。特に、世界最大の富を持つにいたったアメリカのキリスト教社会が戦後は、堕落・腐敗し、一種の混乱に陥ったことが大きい。ヨーロッパでも、カトリックの影響が年々低下し、人々の教会離れが進んでいる(それでも、ヨーロッパ人の75%はキリスト教徒)。欧米人も、「神」よりも「カネ」を選び始めたと言える。アメリカでは「無神論者」の割合は25%になり、アメリカのカトリック教徒を上回っている。(アメリカでキリスト教徒を自認する者は65%)。

日本のキリスト教の本家の欧米で、キリスト教の停滞・混乱が見られるくらいだから、日本でもキリスト教の影響は停滞する。ただし、日本人で、イエス・キリストの名前を知らない者はいない。それでも、「キリスト教とは、本来、貧乏人の宗教」であることを理解している者は少ない。欧米でも、その意識は低下している。

従って、日本人も聖書を読んで、自らイエス・キリストの教えは何であったのかを知る必要があるのです。そして、結論を言えば、「イエス・キリストは貧乏人を救うために、この世に来た」ということなのです。

つまり、キリスト教の教えとは、「金持ちは死後、天国に入れない」ということなのです。しかし、今の欧米人はこの教えを素直に受け入れることはできなくなっている。日本人も、キリスト教に近づく者の大部分は「キリスト教は金持ちの欧米人の宗教だから、ご利益がある」と考えている。これは、全く正反対の意味を示している。

2000年前、ローマ帝国に支配されていたパレスチナの貧しいユダヤ人を救うために、イエス・キリストが宣教を開始したのが、キリスト教の出発点なのです。富もなく、教育もなく貧しいユダヤ人に理解できたのは、複雑な神学ではなく、「金持ちは死後、天国に入れない」という教えです。そして、この教えが現在まで2000年間伝えるのが聖書なのです。教会も、牧師がいくら金持ちになりたくても、この教えに反することはできません。だから、教会は貧し人や、ホームレスが助けを求めてくれば無視することはできないのです。

欧米でも日本でも、「金持ちは死後、天国に入れない」というイエス・キリストの教えから遠ざかってしまいました。つまり、「人間は、この世で貧乏になって、死後は天国に入るべき」というイエス・キリストの教えを無視する人間ばかりになっているのです。欧米でも日本でも、カネに洗脳された人間ばかりになっています。カネは悪魔の小道具です。カネを使って人間を洗脳するのは、悪魔とその手下の悪霊です。この腐敗・堕落した社会に神様が怒って、コロナの大感染を起こした、というのが神学的解釈になるのです。

つまり、人々がカネを嫌い、富を憎むようにならなければ、コロナの大感染は終息しない。または、今回はコロナが収束しても、またいつ新たなウイルス大感染が生じるかも知れない。

欧米・日本が神を忘れて豊かになり、中国も富に洗脳された世界では、いつ、コロナのような世界的な感染爆発が起きても不思議はないのです・・・

神を忘れた世界では、いつ、コロナのような世界的な感染爆発が起きても不思議はないのです・・・

2021年12月25日土曜日

聖書の内容・目的とは?

富士山
聖書の内容・目的とは?

1.イエス・キリストは「神の子」であることを伝える。
2.神は金持ちを嫌い、「貧乏人」を愛することを伝える。
3.人間の「魂」は死後、霊界に入るのを伝える。
4.ただし、金持ちは地獄に、貧乏人は「天国」に行くことを伝える。
5.「悪魔」とその手先の悪霊は、神に従うものを攻撃することを伝える。

そして、悪魔はカネによって人間を堕落・腐敗させ、天国に入るのを妨げる。従って、神を信じる信仰者は、貧乏人を助け、自分も貧しくなることを聖書は勧めています。富裕層に生まれても、貧乏人にカネを与えて自分も貧しくなれば、死後は天国に入れるのです。

学者や聖職者にしか理解できない複雑で難解な神学は、学ばなくても、貧乏人への愛を実践していれば、天国に入れるのです。この世の学問、知識、神学、宗教は、霊界では役に立ちません。霊界では、高学歴者、エリート、富裕層の人間やこの世の成功者、この世で幸福になった人間は、低い地位におかれます。彼らは、神の愛と真理を理解できず、神の光を嫌って自ら地獄へと落ちて行きます。そして、地獄では、もはや人間界の法律、道徳、世間体などの制約を受けずに、隠されていた本性が露になります。高学歴者、エリート、富裕層の人間やこの世の成功者、この世で幸福になった人間は、ほとんどが、その悪質で凶悪、腐敗した本性が明らかになります。しかし、善人、信仰者、親切な人間、愛のある人間、貧乏人は、神の愛と真理と光を好み、霊界で高い地位を得て、ますます神様に近づきます。これを教えているのが聖書なのです。

要するに、死後、天国に入るには、この世で貧乏である必要があります。この世で貧乏になるとは、自分よりも貧しい人を助ける必要があります。そして、この世で一番貧乏人になった人間が、優先して天国に入ることができるのです。本来、ローマ法王は、世界で一番貧乏な人間であるべきなのです。牧師は教会の中でで一番貧乏な人間であるべきなのです。

しかし、今の仏教の高僧は豊かな生活を送り、他の新興宗教の教祖もカネを好んでいます。ヨダヤ人にも富裕層は多いし、イスラム教徒もカネを求めています。つまり、世界中の宗教が腐敗・堕落しているのです。従って、神様が怒ってコロナの大感染を起こしても不思議でない。

逆に、コロナの大感染から救われるには、貧しい生活をして、聖書を読むことです。コロナは悪魔が人間を亡ぼそうとして起こしたものではなく、神様が腐敗・堕落した人間社会を罰するために起こしたと考えるべきなのです。悪魔は、人間社会がますます発展して、人間がさらに富を求めてもっと堕落するのを望んでいるのです。人類を絶滅させるのは、人類の腐敗と堕落に怒る神様なのです。

神様の怒りをやわらげるには、皆が聖書を読んで貧しい生活を送ることなのです・・・・



2021年12月22日水曜日

コロナ危機から脱するには、清貧に生きること!


18世紀の霊能者、スウェーデンボルグによれば、霊界で18世紀に「最後の審判」が行われたという。

スウェーデンボルグは、生きながら霊界を見ることを許された18世紀のエリート学者であり、30年にわたってこの世に生きながら霊界に出入りし、数十冊の書物を著わした人間です。今でも、スウェーデンボルグの研究者は多い。最近のスピリチュアル関係者にも大きな影響を与えている。スウェーデンボルグが、今の霊能者と異なるのは、彼が真摯なキリスト信者であったことです。彼は、神に許されて、霊界を見聞することができたと信じていた。しかし、霊界には悪魔の手先もいる。そして、そのような悪霊がスウェーデンボルグを攻撃し、彼は霊界にいる悪霊の凶悪さを実感したのです。彼の書物には、悪霊に対する警告が多く書かれている。悪魔の手先となった凶悪な悪霊は、常に人間を破壊しようとする。特に、神様に従う善人や善霊には激しい敵意を示すのです。

しかし、この世の今の霊能者の中には、霊界の凶悪な霊から攻撃を受けていると述べる者はほとんどいない。今の霊能者の大部分は、善悪を論ぜず、ただ人間は死後、霊界でハッピーに生きることができると言っている。しかし、スウェーデンボルグは、善人の霊は霊界から天国に入るが、悪人の霊は霊界から地獄に行くと述べています。霊界では、善霊と悪霊が混在しているが、やがて、天国と地獄に別れていく。

こういうスウェーデンボルグの説明は、聖書の教えと合致ている。イエス・キリストは、地獄に落ちた金持ちは、天国に入った貧乏人に助けを求めるが、地獄と天国の間には越え難い溝があると述べている。

今の霊能者は、この世で金持ちになって幸福な人生を送り、死後も霊界で幸福に生きれると述べているが、それは、イエス・キリストの教えに反するのです。この世では、悪魔に魂を売らなければ金持ちにはなれないし、悪魔に魂を売った人間は霊界から地獄に行く。イエス・キリストは「金持ちは天国に入れない」と述べています。

霊界では、この世では隠されていた人間の本性は明らかにされ、本質が邪悪な金持ちは霊界ではこの世の外見も振り捨てて、凶悪な行動に走るとスウェーデンボルグは述べている。また、この世で聖職者・学者であった者も、神の愛と真実に対する彼らの無理解が明らかにされ、霊界では低い位置に置かれる。

霊界では、そのような悪霊が増えすぎたので、最後の審判が行われ、善霊と悪霊が分けられたということです。その影響が、この世の人間界に及ぶのは、2~300年後だということです。18世紀から2~300年後というのは、まさに21世紀です。この意味で、21世紀の今日、いつ霊界での「最後の審判」の影響が現れてもおかしくないのです。コロナの大感染も、この観点から考えるべきなのです。

この世はカネを求める人間ばかりだということは、悪魔に魂を売った人間ばかりだということです。カネは腐敗と堕落、悪の容認をもたらします。これに怒った神様が、人間を罰することを決めた、というのが神学的解釈です。スウェーデンボルグの時代に、まず霊界の浄化が行われ、やがて、この世の人間界でも浄化が行われる。

21世紀になってから、同時多発テロ、リーマンショックなどの金融危機、福島第一原発事故と世界を震撼させる事件が続いています。そして、コロナ・ウイルスの世界的感染爆発というパンデミックが生じたのです。コロナが終息しても、また、いつ新たな大感染が生じるかも分からない。100年間、パンデミックの時代が続けば、人類の文明は崩壊の危機に瀕します。そして、その可能性はあるのです。22世紀には、文明は崩壊している可能性もあるのです。神様が人間を生かそうと思わなければ、そのような悲劇を抑止しようとする天使も働かなくなる。悪魔は人間を苦しめ、滅ぼそうとし、神様が人間を守らなければ、人類は亡ぼざるを得ないのです。

この危機を回避するには、聖書を読んで神の教えやイエス・キリストの教えを学び、富を避けて、清貧に生きるべきなのです。それによって、善人が増えれば、彼らが死後、霊界から天国に入り、霊界の状況も改善します。地獄の勢力が弱まれば、神様は人間の存続と発展を許するはずです。

コロナ危機から脱するには、地獄に落ちる人間を減らして、神様の怒りを減らすことです。そのためには、カネによる洗脳から解放されることです。つまり、人間が清貧の生活を志すことです。

霊界の状況と、人間界の状況は密接に関連している、と考えるのがスウェーデンボルグの研究から得られる結論です。


2021年12月21日火曜日

イエス・キリストの教え、「貧乏人は幸福だ」、その意味とは?

空の十字架

誰かが、「貧乏人は幸福だ」と言えば、「アタマのおかしな人間だ」と言われるのが、今の世の中です。

しかし、イエス・キリストは「貧乏人は幸福だ」と言っておられる。
ルカによる福音書第 6 章
20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
21 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

マタイによる福音書第 5 章
3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
そして、金持ちは天国に入れないとも、イエス・キリストは言っておられる。

マタイによる福音書第 19 章
23 それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
24 また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。


他の宗教で、このように貧乏人を賛美し、富裕層を呪った言葉が、その経典に書かれているものはない。しかし、キリスト教の牧師、聖職者、ローマ法王、信者は皆、一般人と同じように富裕層になるのを目指している。これを、イエス・キリスト様が不快に思わないはずがない。世界のキリスト教関係者が全て、ホームレスのような貧乏人になることが、イエス・キリストの教えを実践したことになる。


では、なぜイエス・キリストは「貧」を推奨し、「富」を拒絶したのか。答えは、本当は誰でも分かっているはずです。


「富」は、隣人愛の否定、冷酷な競争・選別・階層化・支配構造・利己主義・弱者の搾取・他者への不親切・小さき者への威嚇を意味するのです。要するに、「富」は「愛なき社会」に通じるのです。「富」は、「悪の容認」につながるのです。実際、日本でも富が平等に分配されれば、社会問題のほとんどが解決されます。


強者、狡猾な者、冷酷な者、利口者が「富」を支配し、弱者、正直な者、親切心のある人間、アタマの働きの鈍い者が「貧者」にされる。難しい試験で利口者を選び、官僚として政府を運営させ、その上にもっと狡猾な人間が支配層として社会の頂点に立つ、これが、どこの国でも見られる「悪による支配」の構造です。サヨク政権でも、エリートを選抜し管理的な地位に置き、その上に、もっと狡猾な人間が支配層として社会の頂点に立つのは同じです。「富」を求める限り、右翼政権でもサヨク政権でも、その支配構造は変わらないのです。


しかし、そのような「富による支配」の頂点には、「悪魔」がいるというのが本来のキリスト教です。富裕な、強力な大教団も同じです。そのような教団の頂点には「悪魔」がいるのです。


「悪魔」に魂を売らなければ、1ドルも1円も入手できない、というのが社会の構造です。従って、「富裕層」とは悪魔に従う者であり、天国には入れないのです。


神様の教えに従い、貧乏人を「愛する人間」は、自分のカネを貧乏人に与えて、自分も貧乏人になる。それが「善」なのです。従って、「愛」=>「貧」=>「善」となるのです。そして、神様、イエス・キリストは、「貧」を喜ばれることになるのです。


逆に、本当の信仰心のある宗教家とは、貧しい人間なのです。イエス・キリストも仏陀も、人間としては、ホームレスの生活をされていたのです。全ての人間が互いに貧しさを競って、天国に入ることを目指す、というのが正しい姿なのです。


なぜなら、この世の果てには霊界があり、人は死後は霊界に入り、貧乏人は天国に、富裕層は地獄に行くからです。これを信じるのが、信仰なのです・・・

2021年12月19日日曜日

この世は、善と悪の戦いの場!

東京駅

 この世は、善と悪の戦いの場です。これが、聖書の教えです。

「たった一度の人生だから、善悪など気にせず、他人のことなど無視してカネをため、幸福に生きることだ」というのは悪魔の教えです。

「この世の死後はあの世があり、貧しく正義を愛する人間は天国で幸福になる」というのがイエス・キリストの教えです。

霊界の存在を信じる人間にも、「この世では金持ちになって幸福な人生を送り、死後も霊界で幸福に生きろ」というのも悪魔の教えです。

「神を信じる人間は、この世では不幸な他人を無視して幸福な生活を送ることはできず、この世で不幸な人を助け、自分も不幸になっても、死後は天国で幸福になれる」というのがイエス・キリストの教えです。

霊界には、神様に従う善霊と、悪魔に従う悪霊が共に存在している。人間の魂は、死後、霊界に移行し、その本性に応じて天界と地獄に別れてゆく。邪悪な人間の霊は、生きている間には隠されていた凶悪な本性が、霊界では露になり、制約なく悪事を働くことができる地獄に、自ら進んでいく。神の教える愛と真理を愛する善良な人間の霊は、霊界から天界に進んで、神様に近づこうとする。

天界と地獄に別れる前の霊界では、善霊と悪霊が共に存在する。そして、悪霊は霊界から人間界に干渉し、善良な人間を攻撃し、苦しめ、悪魔の教えを広める。世の中の人間の4分の3、75%は悪魔の影響を受けている。悪魔の最終目標は、人間を破壊することだから、当然、この世で善良な人間を攻撃し、苦しめる。悪魔の教えに従った人間も、死後は地獄で悪魔の手先になるが、最終的には、神様に滅ぼされる。この過程の中で、この世では悪魔が手下を使って善良な人間を攻撃し、破滅させようとする。聖書は、そのようにして悪魔から攻撃を受けたイエス・キリストの様子が描かれている。

悪魔とその手先の悪霊は、霊界から人間の心の基盤となる霊に影響を及ぼす。例えば、霊能力者の心の中の霊魂に、悪魔は働きかけ、悪魔の教えを吹き込み、手先として使うこともある。そうすると、霊能力者は「誰でも死後は霊界で幸福に生きれる。この世でも幸福な人生を送り、あの世でも幸福に生きれる」と述べて、むしろ、人を現生の幸福追求に駆り立てる。幸福になるには、カネが必要だから、霊能力者の言葉を信じた人間は、貧乏な他人を無視して自分の幸福だけを追求して金儲けに走る。やがて、そういう人間は幸福のためなら、どんな悪でも受け入れるようになる。これが、悪魔の支配するこの世の真相です。「カネで何でも解決できる」というのが悪魔の教えです。

しかし、イエス・キリストは「カネは悪魔の小道具だ、カネではなく愛と真理で問題を解決すべき」と教えている。カネではなく、神の教えに頼ることで、人間はこの世で神の国に入ることができる、とイエス・キリストは教えている。そして、「金持ちは、死後、天国に入ることはできない」と霊界での運命を述べています。

この世で苦しい人生を送る人間は、悪魔やその手先の悪霊に苦しめられていることが多い。苦しみから脱するために、仏教のような悟りを得ることは、普通の人間には無理です。しかし、聖書なら誰でも読める。神様に救いを求めて祈ることは誰にでもできる。悪を憎み、善と正義を愛する人間が祈れば、神様は本当の守護霊を送ってくれる。これを信じることが信仰なのです・・・

コロナに対しても、神に祈れば、感染は避けられるし、感染しても軽症で済み、重症になっても死亡することはないし、死亡しても天国に行ける。これを信じることが信仰なのです・・・


2021年12月17日金曜日

自殺、引きこもりを救うのは、イエス・キリストと聖書、そして、教会!



引きこもりの人間でも、スマホは使う、テレビは見る、インターネットにはアクセスしている。何かに救いを求めている。

しかし、悪の世の中は、その犠牲者に救いの手を差し伸べない。

「かつて内閣府は、ひきこもりは青少年問題だと捉えていたため、40代以上の調査は初めて行われたのだが、15~39歳の合計54万人を上回り、ひきこもりの高年齢化を示すものとなった。また、潜在的な人数を合わせると100万~200万人は存在すると主張する専門家も少なくない。さらに中年以降にひきこもりを開始した人が57.4%と大半であり、ひきこもるようになった理由の55.3%が「退職」や「職場での人間関係」など就労に関するもの・・・」(https://nikkan-spa.jp/1732796

引きこもれる世界のある人間は安全です。たとえ、Aさんのように財務省の職員になっても、場合によっては自殺に追い込まれる。Bさんのように、トヨタなどの一流企業に勤めても場合によっては自殺に追い込まれる。美人のCさんのように東大を出ていても、半分狂った上役によって自殺に追い込まれる。こういう潜在的に悪魔の力が支配する世の中では、善人、気の弱い人間、世の悪になじめない人間、人を出し抜けない人間、悪魔に嫌われる正義感は、悪魔の手先に追い込まれ、引きこもりになるか、自殺に追い込まれる。

悪魔に洗脳され、悪魔を神と崇める悪魔の手先は、悪を嫌う人間、正義を求める人間、愛を求める人間、世の腐敗と堕落になじめない人間を攻撃する。悪に染まった人間同士の付き合い方をマスターできない人は、攻撃対象になり、やがて、はじき出され、黙殺され、引きこもりや、自殺に追い込まれる。要するに、世の悪になじめない人間は抹殺される・・・

しかし、イエス・キリストは、彼らは死後、天国で幸福に生きることができると宣言している。これが、本来の聖書の意味です。「貧しき者、弱者、正義を求めるもの、愛に生きる者、悪魔と戦う者は、死後、天国で満たされ、平和に生きる」というのがイエス・キリストの教えです。

キリスト教の牧師にも未熟な人間、腹黒い人間はいる。しかし、教会に弱者が相談に来れば相手にしないわけにはいかない。弱者に援助の手を差し伸べるのが、本来の教会の使命だからです。最後の駆け込み寺は、教会なのです。

役所の福祉担当者、精神科の医師、学校の教師、警察なども、本来、弱者を保護するのが使命のはずだが、彼らも悪魔の支配下にある。「所詮は、自己責任」というのが、たいていの場合、彼らの最終判断になる。だから、自殺者、ホームレス、引きこもりはなくならない。おまけに、オレオレ詐欺もなくならない。

世の中に出て、悪の道に走り、邪悪な人生を送るよりも、引きこもって生きる人間は、世の中の悪を増やさない。「たった一度の人生だから、幸福を得るには、バレなければ、どんな悪いことをやってもいいんだ」と考え、悪魔に洗脳されて生きる人間は多い。引きこもりは、消極的な悪魔への反抗だと言えなくはない。

しかし、イエス・キリストは「世の中の悪魔の手先を恐れるな。彼らは、人の命を取ることしかできない。しかし、善人は、死後、天国で幸福に生きることができる。悪魔の手先になった人間は、地獄に落とされ、そこで神様によって抹殺される」と述べています。

引きこもりや、自殺に対する救いは、キリスト教、聖書、教会からしかやって来ない!


2021年12月16日木曜日

コロナの時代には、強者の大企業ではなく、弱者の女性を救済すべき!

 

コロナで苦しんでいる女性が多い。

非正規やパートの仕事がなくなって、収入が絶たれて生活が成り立たなくなった女性は多い。母子家庭、実家に頼れない女性、夫と断絶状態の女性の中には、ホームレス同然の生活に追い込まれる女性もいる。政府も、自治体も、社会も、隣近所も助けてくれない。自殺に追い込まれる女性は増えている。

1990年代、2000年代には、GDPが世界第二位の繁栄を誇った日本も、2010年代は東日本大震災・福島第一事故で委縮し、オリンピック景気で経済の活性化を狙った2020年代は、期待を吹っ飛ばすコロナで始まった。

ある霊能者の言葉によれば、世界は1958年から1998年までは比較的平穏な時代になるが、それ以降は、世界は悲劇に見舞われるという予言があった。第二次大戦の後遺症がほぼ終息した1958年から、イスラム・テロとの戦い・世界金融危機・中国の脅威へと続く21世紀には人類全体の歴史に影がさすということです。

日本固有の問題だけではなく、世界の歴史的な流れの中でコロナが世界中に蔓延したことになる。いずれコロナが終息し、経済も生活も昔のような順調な状態に戻ると考えるのは甘いというべきです。イエス・キリストの出現後2000年たった今日、まさに、「最後の審判」、「世の終わり」がいつきてもおかしくない時期に突入したことになる。

このコロナ危機の底流には、愛のない社会、愛のない経済、愛のない政治という問題がある。日本がGDPで世界第二位となったとき、相変わらず企業中心の社会ではなく、福祉重視の社会へと転換すべきだった。そのためには、新たな経済理論の確立と共に、新たな社会観・人間観が必要だった。

貧しい女性を無視するような社会ではなく、民族と国家の基盤である女性の保護に重点を置くような政府、社会を確立すべきだった。一部のエリート女性をもてはやすような社会ではなく、一般の弱者としての女性を保護するのを国家と社会の基本課題とすべきだった。

財政赤字についても、新たな経済・財政理論を採用し、経済・財政の基本の消費を重視し、政府からの給付金を経済・財政のサイクルの出発点とし、生活保護・年金などの福祉を拡大し、受給者の消費活動を確保する体制を取るべきだった。

そもそも日本の企業は曖昧な目的で内部留保を確保することを第一目標とし、人件費の削減を当然のように行い、政府の税収は減少し、財政赤字となって福祉への支出が停滞した。その間隙をついて、安価な労働力で日米の企業を誘致してきた中国が異常な経済発展を続けたのが現状に至る国際状況をもたらした。

そして、コロナが生じたときに、強者の企業優遇、弱者の女性無視という日本の国家・社会の体制が明白となった。むしろ、女性などの弱者を優遇するという基本理念のもとに、経済・社会の体制を再構築すべきときだということです。

今回のコロナが終わっても、今世紀には、また、第二のコロナ危機、或いは、第三次世界大戦が起きるかも知れない。どんな強者でも耐えられないような歴史的危機が生じる。それなら、女性などの弱者の救済を基本とする体制を確立し、歴史の神様から憐れみをいただき、今世紀の悲劇を乗り越えようとすべきなのです。その第一歩が、給付金経済です。

2021年12月11日土曜日

「人の生死」と「この世の終わり」:2060年が鍵・・・

18世紀の科学者ニュートンは、万有引力の発見で有名な物理学者だったが、聖書の研究にも熱心だった。今のコロナのような疫病がイギリスで生じたとき、ニュートンはイギリスの田舎に籠って研究をした。そして、聖書の研究の結論を得た。

「2060年までは、世の終わりは生じない」というのが、ニュートンの結論だった。

ニュートンと同じく18世紀のスウェーデンの学者スエーデンボルグは、霊界を見る能力を神から与えられた。そして、30年以上にわたって生きながら霊界、死後の世界を観察し、死者の霊や天使などと交流した。スエーデンボルグはその経験を数十冊の本に現わした。これが、19世紀から20世紀の欧米のスピリチュアリズム(心霊主義)に大きな影響を与えた。

「人の魂は死後、霊界に入り、善良な霊は天界に入り、悪人の霊は地獄に行く」というのが、スエーデンボルグの結論だった。しかし、スウェーデンボルグは、熱心なキリスト教徒であり、世の終わりに関係する「最後の審判」についても述べている。「最後の審判」とは、聖書で述べられているように、神様による人間の世界に対する最終的な裁きだとされています。

ニュートンやスウェーデンボルグの話しが信用できるのは、彼らが敬虔なキリスト教徒であったからです。日本人でも、信用できる霊能力を持った人間は、ほとんどが敬虔なキリスト教徒です。スウェーデンボルグは、悪霊も人間に干渉し、霊能力を持った人間の心を支配すると言っている。霊媒や心霊現象なら何でも信用できるという姿勢は危険です。悪魔は、霊能力を持った人間を支配し、人間を地獄に引き込もうとする。実際、カトリック教会では、「悪魔祓い」という儀式すら行われることがある。テレビなどでもてはやされる霊能力者は信用できない。霊能力があるなら、北朝鮮に拉致された被害者の居所を突き止めるなどの社会的貢献をすべきです。

そもそも、キリスト教の基本は「神の子」イエス・キリストが霊的な力を持ってこの世に現れたということにある。当然、キリスト教では天国や地獄、霊界が存在することが前提とされています。そして、キリスト教の聖書では、悪魔の影響で堕落した人間を、神様は「最後の審判」で滅ぼすという教義が書かれている。人間は裁きを受けて天国か地獄に行く。スウェーデンボルグによれば、1757年に霊界で「最後の審判」が行われ、その影響が人間界では200~300年後に現れるとされている。これは、ニュートンの予言とも一致する。現在、2021年は、ちょうどこの時期に相当する。

「2060年までは、世の終わりは生じない」というニュートンの予言が正しければ、また、「1757年の200~300年後に最後の審判の影響が人間界に現れる」というスウェーデンボルグの予測が正しければ、今、人類は「世の終わり」に先立つ「最後の審判」に直面していることになる。

19世紀から20世紀の初めにかけて欧米で心霊主義が盛んになり、20世になって、第一世界大戦、スペイン風邪の世界大感染、第二次世界大戦が生じ、戦後は米ソの冷戦を通して人類は多少反省したが、21世紀を迎えるとイスラム・テロとの戦いが始まり、そして今、米中による第三次世界大戦の危機が生じ、コロナ・ウイルスが世界大感染している。2060年に向かって、世界の危機は一層高まると思われる。第三次世界大戦や世界的な疫病の発生で人類文明は破壊される可能性すらある。まさに、「世の終わり」です。

その根本原因は、人が霊的な心を失い、物欲に従って生きるとうになったからだというのが正しい。「たった一度の人生だから、この世で幸福になるためには何をやってもいいんだ」という悪魔の教えに洗脳されているからです。だから、世界中でカネが神のように尊ばれている。カネは世界共通の宗教になっている。カネのためには、悪魔に魂を売ってでも金持ちになりたいという人間が世界であふれている。

しかし、「人の魂は死後、霊界で生き続け、善良な人間の魂は天国に行き、邪悪な人間の魂は地獄に行く」というイエス・キリストの教えを信じて、悪魔の化身のカネを避けて、貧しくこの世で生きて、死後は天国に入るというのが正しい人間の生き方だということになる。そういう人間が増えれば、最後の審判で人間は神様に赦され、「この世の終わり」を回避できるのです。

「人の生死」と「この世の終わり」は、密接な関係があるのです・・・


2021年12月6日月曜日

貧/富=> 善/悪=>(死後=> 霊界=>) 天国/地獄

死後も人の魂は、霊界で生きる。これが、日本人の伝統的な死生観です。縄文時代以降の死生観です。

そこに仏教が導入され、浄土思想(天国/地獄思想)が根付いたのです。しかし、明治維新以降の近代化によって、この死生観が曖昧になり、宗教は形骸化し、日本人の死生観も曖昧になりました。そして、「たった一度の人生だから、何をしてもいいんだ」と言う悪魔の思想がはびこるようになったのです。

医療や終末期のケアーの現場でも、「死んだらどうなるのか?」という不安に襲われる人間も多い。「死ねば、自分の意識は完全に消滅し、無しかない」と考え、恐怖に襲われる人もいます。終末期の人間を見舞う宗教人も、曖昧な答えしかできない場合が多い。そして、死者はモノのように扱われる例も多い。それでも、無宗教者が多数だと言われる日本人でも、年末年始などでは神社仏閣に詣でる人は70%を超える。表面的には、死後の魂の存続には不安を持ちながらも、縄文時代以来の魂の不滅性を信じる心が、まだ日本人には残っている。

科学的・論理的に考えれば、万物の創造主の神の存在は否定できない。キリスト教や仏教などの伝統的な正統宗教では、魂の存在とその死後の存続の上に教義が成立している。しかし、キリスト教ですら死後の世界については特に強調しない。信じる者は天国に行けるという教義を、おとぎ話のように語るだけです。あるいは、曖昧なあの世での成仏を、誰も理解できない漢文の経典を読んで、有難がらせ、位牌を拝むだけです。

そこに、スピリチュアリズムが世に受け入れられる土壌が出来上がった。わけの分からない霊能力を信徒にアピールする新興宗教や、霊視や生まれ変わり説で人々の興味を引き付ける霊能力者がテレビなどで人気を博する。しかし、彼らが文化の主流になることはない。オカルトの世界、霊能力という特殊な世界だとみなされ、むしろ、潜在的に危険な勢力だとみなされている。世界的にも、死後の世界を盲信して自爆テロを行うイスラム急進派などのテロ、韓国でしばしば発生する新興宗教の大規模詐欺、欧米の白人優先思想を裏付ける歪んだキリスト教の一派など宗教、スピリチュアリズムに対する警戒感も強い。

それでも、死にゆく人々の魂の平安を願うのが人間的な行為です。「死んでも、魂は天国で生きるよ」と、臨死の老人、病人などを納得させれば、彼らは安らかな死を迎えることができる。問題は、そのような確信を持った魂の導き手がほとんどいないことです。牧師・神父、僧侶は理屈でそのように理解していても、自分自身は100%、その教義を信じているわけではない。霊能力者は、死後の生は信じていても、この世の金もうけに忙しい。ここに問題があるのです。

必要なのは、伝統的な正統宗教の基盤の上に、スピリチュアリズムを理解した霊能力をもった専門家だということになる。

実際、イエス・キリストはそのような霊能力者だった。伝統的なユダヤ教を理解し、霊能力で病人を癒し、天国/神の国を人々に説いたのです。「貧乏人や不幸な人は天国に入れる」という教えを聞いた多くの人々が救われたのです。

つまり、強い道徳性、人間愛を伴った霊能力者が必要なのです。死後は誰でも、霊界に入れる。だから、この世で何をしてもいいんだ、という霊能力者は悪魔(それ自身が霊的存在)に洗脳され、その手先にされる危険を大きいのです。

18世紀のスウェーデンボルグのようなキリスト教的な裏付けを持った霊の力者は、「悪霊は人間を破壊しようとしている」と警告する。霊界は極楽ではない。天国に入れる善霊もいるが、自ら地獄を選ぶ悪霊も多いのが霊界です。

しかし、死にゆく人が死後に霊界から天国に入れるように、正しい霊的知識を与えることも必要です。そして、そこに善悪の区別、愛と憎悪、真理と欺瞞、神聖性と堕落・腐敗の区別が必要になるのです。それを、象徴するのが、「富は邪悪につながり、貧は魂の救済につながる」というイエス・キリストの教えです。現代技術で富の蓄積に走る人間には、「富は悪」という警告が必要なのです。実際、悪魔に魂を売らずに富を蓄えることはできません。悪を容認せずに、1円でも稼ぐことはできないのです。そして、それは「完全な善」を象徴する神の受け入れるものではなく、金持ちは霊界から地獄に落ちるのです。

イエス・キリスト以前の、ギリシアの哲学者ソクラテスやプラントンは「善人は死を恐れる必要はない」と言っていますが、まさに、「善人は死後、天国に入る」という教えを信じることが、イエス・キリストや仏教の教えに本当に従うことになるのです。

つまり、ホームレスのような宗教者、霊能者のみが信用できるのです。テレビで活躍する宗教者、霊能者には、悪魔が寄り添っていると考えるべきでしょう。たとえ、霊能力があっても、地獄とつながっている霊能者もいる。宗教家の肩書をもっていても、悪魔に魂を売った牧師・神父、僧侶もいる。

結論は、「死後は誰でも霊界に入れるが、さらに天国に入って、永遠の命を得るには、善人でなければならないし、善人の証明は、生きている間は貧乏人であることだ」ということです。

2021年12月3日金曜日

死後は、天国で永遠の命を得たいなら、神様/イエス・キリストを信じるべき!

神様の存在を信じない人間でも、自分の存在は信じる。

しかし、ウイルスも人間の細胞の存在は信じていても、人間そのものは理解できず、人間が存在するとは信じていないかも知れない。自分の存在は信じても、神様を理解できず、神様の存在を信じられない人間は、人間の細胞中に寄生するウイルスのようなものかも知れない。

存在するものには、必ずその源がある。この宇宙に存在する全てのものには、その源がある。源もなく、理由もなく、この精妙な大宇宙と人間とその精神が偶然に、無目的的に存在する確率はゼロです。あるいは、永遠の無限の試行の果てに存在するようになる。ということは、この精妙な大宇宙と人間とその精神が偶然に、無目的的に存在することは、現実に生じない。今でも、又は、いつでもその無限の試行は完了していないはずだからです。

神様ではなく、ランダムな、無秩序的なメカニズムがこの精妙な大宇宙と人間とその精神を作ったのなら、大宇宙と人間やその精神には精妙な秩序ではなく、ランダム性、無秩序性がその本質に含まれるはずだが、大宇宙や自然、人間とその精神には、法則性、秩序と、倫理性がそれらの本質として含まれる。例えば、多くの数学の定理が成立するように、この宇宙と人間の精神は作られている。要するに、神様がそのように精妙に大宇宙と人間精神を作られたと考えるのが適切であり、正しい。

人間と言うちっぽけな存在でも、存在するくらいだから、神様と言う偉大な存在は当然存在すると考えるのが、正しい考え方です。ちっぽけな犬や猫と言うペットが存在するくらいだから、もっと偉大な飼い主という人間は当然存在するのです。

さて、万物の創造主の神様の存在を信じたからと言って、「自分と神様の間に何の関係がある? 神様なんか関係ない!」と考えたがる人間もいる。「神様が存在しても、人間を救ってくれるわけでもない。自分の人生と神様は何の関係もない!」と考えたがる人間もいる。

しかし、生まれつき神様を信じ、神様を尊敬し、神様に従おうと言う人間もいる。あるいは、人生経験を積んで、やっぱり神様を信じるのが正しいと考える人間もいる。もしくは、死後の世界のことを考えて、自分の魂を死後、天国で生かしてくれるのは神様だと気が付いて、神様を信仰する者もいる。

救世主と言われるイエス・キリストは、「神様を信じ、私の教えを信じる者の魂は、死後、天国で永遠の命を得る」と言っておられる。

つまり、魂の存在、死後の世界と霊界や天国の存在、永遠の命を信じる者は、「その魂は、死後、天国で永遠の命を得る」ということになる。

ただし、条件がある。「金持ちであってはならない、貧乏人であるべき」なのです。なぜなら、金持ちになろうとする人間、又は、金持ちである人間は、必ず、悪魔に魂を売り、神様を裏切るからです。カネは悪魔の化身です。

神様を信じ、貧しく生きることが、死後、天国で永遠の命を得る条件なのです。従って、信仰心のある貧しい人間は、ソクラテスやプラトンが言うように、死を恐れる必要はないのです。これが、神様の子と言われる救世主イエス・キリストの教えです。

なお、ブッダは万物の創造主である神様の存在を認めなかったので、死後の天国での永遠の命という考えは持たなかった。精神を超高度化すれば、全ての肉体的かつ精神的な苦しみから解放され、死後の天国など考える必要がないというのが仏教の本来の考えです。

神様を信じないのは自由であり、ブッダの教えを信じるのも自由であり、神様やイエス・キリストを信じるのも自由です。しかし、自分が悪魔に苦しめられていると考える人は、死後は天国で救われたいと考えるのが自然です・・・

2021年12月1日水曜日

天皇制から大統領制へ! 21世紀の日本が生きる道!

天皇制は、1945年の第二次大戦の終了と共に瓦解した。これが正しい歴史的認識です。

日本を占領した連合軍のマッカーサー元帥が、新たな憲法の草案を作成し、それまで国家元首であった天皇を、明治憲法におけるような実権をもった国家元首ではなく、単なる象徴役に降格させた。当時の日本人は、この画期的な処置を受け入れた。

実際、第二次大戦で日本国民は300万人の戦死者を出していたが、天皇や戦争中の指導者は誰も責任を取ろうとしなかった。連合軍が東京裁判で、東條首相(大将)などを処刑し、天皇を象徴役に降格させたことで、国民は一応、納得した。その延長上に21世紀の日本も存在する。

しかし、戦後の歴代の日本政府は、実質的に天皇を首相の上に置き、政府の権威付けに利用して来た。マッカーサー草案による戦後の日本国憲法は、熱心なキリスト教徒であったマッカーサーの思想を反映し、アメリカのキリスト教を基本とするアメリカ型の民主主義を導入するものであったが、日本の占領を円滑に行うためにマッカーサーは天皇家の存続を認め、その権威で日本政府が円滑に機能することを狙った。つまり、天皇が日米開戦に賛成しなければ、300万人の国民は戦死せずに済んだのであるが、天皇は戦争を防止する権限を持ちながら、その権限を行使せず、戦後もその天皇の責任は「うやむや」にされた。

そして、戦後の日本社会の問題点を突き詰めれば、この事実上の戦後の新天皇制の欠陥に行き当たることになった。本来、マッカーサーが草案した戦後憲法が目指していたのは大統領制の導入です。天皇ではなく、大統領を政府の最高権威とし、アメリカのように大統領が神に忠誠を誓うことが求められているのです。そして、それが人類の歴史の正統なのです。

日本の歴史・文化における天皇家の影響は大きいが、戦後の世界は欧米発のキリスト教を基本とする民主主義が主流であり、キリスト教の神が人類の神であるとみなすのが主流となっている。(なお、ユダヤ教、イスラム教の神も、キリスト教の神と同じです。)

天皇制には、四つの問題がある。第一に、上に述べた300万人の国民が戦死した先の大戦の戦争責任。第二に、天皇崇拝は、キリスト教の神を人類の神を認める、人類の歴史的流れに反すること。第三に、大統領制でなければ、21世紀に日本が迎える試練(少子化、貧富の格差、コロナなど)に、効果的に対応できないこと。第四に、天皇家の出自が曖昧なこと。(天皇の祖先は、古代中国の秦帝国から渡来した方士の徐福の一行だと思われる。しかし、日本人とその文化の基礎となったのは、天皇家出現以前に1万年以上続いた縄文文化です。縄文文化に比較すれば、天皇文化は新参ものだということになる。)

要するに、日本が21世紀以降も発展するには、事実上の天皇制に依拠する体制では非効率であり、国家の衰退が予測されるので、強力な大統領制を採用し、欧米各国と同じ一神教を信奉し、世界文明の主流となるべきだ、ということです。

ただし、キリスト教を国教にせよ、ということではなく、また、天皇家も伊勢神宮の神官として、それなりの待遇を与えてもよい。ただし、国家元首は、アメリカのように民主的に選ばれた大統領とするということです。

縄文人の子孫の日本国民から日本国大統領を選ぶことが、日本の進むべき道です。

2021年11月30日火曜日

もう一度、10万円の定額給付金を政府は支出すべき! 「支出金経済」を確立すべき!

岸田首相は「新資本主義」を唱えている。

そもそも経済は、消費者が基本です。商品を必要とする消費者がいるから、商品を提供する企業活動が成り立つのです。そして、消費者は勤労者として企業で働き、給与を得ます。そして、その給与で商品を購入して経済を回すのです。

日本経済の問題は、企業が利益を維持するために、給与の支出を低く抑え、企業の内部留保を増やしたことです。1990年代から20年以上続いたデフレの失われた20年の間、中国の人件費は日本人の10分の1でした。そこで、企業は大挙、中国に進出した。そして、日本の給与水準は据え置かれた。これが、消費の低迷とデフレをもたらしたのです。

その結果、日本社会には停滞感が生じ、少子化がもたらされた。他方、中国は日本の技術と資本を導入して産業の活性化を果たした。中国は、国策的に欧米・日本の技術を違法に盗み出し、産業のハイテク化を果たした。90年代には世界を制覇した日本のエレクトロニクス産業は停滞の道を辿り、テレビもスマートフォンも生産・販売の勢いを失った。日本の大手企業が、日本経済より自社の利益を優先した結果、日本人の給与を抑え、中国などのアジアに資本・技術の移転をした結果です。アメリカも製造の空洞化が生じ、労働者の危機感がトランプの台頭を許したわけですが、アメリカには巨大IT産業や、強力な金融産業がある。日本の方がはるかに深刻です。

日本経済を活性化するには、適切な消費水準を維持することです。そのためには、日本の企業に給与水準を上げさせる必要があることに、岸田首相は気が付いたと思われる。

さらに、非正規社員、低所得者などの消費を維持・活性化させるには、政府が支給金を出す必要がある。この支給金は当然、貯蓄ではなく消費に使われるような仕組みを考える必要があるが、新資本主義とは、単に企業利益の分配先を勤労者に広めるだけでなく、支給金を経済(消費)の基本とするという発想の転換が必要なのです。「支出金経済」を確立すべきなのです。

国の借金は1000兆円になるという警告を、財務省の幹部などが警告しているが、従来的な財政観ではなく、革命的な財政観を持つべきです。政府からの支出金は、消費に使われた分だけを政府紙幣で裏付けし、例えば、1年以内に支出されない支出金は非貨幣化する。要するに、日銀は100%消費に使われる支出金だけを日銀紙幣として認め、政府は支出金に関わる消費から利益を得る企業からの税収でバランスを取る。

又は、国の資産についての評価方法を見直す。国内の企業、個人の資産は全て国家の資産一部だとみなし、何らかの仕組みで政府の赤字を相殺させる。

「支出金=>消費=>企業収入=>給与と税収」が基本です。経済は、政府からの支出金から始まる、という新たな発想を取るべきです。

コロナを契機として、全面的に経済観、財政観を一新すべきです。経済や財政、企業の内部留保より、一人々の国民の生命を優先すべきです。昨年の10万円の定額給付金で救われ、自殺をしないで済んだ社会的弱者も多くいたはずです。もう一度、10万円の定額給付金を政府は支出すべきです。安倍政権にできたことを、岸田政権ができないはずはない・・・

2021年11月28日日曜日

死の問題とは?

日本人は、国際的に、正式には無宗教だと言われる。

世界が認める宗教、即ち、キリスト教や仏教、神道などの伝統的な宗教の正式なメンバー(洗礼を受けた教会員、仏教の各派の檀家、神道の氏子など)は、国民の30%しかいない。

しかし、初詣などで神社仏閣に参る人、クリスマスなどでは教会の催しなどに参加する人は、国民の70%もいる。

若者の間でも、スピリチュアリズムや霊などを信じる人も多い。家族の老人が臨終、死の前に、「先祖の霊がお迎えに来た」と言っていたという家族も多い。

結論を言えば、日本人には、既成の宗教の範疇には入らない独特の死生観がある。基本は祖先崇拝です。死後も祖先の魂は霊界で生きているという考えが基本になっている。この縄文的な死生観の上に、神道、儒教、仏教、キリスト教が乗っかている。また、新興宗教や娯楽的なスピリチュアリズムが受け入れられるのも、そういう伝統があるからです。

ただし、現代社会は死をタブー化している。死というものを考えないように教育が行われている。現代医学にとって、死は医学の敗北を意味する。死人は、もはや社会の経済活動に参加しない。企業なども、高齢者には、死がないかのようにカネを使ってもらわなければならないから、死には背を向ける。そして、死人はさっさと処分される。企業社会では、死など考えずにカネを使うのが好ましい消費者だということになる。だから、政府も、人生の最後に気持ちよく死んでもらうための医療を提供すべき、という考えは持たない。死者とは、経済活動を行う生者の階級からすべり落ちた敗北者だとみなされている。

また、高齢化社会では葬儀ビジネスなども賑わう。資産を保有するのは、富裕増の老人です。老人は必ず死ぬ。そのカネを狙って活動するオレオレ詐欺や葬祭ビジネスは廃れることがない。

人間の細胞は最長でも120年で死ぬ。100歳まで生きる老人は、日本でも何万人もいるが、120歳を超えて生きる人間は世界にも、ほとんどいない。しかし、死を考えて、その恐怖から狂う人間もほとんどいない。結局、人間は、死は自然なことだと受け入れる。そして、生きている間に「死など忘れて、たった一度の人生を楽しもう」という考え方に落ち着く。しかし、これほど間違った考え方はない。

このような死に対する態度では、「たった一度の人生だから、どんなに悪いことをしてでも楽しめ」という悪魔の教えに洗脳されることになる。あるいは、「誰でも死ねば、その魂は霊界で幸福に生きるのだから、死を気にすることはない」、というインチキ霊能者の言葉に洗脳される。

実際、死については、キリスト教界も仏教界も曖昧なことしか言わない。宗教自体が経済主体の社会体制に組み込まれているからであり、宗教者にも正しい信仰がなく、死後の世界について確信が持てないからです。それでも、「死に不安な人は、うちの宗教にすがれば不安がなくなります」というのが、現代宗教です。

なお、欧米文明の基礎となったイエス・キリストは「死後の世界は当然、存在する。ただし、金持ちは天国には入れない」と教えている。貧乏人の魂は、死後、天国に入り、金持ちの魂は、死後、地獄に行く。この教えは、現代のキリスト教界でもほとんど無視されています。富を求める人間ばかりの社会では、その社会の宗教もこのような教えは無視する。

死の問題とは、まさに、このイエス・キリストの教えを信じるかどうか、ということです。「死んで天国に入れない人生は無である」というのが、本当の宗教の教えです。

2021年11月22日月曜日

コロナと人類の運命

コロナは欧米、韓国などで、まだ感染が拡大している。世界的には第7波の中にある。ワクチンが普及した地域での感染拡大は不安をもたらす。

日本では、年末・年始後の2月にかけて第6波が心配される。コロナの終息は2024年になるとの予測もあり、当分、マスクの生活が続く。

平安時代の頃には疫病が流行れば、悪霊の仕業だとされた。誰かの怨霊が災厄をもたらしたと考え、朝廷をはじめとして除霊の儀式が行われた。誰かのせいで不幸な目にあって、それを恨んだ人間が怨霊となって、霊界から人間界に災いをもたらすと信じられていたのです。

科学の進んだ今では、そのような考えは迷信として片づけられるが、科学自体は霊界や魂の解明、人間の意識の解明には至っていない。物質界を扱うのが科学ですが、その物質をもたらしたのは霊界のエネルギーだという理論は、科学的には肯定も否定もできない。

そもそも物質界の始まりは、我々の住む大宇宙の成立によるが、宇宙は量子論的な真空のエネルギーから生じたという理論がある。物質界から見れば真空のエネルギーだが、霊界から見れば、霊界のエネルギーの一部が物質界の宇宙を作ったのかも知れない。つまり、この世、即ち、物質界も霊界の影響下にあることになる。そうすると、怨霊がこの世に災いをもたらすという考え方も否定できないことになる。

そうすると、歴史上、最大の怨念を持っていておかしくない人物は誰かということになる。昔の考えでは、そのような人物の人間社会に対する恨みを解かないと、どんな災いが人間社会にもたらされるとも限らないことになる。コロナもその人物の怨念がもたらしたものだと考えられないこともない。

ブッダは食中毒で死亡し、涅槃という悟りの世界を説いた人生を完結し、人を恨む理由もない。孔子は、思想家として成功し多くの弟子をもった上で死亡しており、「死については語らない」との姿勢で倫理性・道徳の追求に終始した。世の中に対する恨みを、死後、晴らすなどとは考えられない。

しかし、イエス・キリストの場合は異なる。「神の子」でありながら、自分が救おうとした人間によって十字架につけられ殺害されたのです。人間は恩人である神の子、イエス・キリストを殺害したことになる。人間は連帯責任として、どれほど神様によって恨まれても文句は言えない。キリスト教の本質の1つが、まさに、人間の罪の認識にある。しかし、その罪ある人間を許すのが、イエス・キリストの愛だとされている。問題は、聖書の中に、息子を使用人によって殺された主人が、使用人に復讐する話を、イエス・キリストが語ったということが記されていることです。イエス・キリストは人間を許しても、神様の裁きがどうなるかは分からない。イエスの時代以降、歴史上何度も人類は災いを経験してきたが、その背後に神様がいなかったとは言えない。

長期的に見れば、神の子を殺害した人間は、本当に悔い改めなければ、人類は最後に神様によって絶滅される可能性はある。そういう危機感も持たなくなった現代人は、物質文明の発展でますます増長し、いよいよ神様の気持ちをないがしろにしている、という見方もできる。

今は、イエス・キリストの時代から2千年たった時期です。ユダヤ教・キリスト教の始祖とも言うべきアブラハムからイエス・キリストの時代までが2千年だった。神様が人類に最終判断を下す時期が近づいていると考えるべきです。そして、人類を亡ぼす前には、神様は人類に最後の警告を与えられると思われる。コロナは、まだその最後の警告ではないとしても、最後の警告の予告編になるかも知れない。

18世紀の科学者であり、聖書の研究家だったニュートンは「世の終わりは2060年以降に始まる」との予言を残している。同じく18世紀の霊能者スウェーデンボルグは、「最後の審判は最近(18世紀に)、既に霊界で行われ、その影響は数百年後に人間界で現れる」と述べている。

コロナは、「この世の最後」に対する警告の前の段階の予告編だと考えられる。ただし、人類は今世紀は、多少反省もして、滅亡せずに発展を続けると思われる。それでも、さらに2千年間発展し続けるとは考えられない。2千年後には、生物としての人類は絶滅し、AIロボットが地球を支配していると思われる。人類の歴史は、今後、2千年間で終焉するだろう。人類の文明の後を継ぐのは、ウイルスにかからないAIロボットだと思われる。数億年前には、地上の生物の大半が絶滅する大変動が地球を襲ったことがある。しかし、生物的条件の制約を受けないAIロボットは、半永久的に地球で生き残る。人間は、死後、霊界に入って、霊界からAIロボット、人口知能の活躍を見るだけになるだろう・・・

神様の子、イエス・キリストを2千年前に殺害した人類は、神様のお情けを乞うしかない。いつ人類絶滅を神様が決心されても、人間は文句は言えないのです。

2021年11月19日金曜日

「反自殺論:人に命を与えたのは、親と言うよりは神様」

コロナで若者の自殺者が増えている。

かつて、90年代の初めに狂った好景気の「バブル経済」が崩壊し、21世紀になってもデフレが続き、日本経済の「失われた20年」と言われたとき、毎年3万人が自殺していた。毎月3千人、毎日100人近くが自殺していたことになる。異常な世の中でしたが、現在はそれに次ぐ異常な状態になっている。

なぜ、人が自殺に走るのかというと、希望がなくなり、苦痛だけの人生になるからです。出口のない地獄のような毎日が続くと考えるからです。しかし、出口はあるのです。それは、いずれ訪れる「死」です。

ただし、それなら、さっさと死のうと考えるのは大変な間違いです。いずれ「死」が訪れ、死後のあの世では、この世の苦痛から救われるので、この世が全てだとは思わず、「あの世では幸福になる」のを楽しみに、あの世に希望をもって生きるべきなのです。

そのために、イエス・キリストは「死後の世界は存在する」、「この世で悪事をなさずに生きていて、周りの者から苦しめられた者は、死後、天国で幸福になる」と宣言されたのです。

特に、「貧しい者は、天国で歓迎される」と述べています。そして、「金持ち、富裕層、エリートは、天国に入れない」と教えています。

要するに、「貧しき者、弱き者、小さき者、虐げられた者、苦しめられた者、競争に敗れた者、不幸な者は、死後、天国で幸福になる」と教えておられるのです。

つまり、「自殺に追い込まれている者」も、「生き続けて、高齢になって自然死すれば、天国で幸福になる」のです。だから、寿命まで生きて自然死すれば、必ず、天国で幸福な生活を送ることができるということです。

ただ、そのためには、「肉体の死後も、魂は存続する」ことを信じる必要があります。人間の肉体は死んでも、体の中の魂は死にません。これは、多くの臨死体験者や、霊能力者や霊媒の証言で、裏付けられており、「死ねば、全ては無になる」というのは正しくありません。終末医療の現場でも、多くの医師や看護師が、死者の魂が生き続けるとの実感を持つようになっています。

(なお、「たった1度の人生だから、どんな悪事をしてもいい。自分の好きなように生きろ!」というのは悪魔の教えです。「この世の人生のあとには、あの世の人生がある」というのが、イエス・キリストの教えなのです。)

そして、過去2千年間、世界の文明の主流となった欧米文明の基礎となったキリスト教は、死後も人の魂は生きる、という教えが基本になっています。

従って、自殺したくなったとき、聖書を読んだり、教会の牧師に相談するのが正しいということになる。ちなみに、キリスト教では自殺は禁止されています。寿命まで、神様が与えた人生を生きるのが信仰者なのです。

そもそも、人に命を与えたのは親と言うよりは、神様なのです。自殺したくなったら、神様にすがる、祈る、その教えに従うというのが正しい生き方なのです。聖書を読んで、神様の教えを知るべきなのです。

逆に、悪魔は人を自殺させようとします。だから、自殺者の周囲には悪魔に従う悪人、隠れた殺人者がいると考えられるのです。しかし、悪魔は神様には勝てません。だから、神様にすがれば、自殺しなくて済むのです。

なお、イエス・キリストは、「ある町で迫害されたら、その町から逃れよ」と教えています。人を自殺に追い込むような、学校、職場、仲間、環境からは逃げ出せ、ということです。日本のことわざにも、「渡る世間に鬼はなし」というものがあります。英語のことわざにも、「転がる石には苔が生えぬ(A rolling stone gathers no moss.)」というものがあります。「引きこもらずに、新たな環境にチャレンジせよ」というのが、その教えです。

2021年11月17日水曜日

イエス・キリストは、貧乏人の味方

 マタイの福音書によれば、「マタイ5:3 こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」とされている。

これが、単純に「貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」とされなかったのはなぜか、ということはこれまで専門家にたちによって多く議論されている。

答えは、その言葉の後段にある。

「5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、

彼らは慰められるであろう。

5:5 柔和な人たちは、さいわいである、

彼らは地を受けつぐであろう。

5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、

彼らは飽き足りるようになるであろう。

5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、

彼らはあわれみを受けるであろう。

5:8 心の清い人たちは、さいわいである、

彼らは神を見るであろう。

5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、

彼らは神の子と呼ばれるであろう。

5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、

天国は彼らのものである。

5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

このイエス・キリストの言葉の趣旨は、貧しき者、正しき者、愛のある者、イエスに従う者、信仰心のある者は、この世で苦しめられても、死後、天国では幸福を与えられるということです。

逆に、富裕層、エリート、信仰心のない者は、天国に入れない、ということです。富裕層、エリートは通常、高度の教育を受け、豊かな経験を積み、高い教養を持っている。また、信仰心のない者は、信仰の代わりに世の中の知恵、生きるための悪知恵で相当豊かな精神能力を持っている。彼らは、「こころの貧しい人たち」ではない。しかし、物質的に貧しければ、高度の教育を受けられず、豊かな経験も積めず、「こころの貧しい人たち」になる。従って、「物質的に貧しい人たち」は、「こころの貧しい人たち」でもある。だから、わざわざ「こころの貧しい人たち」とせず、単に「貧しい人たち」でよいことになる。

しかし、教会の幹部、特に、バチカンのローマ法王や枢機卿は、誰が見ても豊かな人たちです。しかし、聖書に単に「貧しい人たち」と聖書に書かれていれば、彼らも富を捨てて、貧民の仲間にならなければならない。しかし、やや意味が曖昧な「こころの貧しい人たち」なら、物質的に豊かな彼らも信仰心があるので(これは、誰にも証明できないが、否定もできない)、天国に入れてもらえると主張できることになる。つまり、教会の幹部が富裕層であることの正当化のために、聖書の編集の際に「こころの貧しい人たち」という表現を採用したと考えられるのです。

2千年前の貧乏人にイエス・キリストが教えを述べたとき、意味が曖昧な「こころの貧しい人たち」という表現ではなく、単に「貧しい人たち」という表現を使ったと考えるのが自然です。

イエス・キリストは、貧乏人の味方だった、というのが聖書の理解の基本です。曖昧な表現の「こころの貧しい人」の味方ではなく、単純に「物質的に貧しい人」の見方ですが、「物質的に貧しい人」とは、「こころの貧しい人」でもあります。従って、「こころの貧しい人」と言っても、意味は変わらない。ただし、富裕層の中にも「こころの貧しい人」はいるかも知れない。富裕層だが「欲心のない人」などです。そのような人は、富を捨てて貧乏人になる。つまり、彼らも究極的には単純な貧乏人になる。

結論を言えば、「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」は「物質的に貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」と考えるべきです。

こういう議論が生じるから、悪魔は教会に入り込んで、信徒を惑わすと言われるのです。バチカンにも、悪魔が入り込んだと思われる事件が過去に何度もあった。いまだに、ローマ法王が、「イエス・キリストは金持ちではなく、貧乏人を愛した」と宣言し、人々に富を捨てるように勧告しないことからも、悪魔の影響が見て取れるのです。

イエス・キリストは、貧乏人の味方であり、神様も金持ちではなく、貧乏人を愛されるのです。これが、聖書の精神です。


2021年11月15日月曜日

霊能力の善用 ー 拉致被害者の居所を霊視すべき

1995年のオウム真理教事件後、日本では一時、心霊ブーム、スピリチュアリズムがブームになった。その後、同時多発テロや、リーマンショック、東日本大震災で現実の社会の問題が人々の関心事となり、オカルト系の流行は下火となった。ただし、今でも、その影響は残っている。新興宗教の中には、そのような霊的能力を売り物にする人間が関わっている例もある。

そもそも、キリスト教の聖書自体が霊的な内容を含んでおり、信仰の核には霊的インスピレーションがある。ただし、18世紀の著名な霊能者スウェーデンボルグによれば、霊界には人間に悪意を持つ悪霊も多く、一般人が霊と交流するのは危険が付きまとうと警告している。霊的問題と宗教は切り離せないが、あくまで聖霊、善霊と結びつくのが正統の宗教です。

一方、臨死体験では、多くの人が死後の世界(霊界)を経験している。また、一般人の中にも霊的能力を持った人が少なからずいる。カトリックのシスターの中には霊能力で著名になった女性や、東大医学部の教授の中にも、霊媒を通して霊との交信を経験した者もいる。従って、一概に、霊界や死後の世界、霊能力を否定することはできないが、霊界には悪魔や悪霊もいる。霊的問題については、キリスト教や仏教など、伝統と実績のある宗教関係者を通してかかわるのが安全だと言える。

キリスト教の信仰生活や祈りは、信者の霊的能力を高め、天界につながることを目的としている。仏教の修行も、雑念を払って、霊的能力を高めることを目的としている。逆に言えば、霊的能力は信仰生活や修行を通して獲得できるものだということになる。

日本全体には、霊的能力を持った人間は何十人もいると思われる。彼らの中には、霊視能力で、例えば、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの居所を知ることができる者もいるかも知れない。むしろ、政府がそのような霊能力者を使って拉致被害者の現状を探るべきかも知れない。拉致被害者の家族が、そのような霊能力者に頼らない方が不思議だと言うことになる。例えば、「横田めぐみさんは、今、ピョンヤンの高層マンションに住んでいる」などの霊視情報が得られれば、家族にとっては慰めになるかも知れない。

ただし、霊界には怨霊もいる。バチカンは、悪魔払いを専門とするエクソシストも公認している。日本の神道でも、怨霊を鎮めるという考えが平安時代には一般的だった。先の大戦で戦死した300万人の怨霊が、戦争責任のある天皇家などに取り付いていると思われる。霊能力者には、そのような怨霊が見えるはずである。1年に1度、8月15日に慰霊式典を行うだけでは除霊できないと思われる。だから、天皇家には男子の跡継ぎが生まれず、今世紀には消滅する可能性が出ている、とも考えられる。

人は死後、その魂は霊界に入る。従って、霊的問題は全ての人間に関係のある問題だということになる。無神論者でも、死後は霊界で生きる。ただし、信仰心のある霊は、霊界から天国に入るが、邪悪な人間の霊は、霊界から地獄に行くというのがキリスト教などの教えです。霊的能力は、この世のカネ儲けや、世の中での成功のために使うべきではない。守護霊に守ってもらって幸福になりたいと願う前に、正しい信仰心を持つべきです。

それでも、霊能者が、北朝鮮拉致被害者の居所を霊視するなら、神様も大目に見るだろうと思われる。霊能能力を人々の役に立てるのは、意外と難しい。政府が管理することもできない。それでも、拉致被害者が霊視能力者に頼らないのが、むしろ不思議に思われる。


2021年11月12日金曜日

スペイン風邪とコロナ、そして、コロナの終息予測

 コロナは、いつまで続くのか? コロナの犠牲者は何人になるのか?

政府も、専門家も明確な答えは与えない。テレビも新聞も、そのような特集は発表しない。そこで、100年前のスペイン風邪を振り返ってみよう。

スペイン風邪は、一般的に1918年から1920年にかけ全世界的に大流行し、全世界で5億人、当時の人口の27%が感染し、死亡者数は5,000万-1億人以上、おそらくは1億人を超えていたと推定されており(感染者の10~20%)、人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつだったとされている。

21世紀のコロナは2020年から2021年、現在まで流行し、全世界で2億5千万人が感染し(全人口の3%)、死者数は5百万人に達している。

スペイン風邪の時代にはワクチンはなかったが、現在はワクチンや治療薬がある。従って、感染者率はスペイン風邪の2分の1以下に抑えられると考えられるが、全世界で全人口の10%が感染するなら、7億人が感染し、死者は現在の統計によれば感染者数の2%なので、1400万人が死亡する。つまり、コロナの終息には、まだ2年以上かかる。従って、コロナは2024年まで影響が残ると示唆される。

しかし、今回のコロナ・ウイルスは変異速度が速い。いったん終息が見られた中国、韓国、イスラエル、ドイツでも、新種で再び感染が拡大している。

霊感に頼って聖書を参照すれば、2025~2026年まで注意せよとの示唆があった。最悪、世界で10億人が感染し、2千万人の死者が出るかも知れない。

日本では、スペイン風邪の時は約2300万人が感染し、死者は約38万人だった。現在のコロナでは、180万人の感染、1万7千人の死者だが、500万人の感染者、5万人の死者が出るまで、コロナ続く可能性がある。2020年代の前半は、コロナの時代になる可能性がある。

しかし、世界的感染流行(パンデミック)だけが脅威ではない。スペイン風邪は、むしろ、兵隊の数が減って第一次世界大戦の終結を早めたと言われているが、スペイン風邪の終息後、10年で世界大恐慌が生じ、20年で第二次世界大戦が勃発した。

日本でもスペイン風邪の終息後3年で関東大震災が発生し、25年後には広島/長崎原爆被害で大日本帝国は壊滅し、アメリカに占領された。

過去の例からは、2025年に世界でコロナが終息しても、2050年にかけて大きな自然災害や、第三次世界大戦が生じる可能性もある。

18世紀の科学者ニュートンが、聖書を研究して、「世の終わりは2060年以降に始まる」と予言したことが想い出される。同じく18世紀の霊能者スウェーデンボルグが「神による最後の審判は霊界で既に行われ、数百年後にその効果が人間界に現れる」と書いたのも注目すべきです。

今のどんな霊能力者、超能力者でもコロナの発生は明確に予言できなかった。1990年5月に岐阜新聞が、2020年のパンデミック発生に関するWHOの予測を報道した例などもあるが(https://www.asahi.com/articles/ASN85457RN7YOHGB00N.html)、神様が人間に隠されたことは誰も予見できない。商業ベースの予言者ではなく、信仰心のある人間に神様が与えた預言のみに耳を貸すべきです。

問題は、どこの政府にも、研究機関や宗教団体にもそのような信仰心のある人間がいないことです。本来は、バチカンがコロナについて警告を出すべきだった。2019年にローマ法王が日本を訪問した甲斐もなかったということになります・・・

皆が、信仰心を高め、神様に警告をお願いすべきです。「コロナは、腐敗・堕落した人間社会に対する神様の警告の現れだ」、と言うのが信仰者の意見です!

2021年11月10日水曜日

世界中で、コロナで500万人が死亡、でも、毎年80万人が自殺!

 コロナで自殺者が増加した。

日本では、1990年代の後半から、2010年代の初めまで、毎年3万人が自殺していた。具体的には1998年から2011年までで40万人以上が自殺したことになる。この期間には、毎日100人近くが自殺していたことになる。

これに比べれば、2020年から蔓延したコロナ・ウイルスによる死者は、まだ2万人以下で自殺ほどの脅威は与えていないことになる。

コロナで日本中が大騒ぎだが、自殺問題はメディアで取り上げられることも少ない。しかし、今でも年間2万人が自殺する状況は異常です。日本の社会にはコロナよりも悪質な心理的ウイルスが蔓延している。

一方、海外を見れば、21世に入ってから韓国の自殺率は日本を超えて高どまっている。アメリカの自殺率は日本より低いが、21世になって増加を続け、日本の水準に近づいている。ただし、ロシアの自殺率は、21世紀の初めは日本よりも高かったが、今世紀になってからは低下を続け日本と同程度になっている。コロナ以前には、世界の自殺者総数は年間約80万人だった。他方、コロナによる世界の死者は2年近くで500万人に上り、コロナ大感染の被害の大きさが理解できる。

人が世界で大量に死ぬのは、世界大戦か感染爆発だということになるが、日本は、戦後は戦争に巻き込まれることはなかったが、1970年代の半ばから、毎年2万人以上が自殺し、現在までその傾向は続いている。自殺は社会に問題がある。人名尊重、人権尊重の社会では自殺が少ない。過度な競争が見られる社会では、他人の不幸を気にすることはなく、敗者、貧者、ハンディを負った者は死に追いやられる。自殺とは、隠れた殺人者による犯行だということになる。

このような人類の状況に、神様が警告を与えたのがコロナだと考えられないこともない。社会の競争に敗れた人間は自殺し、人を自殺に追い込んだ者もコロナで死亡する。これは、まさに地獄図です。

まず、人間が自殺者をなくすような社会を作らなければ、神様はコロナを収束させてくれないかも知れない。こう考えるのが正しい。

イエス・キリストの教えに従って、誰もが隣人を愛するようになれば、社会は親切な人間であふれ、自殺者は激減する。コロナは、愛のない社会に対する神様の警告です。

2021年11月7日日曜日

神のエネルギー、霊界のエネルギー、宇宙のエネルギーと人間の精神

この宇宙がどうしてできたのか、人間の心はどのようにしてできたのか、これが科学の最大の謎になっている。

その答えは、物質にこだわる科学では解明できない。万物の創造主である神様を認めなければ、答えは得られないのです。

神が存在するので、全てのものが存在する。これが、基本です。神は、万物の存在の基本です。大宇宙も、銀河系も、太陽系も、地球も、生物も、人類も、その精神も、全て神によって生み出された、と考えるのが正解です。この神学によれば、神が存在しなくなれば、宇宙も、人間も、その精神も存在しなくなる。

具体的には、神の存在から、霊界が生じ、霊界のエネルギーが物質界のエネルギーに転換し、そのエネルギーから物質と宇宙が生じ、さらに生物と人間の精神が生じたということになる。簡単に言えば、人間の生命と精神も、霊界のエネルギーから物質界を通して生まれたことになる。特に人間の精神は、霊的なエネルギーとつながっている。物質である肉体が亡びても、人間の精神は霊的エネルギーとして、霊界で生き続ける。つまり、肉体の死は精神の死ではなく、人間の精神は霊的エネルギーとして、霊界で生き続ける。

特に、イエス・キリストが神様から直接、この世に派遣されたと自ら宣言していることも、この点から理解しやすい。神から出る霊的エネルギーが、霊界から、物質界へと到達し、さらに、人間界に達して人の形を取ったのがイエス・キリストだということになる。だから、イエス・キリストが十字架刑の後で、死から生き返ったというのも理解できる。人間として生きていても、霊的なエネルギーと直接、結びついていたイエス・キリストは、肉体が亡びても直ちに、霊界で生き続けることができ、さらに、霊界から人間界に姿を現すことができたのです。

イエス・キリストだけでなく、全ての人間の生命は霊的エネルギーの影響で生じている。従って、誰でも肉体が死んでも、その魂は霊界に入って生き続ける。人間の体内では、その霊魂に霊的エネルギーが凝縮しているので、肉体の死後、人間の魂は霊界に入ることになる。だから、臨死体験者は、死に直面したときに、その魂が霊界の入り口まで行くことになって、霊界を垣間見る。

スエーデンボルグなどの霊界を見た霊能者によれば、神は霊界の太陽として存在し、その光を浴びて至福を感じるところが天国だということになる。霊界の太陽は愛と善の光で輝いている。しかし、生きている間に愛よりも憎しみ、善よりも悪を選んだ者は、その光に耐えられず、霊界の太陽から遠ざかり、光の届かない地獄に隠れて生きる。これが、霊界の構造になっている。地獄は、悪業が罰されるところというよりは、悪人の邪悪な霊が、神の光を避けて、好んで集まるところだということになる。

ただし、地獄の支配者が悪魔(サタン)であり、邪悪な霊を従えて神に反抗し、悪霊は神に従う善良な霊や人間を攻撃しているというのが、キリストの教えに基づく神学だということになる、

ポイントは、物質も、精神も、全ての存在の源泉は神だということです。逆に、この宇宙が存在し、人間に生命と精神があると言うこと自体が、神の存在を示唆している。

どんなに、科学が進歩しても、神のエネルギー、霊界のエネルギーは解明できない。ただし、霊界では霊は神の知恵を学んで、神に近づき真理、愛の光を浴びて至福を感じることになる。

科学は、霊界につながる問題は解明できないが、科学を推進する人間の精神は、神のエネルギー、霊界のエネルギーにつながるものです。そのつながりを明らかにしたのが、イエス・キリストだということになる。ただし、旧来のキリスト教では、悪魔の干渉を受けて、このような正しい理解を促進できなくなっている。現在の仏教なども、人間に霊界との関係について、正しい理解を与える力を失っている。

欧米でもスピリチュアリズムは、キリスト教のような宗教としては認められていないが、霊界を解明するという点では、単なる宗教よりも人間を神様に近づけるのに役立つと思われる。


2021年11月5日金曜日

「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先する

 「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先する。

なぜなら、聖書や古代ギリシア哲学、エジプトの死者の書、チベットの死者の書、キュブラー・ロスやレイミンド・ムディーなどのアメリカの医学者、18世紀の霊能者のスエーデンボルグなどの証言によれば、この世の死後も、人間の魂は存続し、霊界で生きる。

日本でもシスターの鈴木秀子や東大教授の矢作直樹の証言でも、死後の霊魂の存在は裏付けられている。

善人でも、悪人でも死後は、人間の魂は霊界で生きる。世界中の臨死体験の報告書でも、死後の霊界の素晴らしさが報告されている。

しかし、いつまでも魂は、人間界とつながった霊界にいるわけではない。最終的には、天国か地獄に行く。そして、イエス・キリストによれば、又は、聖書によれば、貧しい人間の魂は天国に入り、金持ちの霊は地獄に行く。なぜなら、貧しい人間は善人とみなされ、金持ちは悪人とみなされるからです。

貧しい人間が悪人なら、手段を選ばず金持ちになろうとうする。金持ちが善人なら、自分のカネを貧しい人間に与えて自分も貧乏人になる。だから、例外を除いて、貧しい人間は善人、金持ちは悪人とみなされる。

「生と死」の問題は、善人でも悪人でも、死後は霊界に入るということで解決される。しかし、「善と悪」の問題は、死後、天国か地獄かという結果になる。そして、イエス・キリストによれば、天国に入った善良な霊には「永遠の命」が与えられ、地獄に入った邪悪な霊は、神によって滅ぼされる(2度目の死)。

つまり、「善と悪」の問題は、「生と死」の問題に優先するのです。

2021年11月3日水曜日

「偽キリスト」を演じる悪霊などに要注意!

 死後の世界は存在する。霊界は存在する。そして、当然、霊は存在する。

しかし、悪霊、邪悪な霊、悪魔も存在する。

18世紀の霊能力者、スウェーデンボルグも、神や救世主を演じ、人を誑かす邪悪な霊について警告している。聖書でもイエス・キリストは、「偽キリスト」について警告している。霊だからと言って、全てを信用するわけにはいかない。

新興宗教(伝統的な一神教や仏教以外の宗教)は、教祖が神がかりになって始まることが多い。神の霊が教祖の体に入り、神の言葉を伝え、新たな宗教が始まるという例が多い。しかし、霊界を見てきたスウェーデンボルグによれば、神や、他人の霊、偉人を真似る悪霊も多い。中には、人間の心に入り込んで、その人間を支配し、犯罪を行わさせたり、他人の生まれ変わりだと信じさせる例もある。悪霊は、人間を破滅させたいと考えているので、人間が尊敬する他の霊を演じて、その人間を惑わし、おかしな方向に誘導することもある。このようにして、新興宗教が始まる場合もあるので、注意しなければならない。

死後の世界は存在し、霊界は存在し、当然、霊は存在するので、人間の中には霊能力を持った人物は確かに存在する。彼らは、さまざまな霊と交信し、霊の姿を見、霊界も見ることができる場合もある。

そのような人物は、実は、聖書の中にも書かれている。キリスト教の聖者も、そのような能力を持っていたとされる。しかし、現在では、その能力を人を救うために使うのではなく、職業として、又は、エンターテインメントとして用いる者も多い。スウェーデンボルグは、霊能力で経済的利益を得ることはなく、その霊界の体験を本に書いただけだった。キリスト教の聖者もカネ儲けはしなかった。カネと結びついた霊能力者は信用できない。自分自身が悪霊にだまされている霊能力者も多い。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教は、みな聖霊(神様から送られた霊)との関りで生まれた。人間は肉体と霊魂でできている。この世で肉体は死んでも、霊は霊界に入って生き続ける。これが、宗教の基礎のはずだが、キリスト教の牧師でも、仏教の僧侶でも信徒に明確にそのような教えを述べる者は少ない。ローマ法王でも、「この世で肉体は死んでも、魂は死なない」という教えを広めない。だから、人は正しい霊の知識を得ることはなく、怪しげな霊能力者に惑わされることになる、ただし、イエス・キリストは明確に霊界は存在すると述べている。

霊や霊界、死後の世界に関心があれば、まず、聖書や仏典を読むべきです。怪しげな霊に取り付かれて、自分も神になったように振る舞う新興宗教の教祖は信用できない。同じように、超能力でカネもうけをする人間も信用できない。霊能力者には、超能力を持つ者も多いが、それを無償の人助けに用いる者のみが信用できるのです。

霊能力者や新興宗教の教祖などは、その霊能力を使って、例えば、「横田めぐみ」さんなど、北朝鮮による拉致被害者が、北朝鮮のどこで生きているかを霊視し、関係者に知らせるべきです。政府もそのような霊能力を育てるべきかも知れない。例えば、本当の霊能力者なら、「横田めぐみさんは、今、ピョンヤンの高層マンションで、北朝鮮当局の監視の中で生活している」などと真実を伝えることができるはずです・・・

2021年11月1日月曜日

日本の21世紀の発展には、大統領制が必要

2021年の総選挙は、自民党の勝利(大勝ではない)、立憲民主党の敗北(大敗ではない)に終わった。

投票率も伸びず、過去最低3位だった。コロナのストレスを晴らすような、選挙ブームも起きなかった。要するに、何も変わらなかった。無条件の定額給付金の支給を公約する政党もなく、相変わらず国民には信用されない言葉だけが躍った選挙だった。

しかし、保守右翼やサヨク反体制への支持は明らかに低調だった。国民は、無党派への志向を示している。だから、「維新」や「れいわ新選組」が議席数を伸ばした。

歴史的に、日本の政治は大統領制に向かわなければならない。この意識が生まれるまで不毛な政治状況が続く。

現在の日本国憲法が目指すのは、アメリカのような大統領制です。日本の将来の発展のためには、大統領制が必要だという意識が国民の間に浸透しなけれれば、本当の政治改革はできない。日本の伝統的な文化は、天皇制と結びついているが、21世紀の社会・政治はアメリカ型の大統領制でなければ有効に機能しない。

さらに、古代の天皇制以前に、日本には1万年を超える縄文文化があり、日本人の社会性、霊性、死生観は縄文時代に基礎が作られた。その意味からは、天皇制は日本人の本質に根差したものでもない。

むしろ、弥生時代の2200年前くらいに、当時の中国の秦帝国から渡来した方士(修行者)の徐福の一行などが、天皇家の先祖であると考えられる。当時の古代中国の先進文化で、銅鐸文化の縄文人を征服し、支配したのが天皇家の先祖であると考えられる。そのために、わざわざ、日本書紀などで日本神話を作り、日本人を洗脳したと考えられる。日本の国家体制から天皇制を廃止し、大統領制を採用するのが、日本の伝統に即するものだと言える。

今の政治体制では、大統領制の採用が推進されることは期待できない。むしろ、無党派層の中から、大統領制を推進する勢力が出てくるだろう。

日本が大統領制を採用すれば、社会的にも大きな影響が出る。過去の25年間に及ぶデフレや、国力・経済の低迷などは、強力な大統領制の下で回避できるだろう。大統領制の下では、現代には不適切でむしろ非人道的な制約の多い天皇家や皇族の人間も自由を享受できる。大統領が元首として東京(今の皇居)に住み、天皇は伊勢神宮の神官として政府の保護の下で暮らし、皇族は国民としての権利を享受すればよい。江戸時代の皇族より自由な生活が保障されるので、彼らも満足だろう。

「日本が21世紀に発展するには、大統領制の採用しかない」と判断する無党派層が、日本の政界で主流となれば日本の未来は明るい・・・

2021年10月30日土曜日

「難民認定拒否」、「入管死者」、「国内貧困層」とコロナ大感染

日本政府は難民認定をしない。

NPO法人「難民支援協会」(本部・東京)が作成した統計によると、2019年の難民認定数は、日本が44人で認定率が0.4%だったのに対し、ドイツは5万3973人で認定率25.9%、米国が4万4614人で同29.6%、フランスが3万51人で同18.5%、カナダが2万7168人で同55.7%などとなっており、欧米と比べて日本の少なさが際立っている。(https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00991/)

おまけに、入管での死亡者数も少なくない。

入管収容者の死亡 支援団体などによると、入管収容者の死亡は1993年以降で26人。病死のほか、自殺が7件。頭がい骨骨折など外傷による死亡もある。2010年にはガーナ人男性が強制送還中に航空機内で、入管職員に制圧された際に死亡した。19年にはナイジェリア人男性が長期収容への抗議のハンストで餓死した。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/109039)
苦しんでいるのは、在日外国人ばかりではない、日本人の貧困層は1200万人と言われる。
2016年に発表された世界の貧困率における日本の位置は14番目の15.7%となっています。これは先進国の中で中国やアメリカに次いで3番目の高さ・・・
2015年時点では等価可処分所得の中央値は245万円であり、この半分となる122万円未満の可処分所得(収入などから税金や社会保障費などを引いた金額)の世帯が相対的貧困層となります。
この相対的貧困層の割合は2003年には14.9%だったのに対し、2011年で16.1%まで増えています。
現在は経済の回復で多少低下したとされていますが、それでも15%以上の人が相対的貧困層に当たる・・・(https://gooddo.jp/magazine/poverty/asia_poverty/japan_poverty/)

今回の総選挙では、過去数年間続いた安倍・菅政権の責任が問われる。実は、「難民認定拒否」、「入管死者」、「国内貧困層」 の増加に対して、日本政府の責任だけでなく、そのような与党・政府を選んだ国民の責任も問われる。そして、「神様の怒りがコロナとなって現れた」と信じる信仰者もいる。

このような非人道的な状況に対する責任は、安倍・菅政権や自民党・公明党の与党だけでなく、そのような体制を選んだ日本社会、市民、国民にもあると判断された神様が、コロナで全世界と共に、日本を罰したとの意見を表明すれば、政府やエリート・富裕層からだけでなく、一般市民からも反感を買う。

それでも、神様を信じる者は(キリスト教徒だけでなく)、そのような意見を持つべきなのです。

2021年10月29日金曜日

「たった一度の人生だから~」という悪魔の教えに警戒せよ!

 悪魔が人間を洗脳するのに、「たった一度の人生だから~」という言葉を使う。

つまり、「たった一度の人生だから、手段を選ばず、幸福を追求しろ」ということです。そして、悪魔に洗脳された人間は、どんな手段を取ってでも幸福になろうとする。即ち、詐欺的行為、欺瞞、追従、裏切りを平気で行うようになる。

犯罪者が、若者を犯罪行為に巻き込むのにも、このセリフで若者を洗脳しようとする。「たった一度の人生だから、この程度のことはやっても当然だ」という誤った考えを吹き込む。そして、洗脳された若者は、一種の宗教的確信をもって悪事を働く。

しかし、救世主イエス・キリストの教えによれば、「死後の世界は存在し、貧乏人は天国に入り幸福になる」。だから、この世では悪魔の誘惑を避けて、悪事を行わず、善行を行い、富を求めてはならない、と言うのが本当のイエス・キリストの教えになる。

それでも、悪魔に洗脳される人間は後を絶たない。おまけに、テレビでもネットでも、自分の幸福を見せびらかす人間は後を絶たない。消費者の欲望を掻き立てて、自社の製品を購入させようとするコマーシャルが溢れている。そして、欲望を満たすにはカネが必要だということになる。だから、漫画のようなオレオレ詐欺事件も後を絶たない。平たく言えば、悪魔の合言葉は、「たった一度の人生だから~」ということになる。

問題は、この言葉に洗脳された人間は、確信をもって、巧妙な犯罪行為を行う。一般人には想像もつかないような巧妙で、計画的、もしくは、非人間的な行為を行う。例えば、裁判官が裏で犯罪者と組んで大金を稼ぐような行為です。あるいは、大臣がエリート官僚を使って脱法行為で巨額の利益を得るような行為です。

従って、世の中が良くなるには、「たった一度の人生だから~」という悪魔の教えではなく、「死後の世界は存在し、貧乏人は天国に入り幸福になる」というイエス・キリストの教えを信じることです。

むしろ、このイエス・キリストの教えを強調しない教会、牧師に問題がある、ということになる。

2021年10月28日木曜日

貧乏人を救うことで世の中を救うのが、「救世主」

イエス・キリストは「救世主」と言われる。つまり、世を救う人類の主人です。

なぜ、「世を救うことができる」のかと言えば、イエス・キリストには「神の子」という権威があるからです。即ち、神様から世を救う能力を与えられているからです。

その証拠として、2千年前に新約聖書が書かれ、2千年間かけてキリストの教えは「キリスト教」として欧米を中心に世界中に広まった。

日本には、戦国時代の1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に到来したのが、公式にはキリスト教の日本布教の開始だとされている。戦国時代には、一時、多くの日本人がキリスト教を受け入れたが、江戸幕府の成立と共にキリスト教は禁止され、明治維新までキリスト教は日本で普及しなかった。しかし、本当にキリスト教への自由な信仰が解放されたのは、1945年の日米戦争の敗戦で、日本がキリスト教国のアメリカに占領されてからです。

キリスト教は誰を救うのか、ということが重要です。イエス・キリストは、本来、貧しい人々に伝道した。「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」に神の教えを伝えた。「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのが、イエス・キリストの教えの中心だった。

世の中には、金持ち、エリート、上流階級の人間よりも、貧乏人が多いので、この教えは社会で受け入れられ、1900年前のローマ帝国も最終的にキリスト教を国教とした。これが、現在のカトリックの本拠、ローマ市内のバチカンの基礎となり、現在までヨーロッパ/アメリカでキリスト教は受け継がれ、それらの国で事実上の国教となっている。イエス・キリストがインチキ宗教家なら、とても、現在まで続かない。このこと自体が、イエス・キリストの教えが真実であることを証明している。現在の世界文明は、欧米文明が世界に普及して出来上がったものであり、欧米文明の基礎はキリスト教だということになる。欧米発の科学・技術によって人類の文明が発展し、多くの国で貧困が解消されたのは事実です。

しかし、キリスト教の基本は「貧乏人を救うことによって、世の中を救う」ことにある。だから、キリスト教国のアメリカでは、信徒の慈善活動が盛んです。他にも、欧米の人権・福祉活動は、ほとんど全てイエス・キリストの教えが基本になっている。

日本でも、キリスト教関係者は、ホームレス支援などの救貧活動に関わっている。キリスト教関係者が、特に親切な人間や優しい人間だからというのではなく、そもそもイエス・キリストは貧しい人を救うために伝道していたので、キリスト教関係者がホームレス支援などの救貧活動に関わるのは、宗教活動の一環なのです。そうすることで、キリスト教関係者は死後、自分たちも天国に入れてもらえると考えているのです。

しかし、何といっても、イエス・キリストの教え「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのは、大部分が中流の生活を送る教会関係者に向けられたものではなく、「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」に向けられたものです。

そして、「神の教え」とは、まず第一に「愛と善を求める神様に全力で従い、自分を愛するように隣人を愛せ」ということです。これを実行すれば、「神様は奇跡を起こしてでも、信者を救ってくれる」、と考えるのが信仰なのです。

従って、金持ちが本当にキリスト教徒になれば、多くの貧しい隣人に経済援助をし、自分も貧しくなる。つまり、本当にイエス・キリストの教えに従えば、金持ち、エリート、幸福な人間ではいられなくなる。だから、悪魔がさまざまな解釈をキリスト教徒に与えて、金持ちであることを正当化させようとしている。

それでも、「まず、神を信じて、その教えを実行すれば、衣食住などは、神様が面倒を見てくれる」というのは、「下層の人々、貧乏人、病人、不幸な人、社会の主流から疎外された人々など」にとっては、有難い言葉です。特に、それが神の子であることを2千年にわたって証明してきたイエス・キリストが宣言していることに意味がある。つまり、イエス・キリストは世を救う人類の主人、「救世主」だということになるのです。

要約すれば、イエス・キリストは、「救世主」として貧乏人を救うことで世の中を救おうとしている、と言うことです。

2021年10月27日水曜日

戦後から現在、そして未来への正しい歴史観

1941年に始まった日米戦争で、300万人の日本人が戦死し、1945年に日本はアメリカ(連合軍)に無条件降伏した。しかし、1941年に当時の天皇が開戦に反対していれば、この悲劇は避けられた。これが、戦後から現在までの正しい歴史観です。

従って、戦後、米軍のマッカーサー元帥が起草した新憲法を、日本国民は喜んで受け入れた。この新憲法は、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を導入するものだった。

それまで国家元首だった天皇は、東京のアメリカ大使館に駐留したマッカーサー元帥を10回程度、個人的に訪問し友情を勝ち得て、戦争責任の追及から免れた。代わりに、開戦時の東條首相(大将)が、米軍によって処刑された。

新憲法では、天皇の地位は国家元首から、「国民の象徴」に降格された。そして、国家の主権は国民にあると明記された。これは、事実上の革命だった。ただし、日本のエリート層は、天皇の権威を利用するために、国民の上に天皇を置くという姿勢を崩さなかった。そして、その天皇の上にマッカーサー元帥、米国政府を置くと言う形を取り、日本のエリート層は、米国政府を事実上の自分たちの支配者であると認めた。

これが、1945年の敗戦、1947年の新憲法施行以来、21世紀の現在までの、日本の新体制となった。

問題は、先の日米戦争で300万人の国民が戦死したことです。今では、考えられないことだが、「天皇陛下のために死ね」というのが、戦前の日本政府の国民に対する命令だった。そして、今でも300万人の英霊が、怨霊となって戦後の日本政府を恨まないように、終戦記念日では天皇が出席して戦死者に頭を下げ、慰霊することになっている。

本来、戦後、天皇制を廃止し、大統領制を導入するのが、平和日本の取るべき道だったが、日本の占領を円滑に遂行するために、マッカーサー元帥は天皇家を存続させ、利用することを選んだ。

しかし、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を導入した日本にも、アメリカのような大統領制を採用するのが自然なのです。世界の主流はキリスト教であり、キリスト教の神と、天皇家がその基盤とする日本神話の神々は調和しない。従って、天皇は伊勢神宮の神官とし、徳川幕府の将軍のように、大統領を選んで日本を統治させるのが自然だと言うことになる。

日本が戦後、さまざまな社会的、文化的、政治的な問題を解決できず、世界でも指導的な国になれないのは、天皇家を頂点とする暗黙の文化体制にある。世界で人類は1つであり、人類の神も1つだというのが、欧米を中心とする世界の常識です。その世界の主流に参画するには、民主的な大統領制の採用が歴史の流れなのです。

世界的な人類の歴史から見れば、日本の天皇家はいつ断絶してもおかしくない。先の大戦で戦死した300万人の怨霊も鎮めなければならない。今世紀中には、日本も大統領制を採用しなければ、明るい未来はない。キリスト教の神に見放されて、日本は成り立たない・・・。

キリスト教の神は人類の神様、支配者、主人なのです。


2021年10月25日月曜日

「給付金エコノミー」などを導入せよ!

2018年のデータによれば、

日本は米国、中国に次ぐ世界第3位の経済大国でありながら、7人に1人が貧困にあえぎ、母と子のひとり親世帯では半数以上が貧困に・・・

貯蓄がない世帯」が全体で14.9%。母子世帯に限ってみると37.6%に増える。「生活が苦しい」と答えた人は全体で56.5%、母子世帯では実に82.7%が「生活が苦しい」・・・

日本の貧困生徒の割合は5.2%。やはり、先進国(G7)の中では最も高いレベル・・・

母子世帯は、約123万8000世帯(「ひとり親家庭等の現状について」より)。そのうちの半数が貧困層とすれば62万世帯。母と子で少なくとも120万人が貧困と戦っている・・・

65歳以上といえば、年金生活を送っているのが普通だが、現在の年金給付レベルでは女性が6割近く、男性も4割近い単独世帯が貧困に陥っているのが現実だ。実際に、家計調査年報の2016年度版によると、無職の高齢単身世帯の実収入の平均は月額で12万2000円、年換算で147万円・・・

https://toyokeizai.net/articles/-/221708

この状況では、総選挙では当然、与党に厳しい結果が出る。ただし、2009年の政権交代で、旧民主党の無能ぶりが明らかになっているので、旧民主党をルーツとする立憲民主党には政権は渡らない。

岸田政権が、経済の成果の「分配」を強調するようになったのも当然だが、コロナ感染は、もっと画期的な経済政策を要求している。即ち、政府がすべての国民に対して 一定の現金を定期的に支給する「ベーシック・インカム」の給付が必要になっている。コロナで政府は、一度だけ定額給付金を国民に支給したが、これを定常化し、毎年、実施すべきだということになる。

経済の基本は、「製造・生産=>販売=>企業収益・税収」だが、そもそも、消費者に購買力がなければ、経済は回転しない。そのために、まず、政府が国民に消費のための資金を供給するのが、この経済の流れの出発点となる。

労働の対価としての給料や、取引の収入だけに頼るのではなく、政府が個人に最低限の消費者費用を支出することで、安定的な国民生活、消費水準が維持され、社会も安定する。労働の対価ではなく、国民という身分に対して、その生活権の保証として、税収を基本とする政府の予算の枠組みとは別に、消費用の資金を国民に支給するのが、政府の義務です。

財務省は、税収と予算のバランスという単純な計算式ではなく、国民の生存権・生活権の保証という観点から、新たな経済学を導入すべきです。例えば、「給付金エコノミー」など・・・

2021年10月21日木曜日

この世の貧富と、霊界の秩序(天国と地獄の違い)

救世主イエス・キリストは、貧乏人の味方だった!

これが、本来のキリスト教の最大の特徴です。

ただし、いつの時代も人間の大部分は貧乏人だったので、過去の成功した宗教は、みな貧乏人の救済も目指していた。しかし、仏教は「貧乏人」の救済ではなく、「人間」の救済を目指した。ユダヤ教は「ユダヤ民族」の救済であり、イスラム教は「マホメットに従うアラブ人信者」の救済だった。ところが、キリストは、「貧乏人」への神の愛を述べ伝えるために、神によってこの世に派遣された神の子だと公言して、その教えを広めた。本来のキリストの教えは、「貧乏人」に向けられたものだった。そして、いつの時代にも、どの国でも貧乏人がいるので、キリストの教えは、いつでも、どこでも伝えられるべき宗教になった。

仏教も、人間である限り、誰もが学ぶべき教えだが、いつの時代でも、どこでも富裕層・エリート・幸福な人間は、自分の人生を楽しむのに忙しくて、ブッダの教えなどには振り向かない。

この世の貧乏人は、この世で希望のない生活を強いられる。しかも、富裕層・エリート・幸福な人間は、貧乏人を洗脳して自分たちに有利な体制に従わさせようとする。そして、富裕層・エリート・幸福な人間の頂点には、悪魔がいる。そもそも、勝ち組と負け組に別れるのが人間社会であり、階層があり、階級・格差がある。そういう体制を打破しようと言う動きもキリストの教えにつながる。民主主義は、キリスト教を背景とする西洋社会から生まれた理由もここにある。民主主義は、貧乏人を救済しようとするキリストの愛が出発点になっている。

しかし、キリストは、暴力革命や民主革命で貧乏人を救済しようとしたわけではない。「貧乏人は、死後、天国で幸福になり、金持ちは、死後、地獄に落ちる」という簡単な教え(福音)で救済しようとした。

悪魔が影響を及ぼす人間社会では、必ず、階層が生じ、階級・格差が生まれる。つまり、必ず貧乏人が生じる。しかし、人間は誰でも死ぬ。そして、みな霊界に行く。この世での人生は短いが、霊界では神様が霊に永遠の命を与えることができる。そして、キリストは「神様が貧乏人には永遠の命を与え、金持ちは地獄で滅ぼす」と宣言したのです。つまり、この世で幸福になるための教えではなく、死後に幸福になるための教えが本来のキリスト教だということになる。

貧富の差が、善悪と関係し、善を愛する神様が貧乏人を死後、救済する。これが、イエスの教えの基本になる。ただし、人間の眼には貧しくても悪い人間がいるし、金持ちでも善良な人間がいるように見える。しかし、金持ちも貧乏人を愛すれば、貧乏人にカネを与え、自分も貧しくなる。「多く与えられた者は、多く要求される」と、キリスト言っている。貧しい人間も、善を無視し、手段を選ばず富を追求すれば、そこそこの金持ちになれる。しかし、「そこまでは、できない」から貧乏のままになっている。そのような心の奥底の判断は、他の人間には分からない。まさに、神様のみがご存知だということになる。「人を裁いてはならない」ともキリスト言っている。

ただし、全ての前提条件として、神の教えに従うこと、又は、イエス・キリストの教えに従うことが前提とされている。悪魔でも、人を金持ちにしたり、貧乏にしたりできる。そうすると、分かりやすいのは「貧しい信仰者は天国に行き、その他は地獄に行く」ということになる。しかし、憐れみ深い神様は、貧乏人は全て天国に入れて、その後、神様を愛さない者は天国から追放する、と考えれば、キリストの教えも納得できる。

「貧乏人なら、死後は、無条件でいったんは天国に入る」という教えを、権威のある聖者(神の子、イエス・キリスト)から聞けば、どんな貧乏人でも喜ぶ。

ただし、悪魔に洗脳された富裕層、支配層、上流階級、エリートは、この教えに反感を持つ。悪魔はヴァチカンなどの教会に浸透し、働きかけ、支配し、この教えを曖昧にする。だから、教会は死後の世界、霊界などについては「おとぎ話」のようにしか教えない。

この世の貧富と、霊界の秩序(天国と地獄の違い)を結びつけたのが、本来のイエス・キリストの教えなのです。



2021年10月19日火曜日

総選挙の視点・論点、天の声

 いよいよ日本で総選挙が始まった。

総選挙で、オリンピックの時のように、人の流れが加速し、コロナの第6波が生じるのは確実だと思われる。11月から年末まではコロナの第6波が生じる。

今回の総選挙は、来年の参議院議員選挙と併せて、日本の近未来の体制を決定する。自民党の腐敗・堕落は周知の事実だが、異常なサヨク思想から脱却できない立憲民主党はもっと危険・無能だというのが専門家の常識になっている。だから、有権者は、自民党の大勝は望まないが、同時に政権交代も望んでいない。

本当の争点は、経済的にはこの30年間、日本人の給与が上昇せず、日本企業の国際競争力も低下したことにある。

この原因は、大企業の経営者の非愛国的な姿勢にある。経済のグローバル化の中で、企業収益を上げるために、中国の安価な労働力を利用したのが、デフレのそもそもの出発点になった。日本経済より自社の利益を優先させた日本の企業が、中国の安価な労働力を利用し、一方、中国・韓国は日本の技術を移転させ、日本の個々の技術者も中国・韓国での高給を求めて技術を売り渡した。だから、かつて世界を制覇した日本のエレクトロニクス業界はデフレの中でも企業収益は確保し、内部留保も高めたが、さらなるハイテク分野で中国・韓国・台湾の企業に先を越された。テレビ、スマホ、半導体で日本の優位は失われた。日本の大企業経営者の非愛国的姿勢が、日本経済の停滞、技術の優位喪失、日本人の勤労者の給与水準の停滞、消費の低迷をもたらし、30年のデフレにつながった。

従って、望まれる政治とは、「愛国経済法」を制定し、中国・韓国・台湾に資本移転、技術流出を行う大企業の経営者を取り締まることにある。

今の自民党では、このような愛国主義は推進できない。日本人を豊かにせず、自分の会社だけ、自分の生活だけを豊かにし、国家に没落をもたらす大企業経営者の責任を問うような政治は、今の自民党には期待できない。

しかし、そもそも「愛国」と言う概念のないサヨク政党、サヨク政治家にも期待できない。

投票するなら、本当の民族愛、愛国心を持った政治家に投票すべきだが、それは無党派の政治家に期待するしかない、ということになる。ただし、今の政治体制では、そのような良心的な政治家が伸びる可能性は少ない。

そのような政治家は現在の財界、政界から危険視され、政府は権力をもって抑圧・弾圧する。そして、そのような現体制の象徴が天皇家だということになる。

つまり、大統領制を導入し、天皇を用いた洗脳から日本人を解放するしか、本当の日本の発展は期待できない、ということになる。天皇の代わりに、真の民族の大統領を選ぶべきだ、ということになる。2千年以上前に、中国から渡来し、銅鐸文化を亡ぼし、当時の中国の先進文化で縄文人を支配・洗脳した天皇家から日本民族を解放する、というのが根本思想になる。

現体制の権力者は、このような意見は、どんな手段を使ってでも抑圧しようとうする。右翼もサヨクも、このような意見を抹殺したがる。しかし、このような意見を支持する無党派層のみが、将来の日本を救うことができるのです。

2021年10月18日月曜日

人類の未来に対する考察

人類の未来は、決して明るくない。

今後、千年も、1万年も人類の歴史が順調に続くとは思えない。

その1つの要因が、今回のコロナに対して明らかになった現代文明の脆弱さにある。あるいは、人類が制御できない地球的、宇宙的な規模の天災、災害、異変の可能性がある。

人類の過去は、決して暗黒ではなかった。38億年前に地球に生物が誕生して以来、さまざまな生物が生じては亡んできたが、人類の最遠の先祖の生物は、単細胞生物から多細胞、6600年前の哺乳類、500年前の人類へと進化し、16万年前のミトコンドリアのイブが現代人の共通の先祖となり、その進化の流れは現在まで途切れることなく繋がっている。

人類の他にも、現在、地球には900万種近い生物が存在するが、地球誕生以来、この46億年は、そのような生物の繁栄を許すだけの好条件に恵まれていたと言える。しかし、そのような条件が永久に続くわけではない。人間の物質文明が、地球温暖化をもたらしたように、この地球の自然にも脆弱性がある。自然界のバランスが崩れたり、突発的な異変で生物の大絶滅をもたらすような危機が生じないとは言えない。

宗教的には、神様が人類を守って来たから、そのような悲劇が今まで生じなかったということになる。しかし、人間社会が堕落・腐敗し、神様の教えに従う人間がいなくなれば、もはや、神様が人類を守る理由もなくなり、自然の法則のみに従う脅威が地球を襲うことになる。科学・技術の発達に過信した人類が、古代人のように真摯に神様を敬う心を無くし、神様の保護をなくした人類が滅亡に直面するのは明らかなように思われる。

「古生物学者らはこれまでに起きた5回の大量絶滅を特定している。4億4300万年前のオルドビス紀の終わり頃、推定86%の海洋生物が地球上から姿を消した。3億6000万年前のデボン紀の終わりには全生物の75%が絶滅した。2億5000万年前のペルム紀の終わりには史上最大の絶滅が起き、生物の96%が消えた。

2億100万年前の三畳紀の終わりには全生物の80%が姿を消した。最も有名な大量絶滅は6500万年前の白亜紀の終わりに発生した。このときは恐竜やアンモナイトを含む76%の生物が死に絶えた。他にも1万年前の、更新世の氷河期の終わりに起きたメガファウナ(巨大動物)の絶滅などもある。 (https://forbesjapan.com/articles/detail/27329)」

コロナ・ウイルスのような感染症、大規模な地殻変動、巨大隕石との衝突によって、人類の絶滅でなくても、文明の崩壊は生じる。

18世紀の科学者ニュートンが、「世の終わりは2060年以降に始まる」と予言したのを信じれば、今世紀中に「世の終わり」と称されるような悲劇が人類を襲う可能性はある。とても、千年後、1万年後まで人類の歴史が続くとは考えられない。ただし、今、生きている人間にとって、そのような遠い未来のことには、関心は持てないはずです。自分の生きている間のことだけが重要になる。そして、死後の世界を信じなければ、自分だけは生きている間に(たとえ、合法的であっても)手段を選ばず幸福になろうとする。そして、そのような生き方が人類社会に腐敗・堕落をもたらし、将来の人類滅亡をもたらす。

そもそも、太陽の寿命は約100億年であり、50億年後には太陽は赤色巨星となり、その後は白色矮星となって一生を終える。太陽が赤色巨星となれば、地球は太陽に飲み込まれるか、炎熱地獄となり、地球の生物も完全に死滅する。いずれにしても、その前に人類が太陽系を脱出して、別の恒星系に新たな住居を定めなければならない。しかし、人類文明がその段階まで発展し続けるには、神様の導きが必要だろう。

いずれ、地球も、太陽系も消滅するとしても、そのはるか以前に人類が神様の保護を失って絶滅する可能性は高い。そして、その「世の終わり」が今世紀中に始まるとすれば、この銀河系内の、この太陽系の地球は、神様に見捨てられた「罪の惑星」として霊界の歴史書に記録されるだけになる。そして、我々は、その悲劇の目撃者だということになる。もはや、この世のことには執着することなく、死後の世界、霊界のことを考えるべきかも知れない。

2021年10月14日木曜日

聖書の「山上の垂訓」を学べ!

イエス・キリストは何を教えたか?

日本の学校ではイエスについては、ほとんど教えないが、その教えは人類の文明の基礎となっている。明治以来、欧米化を進めた日本人が、学ぶべき欧米文明の核となる教えだったが、日本の教会ですら、その内容を曖昧にしている。そもそも信仰心のない人間が牧師をしているのだから、そういう呆れた現象が生じる。

さて、簡単に言えば、聖書の中の「山上の垂訓」と呼ばれる部分に、その教えが代表されている。この部分は、教科書で教えるべきイエスの教えの中心です。

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マタイ伝からの引用
5章1節 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。

3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。

5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。

12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。

15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。

16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。


ルカ伝からの引用
6章20節 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
21 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。

あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。

22 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。

23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。

24 しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。

25 あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。

あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。

26 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。

27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。

28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。

29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。

30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。

31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。

32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。

33 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。

34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。

35 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。

36 あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。

37 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。

38 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%9E%82%E8%A8%93
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この「山上の垂訓」が、イエス・キリストの十字架上の死と、死からの復活以降、2千年の欧米を中心とする世界文明の基礎となった。

日本人も、この教えをよく学び、実践すべきです。明治以来、それをせずに欧米の科学文明の導入だけに注力して来たので、いつまでたっても日本は世界を主導する地位にはつけなかったのです。

「山上の垂訓」というイエス・キリストの教えが、現代の民主主義、人権尊重、福祉、平和の理念の基礎となったのです。

2021年10月12日火曜日

革命を起こす教え「死後の世界は存在する!」

「死後の世界は存在する。」

「特に、貧乏人は死後の世界で幸福になる。」


この教えを信じれば、この世界に革命が生じる。人間の世界観、この世の文化、社会の思想、宗教の教義も全て無意味になる。この教えで人々は本当の自由と救いを得る。高い文化水準、洗練された世界観、苦労して得られる宗教の悟りなども、全て無意味になる。しかし、この世で苦労する貧乏人は救われる。なぜなら、高度な学識、厳しい修行、優れた才能も必要ない。カネ儲けのための悪心を持たず、この単純な真実を信じるだけでよいのです。これが、本当のイエス・キリストによる救いです。


しかし、世界を支配しているのは、政治でも、経済でも、文化でも、宗教でも富裕層だから、この教えには反対する。イエス・キリストのこの教えを隠そうとする。そして、当然、富を求める人間を洗脳し、彼らを支配下に置こうとする悪魔は、この教えが広まらないようにする。だから、世の中の人は、政治家でも、財界人でも、文化人でも、宗教家でも、人間の魂は死後も霊界で生きると言うことに確信が持てなくなる。


悪魔の狡猾なところは、霊能力者も洗脳し、堕落させ、腐敗させ支配下に置くところにある。だから、ほとんどの霊能力者は霊能力を使ってカネ儲けに励む。キリスト教を信じるホームレスのような霊能力者の場合を除いて、普通の霊能力者は、たとえ死後の世界を霊視しても(霊視できるのは霊界の入り口だけ)、この世と同じように豊かに暮らす霊ばかりだと考えて、そのような観念を人々に吹き込む。普通の霊能力者は、この世の金持ちも死後、霊界で豊かに生きると人々に伝える。しかし、現代心霊主義の基礎となった18世紀の霊能力者スウェーデンボルグは、悪霊について警告している。悪霊は、霊能力者の肉体と心に入り込み、悪魔の教えを吹き込む。悪魔は、「死後のことなで心配せずに、この世でカネもうけをし、幸福になれ」と、悪魔の教えを吹き込む。


それでも、2000年前のイエス・キリストの教えは単純です。

「死後の世界は存在する。」

「特に、貧乏人は死後の世界で幸福になる。」

「そして、金持ちは地獄に落ちる。」


キリスト教の教えに従う霊能力者の間でも、地獄についての意見、観察、判断は多少、異なるが、基本は、霊も神に向かって成長しなければならない、ということです。つまり、富や権力によって堕落した霊は、霊界の低いレベルで生きることになる。


さらに、スエーデンボルグによれば、普通の人間が霊界を霊視できるようになれば、正気を失う可能性がある、と警告している。まずは、キリスト教や仏教を学んで霊界について正しい観念を持つ必要がある。「死後の世界は存在する」という教えは、科学・技術が進み、物質文明が発達し、悪魔に洗脳された富裕増の多い現代社会では、ある意味で危険視される。キリスト教や仏教という2000年以上の歴史を持つ正当な宗教を基盤としない、霊能力者は悪魔によって洗脳されやすい。


死後の世界は存在する。人間の魂は死後、霊界に入る。そして、霊界で霊は天国・天界に向かって成長することを求められる。この世で富や権力を持っていた人間の霊は、霊界で低いレベルに置かれ、自ら地獄に行く者もいる。天国・天界に入るには、善と愛を学ばねばならない。そもそも、死ぬ前に富や権力を持っていた人間は、上辺はともかくとして、心の奥底では善や愛が足りない。しかし、貧乏人は、より深く善や愛を理解しているので、霊界では高いレベルに置かれる。だから、イエス・キリストは、「貧乏人は、死後、天国に入る」と述べているのです。

2021年10月10日日曜日

霊的には貧乏人が「上」で、金持ちが「下」

イエス・キリストの教えの革命的な点は、この世の価値観を変えたことです。

ただし、キリスト以後、2千年たって、その教えは形骸化している。これが、現代世界の全ての問題の元凶だと言っていい。


その教えとは、「貧乏人は、死後、天国で幸福に暮らすが、金持ちは、死後、地獄に落ちる」ということです。つまり、霊的には貧乏人が「上」で、金持ちが「下」だということです。この世の価値観が、キリストの教えでは逆転するのです。


この教えを信じれば、誰もが貧乏人を目指して生きるはずです。しかし、死ねばおしまい、という考え方が世の中の主流となっている。人間の魂は肉体の死後も生き残るという考えは、まだ世の中の常識にはなっていない。魂の存在や、霊界の存在もオカルトの世界の話しだということになっている。とにかく、生きている間に幸福を求めると言う生き方が主流になる。そのためには金持ちにならねばならない、と人は考える。


霊や霊界の存在を認める宗教も多いが、「金持ちは地獄落ち」という教えをその聖典に書いているのは、キリスト教くらいのものです。


さらに、悪魔はカネでもって人間を支配するという教えが、本来のキリスト教にはある。悪魔に魂を売らなければ、1円も手に入らないような社会になっている。従って、金持ちほど悪魔に魂を売っている。そして、悪魔に魂を売った人間は、腐敗・堕落する。悪魔は人間の欲を刺激して金持ちを志向させ、カネを得た人間を腐敗・堕落させる。腐敗・堕落した人間は神の教えから遠ざかる。そして、死後は、金持ちの魂は地獄に落ちる。


イエス・キリスト様は、貧乏人を愛し、神様の定めた霊の取り扱いを世に伝えるために、人間社会に2千年前に来た、というのが真実です。この世では貧乏で苦しんでも、死ねば天国で幸福になる、という神の定めを信じれば、それだけでこの世の貧乏人は救われる。だから、聖書の中のキリストの宣教活動を記した巻は「福音書」と呼ばれる。


死後も魂は存続し、貧乏人は天国に、金持ち・富裕層・エリートは地獄に、というのが、この世の常識になれば、世の中は革命的に変わり、貧乏人が苦しむこともなくなるのです。問題解決は政治的な革命ではなく、まず宗教的な革命で行われるべきなのです。


2021年10月8日金曜日

貧乏人は、死後、天国に入り、金持ちは、死後、地獄に落ちる

 イエス・キリストの教えのポイントをあげてみよう!

1.人は必ず死ぬ

これは、誰でも知っている。この世で永遠に生きる人間はいない。そこで、「人生はただ一度。手段を選ばず、この世での幸福を追求すべき」という悪魔の教えがはびこる。

2.この世で死んでも、人の魂は霊界で生きる

臨死体験が、広く知られるようになり、「人は死んでも、霊界で生きる」という認識が普及するようになった。また、霊能力者、霊媒、スピリチュアリズムなどが、マスメディアで取り上げられるようになり、霊の存在、霊界の存在、守護霊、悪霊の存在が徐々に一般に認められるようになって来ている。このような心霊主義に基づいて、さまざまな新興宗教や、エンターテインメントとして霊能力を売り物にする芸人も輩出している。しかし、そもそも、キリスト教も仏教も、霊的存在としての人間に注目して成立した宗教です。霊、霊界、死後の世界に関心を持つなら、キリスト教や仏教などの2000年以上の伝統のある正統宗教を学ぶべき。

3.霊界に入った人の霊は、天国に行く善良な霊と、地獄に行く邪悪な霊に分けられる

これが、キリスト教や仏教などの2000年以上の伝統のある正統宗教に共通の教義です。善人の魂が地獄に落ち、悪人の魂が天国に入るという教義はない。ここまでは、宗教に縁のない人間でも、善良な人々は本能的に理解する。そして、天国には神様がおり、地獄は悪魔がいると考えるのも自然な考えです。天国は悪魔が支配し、神様は地獄にいるという教義はない。

4.天国で善良な霊は、神様から永遠の命を与えられ、地獄で邪悪な霊は、神様によって、悪魔と共に抹殺される

キリスト教は永遠の命を得るための宗教です。命は神様が与えるものであり、永遠の命も神様が、善良な霊に与える。これが、キリスト教という宗教の基本になる。

5.善良な霊とは神様への信仰心を持ち、その教えを実行する人間だと言ことになる。邪悪な霊とは神様の教えを否定し、又は、表面だけ信じていても、その教えを心から実行することのない人間だと言うことになる

これが、宗教性という面で中心的な教義になる。しかし、口先だけ、言葉だけで神を信じると言いながら、その教えを実行しない者は、善良な霊を持つとは言えない。この辺りから、カトリックなどの宗教組織は曖昧になる。信仰やその実践を客観的に評価することはできない。実際に、教会と言う社会的な組織、牧師/神父という社会的な地位のために、信仰もないのに、神学部を卒業して、形だけ宗教の実践らしきことをして、牧師/神父となる人間も多い。

6.特に、貧乏人は善良な霊を持っており、金持ちは邪悪な霊を持っていると見なされ、従って、貧乏人の霊は死後、天国に入り、金持ちの霊は死後、地獄に落ちる

これが、イエス・キリストの教えの核心です。この教えの延長として、死後、天国に入るのは、「貧乏人、社会の下層/底辺の人間、不幸な人間、苦しめられる人間、裏切られる人間」だということになる。逆に地獄に落ちる人間は、金持ち、富裕層、社会の上流階級/エリート、幸福な人間、他人を苦しめる人間、裏切る人間だということになる。この世で「上」の人間は、霊界では「下」になり、この世で「下」の人間は、霊界では「上」になる。

しかし、信仰心のない貧乏人はどうなるのか? 信仰心のある金持ちはどうなるのか? こういう疑問が生じる。究極的には、信仰心を実践すれば、決して金持ちにはなれない、或いは、いつまでも金持ちではいられない。自分のカネや財産を周囲の貧乏人に与えれば、金持ちでも貧乏になる。貧乏人の悪党というものもいるが、その人間の人生を通して見れば、どこかで贅沢を経験している。従って、そういう信仰心を持てない貧乏人は、本当の貧乏人ではなく、いったん天国に受け入れられても、やがて天国から追放される。金持ちについては、表面的な信仰を持っていても、貧乏人になるほどの信仰のない人間は、やはり、天国から追放される。

これが、キリストの教えの核心であり、2000年間にわたって宗教界や学会、エリートによって研究されて来た問題です。

しかし、答えは単純です。「自分より貧しい人間がいることは、我慢できない。そういう人間には、自分のカネを全て与えよう」というのが、キリスト教の教えだと言うことになる。「貧乏競争」をするのが、キリストの教えの実践であり、宗教的な実践になる。

そして、そういうキリストの教えの実践者が、死後、天国に入るというのが、本来のキリスト教になる。

さらに、「貧乏人、社会の下層/底辺の人間、不幸な人間、苦しめられる人間、裏切られる人間は、死後、天国に入る」、というのが、イエス・キリストの愛の教えだということになる。

そこで、分かりやすく言えば、「信仰心のある貧乏人は、死後、天国に入り、永遠の命を与えられるが、信仰心のない金持ちは、死後、地獄に落ちて、そこで抹殺される」ということになる。


2021年10月5日火曜日

イエス・キリストの教えの要約

聖書のイエス・キリストの教えを要約すれば、以下のようになる。

貧乏人は天国に行き、金持ちは地獄に落ちる!

幸福な人間は神様に愛されない!

人の上に立ちたい人間、エリート、地位のある人間は、人の召使になるべき!

信仰者を攻撃する人間は、悪魔に魂を売った人間なので、無視すべき!

信仰があれば、奇跡は起きる!

そして、神様と隣人を愛することが、神様の人間に対する指示である!

つまり、天国に入ることのできる人間とは、社会の底辺の人間であり、誰よりも貧乏であり、不幸な人生を生きる人間であり、奇跡を生じさせるほどの信仰者だということになる。少なくとも、貧乏競争で世界一になる人間が、ローマ法王となるべきだということになる。

しかし、現実の社会は、富と地位を求めて争う社会であり、人々は幸福を求めて競い、不幸な人間を無視し、踏みつけ、地位ある人間は当然、下位の者を支配し、傲慢になり、宗教もカネ儲けや出世の手段となり、聖書などは「おとぎ話」としてしか理解されていない。

聖書の教えを理解するカギは、人間は死ねば終わりではなく、死者は全て霊界に入り、その魂はあの世で生き続ける、ということです。この世だけで、全てが終わるのではない。むしろ、死後、人間の魂は天国に行く者と、地獄に行く者に別れる。そして、イエス・キリストは、「この世で人の肉体を殺せても、人の魂を殺せない悪魔は恐れるな。むしろ、悪魔に従った魂を地獄で抹殺できる神様を恐れよ」と教える。

つまり、この世とあの世は連続した世界であり、本当の死とは、肉体の死後、地獄で魂が神様に滅ぼされることを意味する。しかし、死後、霊界から天国に入ることを許された魂は、そこで永遠の生命を得る。

そして、天国に入るには、貧乏で信仰をもたなければならない。信仰を持つとは、魂の問題であり、牧師や神父であること、教会のメンバーであることとは関係ない。むしろ、貧乏人は信仰者だと見なされ、霊界から天国に入れられる。つまり、貧乏人であることが、天国に入る最低の条件となる。

その理由は、人間社会では悪魔に魂を売らなければ、1円も入手できないという仕組みになっているということがある。衣食住は、全て、この社会の仕組みの中で得られることになっている。だから、ホームレスであることしか、悪魔の誘惑から逃れる道はないということになる。

ただし、ホームレスでなくとも、神様が十分、貧乏であると認めてくれれば、天国に入れる。ある意味で、信者は信仰の強さに応じて貧しくなる。実際、イエス・キリストも2000年前に宣教していたとき、ホームレスとして生きており、カネは持たず、人々からの施しで生きていた。これは、ブッダの人生も同じです。

たとえ、イエス・キリストの教えを知らなくても、本能的に悪魔を嫌う人間は金持ちの生活には耐えられない。結果として、そのような人間も信仰者のように貧しくなる。だから、貧しさが、信仰をはかる物差しになる。

なお、イエス・キリストは「信仰があれば、山をも動かすことができる」と言っている。今の時代なら、「信仰があれば、コロナに感染しない」ということになる。ただし、コロナ感染者を全て、不信仰者として責めるわけではないが・・・

2021年10月3日日曜日

コロナの影響の見直し:日米欧の腐敗・堕落と中国の危険な覇権への野望

 コロナの発生によって、世界だけでなく日本にも大きな影響が生じた。

コロナの世界大感染(パンデミック)がなければ、アメリカでは白人至上主義者のトランプが再選し、日本では権力に奢った安倍が病気辞任することもなかった。トランプはコロナ対策の不手際で政治の素人ぶりを露呈し、安倍は森友事件関連の批判に加えてコロナ対応が圧力となって、それぞれ2020年に政治の檜舞台から姿を消した。神様は、トランプと安倍にストップをかけるためにコロナを発生させたとも考えられる。

さらに、コロナがなければ東京オリンピックの延期・無観客開催もなかった。オリンピックが予定通り2020年に開催されていれば、外人観光客も多数来日し、日本はオリンピック景気で過熱していたと思われる。そして、貧富の格差がさらに拡大し、多くの日本人が腐敗・堕落した繁栄を享受していたはずです。実際にコロナの影響を受けた代表が、飲食店、観光業、航空業界などのサービス産業だった。

さらに、国内でのワクチン開発、製造もできないというお粗末な医薬品業界・厚生行政が浮き彫りにされ、コロナ患者は入院もできないという医療の一部崩壊を招いた。欧米に比べれば、2桁ほど被害が少なかったとは言え、日本社会の安全神話に陰りがさした。さらに新種のウイルス、変種のコロナが生じたときに、どこまで対応できるかに不安と疑問が生じた。

国際的には中国の軍事的・経済的膨張に対する警鐘となった。

20世紀後半の世界文明を推進してきたのは、欧米・日本を中心とする民主主義国家で、独裁政権の中国ではない。中国は、第二次大戦以後、特に日本との国交回復後、ある意味で甘言をもって日本から資本・技術を勧誘・導入し、また、90年代の日米経済摩擦以降は、アメリカの日本に対するけん制策によってアメリカに優遇され、アメリカから資本・技術を大量かつ安価に取り入れ、果ては、違法に技術の窃盗を行い経済力を拡大させてきた。欧米・日本の民主主義国には、中国が経済力をつければ民主主義化するとの期待が、21世紀まではあったが、香港の民主化勢力弾圧・ウイグル族の弾圧など、むしろ、中国共産党の独裁化を強化した。アメリカのクリントン、ブッシュ、オバマ大統領時代の中国優遇策は完全に裏目に出た。今や経済大国化した中国をトランプは抑えようとしたが、EUや日本と協調しないトランプ政権の政策は効果が疑問視されていた。

そんな中で、中国の世界での覇権を求める動き(一帯一路政策など)にストップをかけたのがコロナだった。WHOへの非協力的な対応など、世界の安全と平和について責任のある態度を取らない中国の姿勢が明確になり、欧米の中国への警戒は一層高まることになった。今年にはイギリスが空母艦隊を太平洋に派遣し、フランスの有力な政治家も台湾を訪問した。

歴史的に見れば、世界で2千万人以上が死亡した100年前のスペイン風邪の後に、大恐慌、第二次大戦が生じた。現在のコロナの死者は500万人弱だが、再び、大恐慌、世界大戦が生じないとも限らない。その要因としては、コロナの発生国の中国が第一に挙げられる。

中国は戦後も何度も、感染症を発生させてきた。中国の急激な都市化と、未整備な環境・衛生対策が野生生物の持つウイルスを人間社会に引っ張り出したと考えられる。さらに、細菌・ウイルスなどを生物兵器に利用しようとする中国の動きは、中国国内でも国外からも監視されていない。ある意味で、コロナは安全保障上の事件だとも言える。

日米欧の民主主義的・先進資本主義国家の腐敗・堕落もコロナで反省を強いられるべきだが、第三次世界大戦の要因となる中国の独善的な独裁体制による世界制覇への動きも、コロナを契機として真剣に警戒し、監視されるべきです。

聖書の研究家でもあった科学者ニュートンは、2060年以降に「世界の終わり」が始まると予言している。第二のコロナが数年後に発生すれば、世界はこの予言に近づく。この危機感が人類に共有されるのが、望まれるべきコロナの影響だということになる。



2021年10月1日金曜日

コロナの教訓:「神を恐れよ!」

コロナが、2020年に勃発することを予言できた者はいない。

2001年には、同時多発テロ、2011年には、東日本大震災が生じ、2021年の今も世界はコロナの大感染に苦しんでいる。特に、日本は10年ごとに厄災に見舞われている。この意味で、2031年にも新たな厄災(首都直下型地震/東南海大津波?)が生じると考えるべきです。

2000年代は、強欲な資本主義と経済のグローバル化を推進するアメリカに脅威を与えたイスラム過激派のテロと、リーマンショックなどの金融危機がアメリカを襲い、アメリカは黒人初の大統領オバマを選んで、ある意味で反省を示した。同時期に日本では、デフレと貧富の格差を20年も放置した自民党政権に代わって、リベラル/サヨク系の民主党が政権をとり、社会的な是正が図られた。

2000年代の末、オバマ政権は金融危機からの脱出のために、巨大な中国市場を考慮して中国優遇策を推進し、中国は経済を拡大しGDPで日本を抜いた。しかし、中国は欧米・日本的な民主主義国家を志向することはなく、中国共産党は独裁化を強めた。その反動もあって、アメリカでは偏った愛国主義を掲げるトランプ政権が成立し、日本では、2011年の福島第一事故での東電・政府の無能ぶりよりも民主党政権の無力ぶりに危機感を抱いた国民は、デフレ解消のアベノミクスを掲げた安倍政権を支持し、政権は再び自民党に戻った。

2010年代には、アメリカはイスラム・テロや金融危機から立ち直ったが、白人至上主義者・政治素人のトランプの無能ぶりが明らかになり、トランプは中国を抑えてアメリカ経済の再成長をはかり、再選を狙った。日本では安倍首相の強権ぶりが国民から嫌われるようになったが、2020年のオリンピック開催予定で日本は沸き返り、オリンピック景気で日本経済も強化されるはずだった。そして、政界無敵の安倍はさらなる再選を狙った。

しかし、2020年の始めにコロナ・ウイルスの世界大感染が中国から始まった。2021年9月末には、世界の感染者の累計は2億3千万人を超え、死者は480万人に迫った(日本では感染累計170万人、死者1万7千人)。アメリカの死者は70万人を超え、アメリカが関わった過去のどの戦争よりも多数の死者を出した。その影響でコロナ対応を批判されたトランプは再選されず、かつて金融危機の後始末で副大統領としてオバマ大統領を助けたバイデンが大統領に当選した。日本では、このコロナの嵐の最中に、安倍首相は病気辞任し、後任の安倍路線を継承した菅首相も不人気で1年間で辞任する。東京オリンピックも無観客ゲームとなり、オリンピック景気は起きなかった。

コロナの影響で、日米の政治体制には大きな影響が出た。しかし、WHOに対する対応などで国際的な評価を落とした中国には、もっと隠れた深刻な影響が出ているものと思われる。2022年の北京冬季オリンピックをボイコットする動きすらある。経済の大国化で政治・軍事的に膨張した中国に対してもコロナは大きな警告だったと思われる。

世界の死者が500万人に近づくコロナは、日米、中国だけでなく人類全体に対する神の警告だと考えられる。100年前には、第一次大戦の末期にスペイン風邪の世界大感染が発生し、第一次大戦は大感染の中で終結しヨーロッパに平和がもたされた。しかし、ドイツではその後、ヒットーラーの独裁化が始まる。そして、アメリカ発の世界大恐慌が始まり、日本は市場を求めて中国大陸に進出し、1941年発の日米戦争の遠因を作った。スペイン風邪は第一次大戦を終結させたが第二次大戦は防止できなかった。

コロナは、腐敗化する日米の政治に大きな影響を与え、暴走しようとする中国に警告を与えたが、第三次世界大戦を防止できるか否かは不明です。ウイルス兵器を使った世界大戦すら考えられる。

いずれにしても、2020年から2021年のコロナの世界大感染は、人類社会の腐敗・堕落に対する神の警告だと考えられる。悪魔は人類を滅亡させずに、果てしなく腐敗・堕落させることを望む。神様は、信仰者が感染死しても天国に入れて救うことができる。神様は死の天使にコロナ・ウイルスを持たせて人間世界に送ることもできる。コロナの教訓とは、「腐敗・堕落した人間社会に怒る神様を恐れよ」ということです。

2021年9月30日木曜日

コロナの教訓:定額給付金

岸田新総裁は、経済を最大の課題として挙げた。

コロナは、1回だけだが政府に定額給付金を国民に無条件に支給させた。コロナの最大の教訓というべき政府の施策だった。

90年代以降、日本はデフレに見舞われたが、その原因は消費の低迷だった。消費が低迷したのは賃金が90年代以降、抑えられたからだ。その原因は、中国の低賃金の労働力の利用にあった。企業は、日本の労働者の賃金の10分の1という中国の労働力を利用して、利益の確保を図った。そして、日本の労働者の賃金水準も抑えれることになった。全て企業の利益の確保のためである。

90年代には、まだ世界をリードしていた日本のエレクトロニクス業界も、低賃金の中国、韓国、台湾の労働力を利用しているうちに、技術や人材が流出し、テレビ、PC、携帯電話など、さまざまな分野でシェアを奪われることになった。

そして、企業は激化する国際競争の中で利益確保のために給与水準を抑え、人件費を抑えた。その結果、国民の消費力は抑えらえ、デフレになり、金利もゼロになり、財政・年金にも危機が生じた。

アベノミクスは金融部門を活性化し、株価も復活し、ある程度経済の活性化をもたらしたが、本質的な消費の活性化はたらせなかった。企業の姿勢は変わらなかったし、古い財政思想に縛られた財務省も新たな経済思想を受け入れなかった。

しかし、コロナの緊急事態で、国民がコロナで収入がゼロになれば、経済も財政も成り立たないことに気がついた政府は、定額給付金の支給に踏み切る。しかし、1世帯10万円の支給が1回だけでは不十分である。定額給付金を経済のベースとすべきだ。

労働・勤労・経済活動の対価・報酬・成果として収入を得るのは自由であるが、国民はその収入を社会の福祉、国家の経済のために使うとは限らない。社会の福祉、国家の経済のためには消費と税収が基本であり、そのために給付金を国民に支出するのは当然である。特に、低所得層は給付金を全て支出にまわすので、企業の利益、税収確保につながる。

まずは、政府は定額給付金を支給し、最低限の国民生活・消費を保証し、税収を確保するのが、国家体制の維持に必要だということである。これがコロナの教訓だということになる。


2021年9月28日火曜日

「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」

キリスト教の教えについては誤解が多い。

欧米の宗教だから、仏教をしのぐ体系的で、深遠な哲学的な神学理論の上に打ち立てられていると考える日本人も多いが、それは、イエス・キリストのパレスチナでの宣教以来、2000年にわたってバチカン(カトリック)などの教会組織や、教会と結びついたヨーロッパの国家、神学界が展開したものであって、本来のキリストの教えとは異なるものだ。

キリストの教えは、新約聖書の彼の言葉が全てだと言っていい。バチカン(ローマ教皇庁)などは、キリストの昇天後、教会のリーダーなどに神が送られた聖霊によって示された教えがキリスト教の本質であるとしているが、2000年前のパレスチナの貧しい農夫や漁民に三位一体説などが理解できるわけもない。

キリストの教えは、要約すれば以下のようになる。

1.死後、人間の魂は霊界に入って、死後の世界を生きる。

2.善良な魂は霊界から天国に行き、邪悪な魂は霊界から地獄に落ちる。

3.貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間は、善良な魂を有するとみなされ、富裕層、エリート、幸福な人間は邪悪な魂を有するとみなされる。

4.天国に入った霊は永遠の生命を与えられ、地獄に落ちた霊は神様によって抹殺される。

従って、貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間には、イエス・キリストの教えは「良い知らせ」だということになる。それで、イエス・キリストの宣教から、十字架での死、そして、復活して昇天までを描いた新約聖書は「福音書」とも呼ばれる。

2000年前から現在に至るまで貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間の数は、富裕層、エリート、幸福な人間の数よりもはるかに多い。従って、キリスト教は、そのような人々によって支えられてきたということになる。実際、キリストもその弟子に、「世界中に宣教して貧しい人々を救え」と命じている。

キリスト教の本質は、「貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間は、善良な魂を有するとみなされ」、「富裕層、エリート、幸福な人間は邪悪な魂を有するとみなされる」という点にある。この言葉の意味を、富裕層の学者、豊かさを志向する教会の指導者などは、当然、正しく理解できない。ここに、キリスト教世界にとって最大の問題がある。

仏教のような魂の救済・苦の消滅という抽象的な精神論ではない。現実の社会に生きる人々の現実に焦点を当てた教えです。そして、悪魔に魂を売らなければ、人間は富裕層、エリート、幸福な人間にはなれないという現実の厳しさに、神の愛の光を当てるという教えです。

キリスト教徒は仏教徒より、あの世、死後の世界、霊界、天国を信じ、求める気持ちが強い。「死ねば、空のお星さまになる」というおとぎ話のレベルではなく、「死ねば、天国でイエス・キリスト様に迎えられる」と本気で信じるのがキリスト教だということになる。

ただし、バチカンのローマ法王が、ミニ国家ながらバチカン市国の元首として、大宮殿のようなサン・ピエトロ大聖堂で多くの教会関係者を召使として使って生活しており、バチカンの財政的資産は5千億円と言われるが、その保有する歴史的な芸術や資料の価値は、ほとんど無限と言っていい。神様がローマ法王を貧乏人の一人として天国に受け入れるかどうかは誰にも分からない。

イエス・キリスト自身は、悪魔につけこまれないように、無一文でホームレスの生活を送った。聖書にも、イエス・キリストがカネを使う場面の描写はない。ブッダも乞食をして、人々の施しで生活していた。信用できる宗教家はホームレスの生活レベルの宗教家だけだ、ということになる。(だから、豊かな生活を送る教祖のいる新興宗教は信用できない・・・)

欧米人なら、誰でも知っている聖書の中のイエス・キリストの言葉は、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」です。



2021年9月27日月曜日

死後の世界を信じるアメリカ人と信じない日本人

 聖書によれば、世の終わりが近づけば、神は人々に霊を送るとされている。

1970年代以降には、アメリカで臨死体験が社会的に認知されるようになってきた。特に、スイス生まれの医師エリザベス・キュブラー・ロスや、レイモンド・ムーディの働きが大きな影響を与えた。

キュブラー・ロスは、第二次大戦後にアメリカに移住し、死に臨んだ患者の心理状態などを研究し、死に至るまでの精神状態の変遷を明らかにした。ムーディはベスト・セラーとなった1975年の「かいま見た死後の世界」などの臨死体験に関する著作を多く著わし、立花隆の臨死体験の研究などに影響を及ぼした。

2017年から2020年の調査では、死後の世界を信じる人間は、アメリカで68.2%、日本では32.2%となっている。(https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20210215-00221877)

そもそも、キリスト教の聖書では、霊、霊界、天国や神の存在が前提とされている。キリスト教が事実上の国教のアメリカでは、死後の世界を信じない方が例外的な人間のはずだが、無神論者などもアメリカには結構いる、ということになる。あるいは、科学が発達した社会では、科学的に証明できない死後の世界は信じる対象にはならない、ということかも知れない。

日本では、今の仏教の僧侶でも死後の世界の存在を信じない者もいるが、平安時代の源信が「往生要集」で地獄や極楽について述べて以来、霊界の存在を認めることは日本文化の伝統となっている。ただし、明治以降の西洋化の中で、西洋科学は取り入れたが、キリスト教は敬遠した日本は、科学の洗脳で死後の世界に対する信仰は、アメリカの半分ほどの広がりしかない。つまり、日本人よりアメリカ人の方が臨死体験や死後の世界を信じている。世界の物質文明と経済の中心であるアメリカで、3分の2以上の国民が死後の世界を信じていることの意味は大きい。

キリスト教の影響が大きいアメリカでは、スピチュアリズムや心霊主義は、究極的には伝統的なキリスト教という枠組みの中に納まるが、社会的に仏教が葬祭儀式のみに関わるものだという通念のある現在の日本では、スピチュアリズムや心霊主義はエンターテインメントに埋没したり、1995年のオウム真理教によるテロのような、歯止めのないカルト(過激で異端的な新興宗教集団)の狂信的な動きと結びつきやすい。そのため、死後の世界などは敬遠すべき問題だという雰囲気が社会で主流となっている。その結果、日本では3分の1の国民しか死後の世界を信じていない、ということになる。

日本人が尊敬するヨーロッパの文学作品の多くには、霊的な世界に対する認識が基本にある。プラトンやソクラテスから始まって、ダンテ、ゲーテ、シェークスピアに至るまで、霊界への関心が表わされている。夏目漱石もイギリスの心霊主義関係の本を読んでいたし、禅を世界に広めた鈴木大拙も18世紀の霊能力者のスエーデンボルグから影響を受けている。

日本人が立花隆の臨死体験の本を読んだり、スピチュアリズムや心霊主義に関心を持つのは当然だが、死後の世界について正しい理解を得るには、伝統的なキリスト教や仏教に親しむことが必要だと思われる。

歴史的に世の終わりが近づいたとき、神が霊を送るのは、まずキリスト教の伝統の上で死後の世界を信じるアメリカ人だということになる。実際、霊界には悪魔もいるので、安易にスピチュアリズムや心霊主義に惑わされれば、悪魔の手先になりかねない。現代の日本人は、スピチュアリズムや心霊主義、それを売り物にする新興宗教などに関わる前に、伝統的なキリスト教や仏教を学ぶことが安全で、必要なことだと思われる。

2021年9月25日土曜日

1945年の終戦から、2060年の世の終わりの開始まで

 1945年の終戦以来、50年間は、日本は基本的に平穏だった。

第二大戦で敗戦し、米国キリスト教のマッカーサー元帥が導入した、米国キリスト教の精神を基盤とする新たな憲法体制の下で、国家の安全保障問題は日米安保体制によって日本人の意識から隠されることになり、日本人は経済発展に専念することができた。

戦後の米国/ソ連冷戦の一環につながる1960年の安保闘争後、1964年の東京オリンピックを経て日本経済の高度成長は加速し、1970年前後の学生運動・ベトナム反戦運動の嵐を超えて、1980年代には技術で世界をリードするまでに至り、GDPで世界第二の経済大国となり、日本は1980年代末のバブル経済の時代へと突き進んでいった。1989年の昭和天皇の死は、まさに、本格的な世紀末の幕開けを予感させるものとなった。

1990年代初めの米国とイラクの湾岸戦争(今日まで続く米国のイスラム・テロリストとの戦の源流となる)、ソ連の崩壊(中国のロシア型共産主義・経済体制の放棄の原因となる)なども日本に大きな影響を与えることはなかった。しかし、戦後50年たって生じた1995年の阪神大震災とオウム真理教テロは、20世紀末から21世紀の始めに至る世界史的な世紀末の、日本での幕開けとなった。

ちなみに、ダイアナ妃の事故死は1997年、JFK Jr.の事故死は1999年であり、世界文明の主流のイギリス/アメリカにおいても、世紀末に影をさすような出来事が生じた。

そして、21世紀の開始と共に、2001年に同時多発テロがアメリカで生じ、世界文明の主流のユダヤ・キリスト教世界に警告が与えられた。アメリカではさらに2008年にリーマンショックに続く金融危機が生じ、その反動として黒人初の大統領オバマが誕生した。日本でも、アメリカ型の強欲資本主義への反発から、2009年に民主党政権が生まれ、2012年まで続いた。

米軍が同時多発テロの首謀者オサマ・ビン・ラデンを殺害したのは2011年だったが、その2ヵ月前に日本では東日本大地震/大津波が生じ、18,000名が死亡・行方不明になった。そして、世界を震撼させた福島第一原発事故が随伴して生じた。1990年のバブル経済崩壊以後、20年を超えるデフレ経済と少子高齢化に苦しむ日本は戦後以来の危機に見舞われた。その中で、政権能力に疑問を持たれたリベラル派の民主党政権は否定され、政権はアベノミクスを掲げた自民党に戻った。そして、2020年にコロナ大感染に見舞われるまで、この体制は続いた(日本でのコロナの死者は、2021年9月時点で約17,000名、世界では450万人超)。

1918年の第一次大戦後のスペイン風邪以来の100年ぶりのパンデミックは、まさに本当の世紀末を意味した。オバマへの反動として登場したアメリカの白人優越主義者のトランプ大統領は、コロナの中で、現職で2020年の大統領選に落選した。日本では、圧倒的な人気・権力を誇った安倍が二度目の病気による首相辞任を強いられた。後任の菅も1年しかもたなかった。ドイツのメルケル首相も2021年に退陣する。中国初のコロナは欧米・日本の民主主義国に大きな影響をもたらしたと言える。

ちなみに、戦後の開始の1946年から、阪神大震災の1995年までは49年(7x7)、阪神大震災の1995年から、東日本大震災の2011年までは16年(4x4)、東日本大震災の2011年から、2020年のコロナまでは9年(3x3)となる。コロナが2021年で事実上、収束に向かえば(2020年から2021年まで、又は、2022年から2021年までは1年(1x1))。これで、世紀末の警告事象のシリーズは終わることになる。

「世紀末」の後は、聖書によれば「世の終わり」になる。キリスト教の発生から現在までの2千年で人類に対する神様の判断は下される、と考えられる。ただし、世の終わりにはキリストの再臨が期待される。2千年前に十字架の刑で死亡したが復活し、天国に返ったキリストが再び人間世界に現れるというのが、キリスト教の信仰です。

科学者であると同時に聖書研究家でもあった18世紀のニュートンは、世の終わりは2060年以降に生じると予言している。現代科学の基礎を築いたニュートンに敬意を表せば、21世紀が人類にとって大変な時代になると考えられる。最悪、人類の歴史には22世紀はないかも知れない。

世の終わりには、神は人々に霊を与えると言われている。20世紀末から続く、世界的なスピリチュアリズム(臨死体験の評価も含む)の活性化は、やはり、世の終わりの前兆かも知れない。それでも、人間が皆、悔い改めれば神は人類に終末をもたらさないかも知れない。

いずれにしても、コロナを真剣に捉えれば、人間社会の腐敗・堕落に怒った神が、死の天使にコロナを使わせたという議論もあって然るべきです。

2021年9月23日木曜日

1945年以降の日本の正しい歴史観

日本は敗北した。

300万人が戦死し、外国軍隊が日本に駐留した。そして、1945年8月15日の無条件降伏から1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印まで、日本は主に米軍の支配下にあった。

その間、アメリカのマッカーサー元帥が日本国憲法の草案を起草し、天皇を元首から象徴役の特殊公務員とし、国民を主権者とする革命的な体制変革をもたらした。これが、戦後の日本の基本となった。

現在にいたるまで、この憲法の枠組みに反対する声は日本国民の間から聞こえない。明治維新以来の天皇制を極限にまで強化して戦った1941年~1945年の日米戦争で、軍部と天皇家が推進した天皇絶対制は敗北し、日本は欧米連合国と中国・ソ連の支配下におかれた。日本の歴史以来、有り得なかった出来事が生じた。それでも、天皇家を中心とする伝統的な保守派は生き延びた。

そもそも米国キリスト教徒のマッカーサー元帥が目指したのは、日本が米国キリスト教に基づいた民主主義国家となることだった。しかし、日本統治を円滑に行い(終戦時には、中国大陸にはまだ100万人の日本兵がいた)、中国・ソ連の影響を除きたかった米国政府とマッカーサー元帥は、天皇家の保護が円滑な日本統治に必要だと認め、天皇家の温存を決めた。そして、天皇を擁して本土玉砕(自殺戦争)を図った狂気の帝国軍部に恐怖し、愛想をつかした天皇家は、マッカーサー元帥、米国政府に完全にすり寄って、生き残りを図る。これが、戦後の日本の政治体制の基本となった。憲法上は、「国民」ですらない天皇を、憲法上の主権者「国民様」の上に「象徴」として置き、その上に米国政府が君臨するという体制が出来上がった。しかし、それでも日本人には、大化の改新以来の天皇家による洗脳から脱する道が開けた。そもそも、明治維新の時、坂本龍馬が西郷隆盛を大統領とする維新体制を完遂できれば、先の大戦で300万人の日本人が戦死することもなかった、ということになる。(幕末に、徳川慶喜が大統領となる新体制を模索していた幕府の、隠密組織が龍馬を暗殺したのも皮肉な悲劇だった。)

1945年の日本の敗北で、300万人の戦死者が怨霊となって天皇家に憑りつくことになった。実際に、天皇が1941年に、命をかけて日米戦争に反対していれば、真珠湾攻撃は起こらなかった。1945年の沖縄戦、広島・長崎への原爆攻撃もなかった。戦後、東條大将の絞首刑で、米軍による日本の戦争責任への追及は終わり、天皇家は東條家を見捨てた。しかし、300万人の戦死者の怨霊は天皇家の断絶を求めていると思われる。女系天皇や、旧皇族の復帰なども議論されるほど、天皇家は霊的に追い詰められている、と言えなくもない。

戦後の日本の文化、政治、経済ですら、決定的な飛躍を遂げられなかったのは、このような正しい歴史観の欠如による。また、90年代に日本のGDPが世界の第二位となりながら、日本が世界で主導的な地位を確立できなかったのも同じ理由による。

日本が東アジアのユニークな疑似王国(象徴天皇制国家)で終始するのか、世界史の主流に参画し、世界で指導的な地位を目指すのかは、このような正しい歴史観を持てるか否かにかかっている。

なお、世界の主流はユダヤ・キリスト教文明であり、ユダヤ・キリスト教・イスラム教の一神教文化です・・・

(中国はなりふり構わず、ユダヤ・キリスト教文明の成果を取り入れ大国化した・・・しかし、中国の伝統的な皇帝制を目指す中国共産党も世界史と世界の主流にはなれない。)